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クッキーフレンド  作者: 加護景
23/33

ハムスターだってクッキー

 僕の言葉に麦嶋は一言、そう、と独り言のように呟く。


 二人の間に沈黙が降りる。電車の振動で小さく揺れる座席。ゆらゆらと揺れる吊革。電車の中ははっきりと時間を刻んでいるはずなのに、二人の時間は止まったままだ。


「ねえ、羽田」


 沈黙を破り、麦嶋が僕に話しかける。


「ハムスターがいなくなった時のこと、覚えてる? ほら、小学校の時のことよ」


「ああ、一応覚えてるけど」


 確か、麦嶋がハムスターを逃した犯人を言い当てた事件のことなのだと思う。あの時、僕と麦嶋は違うクラスにいたから詳細はよく知らないのだが。


「先生の飼っていたハムスターが子供を産んだから、持ってきたんだっけ?」


 命を学ぶ授業というやつなのだと思う。生き物をクラスの皆で飼うことで、命の大切さを学ぶのだろう。場所によっては豚や鶏を飼って最後には捌いて食べる、なんて恐ろしい体験をさせるところもあるそうだ。そう考えると自分達の通っていた小学校は比較的普通の学校だったのかもしれない。


「そうよ。あの時は皆、はしゃいでいたわ。特に女の子の騒ぎようは相当だったわね。来た直後なんてずっとケージの前で張り付いて、かわいいー、ちっちゃーい、なんて言いながらずっとハムスターを眺めていたわ。もちろん、男の子もハムスターには興味津々だったわね」


 僕のクラスでもわざわざ麦嶋のクラスにいってハムスターを見に行く人が大勢いた。毎日見に行っては、世話をしたり、片手に乗せて喜んでいたりと、僕のクラスでも絶大な存在感を示していた。もちろん、僕もハムスターを見に行ったことがある。あまり興味がなかったので、一度見ただけで満足してしまったのだが。


 それにしても、麦嶋がハムスターを見て騒いでいる様子が想像付かない。多分、麦嶋は僕みたいにハムスターにはあまり興味を示さなかった少数派なのだろう。


「あのハムスターはね、クラスの皆が本当に大事にしていたものなの。毎日交代で餌をやったり、ケージの掃除をしたり、散歩をさせたり、それはもう大切に育てていたわ。あのハムスターはクラスの一員として認められていたのよ。でもね」


 麦嶋が寂しそうな顔をする。あまり思い出したくないのだろうか。


「ある日、そのハムスターはケージの中からいなくなってしまったの。そのことは羽田も知っているわよね」


「知ってるよ。すごい騒ぎだったからな」


 そう、あの事件が起こった時、直接ハムスターの世話をしていたわけでもない僕のクラスの生徒も相当動揺していたぐらいだ。麦嶋のクラスが大変な騒ぎになっていることが容易に想像できる。


「……そうね。他のクラスから見ても大変な出来事だったと思うわ。それほどあのハムスターはクラスに溶け込んでいたのね」


 遠い目をしながら、麦嶋が呟く。


「その日、私が学校に向かっていた時は地面が湿っていたの。雲も厚く出ていたから、出る直前まで雨が降っていたんだと思うわ。確か、また雨が降るかもしれないと思って傘を持っていった記憶があるわ」


「覚えてないな」


「まあ、羽田はそうでしょうね。あまり関係のない事件だったから。それでも私達のクラスにとってはそれほど深刻な出来事だったのよ」


 登校の時の記憶もあるなんて、よほど衝撃的だったのだろう。僕はハムスターにはまるで興味がなかったから、騒ぎの起こった当時も、あまり関心を示さなかったような気がする。


「学校の玄関に入ると、様子がおかしいことに気が付いたわ。いつもなら授業が始まるまで、外に出て遊ぼうとする人達がいるはずなのに、その日に限って全然いなかったの。胸騒ぎがしたんでしょうね。私は傘立てに傘を差して、靴を履き替えて、急いで自分の教室まで向かっていったわ」


