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クッキーフレンド  作者: 加護景
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世界はクッキーで溢れている

「……人、ですか」


 僕の言葉に静かに吐息を漏らす。


 目の前の火が嘘のように勢いを失い、鎮火していく。そして、目の前には冷たい目をした三枝さんが静かに僕を見据えていた。


「諦めてくれると思ったのですが、中々上手く行かないものですね」


「そんなちゃちなシナリオじゃあ、誰も騙されてくれませんよ」


 途中まで騙されていた僕が言う台詞ではないが、本音を言わなければ誰も気が付かない。言ったもの勝ちだ。


「そうですね、その通りだと思います」


 肯定の言葉に少し傷つく。まあ、これは自業自得であるので文句は言えない。


「なぜ、人と関わりたくないか、でしたね。その答えは実に簡単ですよ」


 冷たい風が吹く。まるで、この場を凍りつかせるような厳しい寒風だ。思わず肩を震わせ、身を縮める。思いかけず三枝さんの方を見ると、彼女は氷のような冷たい微笑を浮かべていた。



「あなた達がクッキーだからですよ」



 頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。クッキーだから。どういう意味だろうか。まさかそのままの意味のはずはないはずだが。


「混乱していますね。正確には、私にはクッキーに見える、が正しいですね」


 つまり、僕達の姿が三枝さんにはクッキーに見えるということなのだろうか。……そんなことあり得るのだろうか。記憶障害の方がまだ真実味があるような気がする。


 しかし……間違っているとも言い切れない。だって、そうなれば、三枝さんが人を嫌う理由も、人を認識できない理由も説明できてしまうからだ。だからといって真っ直ぐに受け入れられるかというと難しい。あまりに……そう、僕にはあまりに突飛な話だからだ。


 ……でも、僕は三枝さんの話を信じようと思っている。どうしてだろうか。


 それはきっと三枝さんの雰囲気のせいなのかもしれない。いつにもまして、冷たい表情をしている三枝さん。凍りつくような視線を僕に投げかけている。まるで三枝さんの周りだけ温度が違うみたいだ。そんな彼女の様子は今まで見たことがない。今までとは違う、そう、本気なのだ。その姿を見ていると、これから誂ってやろうと、嘘をついてやろうと考えているようにはとても思えない。彼女の話にきっと嘘はないのだろうとそう思えてならないのだ。


「この世界に、人間は自分たった一人なんです。それ以外は皆、クッキーです。甘ったるい匂いを放ちながら、大手を振って歩き回っています。繁華街なんて見てみると面白いですよ。クッキーというクッキーがひしめき合って、まるでパレードをしているみたいに見えるんです。その光景を見ていると自分ひとりだけが別世界に取り残されたように思えるんです。不思議ですよね」


 無表情で僕を見つめている、はずなのだが、三枝さんの目を見ていると、不思議と焦点が僕にあっていないように思えてくる。ここには僕なんて存在せず、ただ独り、三枝さんが自分自身に語りかけるように話しているように感じてならない。いや、もしかすると、このクッキーだらけの世界に語りかけているのかもしれない。


「このクッキーが支配する世界では、食事も当然クッキーです。昔、お米だと思っていたものも、パンも、麺も、野菜も、すべてクッキーに置き換わってしまいました。味も、匂いも、そして食感までも、クッキーに変わってしまうんです。いや、あなた達がそれらのものを米や麺と便宜上読んでいるだけで、実際にはクッキーなのかもしれませんが、私にはそのことを確かめるすべはありません。もうクッキー以外のものを食べられなくなってしまったのですから」


 人がクッキーに見える世界。食べ物までもがクッキーに置き換わってしまう世界。一見メルヘンチックだが、現実はそんなに甘くない。実際にそんな世界があるのだとしたら、それはまさしく地獄なのではないだろうか。


「昔の私はそんな世界に憧れていました。大好きなものに囲まれて永遠の時間を過ごす。幼い頭にはそれが幸せに思えたんでしょうね。もしくはある種の現実逃避だったのかもしれません。妄想の世界を願うことで、親の厳しい教育から意識を逸らそうと必死だったのかもしれません。……今となってはもう、思い出すこともできませんが」


 子供時代は厳しく躾けられたのだと親から聞いている。クッキーの世界。そんな妄想に浸ってしまうのも無理もない話なのかもしれない。空想に浸っていなければ耐えられないほど過激だったのだろうか。……きっとそうだったのだろう。だから、母親はそのことを今も悔やんでいるのだ。苦悩だらけの世界に娘を追い込んでしまった張本人として、今も苦しんでいるのだろう。


「そう、昔は親の躾が厳しく、いつも辛い思いをしていました。ただ唯一の娯楽といえば、たまに出るおやつのクッキーだけ。そうなればもう、クッキーが心の支えになってしまうのはある意味当然だったのかもしれません。毎日、おやつの時間を待ちわびて、ただただ、クッキーを食べることだけを楽しみに生きていたのです。親から怒られて、辛いことがあると、クッキーのことを考えて気持ちを紛らわせていました。こうして、どんどんクッキーに依存するようになってしまったのです」


 純粋にクッキーが好きなのではなく、それしか頼るものがなかった、ということなのだろう。僕のようにただ美味しいからという理由とはどこか違っている。それはどことなく不健全、何だと思う。


「もちろん、クッキーのことを考えて気を紛らわすだけなんてたかが知れています。すぐに限界がやってきました。親からの厳しい態度に耐えられなくなり、とうとう私は逃げ出してしまいました。家を出て、ただただ遠くへと走り続けていきました。そうして、気が付いた時にはベットの上でした。目を開けるとそこには夢見た世界が広がっていました。目の前に置かれた病院食はどこからどう見てもクッキーにしか見えませんし、実際食べてみるとクッキーの味がしました。親が差し入れてくれるものもすべてクッキー。隣の患者を見ても、美味しそうにクッキーを食べています。そう、食べるものすべてがクッキーに置き換わっているのです。私はすぐにこの世界に夢中になっていきました。何しろあれほど依存していたクッキーがそこらじゅうにあるのですから胸躍るのは当然のことだったのです」


