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クッキーフレンド  作者: 加護景
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クッキー作りの朝は早い

 甘い匂いがする。


 柔らかいクッションの感触。それに朝の柔らかい日差しが僕を包み込む。どうやら、少し眠っていたみたいだ。あまりにも心地よくて、正直もう少し寝ていたいところではあるがそうはいかない。睡魔を振り払い、ゆっくりと体を起こすと、カタン、という音と共に、手から何かが滑り落ちる。


 何を持っていたんだっけ。そう思って落ちたものに視線を落とす。目に映るのはデジタル表示の数字。ああそうだ、タイマーを持っていたんだ。残り三分か……


 僕は落としたタイマーを気怠げに拾い上げ、キッチンへと向かう。近づくほどに甘い、香ばしい匂いが増していく。いい匂い。ちゃんとできているみたいだ。


 そんなことを考えながら、僕はオーブンの中を覗き込んだ。オーブンの中はオレンジ色の光で満たされていた。その光の下には星型や丸型のお菓子が、今か、今かと焼きあがるのを待っていた。


 そう、僕は今、クッキーを焼いている。早朝からバターをほぐして、粉糖を混ぜて、卵を溶いて、薄力粉を加えて、生地をこねくり回していたのだ。おかげで非常に眠たい。まあ、そんな努力の甲斐あってもうすぐ完成しそうな所まで来ている。


 僕はクッキーが好きだ。何のひねりもないプレーンのクッキーも好きだし、サクサクしたガレットや口の中でホロホロと溶けてしまうバニラのクッキーもすべて平等に愛している。もちろん、食べるだけじゃなく、作るのも好きだ。レシピを見ながら、手順通りに黙々と作業するのは、気が安らぐというか、落ち着くのだ。そういう単純作業が性に合っているのかもしれない。


 そんな感傷に浸りながら、ふと、手元に視線を落とす。タイマーが残り一分を切っている。いよいよ完成だ。


 ピンポーン、とチャイムが鳴る。居留守を使って、完成の瞬間を見届けたい欲に駆られるが、訪問者をいつまでも玄関の前で待たせるわけにもいかない。名残惜しい気持ちに駆られながら、はいはーい、と急いでドアを開ける。


 扉を開けると不機嫌な顔の女子が目の前に立っていた。彼女はパーカーにジーパンと飾りっ気の欠片もない格好だった。


「この匂い……またクッキーでも焼いていたの、羽田」


 そう言って大変嫌そうな顔をする。羽田は僕の名前だ。羽田光輝はたこうき。如何にも光の溢れる世界を飛び回っていそうな名前だが、僕の人生はそんな輝かしいものではない。クッキー作りが趣味のごくごく平凡な人生だ。名前をつけてもらった親には申し訳ないが、地味な人生が僕の性に合っているのだ。


「まあ、そう言うなよ。趣味なんだから」


 ジジジとタイマーが鳴る。どうやらクッキーが焼きあがったようだ。その音に彼女はますます嫌な表情を浮かべる。


 機嫌の悪そうな彼女の名前は麦嶋香織むぎしまかおりという。麦嶋は僕の小学生の頃からの知り合い、いわば幼馴染だ。中学は別々だったが、高校、大学と同じ所に通っていて、そこそこ付き合いがある。腐れ縁というものだ。


 どうして麦嶋が会って早々に眉間に皺を寄せているのかというと、彼女は甘いものが嫌いだからだ。匂いを嗅ぐだけでも駄目らしい。難儀な体質である。


「そんなことより、何の用なんだ。こんな朝早くから」


「羽田は一コマ目の線形代数取ってるでしょう」


 線形代数は朝一からの基礎科目だ。もちろん取っている。


「申し訳ないのだけど、私の代わりにレポートを出して欲しいの。急用が入っちゃって、今日の授業に出られないから」


 麦嶋は二枚ぐらいの紙を僕の目の前に差し出す。これがレポート課題なのだろう。そのレポートをちらりと見ると、僕が解け

なかった問題にもきちんと書き込んである。後でこっそり写させてもらおう。


「それは別に大丈夫だけど、急用って何なんだ」


「バイトの人手が足りないらしくて、その手伝い。ああ、もちろんレポート出してくれたお礼はちゃんとするつもりだから」


「……朝から大変だな」


 そう呟いて、僕は麦嶋からレポートを受け取る。別に一回ぐらいレポートを出さなくても単位は取れるとは思うのだが、そういうことが許せない性格なのだろう。相変わらず真面目なやつだ。


「じゃあ、よろしく頼むわね」


「あっ、ちょっと待って」


 立ち去ろうとする麦嶋を僕は引き止める。


「……何?」


 急いでいるのか、苛立ち気味に答える麦嶋。これ以上不機嫌にならないために、僕は急いで戸棚から袋を取り出し、麦嶋に投げ渡す。


「なにこれ」


 渡された袋を見て、麦嶋が怪訝な表情を浮かべる。


「クッキーだよ。それにほら、今日はバレンタインデーだろ」


 バレンタインデーに男がクッキーを渡すなんて色々とずれているかもしれないが、まあ、いいだろう。義理チョコみたいなもんだし。


「いらないわ。私甘いもの嫌いだし」


 麦嶋は袋を突き返そうとする。いやいや、と僕はなだめる。


「今回作ったのは甘くないクッキーだよ。麦嶋の口にもきっと合うはずだよ。それにほら、その様子じゃあ、朝から何も食べてないんだろう。少しぐらいお腹に入れられるものを持っときなよ」


 甘いものが嫌いな麦嶋のために実験的に作っていたクッキーだ。塩味が程よく効いたサクサク触感のクッキーに仕上がっている。甘いものだけがクッキーじゃないのだ。ああ、クッキーはなんて奥深いんだろうか。まあ、僕は甘いもののほうが好きなのだが。


 ふーん、と僕の渡した袋を興味深そうに眺める麦嶋。そして、少し逡巡した後、その袋をバックの中に入れた。ちゃんと受け取ってくれるようだ。


「……ありがとね」


 小さく呟いた後、麦嶋は僕のアパートを去っていった。

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