迷宮と邂逅(1)
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〈賢盤〉。
それは魔法使いの杖、もしくは魔法の書としてのイメージを元に、デバイスとして形作られた現代魔術師たちの簡易ツールである。
魔術は人の意思を媒介として、その奇跡は成される。
火を起こすならば燃焼という結果を元にイメージを固め、意思の力でそこに在れと奇跡を呼び寄せる。
人の意思を介せば容易に起こせる技術だが、例えば遠方にある場所へ炎を招くといった行動は容易ではないのだ。
人の意思とは人の身体の抱ける範囲でしか認識をおこさない。
だがそれが出来ないわけではない。魔術という結果を得てから様々な仮説と検証、成功と失敗が繰り返され、魔術の力を操るという分野に様々な歴史が積み立てられることとなった。
そうして人類史の途上まで共としていた科学の力を組込み、魔術の保管というものは達成をみた。
それが〈賢盤〉である。
簡単な結果しか得られない術の為に広大な敷地を用意せねばならなかったり、頻繁に行使せねばならない術が煩雑な手間を必要としたり、そういった時間や環境などの見合わないコストを解消し簡易実行を可能としたものである。
金銭で購入可能であり、海賊品や改造品、特注品も存在しているが基本的な形状としては文庫サイズに収まるものが一般的。
本のように開く。中に綴じられている頁こそが奇跡を分解し意味を情報化したものである。
紙のように見えるが、その正体は編まれた玉髄である。鉱石を繊維化し魔力を宿した神秘の紙片。魔導書形成の技術が流用されているのだ。
頁――〈術頁〉の一枚に触れ、切り取り、放す。
ただそれだけの動作で魔術――奇跡は起こる。
無論術者本人の能力によって使えるものと使えないもの、そして魔術師としての認可により購入できる〈術頁〉は限定されているのだが。
眼球を通して見る物質の世界と、魔力の瞳で認識する精霊が飛び交う景色。
天と地。右と左。表と裏。街灯が照らす光と意思の焔が照らす闇。
巻きあがる反重力の力で打ち上げられ、そして今風に乗るエトリの背には翼があった。
これも〈賢盤〉の力――数多の〈術頁〉を纏め、飛翔の翼を形作り、込められた風の力で疑似的に空を飛ぶという魔術である。
数秒おきに微小な星が光を散らせエトリの背からこぼれていた。
使い捨ての翼を騙りエトリが目指すのは廃墟区画のソクラス魔術工芸美術館。
既に放棄されて久しいはずの建物の中に、ひときわ大きな魔力体が観測できたのは今の状況に対する手掛かりに違いなかった。
建物に明かりはない。視界が判断した情報は無人。だがエトリの感覚はその場所であると告げていた。
「一人でやるしかないか……好都合よ」
いずれ来るであろう〈晄騎〉を待つことは考えなかった。そもそもエトリは普段の彼らがどこに居を構えているのかは知らない。
美術館はもう目前。衝突する。失速を許さない羽ばたきは闇夜を走る雷光のように壁面を走り、美術館を青白い燐光で飾った。
衝突の瞬間、エトリが剣の一閃で突入口の切開と翼の分離を行い、〈賢盤〉より放った〝遮断〟によって建物の内外に境界線を敷いたのだ。この結界術により内から外へ、外から内への移動を感知できる。
魔力の瞳で光の乏しい闇の中を一望した。
やはり何も残されてはいない伽藍の棺桶。何も異常はない。人のいる気配も感じることはできなかった。
それでもエトリは静かに周囲を探った。
走りはしない。用心深くゆっくりと歩みを取り、いくつかの部屋を通り過ぎた。
行き止まりに当たる開けた空間。扉はすでにない。出入り口は一つだが左右に隣り合う三つのフロアと繋がっている。境目となる壁はもとよりなく、柱だけで区切られているだけのようだ。
そして天井にはステンドグラスの様な多彩に色づく飾り窓がはめられていた。
「……」
おそらく照明の代わりに月明かりが差し、その場にあるはずのオブジェクトを照らす事で美を完成させることを意図された部屋なのだろう。
だが今、その麓に照らされているのは――
「ロ……」
後ろだ。
エトリの直感は何もなかったはずの空間に強烈な違和感を感じ、今見たものすべてを忘れ、背後に生まれた気配に急転して振り返った。
そこには鎧が立っていた。
海王をあしらったこの意匠には見覚えがあった。
〈幻魔生物〉の事件の際に現れた、〈晄騎〉の一人で力強い曲剣をもつ騎士がいた。
そういえばあの一件。未だに原因となる主核の魔術師がわかっていないらしい。
回復した者から調査は行われているが、生徒及び教師その他関係者はすべて白だと判明していた。あの〈大樹〉の中心付近にいた人々はすべて発生後に捕らわれとなった者であり、〈幻魔生物〉を生み出した魔術師ではない、との報告を聞いていた。
〈晄騎〉が出張ってくるほどの事件。当然状況は徹底的に洗われているはず。
さてどういうことやら。――そういう場合ではないか。
「……」
振り上げられた曲剣は止まったままだった。鎧の騎士はただ立っている。立ち尽くしていた。
「ロウ……?」
その鎧からはロウの魔力が僅かに感じられた。顔は見えなくとも、確かにこれはロウなのだ。
どさり、鎧が膝をついた。
そのまま倒れることなく崩れるように、光の粒子となって消えていった。
「――」
エトリは再度振り返り、改めて月明かりが照らすものをみた。
確かにこれもロウだった。
顔を伏せたまま、動かない。呼吸をしているようにも見えなかった。
既に事切れているのだろうか。
確証を取りたかった。エトリは静かに近寄ってみた。
「あっ……」
ロウの亡骸らしき体躯が消えてしまった。
魔力の目を持つエトリでも何が起きたか分からなかった。ただ一瞬だけ剣のようなものがロウの体と重なるように立てられていた、ようにも見えた。それも今では消えてしまったが。
亡骸のような姿のロウの体と戦いの具現である〈套紋〉の鎧も力なく消失した。
「ロウは……死んだの」
多分その判断は正しい。エトリはその事実に驚く声も悲哀の涙も出なかった。
ただ感覚の瞳が伝わった事実を真実として感情は処理をする。
死体は見慣れていた。
自分が殺したものと。誰かに殺されたものと。すでに死んでいたものと。
どのような終わりであろうとも魂の抜け殻が示すのは静寂のみ。
だからその周りを拾い集めよう。
痕跡。
何が起きたか。何があったか。なぜか。
それが何らかの形で存在しているはずだ。
聖剣の戦士は死んだ。世界最強と目される〈晄騎〉の一人だった。
今は――何が起きている。
魔訶迷宮の中、エトリに忍び寄る何かの異質。
朝は、まだ来ない。
2019/08/15【投稿】盆期間中なので頑張ってみた。暇人万歳。( T∀T)・∵. グハッ!!




