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The/O  作者: 数美
2.キカイナマジュツ
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迷宮と邂逅(3)


   ◆



 館内の地図はすでに頭に入っていた。

 その中からいくつかの条件に合うものを選び、飛び込んだ。

 地下一階の資材室。

 やはり荒らされてはいたが、せいぜい壁や床の一部が剥がされた程度。部屋自体に大した破損はなかった。

 暗く静か。狭くはないが広くもない。条件はそれでよかった。

 エトリは部屋の中央に立ち、〈賢盤ワイズ〉を開いた。

 〈術頁ページ〉を十枚放つ。エトリはその内の七枚を打ち消し、三枚を残した。

 行うのは聖剣という神秘に対し人為の奇跡で代用する。

 ぶっつけ本番という訳ではない。エトリは聖剣を見てからその力の模倣を何度か試みていた。

 その一つ。〈獣〉が潜む深層へと至る道筋。

 影の領域へ。世界の断片を斬り、扉を開く力。

 その原理。あれは果たしてどういった力であるのか。

 仮説。高出力の魔力の刃で、世界という万象物理の壁を無視して次元に干渉する扉を開いている。

 それは人という魔術師が起こせる奇跡の範疇を越えている。

 正に神の力の一端――そう見えるが、聖剣は果たして完全に万能と呼べるものだろうか。

 聖剣という神の力を、ならざるものである魔術師が振るう力として、何かルールが存在するのではないだろうか。


「タスク・アーカイブパレット――表裏攪拌」


 音を立てて閉じた〈賢盤〉から光の〈術頁〉が舞い上がり、小部屋の壁に新たな壁紙のごとく敷き詰められていく。

 〈晄騎ブライトターナ〉の敗北。――彼らは絶対でも、万能でもない。


「開け。拓け。披け。啓け。彼方へと繋がる扉よ、真断と裂きて失せよ」


 添えた詞に世界が応える。

 ミシミシと震えるように、するすると紐解かれるように、はらはらと花弁が散るように敷き詰められた〈術頁〉は部屋の内側より、外との物理的な繋がりを削ぎ落していく。

 空気が変わっていた。

 いつの間にかエトリの肌からは汗が吹き出していた。だが指先は凍えるようにしびれている。身体は重たく、気怠さに膝をつきたいという欲求に駆られるが頭を振り払った。


「成功」


 ここまでは。

 呼び鈴を鳴らしたあとは扉をこじ開ける大仕事がある。

 壁に張り付いた〈術頁〉が光を失い、消滅していく。エトリは更なる遷移を促す言葉を紡いだ。


「タスク・アーカイブパレット――基軸転移」


 音もなく、光もなく、何の変化も起きなかった。

 観測できなかっただけだ。

 エトリは部屋を出た。

 踏み出した足が、落ちた。

 突如襲い来る自由落下。重力に引き込まれ、果てしない奈落へと叩きつけられるように――

 五秒、十秒、三十秒、一分。

 どれほど過ぎただろうか。それでも地面は見えてこない。

 エトリはバランスを取りながら何もない、今自分が見ている下方向へと向かい、細心の注意を払って踏み出した足を伸ばした。


「……とっ」


 何かを踏みしめた感触が確かに伝わってきた。

 そこは籠っていた小部屋から出たわずか数歩の位置だった。

 エトリは〈賢盤〉を確認した。時間の経過は大したものではなかった。幻夢に惑ったのは刹那に過ぎないようだ。だが――


「真っ赤ね。怖い怖い」


 周囲の魔量計は赤く染まっていた。不明な魔力があふれかえっているのだ。

 見た目は何も変わってはいない。だがすでにここは現実世界ではない。

 ここは魔界。魔の力を司る狭間にある世界である。

 夜の静かな館内はまるで墓場のような風が吹く。

 だが魔界に在るソクラス魔術工芸美術館に現実世界との差異はなかった。

 当然だ。そもそも現実世界に在る美術館自体が魔界と結びつく特異点と化していたのだから。

 連綿と続く人の歴史、その時代を切り取り表された品々。

 収集。保存。展示。既知の歴史的品々のみに非ず、この場で生み出された創造さえも、すべてが人の死によって形作られたもので埋め尽くされていた。

 人の骨を柱とし血の色彩で染められ、そして皮と肉を敷き詰め腑抜けた虚栄を飾る。

 芸術という業が泥を成し、さらに内よりどす黒い悪夢の結晶を創り出す。

 この建物は人生を冒涜している。

 多くの呪われた作品が失われた後でさえ、くべられた亡者は残り、憎悪を叫び続けていた。

 散らばった醜悪の欠片たちは、渡りの地で再び災厄を招くだろう。

 〈晄騎〉たちもこの美術館の正体には気付いていたが、人の行いによって果たされた結末の範疇であるならば、彼らは積極的な関与を取らない。もっとも、この場所からあふれた魔の類が人に害をなすならばその限りではないだろうが。

