迷宮と邂逅(4)
◆
夜を駆るモノ。
その姿は闇夜の鴉。
星弱き空の下では影を掴むことすら適わない。
只今は静謐な夜の月を止まり木に、彫像の様に佇んでいた。
光夜の僕。色のない姿形は無に等しく。
唯一つの意味を成す道具であるかのように。
何かを見ている
何かを待っている。
何か聞いている。
――定かではない。
闇を翔ぶ者。
月の黄金、流星の尾を引いて眩しさを降ろしたかのように綺羅を纏う騎士。
「月が綺麗ね」
影を陰とするヒトガタ――その〈黒鉄〉は人のようであった。
追いつかれるとは思ってはいなかったのか、目の前のエトリに僅かに驚いたように――血の通う人間のような仕草を初めて見せた。
よくよく見ると、その〈黒鉄〉の肢体はさらに暗雲の様な霞を纏っていた。
立ち込める煙のような大層なものではない。ただ何かがうっすらと〈黒鉄〉の全身の表面を流れ、付かず離れずの距離で絶えず滞留していた。
フード付きのロングコートの様な形だろうか。あれがどういった魔術なのかエトリには判断が付かなかった。
真実の妨害。性別的な輪郭、武器の有無、生態的な特徴。それら全ての欺瞞。流れるが故に無形に渦巻く、塗りつぶされたような何か。把握の阻害。
「面妖、面妖。けれど隠されたものは見たくなる。臓物とかね?」
彼女たちが立つのは鋼を糸で繋ぎ、束ねた柱で組み上げた逆える牙の塔。
あの工房からははるか遠く、既視感の構図が再現された。
エトリの姿が消えた。
重厚な鎧を身に纏ってはいるが、魔術で編まれたものが見た目通りの重量を課すはずもない。
そして――〈超翅〉。
魔力の皮膚である〈套紋〉の循環を、高速移動の為の推力として転換する魔力の翼。
つまりは異層アストラルの超乖離界加速。
天上駆ける稲妻が月光を裂き、雷鳴は落ちた。
四方へ散る紫電。
屋上のコンクリートを引き裂きながら、剣は護りの姿勢に構えていた。
「くっ……!」
交差は一瞬だった。
〈黒鉄〉に迫ったエトリ。
斬りかかった剣は触れるより早く、黒い靄に撒かれていた。
その中にあるはずの漆黒の質量が消えていた――消失した。
エトリが見ていたのは、過去の残像に過ぎなかったのだ。
そして反響のように風は吹き返してきた。
「変わり身――!」
犠牲を選ばねばならない。
背後に立つ嵐が全てを薙ぎ払う前に。
決壊した。
怒涛の流れが――いや静かなる清流の渦がエトリの間合いを浸透していく。
無形の水のように、いつの間にかエトリの纏う鎧――その頭部へと拳は当てられた。
撃ち抜く一拍を防ぎ銀の切っ先が追いすがった。
溜まらず解けていく。仕切り直しだ。
油断をしていた。いや深読みしすぎた。何か仕組みがあるのだろうと思っていた。
〈超翅〉に比べ、決して捉えきれない速さではなかった。
ただ今の今まで直接的な近接戦闘を避けていたものが、何の仕込みもなく、純粋に真っ向からくることを疑ってしまっていた。
「ふっ――!」
二合。動いたのは〈黒鉄〉からだった。
雷光の速さを跳ぶエトリに比べ、その動きは遅かった。
だが鈍重ではない。
ゆっくりと間合いに入るや否や、まるでエトリの影であるかのように、絶妙な距離を保ちながら追従を掛けてくるのだ。
そして押しとめることのできぬ水の流れのようにエトリの守りを突破する。
難敵だ。剣の間合いだけではとらえることが出来ない。
こういう時はエトリは手段を変えることを厭わない。
彼女は剣に誓いを立てる騎士ではない。選べる手札から最良を掴む生存戦術をもとにする冒険者だ。
適切ではないツールは補助へ。変幻自在に挑むのならば神算鬼謀の魔術だ。
突き出した指先からいくつもの光の斬撃を振り放った。
あえて目立つように光で闇を薙いでいく。それは空間の主導権を取る為だ。
連撃。繰り返し安全地帯を小さく区切っていく。
エトリから見た前方左斜め。絶好の位置に誘い込んだ。
「そこだっ!」
伏せていた剣を再び放つ。しかし〈黒鉄〉はそれにすら反応し、回避の姿勢を取っていた。