 些細な変化によく気がつくものだ。僕ならそんなもんだろうと思って平然と教室に向かうような気がする。これが凡人と探偵の違いというやつかもしれない。麦嶋のことを探偵と言ったら本人は間違いなく否定するとは思うが。


「教室に入ると、先に来ていた生徒と先生が話し合いをしていたわ。そう、先生がいたのよ。これは明らかに何か非常事態が起こったんだって、そう思ったわ。先生に話を聞いてみると、ハムスターがケージの中から逃げ出したらしいことが分かったの。ああ、なるほど、だからクラスの人達が教室に集まっていたのねって妙に納得したのを覚えているわ」


 まあ、確かに授業でもないのに先生が教室にいたら何か良からぬことが起きたんだって思うだろう。小学生の頃ならなおさらそうだ。


「先生の話によると、一番最初にハムスターがいないことに気が付いたのは、日直の佐藤さんだったらしいわ。クラスの皆、ハムスターを可愛がっていたけど、その中でも佐藤さんは特に可愛がっていてね。ハムスターに会いたい一心で特別早く学校に来たらしいのよ」


 ああ、佐藤さんのその気持ちは分からなくもない。僕も三枝さんを見ていたい一心で早めに教室に入ったことが何度もある。小学生の行動と大学生の僕の行動が一緒なのは少々恥ずかしいところではあるが、それは仕方がないことなのだ。


「でも、早く来すぎてしまってね。教室の鍵がある職員室が空いていなかったらしいのよ。仕方がないから、時間が来るまで自分の教室に行ってハムスターを窓から覗いていおこうって考えたらしいのよ。そうしたらね、ケージの中にいないのよ。最初は新聞紙の中にいるのかなって思ってあんまり深くは考えなかったらしいんだけど、次第に不安になっていったらしいわ。そんな時に偶然先生が通りかかったの。佐藤さんは先生と一緒に急いで鍵を取りに行ったわ。そうして教室の中に入るとね、ハムスターがいないのよ。新聞紙をいくら掻き回しても、見当たらない。ケージをよく見てみると、脱走しないようにつけていた洗濯ばさみがね、ついていなかったのよ。そこで佐藤さんは泣き出してしまったらしいわ。洗濯ばさみをつけるのを忘れてしまったから、きっと逃げてしまったんだってね」


 入り口を洗濯バサミで止めているとは、なんともザルな管理だ。つけていてもいなくても、脱走してしまうのは時間の問題だったのだろう。


「それからはもう大変だったわ。生徒の皆を集めて、一時間目の授業を潰してまでハムスターの大捜索を始めたの。空いている教室という教室、さらには外のグラウンドまで、学校中を探し回ったわ。それでもやっぱり見つからない。仕方がないから、皆が諦めて教室に戻ることになったわ」


 授業を中断するなんてよっぽどのことだったのだろう。如何にハムスターがクラスの中で愛されているのかがよく分かる。


「教室に帰るとね、カサカサッ、ってケージの方から新聞紙が細かく擦れる音がするの。皆、思うことは一緒だったんでしょうね。すぐにケージの中を確認しに行ったわ。そこにはね、可愛らしい小動物が不思議そうに私達を見つめているの。皆驚いていたわ。いつの間にかハムスターが戻っていたのだから、ね」


 そりゃあ驚くだろう。散々探したハムスターがケージの中にいるなんて骨折り損である。


「ハムスターが自力で戻った……わけじゃないよな」


「そうね、それは考えにくいと思うわ。教室の中も隅々まで探したんだから」


「それじゃあ……」


 誰かがケージの中に戻したということになる。


「誰がケージの中にハムスターを戻したか。もしくは、誰がハムスターをケージの中から出したのか。その犯人がいるってことよ」


 ハムスターを一時的に借りた、ということになるのだろうか。実害はないが犯人が分からないと何となく気持ちが悪い。


「もちろん、クラスの中でも誰がハムスターを持っていったのか。誰がハムスターを戻したのか。話し合いが行われたわ。皆、それぞれ怪しいと思う人を好き勝手言い合ったりして、全然話し合いにはならなかったけどね。その時の先生もあんまり頼りなくて、生徒の手綱をしっかりと握ることができていなかったわ。まあ、あのギスギスした雰囲気はあんまり気持ちのよいものではなかったわね」


