30.戦支度
ハァ、ハァ、ハァ。
ダンジョンの最奥で、フィリーの荒い呼吸音が響く。
「ああ、ちょっ、あっ。もうダメェ」
そんな弱った声を出すフィリーに覆いかぶさる私も、ここで止まるわけにはいかない。
「我慢して。あと一回だけ。ね」
彼女の固く締まった体を押さえながら爪を立てる。
ハァ、ハァ、アァ――。
まさに力を込めようとしたとき、ふと背後に気配を感じて振り返ると、ケボンが岩場の陰からこっそり覗いていた。
たまたま通りかかったのか、それともフィリーの声を聞いて駆けつけたのか。
両手で顔を覆いつつも、指の隙間がわずかに開いており、その隙間からこちらの様子をしっかりとうかがっている。
私に見つかったことに気づくと、一瞬逃げるそぶりを見せたが、好奇心が勝ったようで、まさか質問してきた。
「ラキアさま。なっ、何をなさっているので?」
「何って?」
フィリーから離れ、成果がみえるよう掲げながら説明する
「龍鱗だ。売れそうだから龍鱗を剥いでるんだ」
顔から手を離して真顔に戻った彼は、少し言いにくそうに一拍置いてから言った。
「一枚剥いだら、あとは複製で良かったのでは?」
「あ、たしかに」
びぇーーーーーん。
龍の姿に戻っていたフィリーが情けない声で泣いた。
そのまま泣きながら逃げ去ってしまったので、結局、四枚しか龍鱗を剥ぎ取れなかった。
複製するかは、この鱗にどれほどの価値があるか確かめてからにしよう。
ひとまず空間に収納していると、ダンジョンへ近づいてくる存在を検知。
同時に、外で警戒していたグレイウルフが最奥へ飛び込んできて、接近する存在があることを報告してくる。
報告といっても会話は必要ない。私が意識を移して記憶を読み取るのだ。
近づいているのは二人組の人間。リシュト以来の人間である。
理を歪めるものたちが早速偵察に来たのかと思ったが、服装や動きを見る限り、場慣れしているようには見えない。冒険者と比べても貧弱で、よく見積もって山賊といったところだ。
しかし、このタイミングでここを目指してくる人間だ。彼らが手引きした者たちで、まず間違いない。
近くで観察している可能性もある。ダンジョン周辺の警戒を厳重にするよう指示を出す。
男たちは寄り道することなくダンジョンへ到達すると、入り口で一度ためらいを見せたものの、結局侵入してきた。
入り口付近で息を潜めて待機するゴブリン弓兵に気づくこともなく素通りし、奥へ向かって進む。
背中を見せたところで弓兵が静かに弓をつがえ、狙いを定め、矢を放つ。
たったそれだけで、侵入してきた二人は大地に伏した。
日々ゴブリンたちも鍛錬を重ね、体も技も一回り大きくなったとはいえ、侵入者はあまりにも力不足だった。
リシュトたちと比べるべくもない。
意図的に致命傷をわずかに外した一矢だったため、瀕死ではあるが二人ともまだ生きている。
あまり期待できなかったが、私は捕食を実行し、二人をダンジョンへ取り込んだ。
すぐさま一人を複製し、意識を移す。
?
少し違和感を覚えたが、問題なく移すことができた。
彼の半生と、共感できない主張。そして、このダンジョンへやって来た経緯を知ることができた。
名前はエルマン。アイゼンエルツ近郊の街に住むならず者だ。
その日も酒代を得るため、何か金になりそうな話がないか耳をそばだてながらゴミ漁りをしていると、見知らぬ男が近づいてきた。
その男は地味なローブを着ていたが、恵まれた体格を隠しきれておらず、その顔には暴力の気配が漂っていた。
エルマンは当然警戒して睨みつけたが、男は一切臆する様子をみせず、前置きなしに依頼を持ちかけてくる。
依頼内容は、この街から数日先にあるという洞窟を調べること。
素性も知れない、暴をまとった男の依頼に理性は警鐘を鳴らしたが、結局、報酬の額を聞いて引き受けることにした。
真っ当な依頼ではないと気づいてはいた。だが、報酬に目がくらんだのだ。
男が手配した馬車に乗り込むと、すでに複数人が乗っており、キャンプ地へ着くと、そこにはもっと多くの人間が集められていて驚いた。
その後、別の男の指示で見知らぬ野郎とペアを組み、指定されたルートをたどると依頼の洞窟を発見。少し調べて、すぐ引き返すつもりで踏み入ったようだ。
想定どおりの流れすぎて、大量の魔力を使ってまで、この人間の記憶を覗いたことを少し後悔したが、副次的に得られた情報もあった。
エルマンに近づいた男。服装こそ違ったが、その雰囲気は「理を歪めるもの」たちのそれだった。
あとはメンバーの数だ。
ゴロツキが十人、組織の人間が五人といったところ。前に奇襲をかけてきた奴らもいるのだろうか。
この後もゴロツキが生け贄として投入され、尽きた頃に組織の人間が直接偵察に来ると予測できる。
あと、エルマンに意識を移して分かったことがある。リシュトと異なり、彼の体を自由に動かせないのだ。
彼の意思による抵抗を感じる。
もう一人の人間も試しに複製し、意識を移してみたが、同じように抵抗を感じ、満足に操れない。
これでは、とても戦闘には耐えられない。
思い当たるのは、リシュトを捕食したタイミングか、魔力枯渇による不十分な蘇生が原因なのだろうな。確かに、私が意識を移していない時のリシュトは、自我の発露が乏しく、その場でぼんやりしていることが多い。
意識をリシュトに戻すと、複製したエルマンたちには清掃を命じ、私は次の行動へ移る。
私はフィリーやケボンたちの状況を確認し、改善点や対応の優先順位について助言を行い、今のうちに一度、アイゼンエルツへ向かうことを伝えた。
武具や防衛設備の調達。防衛戦術について知識を集めるためだ。
それと、「理を歪めるもの」たちに関する情報も集めておきたい。
「分かりました。五階層のゲートキーパーは、ウルズスを任命します」
ケボンが兵の配置をまとめていく。
ウルズスとは、先日進化を遂げたレッサーベアのことだ。全長は二メートルを超え、前脚が二本増えて六脚となった。その前脚には鋼をも凌ぐ硬度を持つ鉤爪が生え、さらに発達した膂力と相まって凄まじい威力を誇る。
私のダンジョン初のゲートキーパーとして申し分ない。
それでも――
「万が一、ウルズスを倒して六階層まで侵入する敵が現れた場合、そいつらの帰還は絶対に阻止するように」
これまでの方針は変えるわけではないが、五階層までなら、相手が脱出を試み、逃げおおせても仕方がないとする。
しかし、六階層まで侵入を果たした敵の帰還は許さない。対応はフィリーに任せる。
併せて、侵入者が八階層まで到達した場合は、ジュメルス盤を割るよう指示を出すと、アイゼンエルツに向かう準備を始める。