 多くの呪われた美術品と、創造主たるかつての王は血で血を描く狂いの芸術家。その業によって魔界への入り口という芸術を作り出してしまっていた。

 だがここには〈獣〉はいない。あの場所はさらに異なる世界なのだろう。それでも発現する魔力という力を共有する以上、分岐の道があるはずだった。


「ここまでは……来れた。……次へ……」


 最後だ。おそらくどこかで何かが起きているはずだ。大気の震えが手ごたえとして伝わってきた。その場所へと向かわねばならなかった。

 いくつかの手順を踏んできたが、襲撃を受けるとは考えてはいなかった。

 姿を見せないままでいられるという最大の利点。これまでにエトリを倒す機会はいくらでもあっただろう。だがなぜかそうしなかった。何か理由があるのだ。

 その肝心の理由がわからないが、結局はエトリが諦めることを、自分の存在を掴めないことを期待しているはずだ。だから何かのアクションを取ることは、自分の存在を示してしまう事になる。


「タスク……アーカイブパレット……魔封流転、閉錠」


 踏み出した足はひどく重たかった。

 当然だ。今この空間の魔力量はひどく低下していた。

 魔力を司る世界とはそれに干渉することが容易なのである。

 扱いが簡単、という訳ではない。むしろ魔術の扱いは細心の注意を払わねばならない。

 だが魔力の扱いならば、ゼロか一の極端な振れ幅で事足りる。

 エトリはこの建物内の魔力量を低下させたのだ。

 魔力が無いとは呼吸に使うための酸素がないと同義となる。それはまるで〈大樹〉の中であるかのように。あの時と違うのは失われている外気の魔力に対し、エトリは何の対策も取っていないことだった。

 それどころか積極的に体内魔力すら消費しようとしていた。

 そうしなければならない。

 魔力とは個に秘められた生の意志。血のように体を巡り、動かすもの。

 対してエトリが向かう場所、たどる道は冥界に等しい。

 ならば個という概念は不要。死者が明確な意思を持ってはならない。故に個を捨てなければならない。そうしなければ辿り着けないのだ。


「はあ――はあ――はぁ……」


 脱力しながら体内での内燃循環を最大限に引き上げ続ける。

 こみ上がる力を外に放てば魔術となるが今はそれを行わない。全てを体内という器の中を巡らせ続ける。結果魔術師の体内には異変が起きていく。

 血流を腐らせるように、ただ身体を巡る流れを鈍化させ、汚泥の淀みへと変えていく。

 何も生み出さない無意味と行使されることなき無価値を溶かし、不快を身体にこめていく。

 無論尋常では起きない状態を故意に起こしている。即ち死へと近付く暴走に等しい。数分持てばいいだろう。


「はあ……はあ……はぁ……」


 幽鬼のように、力のない足取りでエトリは建物内を彷徨っていた。

 瓦礫程度につまずくのは視界が極端に落ち、脳の反応が緩慢になっているためだ。

 魔力の瞳を使う魔力さえエトリは残していなかった。

 目と鼻から漏れてきた血を拭った。

 汗なのか血液なのか分からない体液が体から噴き出していた。

 あと何歩足が進めるのか、分からなかった。

 ただ前へ。感じるままに。衝動という本能で背中を押してエトリは進み続けた。


「……。届いた……!」


 到達した。

 幾度か聖剣の力で容易く侵入を果たした場所と同じ空気を感じる。

 境界線を越えることが出来たのだ。

 そしてエトリは――


「くうっ……!?」


 弾かれた。落ちたエレベーターが急激に打ち上げられるかのような、浮遊する内臓が再度の嘔吐感を誘発する。異物であるエトリを、その世界のルールが排除しようとしているのだ。