「じゃあ、佐藤さんが真っ先に疑われたのか」


 第一発見者が疑われやすいのは世の常。もはや常識なのだ。


「……ちゃんと話を聞いていたの、羽田。佐藤さんは先生が来るまで中に入れなかったのよ。しかも、ハムスターがいなくなったことは先生と一緒に確認したの。彼女が疑われるわけないじゃない」


 僕の軽率な発言が咎められる。よくよく考えれば、それもそうか。


「ハムスターをこっそり戻すタイミングはあったのか」


 僕は犯人が絞りやすそうなところから質問する。その質問に麦嶋はゆっくりと首を振る。


「そこから犯人を特定はできないわ。外に探しに行く時、皆で手分けして探しに行ったんだもの。こっそり教室に入るタイミングなんていくらでもあったわ」


 それでは、犯人は分からない。ずっと一緒に探していた、なんてグループがあればその子達は犯人ではないとは言い切れるだろう。しかし、それでは犯人を特定するまでは至らない。一クラスで二十人ほどはいたはずだ。二、三人除かれたぐらいでは何の進展もないに等しい。


「じゃあ、ハムスターを盗んだタイミングはどうだ」


「それも犯人特定の材料にはならないわ。放課後、鍵は職員室に置かれるのだけど、職員室はいつでも開放していたの。人も少なかったからこっそり取りに行って、こっそり返すことなんて誰にでもできたと思うわ」


 うーん、そうなると誰がハムスターを盗ったのか、そして返したのか分からなくなる。


「犯人なんて見つかるのか。普通分からないと思うけど」


 それでも、事件は解決した。麦嶋は見事に犯人を言い当てたはずなのだ。一体何を手がかりにしたんだろうか。


「傘よ」


「傘?」


 意外な言葉に思わずオウム返しをしてしまった。


「私はね、考えていたの。もしかすると、犯人は学校に朝早く来たのかもしれないって。だってそうでしょう。ハムスターをこっそりと返すのなら、誰にもバレないように、朝一で返しに行くと思わない?」


 ところが、犯人にとって予想外の出来事が起きた。鍵が開く前に佐藤さんが来てしまったのだ。これでは、こっそりとハムスターを返せない。案の定、ハムスターがいないことで佐藤さんが大騒ぎしてしまった。これでますますハムスターを返すタイミングがなくなってしまった。そして、皆が外に探しに行った時に、ようやく決心がついて、ケージの中に返しに行った、といったところだろうか。犯人にとってはさぞ不運だっただろう。


「でも、それと傘が一体何の関係があるんだ」


「雨が降っていたのよ。それも早朝にね。ほら、最初の方に話していたでしょう。登校する時に地面が湿っていたって」


 そうか。朝早くに雨が降っていたのだとしたら、早くに来た人の傘は濡れているはずだ。早く学校に来なければならなかった生徒。濡れた傘の持ち主。それが犯人である可能性は十分に高いだろう。


「私はね、皆がハムスターを探して外に出て行く時、真っ先に傘立てを確認したわ。その中にはね、使用済みの濡れた傘が二本あったの。一つはもちろん佐藤さんの傘。そしてもう一つは――」


「犯人の傘……だったのか」


 麦嶋が頷く。正解のようだ。


「園原さんね。傘に名前が書いてあったからすぐに分かったわ」


 ふう、と麦嶋は短く溜息を吐く。


「クラスの嫌な雰囲気に耐えられなくてね、私は自分の考えをクラスの皆に話したわ。……いや、自分の推理を披露したかっただけなのかもしれないわね。あの頃の私は、ちょっと興奮していたみたいだから、ね」