 食べ物がクッキーに見えるようになる。事故の後遺症なのだろうか。しかし、検査では異常がないという話だ。そうなると現代科学では立証できない事象なのかもしれない。もしかすると、クッキーへの強い想いがそうさせているのかもしれない。


「次に目を開けた時には、今度は人がクッキーに変わっていました。あちらこちらでクッキーが歩いていたり、食事を取っていたり、窓を開けたりと、非常識な光景が広がっていました。しかし、当時の私はそれを喜々として享受していました。クッキーだらけの世界。自分が夢見た世界が目の前で繰り広げられているのですから、喜ぶのはある意味当然のことだったのかもしれません」


 人までがクッキーに見える。それは……どうなのだろうか。いくらクッキーが好きとはいえ、やり過ぎだと思う。いや、後遺症の症状に対して文句を言っても仕方がないのだけど。


「しかし、そんな幸せも長く続きません。飽きというものは必ずやってくるものです。いくらクッキーが好きとはいえ、毎日食べられるものではありません。それに自分以外が皆クッキーになっているなんて冷静になって考えれば考えるほど不気味に思えてきます。すぐにこの世界から出て行きたくなりました。しかし、私には出て行く方法がわかりません。私はただこの世界に一人、人間として取り残されてしまったのです」


 たった一人、クッキーだらけの世界に取り残される。それはどんな気分なのだろうか。きっと不安になったに違いない。


「頭を打ったのでしょうか。そう思ってクッキーの形をした医者に診てもらっても何の異常もありません。それでは、精神に異常をきたしてしまったのだろうか。クッキーの姿の精神科のカウンセリングを受けても何の進展もありません。ここで私は気づいてしまったのです。誰も彼もクッキーになっています。彼らはあくまでクッキー専門の医者なのです。そうなれば、人間の私を直せないのは当たり前のことじゃないかと、そう思ったのです」


 誰も三枝さんの症状を完治することができない。いや、できるはずがない。だって彼らは皆、三枝さんにとってクッキーなのだから。人の病気を直すことなんてできるわけがないのだ。


 そう思ってしまえば、もう医者に頼ろうとすることなんてなくなるだろう。医者だけではない他人にすら頼らなくなるだろう。だって三枝さんから見れば、ただのお菓子にしか見えないのだから当然だ。お菓子に病気を直してくれ、なんて頼む人はいない。


「この世界に人間は私一人しかいません。もし誰かが私の異常性を、私が人間であると知ってしまったら、誰もが私を迫害するに違いありません。だってそうでしょう。周りにはクッキーしかいないのですから。だから私は、極力人との接触を控えました。私が人間だとバレないようにしなければならなかったのです」


 自分から一人になる。そうやって、三枝さんはこのクッキーだらけの世界を生き抜いて来たのだろう。三枝さんにとって元々人間は自分ひとりだけなのだ。


「でも、それは三枝さんがそう見えているだけで――」


「ええ、分かっています。もちろん、あなた達は人間なのでしょう。クッキーなどでは決してありません。しかし、その事実は私には関係ありません。私にはあなた達はクッキーにしか見えない。そのことだけが重要なのです」


「それは……」


 そうなのかもしれない。自分の目で見える景色が、感じる食感が、味覚が大切なのだ。他人がどうであろうと、関係ない。


「私はこの世界に適用しなければなりません。そうでなければ生き残れないからです。中学、高校と今まで上手いことやり過ごすことができましたが、これから先も上手くいくとは限りません。私は、自分のよりよい生活のために、努力しなければならないのです。その第一弾として、私はまず自分の味覚に合う食べ物を探そうとしました。いつまで経ってもクッキーしか食べられないのはつまらないですからね。しかし、それも私一人では中々上手く行きません。何せ、どんな材料であっても、それがクッキーに見えてしまいますし、味そのものもクッキーになってしまうのもですから、上手く行かないのも当然ですね。食べ物探しは早速難航したというわけです」


 淡々と話をする三枝さん。意外に前向きな発言だ。


 ……僕はある違和感を感じていた。自分のことを話しているはずなのに、まるで他人事のように話す三枝さん。そこには熱がない。そう、感情の起伏が感じられないのだ。この世界は三枝さんにとって辛いはずだ。僕だって同じ目に会えば正気じゃいられないだろう。それでも、三枝さんは平然としている。どうしてなのだろうか。


「ところが、ある日転機が訪れます。私に対してクッキーの贈り物をしてくれた人がいたのです。そこで私は閃きました。どれを食べてもクッキーの味しかしないのであれば、クッキーをベースにして何とか食べられるものを探せば良いと。そう思って始めたクッキー作りでした」


「だから、クッキー作りをしよう、と提案したわけですね」


 三枝さんの唐突な提案もその過程を聞けば納得がいく。自分で料理ができない三枝さんにとってはどうしても協力者が必要だったというわけだ。


「ええ、その通りです。知っての通り、何の進展もありませんでしたが、その過程で一つ、面白い発見をすることが出来ました。この発見でもしかすると、私は、クッキー以外のものを食べられるのではないかとそう思ったのです」


「その発見って?」


「それはですね……」


 三枝さんが微笑む。黒い衣装も相まって、まるで死神に魅入られたように不気味な表情に見える。とても、嫌な予感がする。


「あなた達は食べたら美味しいんじゃないかということです」


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