迷宮と邂逅(2)
◆
――孤独には慣れていた。
たった一人でも、戦い続けてきた。彼女はつまりそういう人間だった。
その肖像を、生き様を多彩な色で語る必要はない。
黒と白。陰と陽。矛盾の虚実。奇怪の奇跡であり原始の中の原点。
その二色が少女の半生を満たしていた。
遺体は消えてしまった。
そして錯覚は完成する。この部屋で何も起きてはいなかった。
異常はない。荒れた。割れた。破れた。失われた。何れも今夜起きたことではないだろう。
よって虚構の観測者エトリは前提を覆すための条件を探さねばならなかった。
「仇はとれないかもしれないけどね」
何が起きたか。僅かな同僚の為、せめてその真実は暴いてやるべきだろう。
異議を伝える導火線は意外にも簡単に見つけることが出来た。
灯りのない闇の中で魔眼の焦点は残滓を捉えた。
暗き黒に零れた一点の雫。小さな小さな赤い水。原始の紅。
未だ乾くことのない澄んだ鏡面は覗き込むエトリを写し返していた。
「あ……」
その小さな輝きに思わずエトリは目を奪われていた。
「――っ」
何かの気配を感じた気がして意識を引き戻す。
その場所に目掛けて二筋の光を投擲した。
最速の一本を直線上に、並べもう一本はスナップを掛けて瓦礫に隠す死角の弧を狙った。
光の矢は壁に命中し、そのままいくつかの内壁を貫き、弾けた。
時間差で届く二本目も同じく衝突音を散らしながら、やがて聞こえなくなった。
両方とも外れただろう。
「……」
そもそも何かがいたという感覚にあまり自信がなかった。
音や姿形を見たわけではなく、確かな気配がそこにあったかというと、首をひねるしかなかった。
まるでいるはずのない敵におびえる新兵のようだと自嘲した。
「ふぅ――」
意識的に短い呼吸を繰り返す。腐臭とカビの臭い、瓦礫の粉塵、汗と焦りを吐き出し、夜の静謐な空気だけをとりこみ頭を廻す。
「さて」
魔眼はまだ維持していた。鮮明な視野で改めて周囲を見回した。
魔力の鼓動――反応なし。相手が完全にそれを断っているのならばあり得る。
ならば生体反応はどうか。足音、息遣い、そして生物である以上必要な心音を辿る。
「……」
三十秒待った。結論を下しエトリは歩き始めた。
最強の戦士の死亡。起きるはずのない事態を解決するという矛盾によって、真実への仮定は蝕まれていく。
ヒントはない。不可能を可能として降すには奇跡の力がいる。
それはエトリが得意とする魔術の力。
求めるべきは何が起きたかという、真実。
だが魔術は過去を糾弾することはできない。そして未来を知ることも出来ない。
魔術が指し示すのは、今在る人の意思という命題たる現在でしかない。
時は過ぎていく。今この瞬間が過去になっていく。行動するのは今しかない。
「まずは――」
状況による条件に基づく規定。
建物の内外への出入りをエトリは察知することが出来る。そしてエトリが侵入してからいまだこの建物を跨いだ反応はなかった。
つまりロウが戦っていた相手がまだ建物内に残っている――その可能性がある。
まずはそれを探す。
ソクラス魔術工芸美術館は地下にフロアが一つ埋められ、地上に五つの平たいフロアが階段状にずれて繋がった奇怪な構造となっている。
既にインフラは止められている。昇降にはフロア間を繋ぐ階段を使うことになる。
足音は気にせずエトリは魔術で高速移動し、各階に〈螺旋蝙蝠〉を放っていった。
それを追うように視覚機を放ち、飛翔体では見逃してしまう様な物陰には〈人形〉を使い虱潰しに探していった。
「何も出ない、か……」
展示品の残されていない剥げ落ちた内装。その為、ある意味見晴らしは良く、人が隠れるような場所はあまりない。瓦礫も見落とすことなく探し回ったが何も見当たらなかった。
もうすでにこの場所にはいない――エトリが美術館に侵入したときにはすでに立ち去った後だった――という判断が正しいのだろうか。