 そう言うと麦嶋は少し悲しそうな表情を見せる。そりゃあ、怪しいと思って傘立てを見たら、自分の思う通りに濡れた傘があったのだ。しかも、お誂え向きに丁度二本あるのだ。言いたくなるのも無理はないだろう。


「もちろん、私の考えが絶対に正しいとは限らなかったわ。途中で水を傘に引っ掛けてしまったのかもしれないし、雨以外で傘が濡れてしまう理由なんていくらでも考えられるもの。だから、言い逃れすることだって十分にできたの。でもね、園原さんは自分が犯人だと認めてしまったの。自分がハムスターを盗ったこと。朝に返そうとしたらそれができなかったこと。全部、話してくれたわ」


 犯人自らの自白。これほど、自分の推理を裏付けしてくれるものなどないだろう。麦嶋は見事、犯人を言い当てたのだ。


「その後ね、私が話をしたことはすべて間違いだった、ってことに気付かされたわ」


「麦嶋の推理が本当は見当外れだったのか」


「違うわ。私の考えは正しかったのよ。でもね、その考えを口に出してはいけなかったのよ」


 麦嶋が口を閉ざす。その先のことはあまり言いたくないのだろう。


 僕は何となく、何となくではあるが麦嶋が言いたくない理由が分かるような、そんな気がしている。麦嶋が話したがらないこと。それは麦嶋の推理の後に起こったことだろう。その先の展開は察しがつくというものだ。


 しばらくの沈黙の後、決心がついたのか、麦嶋は話を続けた。


「園原さんが自供した後はね、皆、彼女を罵倒したわ。泥棒だの、卑怯者だの、散々な言われようで、驚くことに先生も生徒たちの発言を止めようとしなかったの。余計な騒ぎを起こした園原さんを恨んでいたのかもしれないわね。止める人がいないものだから、園原さんが泣いても、座り込んでも、皆罵声を浴びせ続けていたわ。中には物を投げる人までいたわね。その様子を見て、流石に不味いと思ったんでしょうね。ようやく先生が止めに入ってその場は収まったわ」


「でも、それだけで終わりじゃないんだろう」


「そうよ。その後も酷くてね。皆、園原さんを無視して、口を利こうとしなかったわ。机にも酷い落書きをされたりしてね。私が見えている範囲だけでもイジメだと分かるぐらいに園原さんは迫害されていたの」


 そこまでいくと園原さんが不憫に思えてくる。ハムスターを盗んだとはいえ、そこまでするほど重い罪ではないとは思うのだが。


「……私はね、ハムスターを盗んだ園原さんが憎いわけではなかったの。別にそこまでハムスターに関心があったわけでもなかったからね。推理をしたのもね、単に自分の考えを皆に知ってほしかっただけだったのよ。正義のために、正しいことのためにやったわけではなかったわ。そんなことが分かるんだ、凄いね、ってそう言われたかっただけなのよ。結局は自分のことしか考えていなかったのね。だから、推理をした後に、犯人がどうなるかなんて全然気にしていなかったの」


「小学生の頃のことだろう。そこまで考えろっていうのは酷な話だよ。別に麦嶋が悪いわけじゃない」


 そんな間違いなんて誰にでもあることなのだ。ましてや小学生の頃の話だ。仕方がないと割り切るしかないだろう。


 僕の言葉が届いているのかいないのか、麦嶋は話し続ける。


「……罪の意識があったんでしょうね。事件が起こった後、皆が園原さんを無視する中、私は積極的に話しかけるようにしていたの。今まであんまり話したことがなかったし、事件の後だったから、最初の内は警戒されていたわね。どうしよう、って困った顔をしていたのを今でもよく覚えているわ。まあ、それはそうよね。誰のせいでこんなことになったんだって言いたくなるに違いないもの。それでも、園原さんは私を拒絶しようとはしなかったわ。彼女にしても、事件の前の友人は皆、離れていったしまったし、他に頼る人がいなかったから仕方がないことだったのかもしれないわね」


