深夜のクッキー談義
「それで、次はいつする予定なの?」
ペペロンチーノを突きながら麦嶋が質問する。
「さあ? まだ連絡はないけど」
僕は素直にそう答える。そう、それは残念ね、と心にもない言葉を吐きながら、麦嶋はグラスに入った水に口をつける。
僕と麦嶋は例のごとくファミレスで晩御飯を食べていた。というのも、麦嶋がしつこく三枝さんとのクッキー作りの経過を聞いてきたため、止む終えなく一緒に御飯を食べているというわけだ。まあ、どちらも一人暮らしなので、家で一人寂しく食べているよりは幾分マシなのかもしれない。
「自分だけのクッキーねえ。そんなもの本当にできるのかしら。それも頼りない羽田の力を借りて」
三枝さんの求めるクッキー。三枝さんのためだけのクッキー。確かに僕の力では荷が重いとは思う。レシピ通りの普通のクッキーは作ってきたけど、全く新しいクッキーなど今まで作ったことがないのだ。麦嶋が訝しむ気持ちもわかる。わかるのだが、何となく気に食わない。特に頼りないの一言が余計だ。僕はやる時はやる男なのだ。ここは何か言ってやらねば。
「三枝さんの力があれば、作れるかもしれないだろう」
自分の他力本願の発言に、ちょっとだけ虚しくなった。まあ、三枝さんが美味しいと思うものなんて僕が分かるわけないし、こればっかりはどうしようもないのだ。
「そうね。羽田だけならともかく、三枝さんの協力があれば、作れるかもしれないわね。彼女は才女のようだし」
そう言って麦嶋はテーブルの上に一枚の紙を差し出す。ネットの記事だろうか。日付を見てみると、一年ぐらい前の記事らしいことがわかる。タイトルには『高校生が視覚、聴覚、嗅覚による物体の新たな分類及び検出方法の発案。才女の誕生か』とデカデカと書かれている。何だか分からないけど、世の中にはすごい高校生もいたものだ。
「これがどうかしたのか」
「ちゃんとよく見なさいよ。ここに書いてある高校生。その子が三枝さんなの」
僕は慌ててその記事に目をやる。『高校三年生の三枝映子は、自宅で独自に研究を行い~』確かに、三枝さんの名前がある。
「ね。彼女すごいでしょ」
確かにすごい。僕が高校三年生の頃といえば、当然のように受験勉強でいっぱいいっぱい出会った時期だ。とても勉強以外のことをしている余裕なんてない。三枝さんは受験勉強と研究、両方をこなしていたというなのだろうか。
「でも、そんな彼女が何でまたクッキー作りになんて興味があるのかしら」
「天才の考えなんて僕らのような凡人には分かりようがないよ」
僕の意見に麦嶋が溜息を吐く。
「あのね、羽田。三枝さんだって私達と同じ人間なのよ。同じように悩むようなことがあれば、下らないことで笑うこともある、一人の人間なの。あなたはちょっと三枝さんを神聖視しすぎなんじゃないの。そんな風に考えていたら後で足元を掬われるわよ」
そんなことは……あるかもしれない。僕にとって、三枝さんは女神のようなものだった。静かで冷淡で、いつも机で本を読んでいる。絶対不可侵の存在だった。
……でも、本当にそうなんだろうか。僕のアパートに来た時の彼女。彼女の様子は今まで僕が思っていた彼女とは少し違っていた。確かに冷淡で、人嫌いなところは変わらない。だけど、突然メールで返事をしたり、指を甘噛したり、と普段の様子から想像もつかない、不思議ちゃんのような、そんな側面も見てしまった。
僕の三枝さんに対する認識は確かにクッキー作りの前後で変わっているのだと思う。それでも、まだ、僕は三枝さんを神聖視している。そんな気がする。
「だけど、三枝さんは僕らとは違う。それは事実だろう」
「まあ、彼女が凄いことは否定しないけど……」
何か考えている様子の麦嶋。麦嶋は麦嶋で何か思うことがあるのだろうか。確かに三枝さんは不思議でいっぱいだが。
「まあ、麦嶋だって、凡庸な僕に比べれば凄いもんだ。ほら、小学校の頃なんて名推理で次々と事件を解決していったじゃないか。あの頃の感覚を思い出せば、麦嶋の疑問なんてあっさり氷解するんじゃないか」
「あの頃の話をするのはやめて」
麦嶋はピシャリと言い放った。そういえば、この話をするといつも怒るんだったか。すっかり忘れていた。
「私はもう、あの頃とは違うの……もう二度と」
続きを言う前に麦嶋はグラスの水を勢い良く飲み干し、ドンと、グラスを勢い良くテーブルの上に置いた。
「とにかく、三枝さんが何を考えているのか。これがはっきりとしないと、気になって夜しか眠れないわ」
「夜眠れるならいいんじゃないか」
「私はバイトで夜勤があるから、それじゃあ困るの」
それは大変だ。持ち前の頭脳で早期解決できることを祈る。
「三枝さんにメールでそれとなく聞いてもはぐらかされるし」
今なんと。三枝さんにメールで聞いた。確かにそう言ったのか。
「……麦嶋は三枝さんのメールアドレスを知ってるか」
「当然じゃない。私が三枝さんにメールアドレスを書いた紙を渡したのを見たでしょう」
「確かにそれは見たけど……」
それじゃあ、三枝さんは麦嶋に連絡したということになる。あんなに怪しい登場の仕方をしたのに三枝さんもよくアドレスを教えたなあと、素直に感心する。
「まあ、もうすぐ期末テストがあるし、その後にでもまた、クッキー作りを再開するつもりでしょう」
そういえば、期末テストがもうそこまで迫っていたのだった。提出課題も山ほど出るはずだ。確かに、その時期はクッキー作りをしている場合ではないだろう。
「その時になったらまた教えてね。気になるから」
そう言って麦嶋はまた、目の前のペペロンチーノを食べ始めた。