最小限の動きで見切り、そのままエトリへと迫る。
「けど、甘い――」
戦闘における才覚。それをエトリに求めるのならば――練磨の目。
転へと繋がる起を掴む感覚こそがその根幹を成すものだろう。
交差するはずの点が弾けた。
音を追うように小爆発が連鎖し、〈黒鉄〉を大きく突き飛ばしていた。
「よしっ」
単純な戦いであれば間違いなく自身より強い事はすでに感じていた。
ひょっとするならば、一対一という戦いであれば〈晄騎〉をも破るのかもしれない。
想定された動きが対刃戦に特化している。見切りと捌きに重点を置いている。
これは格闘技術だ。
やはり〈黒鉄〉は人間なのだ。
その技は多人数であればまた異なるのだろうか。その仮定の証明は今はできないが。
高等な技術だが、魔術に特化させた接近戦であれば優位に立つことが出来る。
導火線のない爆弾を読むことは不可能。
ようやっと〈黒鉄〉を捉えることが出来たのだ。
車にはねられたかのように屋上のフェンスへと叩きつけられた〈黒鉄〉は、その身を起こしていた。
「やっと鬱陶しい靄は消えたようね」
〈黒鉄〉が纏っていた黒い靄は消えた。
かつて見たのと同じく頭部には鈍く光る一対の輝き。
無機質で冷酷で危険。そういった機械が灯す赤。
全身は光沢のない沈んだ黒の鋼。それは鎧ではなく、硬いはずの鉄をしなやかな可動をこなす骨と筋肉として有機的に繋げた皮膚のようにも見えた。
精巧に真似た人体としてではなく、簡略化された人形のような躰と鉄で編まれた装甲とが入り混じったような、そんな戦うための機械仕掛け。
正体は見掛け倒しの鉄くずでも、命令に従うだけの脳無しでもない。
エトリはすでに身をもって知っていた。
仕掛けの一端であるベールを幻夢として、様々な欺瞞の加護を擁しているようだが、どうやらその効果を失わせることに成功したようだ。
「まあ両手で近代的な道具を操ることが出来るんだし、たぶん人間なんだろうけど」
その機能そのものを破壊できたのか、一時的なものかは定かではない。
戦闘を続行するか、退却するか――これで状況は変わる、はずだ。
「少しぐらい話に付き合ってほしいね」
無意味だろうが、休戦のポーズとしてエトリはあえて追撃ではなく声をかけてみた。
だが煙草を取り出すような気楽さで、〈黒鉄〉は銃を取り出した。
エトリはまだ構えをとらず、主導権を委ねるように鈍い戸惑いをみせた。
――と。
ノイズが走る。数瞬後の撃鉄が予知できた。
今という未来が続いた過去。継続の隙間。時というフレームの外で、エトリの姿が消えた。
瞬間的な超加速は静寂を乱さず銃口を避ける腕の反対側に回り込んでいた。
死角から迫る一歩。その位置こそが最良。あとはただ振り抜くだけで最高の魔法剣を打ち出せる。
だが銃口の黒き穴は瞬間的にエトリを見ていた。
自動的な殺意と魔術という意思は同時に放たれた。
「〈斬鉄剣〉!」
至近距離で放たれた銃弾をエトリの剣は両断していた。
音速の中で感じた銃弾は一発ではない。
「――〈響〉」
さらに速度を増し、刃が返され続く弾丸をも斬り飛ばす。
音を斬る。空間を斬る。影を斬る。
鎖のように連なる因果のこと如くを真っ向から断つ残存の斬響。
だがまたしても〈黒鉄〉の姿が捉えられなかった。
エトリの狙いを、視線を、思考すらを完全に握られている。
これは戦士として屈辱でしかない。
そして――銃声が。
音速の飛来がやけに遅く感じた。
確実な照準を受け、間違いなく弾丸はエトリの頭部に命中する。
戦術ルーチンを曲げ、強引に防ぐことはできたが、エトリはあえてそれをしなかった。
「バカみたい」
そして魔力の鎧を解いて、ただ眉間へと吸い込まれる弾丸を見つめていた。
信頼とは別の確信。忌み嫌う運命を贖わずただ受け入れる。
鉄が熱されるような音を立てて、命中寸前に銃弾は砕け散った。
「何のつもり――?」
涼やかな声でエトリは告げた。.
