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クッキーフレンド  作者: 加護景
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クッキーのことはもう忘れて

 子供の頃、私は事故に逢いました。道路を飛び出して引かれる、というよくあるような事故です。ひょっとするとこのことはもう母から聞いているのかもしれませんね。


 私はこの時の後遺症で、新しい人を覚えることができなくなってしまいました。英単語も難しい漢字も、数学の公式も覚えられるのに、人だけは覚えることができないのです。不思議ですね。私も最初の頃はこのおかしな事象に頭を抱えました。


 調べてみると私が人に関する記憶を保っていられる時間はほぼ一日ぐらいでした。その時間を過ぎると、何も残りません。綺麗さっぱり忘れ去ってしまいます……これには流石の私も困りました。人を覚えられない、ということは、普通の生活を送ることができないことを意味していましたから。それどころか、私のこの障害を悪用する人が現れるかもしれません。だから私は自分の身を守るために、この後遺症を隠すことにしました。誰が話しかけてきても無視して、冷たくあしらうようにしたのです。つまり、人と関わることを徹底的に止めるようにしたということです。そうすれば、私の元へ人は寄ってきませんし、何より人を覚える必要がなくなります……私が人嫌いになるのはある意味当然の結果だったといえますね。


 ところが、この障害に気付いた人が現れました。確か高校生の頃だったでしょうか。その人物は何故か私と関わりを持とうとしていたようです。


 しかし、運の良いことに、その人物は私の障害を利用して悪用しようとはしませんでした。それどころか、終始私のことを気にかけ、優しくしてくれたのです。所謂、いい人なのでしょうね。私も気を許してしまったのか、その人のことは覚えておこうとしてしまいました。今思えばそれは間違いだったと思います。


 私はその人のことを忘れないように、必死でメモを取りました。今日は何をしたのか。その日は何を話したのか。その人は何が好きなのか……その人との思い出を忘れないようにそのメモを何度も、何度も読み返して、忘れないようにしたのです。


 ……しかし、その人との友情は長くは続きませんでした。ある事実に気付いてしまったからです。私は、一ヶ月経つと、事故後に出会ったすべての人の情報が消えてしまうのです。


 この事実に気付いてから私は恐怖しました。どんなにメモを読み返して記憶を保とうとしても、一ヶ月ですべてが振り出しに戻ってしまうのです。これほど恐ろしいことはありません。


 最初の内は、その友人は諦めませんでした。一度や二度自分のことを忘れてしまっても、それでも友人のままであり続けようとしました。


 しかし、何度も、何度も繰り返す度に、その人の心は折れていきました。自分がどれだけ覚えていても相手はその思い出を覚えていない。これほど虚しいことはありませんね。


 結局、その友人は私の元から離れていきました。その人について今の私が覚えているのは、そういった経緯があったことだけです。その人がどんな名前だったのか、あるいはどんな趣味を持っていたのか……性別すらわかりません。


 私は誓いました。今後どんなに私に関わりを持とうとする人が現れても決して心を許したりはしないと。決して近づいたりしないと。これが、私のできる、私へ好意を向けてくれる人に対する最大限のお礼なのです。


「私はあなたに冷たく接していたに違いありません。それでも、私に近づいてくるなんて、あなたはきっと良い人なのでしょう。……だからこそ、私はこの記憶を、大学時代の記憶を捨てようと思います。二度と同じ過ちを犯さないために」


 そう言って三枝さんは段ボールの中から小さな箱を手に取った。その箱には赤とオレンジで色づけされたインド象らしき絵が印刷されており、どこか懐かしい気分にさせられた。その箱の正体は昔懐かしのマッチ箱だった。三枝さんはカタカタ、と音を鳴らし中から一本のマッチ棒を取り出し、慣れた手つきで火をつけた。


「これでお別れです」


「あっ――」


 僕は咄嗟に手を伸ばす。しかし、三枝さんには届かない。


 そして、その火のついたマッチ棒が、すっ、と段ボールの中へと落ちて行った。


 段ボールは勢いよく燃え上がった。想像以上の火力だ。その様子から見るとあらかじめ燃料が入っていたのかもしれない。オレンジ色の炎が火の粉を飛ばしながらゆらゆらと揺れ動いていた。


「これでもう、私はあなたのことを思い出せなくなりました」


 揺らめく炎の向こうから声がする。その先にはぼんやりと三枝さんらしき姿が映っている。


「あなたも、私のことは忘れてください。そのほうがお互いに幸せですから……」


 じりじりと迫る熱気のせいで、顔が妙に熱い。三枝さんは今、どんな表情をしているのだろうか。どんな顔でこの言葉を言ったのだろうか。目の前を遮る火のせいでよく見えない。


「それでは、さようなら」


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