彼女たちの仕事(10)
◆
夜の一人歩きはなるべく控えるように――
確かにそれは正しい。だが何気ない挨拶のように、形式として囁かれる警告は取り留めのない形骸と化していた。
なぜなら人々が生活する以上、街の灯りを消すことはできない。
どうしても。やむを得なく。営みという都合の上、戒めは破られていく。
そうして守護者たちは今宵も闇夜を巡ることとなる。
「十七回目。方位は北西から南東へ」
深夜を過ぎた。朝はまだ来ない。
高く広い開けた屋上にてエトリは再び魔術による探知を行っていた。
条件はブルツ・アリスの町を対象として、絶望的な穴が開く一瞬を見逃さない〝眼〟。
聖剣を持たぬエトリでは、莫大な魔力による網の目の監視網を敷くことは無理だが、想定された対象への一夜限りの奇跡――それでよいのであれば方法はある。
あらかじめ町の上空に〈賢盤〉によって起動させることのできる〈術頁〉をばらまいていた。
備えている術はあの時と同じく遠隔視界。監視するのではない。一夜の間、無数の端末を持続させるのはさすがに無理だ。起動は一瞬だけできればいい。
そして肉体強化を合わせる。自身の視力限界をさらに引き伸ばす。上部からの俯瞰した視界を第三視覚として脳裏へと接続。二つの目は現実世界を、そして三つ目の視界はそれを三次元的にサポートし、魔力の変動のみを捉えることのできる交差視点という多重認知でブルツ・アリスの町を覗き込む。
先日のブライカたちとの一件と同じく、複数の魔術を組み合わせ効果を重ね合わせているのだが、あの日と違うのはエトリが単独で魔術を行使していることだった。それ故、〈獣〉と異なる緊急事態でもあれば対応は遅れることとなるが、そういった不測の事態に対応するために聖剣を持つロウが相棒となりエトリの近くで待機していた。
「成る程。〈賢盤〉による仮想互換か……」
静かな声が聞こえてきた。姿は見えないがロウの声だ。
魔力節約の為、ブライカたちとの合同魔術とは異なり、状況を認識できるパスは繋げてはいなかった。月夜に潜む彼はエトリからの指示を待っている。
「別にそこまで珍しいというわけでもないでしょ」
「そうだな……。便利な時代というわけか。それでも魔力量には目を見張るものがある。期待しているぞ新人。君が新たな救世の剣として目覚めることを」
どちらかというと冗談めかした言い方に、エトリは小さく苦笑をこぼした。
エトリはいまだ聖剣の力というものには目覚めてはいなかった。それでも彼らたちとともに〈獣〉との戦いをこなせているのは彼女自身の類まれな戦いの才能、ただその一つに尽きる。
「それは、あたし一人では何とも」
時折言葉を交わしながら、エトリの複眼のような視界は町の中で揺らぐいくつもの魔力反応を照合し、解析をこなしていた。
今はこの町の西側半分を見ていた。そこには多くの繁華街と商業地区があった。栄える町であるブルツ・アリスを反転させたように新陳代謝が遅れ老廃物となり、ただ均されるのを待つだけの地区もそこには含まれていた。
廃墟区画。人が殆どいないことになってはいるが、その情報は正しくはない。
一見夜の静寂な町並みのように見えるが、虎視眈々と目を光らせる無頼たちと、拠り所を持たず耳を塞いで生きる者たちによって緊張状態として均衡が保たれているに過ぎない。
だが今のところ、目立った異常は感知できなかった。
「異常――なし」
数時間後に交代が来るまでこの監視は続く。
深夜の連続した魔術行使だが疲労を感じてはいなかった。体内魔力の循環と活性化による体調整は現場に出る魔術師には基本である。
「……。何か感じる?」
彼らの方針として――仮に人間同士の争いを見つけたとしてもその調停に関与はしない、ということになってはいるが、これは個人の裁量であり規則として強制ではないようだ。