「……」
そうであれば施設外の探索は困難になるだろう。なので一旦その結論は保留しておく。同様にこの美術館そのものを崩壊させ炙りだすというのも論外だ。それでは事実の解明を諦めたことにしかならない。
何か見落としはないだろうか。
そもそも、だ。ロウが死んだのはこの美術館だが、戦闘が起きたのはこの場所ではないはずだ。
〈晄騎〉と、それを倒す規格外の魔術師たちが争ったにしてはこの建物は綺麗すぎるのだ。
では戦場となったのはどこか。戦っていたのは誰だったのか。そして今どこにいるのか。
「……」
エトリは考える。
自分自身の術を、導き出された結果を否定する。
魔術使用による計測は感覚という不確かな真偽を証明した事といえる。ならばエトリの感じた敵の存在は間違っていることになる。
だがそこに裏道はないか。現実を構成する何かの要因を見落としてはいないか。
固執でも妄執でもなく、純粋に答えが存在する問題であると考える。仮に一切の否定を設けず、最も自由な仮説を立て、それが可能であるという前提をもとに証明すればどうか。
状況による条件に基づく規定への――反論。
「なるほど――」
新たな方針は暴論であり荒唐無稽過ぎる。だがもし自分が奇跡に翻弄された時は、まず一番最悪な方法を想定する。奇跡はいつだって享受すべきではない外側の者たちにとって一番厄介な代物であることをエトリは知っている。
「見えないだけか」
魔術で再現できる現象は様々あるが、ある一つの問いかけが存在する。
存在の痕跡を極限まで薄め、姿を完全に消すことは可能であるか。
肉眼でも、機械式感知器でも、そして魔術探知さえも完全に欺く不可視の存在となる魔術は存在しうるか。
結論としては、不可能であると考える。
それは魔術師が人であるから、というのが最大の理由である。
想も心も持たず、無を降ろすということはその意思も存在しないこととなる。魔術を使うということと矛盾するのだ。
完全な虚の存在と化すのは自殺に等しいこととなる。その魔術は発動と同時に死を迎え、存在は消失しないだろう。
だが、もし何らかの方法でそれを行うことが出来たら。もしくは誤って発動してしまった無を往なすことを迫られたら。
いつかあり得るかもしれないという状況に対し、魔術師たちは対応策を考える習性があった。
不可視とはただ透明であるだけなのか。
そもそも魔術も魔力という確かにある見えない力を束ね、現実に作用させていることになる。
魔力は存在するが見えない。それは、この場所に存在しないから――見えない。
意思を介して魔術という力に変換することによって見えるようになる。つまり不可視であるはずのものを認識できるチャンネルが世界には存在することになる。
「ちょっと待って……なにかが……」
引っかかる。
聖剣という奇跡を持つ戦士と同等の力を持っていたのであれば、同じような力の特性を持っているのかもしれない。その力とは、人の天敵となる〈獣〉すら倒し得る――
「あ、そうか……」
もう一つ探していない場所を見つけた。
〈獣〉の世界だ。
莫大な魔力を以てして、世界そのものを斬り裂く。そして人の住む世界とは異なる、影の中へと渡り、〈獣〉と対峙する。だがあの場所へ向かうには聖剣がないと無理だ。
エトリは付いていくことはあったが、実際にその門を開くのは聖剣を持つ〈晄騎〉たちだった。
彼女としても、彼らに頼らないでその場所へ行く方法を試したことがあった。だが駄目だった。開くことのできない扉が存在する。そんな印象を受けた。
だがこの場所でなら可能となるかもしれない。
「魔界の門がここにはある」
2019/09/22【投稿】そしていつも通りの投稿ペースに戻ってしまう。ちょっと煮詰まった(誤用)ので一旦切りました