偽装だ。
攻防の最中、エトリは幾度が銃弾を受けていた。
魔力の鎧の加護により、生身の体に損傷はなかった。
つまり鎧の力で軽減されていた――と思っていた。
銃弾では人は殺せない。
例えば魔法銃。銃弾に似たものを、拳銃に似たもので発射する。そういうものもある。
当然これは魔術師に対して殺傷能力を持つ武器である。
ただの射出物とは違うのは、弾丸そのものが魔術効果を帯びていることにある。
強固な魔術の鎧を持とうとも、魔術防御を突破する性質をもつならば魔術師としての力量に差があったとしても、一発命中するだけでも重症、最悪死ぬことすらあるだろう。
名も知らぬ他人と、もしくはよく知る誰かと命のやり取りを行う。
手加減という意識、殺意か加虐か、甘さを見せることでそこに付け込まれることすらある。
そもそもがエトリにはこの〈黒鉄〉を殺す確かな理由は無いはずだった。
ロウを殺したのかもしれないが、確実ではない。
だが戦いを止めず、対話に応じず、敵対の意志を緩めないのならば戦うことを迷いはしない。
命を奪うことはその先の結果でしかない。
だが経過は敗色に揺らいでいた。〈黒鉄〉にはエトリを殺す機が存在した。
されど結末は見送られ、無意味に続けられていた。
それは、いつでも殺せる――そう、戯れの獲物として弄んでいるのか。
強者が弱者をひと思いに狩るのではなく、死力を尽くさせ、それでもなお届かぬという絶望の感情を喰らうという愉悦。そういう話もあるが、腑に落ちない。
この状況自体に何か作為的なものを感じた。
なぜか当たり前のように戦っている見知らぬ異形。
戦闘となった経緯、理由に納得できるものはない。
「別に街を守るヒーローとか、そういうんじゃないんだけど」
こぼしたエトリに、〈黒鉄〉の頭部の横一文字――人間でいえばちょうど口に当たるような位置が一瞬光ったようにも見えた。
まるで笑っているかのように。
ああ、楽しくないわけでは、ないのだけれど――
例えば、手加減せず全力を振り絞るというのは、一種の高揚感ですらある。
「ムカつく」
意思の読めないこの無貌の面は許せなかった。
握っていた銃は外部懸架でもあるのか、左の肘のあたりに取りつけられていた。
「素手、か」
刀剣の類を携帯しているようには見えないが、いきなりどこかから刃物が飛び出してきても不思議はない。
では今度こそ魔術の奥義をみせるきなのか。
何も握らず、意思を示さず、構えのようなものを取る。
「そう、それでいいのね」
今度こそ油断はしない。
エトリは剣を構えた。
2020/02/02【投稿】前回の投稿より、色々生活リズムが変わったので、だいぶ執筆速度低下。とりあえず復活スルアルヨ。