「そんなことをしたら、麦嶋もイジメられるんじゃないか」


 そう、いじめられっ子を庇う人もまたいじめを受けるリスクを伴うのだ。敵の味方は、誰もが敵なのである。


「……そうね。もちろん、私自身も皆から白い目で見られていることを感じることはあったし、酷い言葉もたくさん投げかけられたわ。正直、あまり気持ちのよいものではなかっわね。……それでもね、私は園原さんに言葉を掛けるのを止めなかったわ。当時の私は多分、責任を感じていたんだと思うわ。イジメのキッカケを作ってしまった責任を、ね」


「別に麦嶋が責任を感じる必要はないじゃないか」


 確かに、麦嶋の推理がキッカケで園原さんがイジメにあってしまったのは事実だ。でも、それはそもそも園原さんがハムスターを盗んだりしなければ済んだ話なのだ。そのことで麦嶋が気に病む必要なんて全くないはずだ。


 僕の言葉に首を振り、それにね、と麦嶋が話を繋ぐ。


「話をして分かったんだけど、園原さんはね、特に悪い子ではなかったのよ。近所のお婆さんが最近腰が悪くて辛そうだとか、近くに住んでいる下級生の子がこの頃悲しそうな目をしているだとか……他人のことによく気が付いていたわ。彼女は内気で消極的だけど、人の気持ちがよく分かる優しい子だったのよね。自分に向けられているイジメに対してもね、『皆が怒る気持ちはよくわかる。私も大切なものが誰かに盗られたら悲しくなると思う。だから、私に強く当たるのは仕方がない』と、そう言って皆を庇っていたの。自分は辛い目に合っているにも関わらず、よ。だからね、私は質問したのよ。どうしてハムスターを盗んだりしたのかって。だってそうでしょう。優しい彼女がハムスターを盗んだりするなんておかしいもの」


 ハムスターを盗んだ理由。そういえば、まだ知らなかった。ハムスターが好きだから独占したい、なんて適当な理由を勝手に考えていたが、話を聞く限りそうでもないのかもしれない。


「でもね、彼女は、はっきりと拒絶したわ。これだけはどうしても話せないってそう言っていたのよ。決意に満ちた目で、ね。あの時の表情は今でも覚えている。あんな顔をされたら、もうこれ以上理由を聞き出そうなんて、思えなくなっちゃったわ」


 その時の光景を思い出そうとしているのだろうか。懐かしむように麦嶋はそっと上を向く。


「私が彼女に話しかけるようになっても、相変わらず彼女へのイジメは止まらなかったわ。私が注意しようがお構いなしでね。……でも彼女は真面目だったわ。傷つくことを言われても、嫌なことをされても、文句一つ言わず、当たり前のように登校し続けていたの。きっと親に迷惑を掛けたくないって思っていたんでしょうね。辛いだろうに、苦しいだろうに、それでも彼女は逃げ出さなかったのよ」


 優しい子ほど辛いことを我慢する傾向にあるような気がするな、とふと思ってしまう。毎日嫌味を言われに学校に行かなければならない。園原さんにとってはさぞ嫌な毎日だっただろう。


「……そうやって皆のイジメから耐えてきた彼女だけど、やっぱりそう長くは続かなかったわ。優しい彼女が皆の心無い言葉に傷つかない訳がないのよね。とうとう学校に来なくなってしまったの。こんなことを言うのは良いのかわからないけど、私は正直ホッとしたわ。これで彼女は誰からも責められることはなくなるんだって、辛い思いをすることはないのだって安心したの」


 辛い環境にいつまでもいられるはずがない。あまりよくないことなのかもしれないが、不登校になるのは仕方がないことだ。


「まあ、それでも心配になって、彼女の家に行ったわ。家にいる時の彼女は穏やかな表情をしていてね。ホッとしたの。それから、家で話してくれたんだけど、彼女はもうすぐ引っ越すことを教えてくれたわ。彼女へのイジメが原因なのか、元々決まっていたことなのか、それはわからない。わからないけど、彼女にとっては幸運だったと思うわ。その後、色々話をしてからね、私は彼女に一つお願いをされたのよ」


