35.誤算
リーダーの男は、ただ一人、最奥へと続く道を歩いていく。
しばらく進んだところで、フード付きのマントを脱ぎ捨て、隠れていた姿が露わになる。
短く刈り揃えられた灰色の髪は几帳面に整えられ、切れ長の瞳に感情の色はない。どこに焦点を合わせるわけでもなく、全体を俯瞰しているようだ。
マント越しにも分かっていたが、改めて見ると筋骨隆々とした体躯であった。
その巨体にもかかわらず、その足運びに重さはない。一歩ごとの足運び、身体の軸、わずかな体重移動とすべてが洗練されており、彼の実力を感じさせた。
最下層は、入り組んだ迷宮とはなっておらず、だだっ広いドーム状の空間が広がっているだけ。
進めば、迷わずコアが安置される最奥の部屋にたどり着けるだろう。しかし当然、この最下層にも相応の実力を有する兵たちを配備している。
ホブゴブリンやグレーウルフ、レッサーベアが絶え間なく攻撃を仕掛けていく。
そんな兵たちの猛攻を、男は紙一重でかわしていく。
そして返す刀は一閃。たった一振りで、一体、また一体と兵を沈めていった。
男が振るう剣は、ロングソードにしては刀身が細身で青みがかっていた。
魔法剣というやつだろうか。
奴と単騎で勝負できるのは、ウルズスくらいか。
それほど人間離れした膂力と実力を兼ね備えている。
このまま兵を単騎で送っても体力消耗すら狙えないほど差があるため、早々にフィリーを出すことにした。
もともと最下層に来た円環の徒の相手は、フィリーに任せる計画だったが、兵たちが予想以上に奮戦したため出番がなかったのだ。
フィリーに撃退の指示を出すと、了承の返事を言い終わる前に飛び出していってしまった。
私は、姿を隠し、物陰から奴らの動向を観察することに徹するつもりだ。
彼女は、人間形態のまま勢いよく男の前に飛び出すと、仁王立ちになり口上を述べる。
「おい。理を歪めるものの先兵。これ以上は、地龍フィグネシアが通さん」
なぜ不意打ちしない? なぜ正体をばらす?
いくつか指摘したかったが――フィリーだからなぁ。
これまでにない敵兵の登場パターンに、さすがの男も身構え、相手を観察すると
「地龍か。ここまで潜っても出てこないものだから、臆して逃げたのかと思っていたぞ」
「なんだと! 我が臆するものか。これはラキアの指示で仕方なく、だ!」
あーもう、見え透いた挑発に乗るんじゃない。
「まず、お前の名をだな――」
なおも非難するフィリーに、男が鋭い踏み込みとともに切りかかる。
ガッ
「ちょっと私の話を聞け! だいたい――」
斬撃を生身で平然と受けながら、抗議を続ける。
男の方は、一切彼女の言葉に付き合わず、さらにギアを上げていく。
轟音を伴いながら斬撃を繰り出し、刃がいくつも体を捉えるが、傷をつけるには至らない。
「……いい加減、私の話を聞け!」
フィリーが裂帛の気合とともに、最短距離で拳をまっすぐ突き出す。
男も慌てず、剣の腹で受け、後方に飛んで威力を殺す。
「ちぃ」
一度剣の構えを解き、意識を集中し、二言三言つぶやくと、何かの呪文を発動させる。
すると、全身に紫色に発光する文字が浮かび上がり、まとう気が大きくなった。
何という呪文だろう。
フン
息合いとともに踏み込んでくる。
ダアッン
先ほどまでとは比べものにならない瞬発力と膂力で、長剣を繰り出してくる。
この一撃もまともに受けるフィリーだったが、直後に慌てて距離をとった。
なんと、受けた箇所に薄っすら傷がついていた。
ここにきて彼女も警戒し、構えを作り直して対峙する。