「駄……目……か……」


 宙に縛られたかのようにその場から動けない。

 縦でも横でもない、逃れることのできない風圧のようなものがエトリを震わせていた。

 時の瞬きが見えた。

 弾き返され、吹き飛ぶエトリの体を建物というフレームが流れてく。

 幾重にも幾重にも。何重にも重なる層が景色として過ぎ去っていく。

 それは時間と共に回る星がエトリという異物を無視して駆け巡っているかのように。

 時間の経過すら感じられないのは定義的な時を刻んでいないからだろうか。

 地に足をつけないエトリにはどこかに捉まることさえできずに、ただ流れのまま漂っていることしかできなかった。

 赤く。青く。暗く。白く。眩く。熱く。

 景色の中の色が分解され、視界情報を構成する単一の枠が重なり世界が新たに構成されていく。

 光速で流れる森羅万象がエトリを思考と集中の境地――超越を呼び起こしていた。

 意識がまとまり、理想の形へ、出来ると思う自信と確信が意思を高揚させ確定した未来を作り上げていく。

 覚醒する精緻の六感。


「――そこだ!」


 魔力が底をつき、瞬間的に生み出せたものは光の短剣一本に過ぎないが、エトリは迷わず投げつけた。

 やはりいたのだ。もう一人が。

 エトリからは完全に姿を隠せていた。そう確信を持っていたはずだ。

 故に僅かに迷ったはずだ。エトリの行動が果たして確かに迫る一手なのか。

 逡巡は一瞬だったが、それが選択肢を殺してしまった。

 だが防御を選ぶことに成功した。

 そしてそれは誤りだった。

 光は散らされ、そのまま霧散する――ことはなく衝突の瞬間、光は裂け瞬時に繋ぎ合わさり拘束するように腕に絡まっていく。

 放たれた光は彗星の尾のように未だエトリの腕と繋がっていた。


「はあ……はあ……」


 荒い息をつくエトリ。すでに元の世界に戻ってきていた。


「……」


 夜の荒廃した美術館。

 二度目の出会い。再開。月光に照らされる黒曜の鋼。あの〈大樹〉で見たシルエットだ。

 どうやって自身の不可視化という未解魔術を行えたのか。

 〈晄騎〉のロウと何があったのか。

 この場所で何をしているのか。

 〈大樹〉の塔では何をしていたのか。

 聞きたいことは山ほどあったが、その口から答えを得ることは果たして可能であるのか。

 魔術師とはまた異なる、何か解析不能ともいえるこの存在の違和感は、強い――

 エトリは右手に鏡を、左手に小さな炎を生み出した。

 魔力で描かれた歪み無き清水の正純反射パーフェクト・リフレクションを作り出す精緻の魔鏡。そして、とくとくと脈打つように収縮と拡大を繰り返す青い炎。

 重ね合わせた。

 炎は衝突の瞬間鏡を割り、鏡は砕かれながらも炎を映し続ける。

 破片は広がり、小さなひとつの炎が数多に複製されていく。

 エトリの周りを夢幻のように包み込み、炎と共にある一人の少女の姿を幾つも描いていく。

 炎と少女で作られた万華鏡。

 そこに一つの嘘が紛れ込む。

 鏡であるはずなのに存在するはずのないスペクター

 ただ一点から忍び込んだ虚像は乱反射を纏い、全ての真実の鏡像を塗り替えていく。

 全ての少女の像を紅と銀の鎧をまとう鉄輝の騎士へと照らし替え、そして現実に存在する一人の少女の姿へもいつしか写り替わっていた。

 それは〈套紋コート〉が強い意志となり編み上げる魔術師の極み。

 夜の色と赤い月で彩られた鏡の騎士エトリは世界に立ちはだかる。


「逃げようなんて思わないわよね」


 エトリの問いかけに、影は何かを語ることはしなかった。

 腕輪を引き千切り、そのまま壁を突き破り外へと飛び出していった。

 一目散の逃走。開戦の兆しを断ち切るような、ある意味鮮やかともいえる最速の逃げの一手はエトリの反応を待つことさえしなかった。

 美術館に張り巡らしていた遮断の魔術にも、内部からの脱出の反応を感じた。

 幻影のようなもので目くらましを行ったのではなく、あの人型の影は確かにこの美術館から外へと飛び出したのだ。


「ふう――」


 めまいを感じながら懐から空の筒を取り出した。

 本来ならこの円筒には液体が込められている。手のひらサイズの試験管のようなものだ。

 中に入っている薬品は――所謂魔力の回復薬エーテルである。

 実は今のはエトリのブラフである。魔力の少ない状態での戦闘は極力避けたかった。

 体内に直接注入することで効果が表れるのだが、即効性はなく、充填に時間がかかる。

 こちらの世界に戻ってきたと同時に打ったのだが、魔力の鎧を発現させる程度にしか回復しなかったので、実の所ほとんど動けない状態だった。


「これは、もう一本いるわね」


 エトリは二本目を打ち込んだ。端にある膜に魔力を反応させることで反対側から薬品が体内に流れていくという仕組みである。

 これ一本でちょっとした邸宅が建つ程度の値が付くか、どうやら今夜はこれからが本番となるようだ。惜しむ事は無かった。

 沁みわたる水の心地が魔術師の核である乾いた意思を震わせる。

 力の回復を確認するように手を握ったり開いたりしてみた。


「さて、いきますか」


 みすみす逃がしたつもりはない。まだ追いつける範囲にいる。

 先程の光の短剣の本命は腕輪と繋がっていた繰り紐の方である。あっさりと千切られたようにも見えるが、極細の繊維となって今なお繋がっているのだ。


「……あれ」


 頭を振り、片目をこする。


「なんだろ……?」


 先ほどから何度か変調を感じていた。

 今は何かが――既視感の様なものが見えた気がした。しかもこの感覚は何度か起きていた。この美術館跡に侵入してからだ。

 魔術を操ることで疲労と共に感覚も研ぎ澄まされていくこともある。


「まあ、いいか――」


 多分悪いものではない。そう言い聞かせ、エトリはあけられた壁穴から夜空へと飛び出した。

2019/10/22【投稿】年内に〇〇〇まで行けるといいなー、ちょっと難しいか

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