「お願い?」


 なんだろうか。学校に忘れ物をしたから届けて欲しいとかそういう用事だろうか。


「花を供えて欲しい、そう言ったのよ」


「花? どういうことだ」


「その時の私にもよく意味は分からなかったわ。ただ、体育館裏に気が付いたときでいいから花を供えて欲しいって、そうお願いされたのよ。翌日、私は彼女の言うとおりに花を一つ摘んで、体育館裏に向かったわ。最近掘り返したんでしょうね。一部分だけ土の色が変わっていたから供える場所はすぐにわかったわ。私は花を供えた後、ふと、ある予感が過ぎったの。何となくだけど埋まっているものに心当たりがあったのね。不謹慎だけど、私はすぐにその部分を掘り返したわ」


「何が……埋まっていたんだ?」


「死骸よ。ハムスターの、ね」


 麦嶋がじっと僕の双眸を覗き込む。まるで僕の反応を伺っているようだ。


「これがどういう意味が分かる?」


 ハムスターが体育館裏に埋まっている?

 どうして埋まっているのだろうか。ハムスターなんて野生でいるわけがないから誰かが持ってきたことには違いないだろう。

 でも、一体誰が?

 いや、それはもちろん、園原さんに決まっている。彼女がわざわざその場所に花を供えて欲しいと指定したのだから。

 でもなぜ、ハムスターが埋まっているのだろう。どうしてわざわざこんなところに埋めたのだろうか。

 ――点と点が一つに繋がっていく。そうか。そういうことなのか。


「……その埋まっているハムスターが、教室で育てていたハムスターなんだな」


 麦嶋がコクリと頷く。


「園原さんはね。ハムスターを盗みたかったわけじゃないのよ。ハムスターが死んでしまったことを隠そうとしていたのよ」


 どうして、なんて聞かない。その理由なんて決まっているじゃないか。


「私は学校を飛び出して、すぐに園原さんの家まで向かったわ。園原さんは突然の来訪に驚いていたけれど、理由を説明すると、すぐに納得して私に話をしてくれたわ。園原さんの話によるとね、事件の前日、学校の帰りにハムスターの様子を見に行ったらしいの。皆が触ったり構ったりしているせいで疲れてないのかなって心配に思ったんだって。そうしたらね、そのハムスターはすでに冷たくなっていたらしいの。理由はわからないわ。病気になったのかもしれないし、過労なのかもしれない。それでも、園原さんがハムスターを見た時にはも、もうすでに死んでいたのよ。普通ならそこで、そのまま先生に報告するのと思うわ。でもね、園原さんは考えたの。もし、ハムスターが死んでしまったことを皆が知ってしまったら、どう思うか。羽田も知っていると思うけど、クラスの皆が愛情を注いできたハムスターなの。いなくなってしまっては、きっと悲しむだろうし、寂しがるだろうと、そう思ったらしいわ。だから、園原さんはハムスターが死んでしまったことをなかったことにしようとしたの。つまりね、生きているハムスターと取り替えようとしたのよ」


 悲しませないために、ハムスターを取り替える。動物病院で怪我をしたハムスターを無傷のハムスターを交換するという逸話があるぐらいだ。似ているハムスターを選べば多少の違和感があるにしても、おそらく気付かれないだろう。現に入れ替わったことに関して誰も気付いていないのだ。


「もちろん、その日の内に入れ替えるなんてことはできなかったのね。人に慣れているハムスターでないといけないから探すのに苦労したらしいわ。親に無理を言って、結局見つけられたのが深夜だったのよ。まあ、見つけられるのも凄いとは思うけど。ともかく、その後は先に話した事件の通りよ」