男の方は、今の快挙にすら不満のようで、何度も浅く呼吸を繰り返し、体内に酸素を溜めると、今度は連撃を放ってくる。
目や喉、狙いにくい脇や鼠径部といった、構造上保護が薄い箇所を狙ってくる。
フィリーも、見事なフットワークや拳でかわしつつ、打撃を繰り出していく。
彼女の強さは知っていたから驚きはないが、それに対抗する男の方に驚愕が隠せない。
敵ながら称賛したくなる。
人間とはあれほど強くなれるものなのか。
目にも止まらぬ斬撃を放ち、大振りの一撃をフィリーが拳で受けて大きく打ち上げる。
男はすかさず左手を柄から離して、フィリーに向かって掲げると、
「メルカヴォルカノン!」
ッゴゴォォォォオン
力ある言葉とともに大爆発を起こす。
またも知らない魔術。
最上級燃焼魔術を圧縮したような燃焼魔術だ。
魔術まで使うのか!? しかし、唱えている様子は確認できなかったが。
観察すると、奴の体から文様が消えている。
閃光のように燃える炎に呑まれたフィリーであったが、
「覇っ!」
階層を揺らす程の掛け声とともに炎を霧散させ、すぐさま白兵戦を仕掛けていく。
何か所か焦げているが、ダメージは負っていないようだ。
こいつも規格外だな。
迎え撃つ男の斬撃を拳で叩きつける。
バギィン
ついに剣が耐えかねて折れた。
なんとか初撃を剣と引き換えにやり過ごしたが、フィリーの勢いは止まらない。
もう片腕の攻撃に対し、男も拳で迎え撃つが、拳ごと砕き、肘から決して曲がらない方向に曲げてしまう。
苦悶の表情を浮かべ、態勢を崩した男に向かい、さらに腕を振りかぶる。
あー、終わったな。あの一撃を防ぐ術はもうないだろう。
奴を捕食できれば、有益な情報が手に入っただろうが、諦めるしかないか。
しかし、私の見立てはあっさり外れてしまう。
「ッ!? 痛っ」
突然、彼女が小さく呻き距離をとる。
手に斬撃を受け、鮮血が滴っているではないか!?
何が起きた!?
男の方に視線を戻すと、その傍らに見知らぬ男が立っていた。
……何だ、あれ?
顔に刻まれた皺、黒髪の艶具合から、それなりに高齢の男のように見える。
体格も中肉中背で、外見的に特筆するところはない。
ないのだが――
「なんだアレ。やばいぞ」
石柱の影から見ていた私は、思わず声に出してしまう。
あんな影、見たことがない。
私にもともと備わる生命感知が、あの男を異常だと告げている。
フィリーのように生命力を爆発させたような躍動感に満ちた影とは正反対。
凪だ。生命の揺らぎがまるでない。影自体があの男と同じ輪郭を持っている。
「トバルガイン殿。なぜここに!?」
トバルガインと呼ばれた凪の男は、自身の顎髭をしごきながら、
「目的は達成しておる。帰還せよ」
帰還指示を出す。男の方も反論一つせず、撤退のため後ろに下がり始める。
「いかせるかー!」
それを阻止しようとフィリーが、攻撃を仕掛ける。
ドッゴッ、ドッガッ
大地に干渉し、二人にめがけて石柱を繰り出しながら、自身も距離を詰める。
「ダメ! 引きなさい」
無性に嫌な予感に襲われた私は、たまらず物陰から飛び出し、彼女に向かって制止を叫ぶ。
男たちを襲った石柱が、突如勢いを失い、ぶつ切りに細断されていく。
その技量に目を見張ったが、気づけば、凪の男はいつの間にかフィリーの眼前に位置取っていた。
腰に佩いた、異様に反った細身の長剣へ手が伸びる。
そう認識した次の瞬間には――
チュン
ありえない光景に理解が追いつかない。
長剣は、フィリーが直前に出した石柱ごと、彼女を突き貫いていた。
「フィリーーー!」