ただ何かが起きている場合には瘴気が集まる条件となりうるので、注意してみておくのもいいとも言っていた。
意思を持ち、殺気を纏い、恨みを浴びる。そうして瘴気なる反滅の魔力の狼煙は上がる。
例えば先日のあの摩天楼での凶刃が〈獣〉を呼び寄せたように。
人が魔力という性質を持ってしまった以上、瘴気への変質は薄皮一枚の誤差でしかない。
それは〈獣〉は魔力を持つもの全てを贄と定めていることを意味する。つまりはこれも魔の力という奇跡によって、人に課せられた新たな呪いだった。
「……ロウ?」
風の音と星の煌めきさえ聞こえてきそうな、静かな夜だった。
「――!?」
警戒観測として近くにいるはずのロウの気配がいつのまにか消えていた。
〈晄騎〉は荒事の専門家だ。意味もなく無断での行動はしない。逆を言えば何らかの緊急事態に直面したのであれば優先順序は切り替わるだろう。
――何かが起きたのだ。
〈罪悪の獣〉が現れ、それに喰われたか。
いや今まさにエトリはそれを警戒していた。
反応は何も感知できなかった。〈獣〉が関与しているとは考えにくい。
ロウもエトリとの繋がりを一方的に絶つのではなく、何らかの手掛かりを残すはずだった。
まずはそれを探そう、エトリがそう考えた直後。音が聞こえた。
窄めた空気を叩いて加速する螺旋の衝撃波。
あまり馴染みのない音。形式まではわからないが、あれはおそらく――
「銃声か。どこだ……」
エトリが〈賢盤〉から〈術頁〉を放ち空へと飛んだ。
羽ばたくような一歩は舞い上がる光を踏みしめ、エトリを空高く射出した。
遥か眼下に灯りを纏うブルツ・アリスへゆるやかな降下を行いながら、エトリは片目を閉じた。
監視線を切り替える。視界を片方塞ぐことにより、本来の視野と、魔術で見る第三の視点とが混ざり合う。ものを見ると同時に、そこに集まる魔力の量を光彩認識として捉えることができる。
探すべきはエトリが先ほどまでいた位置に近い、人の魔力が集う場所でいいはずだ。
「――いた」
すぐそばにいる。同じ区域の五ブロック先。
目立つ建物がある。整然とした辺だけで構成された格子のシルエット。広く高さのある構造。
眼球の理が切り替わる。見えるはずのない角度から建物を観察していく。
壁面に直接文字が掛けられていたのだろう。廃墟となった後も変色が残りうっすらと文字が残っている。
ソクラス魔術工芸美術館。
かつては工房に併設された美術館として、町が招いた芸術家によって建てらえたものだ。
それが今では廃墟区画の中心に鎮座している。当然すでに各種の美術、生産品は撤去済み。
一見、老朽化を理由に放棄された伽藍洞の棺桶。
確かに廃墟区画には相応しくない金のかかった施設のようだが、実の所この美術館こそがこの町の区画を腐らせた根元のようなものなのだ。
栄光の町の、廃墟の始まりという曰く。
この美術館の本来の所有者は今は塀の中。ついでにこの場所を当て込んで地図を書き変えて回った業者もじわじわと潰えていき、誰も手を出そうせず行政管理へとなり、そのまま整理予定地へ。そして取り壊しを待つばかりとなっているのだが、何の因果かそれが遅々として進まない。結果として病巣を抱えたままじわじわと周囲を腐らせる原因となっている。
時折、噂を知らない度胸試しか盗掘者が侵入しては、十分の一の確率で次の日に死体となって発見され、小さなニュースとなっているとも聞く。
「さて、あそこには何がある――」
エトリは猟犬のように牙をむき、ばら撒かれた星屑さえも忌避する暗黒の渦へと飛び込んだ。
2019/08/12【投稿】ああ、今年も夏が終わっていく。暑い。