 その後、朝一で交換する予定が運悪く出待ちをしている生徒に先を越されてしまったという訳だ。


「……彼女には、この話は内緒にしておいて欲しいと、そうお願いされたわ。言われなくても話せなかったけどね」


 話してしまえば、園原さんの耐えてきたこともすべて無駄になってしまう。話せるわけがない。


「結局、そのまま園原さんは転校してしまったわ。その後は何事もなかったように日常が続いていったし、当たり前のようにハムスターも可愛がられたわ。まあ、そのハムスターも六年生になる頃には死んでしまったのだけど、もうその頃には、そこまで熱狂的に世話をしていた生徒もいなかったから、大して話題には上がらなかったわ。……きっと彼女のおかげでハムスターの死を悲しむ人が、傷つく人が少なくて済んだのね」


 麦嶋の目線が下を向け、俯きがちに顔を伏せる。顔はよく見えない。でも、どこか悲しげな表情をしている、そんな気がする。


「彼女はね、自分がどれだけ傷ついても、どれだけ苦しくても、皆に真実を話そうとしなかったの。皆を守るために、ずっと沈黙を守り続けていたのよ。皮肉よね、皆を傷つけないために行動した彼女が、皆から傷つけられるなんて」


 そう言って自嘲気味に笑う麦嶋。きっと、真実を話せば楽になれただろう。イジメられずに済んだだろう。それでも、園原さんは喋らなかった。園原さんは、たった一人、皆のために戦っていたのだ。それはとても勇気のいることだ。優しくなければできないことなのだ。


「私はね、後悔しているの。あの時、考えなしに推理して得意気になっていたことも、その後何が起こるか考えなかったことも、そして……彼女が何を思っていたか知ろうとしなかったことも、ずっと、ずっと後悔しているのよ」


 震える声で麦嶋は言葉を続ける。


「私は、もう、そんな後悔はしたくない。そんな失敗はしたくない。……何も知らないまま、何もわからないまま、私は人を傷つけたくないのよ」


 ……だから、この事件の話をする度に、麦嶋は嫌がっていたのか。自分の後悔を、失敗を、さも美談のように、成功例のように話をされてはいい気分はしないだろう。そして、事情を知らなかったとはいえ、今まで茶化していた僕も反省しなければいけない。当たり前だけど嫌がることというのはして良いものではないのだ。


「……あの時は正解があったわ。私が何も話さない、もしくは脱走したことを納得させれば、誰も傷つかずに済んだのかもしれないわね。少なくとも、イジメは起きなかったと思うわ。でも……」


 俯きながら、ゆっくり首を振る。


「今回は何をして良いのかわからないの。きっと正解があるはずなのに、真相も知っているはずなのに、どうするべきなのか、それがわからないのよ。……三枝さんも辛い環境にいるわ。園原さんの時のようにね。話したくても誰にも話せない、そんな状態に陥っていると思うわ。でもね、私には判断できないの。彼女のために何をしたら良いのか、何ができるか、決断できないのよ」


 感情を吐き出すように言葉を重ねる。過去のトラウマが、園原さんを傷つけてしまったという事実が、麦嶋を悩ませているのだろうか。それはきっと、酷く苦しいことなのだろう。


「……それでも、やっぱり立ち止まれずにはいられないの。何かをせずにはいられないの。何もしないまま、終わってしまったらきっと後悔してしまうから」


 顔を上げ、じっとこちらを見つめる。麦嶋の双眸が僕の瞳を真っ直ぐ捉えている。今まで見たことがない、真剣な眼差しだ。


「羽田は、三枝さんのことが好き、なのよね」


「そうだけど」


 確認されると少し照れくさい気がするが、事実なのだから仕方がない。


「彼女に会うために、ここにいる。そうよね」


 コクリと頷く。そうだ。僕は三枝さんに会うために、彼女を知るためにここにいるのだ。


「……彼女はきっと、あんたを否定するわ。近づくな、関わるな、どんな言葉を言われるか、どんな態度を取るのか、それはわからない。わからないけど、間違いなくあんたを拒絶すると思うわ。それでも、会うの」


 僕は麦嶋の言葉にもう一度頷く。


 拒絶されても構わない。否定されても構わない。嫌われても構わない。


 それでも僕は、三枝さんのことを知りたいのだ。知らなければならないのだ。


「彼女は、あんたが思っているような人ではないかもしれない。彼女の嫌な部分を、醜い部分を、知ってしまうかもしれない。もしかすると、あんた一人では抱えきれないような秘密を知ってしまうかもしれない。知らなければよかったと後悔するかもしれないわ。今なら綺麗なままの三枝さんで、良い思い出として終わることができるかもしれない。それでも、あんたは彼女に会うの。……それだけの覚悟を持っているの」


 ……僕の知らない三枝さん、か。


 最初に会った時は、彼女は冷たい人だと思っていた。一人、机の上で静かに本を読む彼女。近づくものを否定し、受け付けない。まるで孤独を好んでいるかのようだった。そんな彼女が魅力的だった。冷たく、だけど儚げにじっとそこに佇んでいる彼女。まるで、壊れやすいガラス細工見ているようで、僕はずっとその様子を見ていられた。僕にとって彼女は正しく偶像だった。


 でも、ここ最近で彼女のイメージは大きく変わった。


 唐突にクッキー作りを提案する三枝さん。何故か僕から距離を取ったり、会話をメールで済ませようとしたりと、話をする前では想像もつかない行動を目にしてきた。一口で言えば変わった人だったのだ。それは最初の冷たく儚いイメージとは全く違っていた。僕の中のイメージ像が、偶像が、音を立てて崩れていくのを感じ取っていた。それでも、僕は彼女を嫌いにならなかった。いや、今まで以上に彼女のことが好きになっていったのだ。


 哲学を語る三枝さん。美味しいということ、普通ということを僕に語ってくれた。あれほど饒舌に語る彼女を僕は知らなかった。いや、想像できなかった。


 ……人は見た目だけで、ちょっと話をしただけで、その人のことをわかった気になってしまう。そうか、そうか、君はそういう人間なのか、とレッテル貼りをしてしまう。けれど、そうではないのだ。そんなものはその人が持っている一面だけに過ぎない。他人に見せていないだけで、他にももっといろんな側面を持っているのだ。面と面を折り重ねて、初めて一人の人間を形成することができるのだ。人は平面だけの、二次元空間に生きているのではない。いろんな側面が折り重なってできた三次元で生きているのだ。


 三枝さんには、まだ、僕の知らない、いろんな一面があるはずだ。それは僕の苦手な面なのかもしれない。到底受け付けられないような部分なのかもしれない。知らなければよかったと後悔するかもしれない。それでも、知らなければ、見なければ、彼女を理解したことにはならないのだ。


 麦嶋の質問に僕が言う答えは決まっていた。


「それでも、僕は三枝さんに会うよ」


 僕は彼女のことをもっと知りたい。彼女がどんな人なのかもっと、もっと理解したい。


 ……多分、これが好き、ということなのだろう。


「……そう、あんたはもう覚悟ができているのね」


 麦嶋はそっと目を逸らす。その目はどこか悲しげに見える。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。


 それから、麦嶋は独り言のように小さく呟いた。


「試すようなことを聞いて悪かったわね」


「いや、そんなことはないよ」


 麦嶋に試されているなんて思わない。三枝さんのことを知りたいという想いが、彼女に拒絶されても構わないという覚悟がなければ、彼女に会っても意味が無い。麦嶋の質問はその本質を問うているのだ。答えられて当然ということだ。


 黙り込む麦嶋。その様子はどこか葛藤があるように見えた。


 麦嶋が何に思い悩んでいるのか、僕には正確にはわからない。でも、きっと麦嶋も三枝さんのことを考えてくれているのだろう。


 しかし、今の僕には自分のことで、三枝さんのことで精一杯だ。麦嶋の悩みは自分で解決してもらわなければならない。それに、多分そうでなくては意味が無い……何となくそう思う。


 沈黙の中、小さく電車が二人を揺らす。


 何度か行き先を告げるアナウンスを聞いた後、麦嶋に促され、僕は電車を降りた。


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