彼女たちの仕事(8)
◆
些末事が増えたな、と彼は思った。
――だが面倒事ではない。
ある目的の為に山道を行く彼はその先を進む何者かの姿を発見した。
「……」
彼の健脚は間もなくその背中に追いつき、そのまま何事もなく通り過ぎて進む――はずだった。
この山に挿す岩と木々が入り乱れる荒野。僅かに拓いた道筋は狭く、原始的な舗装しかされてはいなかった。その為、双方が混じる交差の点は小さく、肩をすり合わせるように一瞬の隣接が生じることになる。
彼は呼吸を合わせ、歩幅を調整し、一息で追い抜き、そのまま距離を開けるように自然な加速をかけた。
「――ああ、そう。あなた、ちょっといいですか」
それを待ち構えていたかのように、声をかけられた。
別に無視をしてもよかった。
もしくは人前に姿を現すのではなく、木々に潜るように暗い山中を行けば余計な関りは生まれなかったのかもしれない。
その山中だが――
視線を巡らせ、彼は岩肌に取り付けられた小さな魔導石をみた。
あれは罠を発動させる探知機として動作を促すものだ。
それだけではない。辺りの崖や沼といった過酷な地形以外にも、悪質な罠がいくつも張り巡らされているようだ。
猟師が仕掛けるような獣に対する単純なそれではない。狡猾に隠され、侵入者を殺傷することを目的とした、魔術と機魔械仕掛けの罠。
明確に隠された、それでいて病的なまでに強固な意思というものがこの場所には感じられた。 未開の野山にかかるこの路は延々と歩き続ければどこかの人里にでも着くのかもしれないが、それは只の結果であり利便性を考慮して整えた道とは言わないだろう。それもただ地形に沿って短絡的に渡りの線を引いたのではなく、何かを隠し遠ざけようとする意図的な感性によって経路は描かれていた。
そうして辿るだけならば本来の目的地を見ることは適わず、繋がる枝道を探そうとする者のみを処理するという一つのシステムが出来上がる。
これは道なのではなく、狩場だ。
つまりはそういう場所だった。
だがそれも些細なことに過ぎない。
ただ選択肢として暗闇を渡るのは彼にとって嫌悪に障る。
感の良い野生の獣であればこの荒野でも生きていけるのかもしれないが、騎士道にも似た彼の生き方は暗黒の中で血を求め、徘徊する獣とは真逆を見据えていた。
例えば、助けを望む声があるのならば彼は手を貸すだろうし、人々の声を無下に軽視することもなかった。
「なあ、あんたならどうだい?」
いつの間にか会話をしていた。
付かず離れずの距離を保ちながら、時に前から後ろから。
決して友人のように横に並ぶ事は無かったが、何度も声を掛けられた末にいつの間にかその距離は出来上がっていた。
離れて歩きながらも同じ方向に向かい歩を進めるのだから、そういうこともあるだろう。
天気、空腹、疲労、交えたジョーク。そういったとりとめのない生活の状況や現状の愚痴のような内容を一方的に聞かされ、無口な彼も時折相槌と無難な意見を述べ、話題を交わしていた。
仮に人の心の具現が魔術であるのならば、他者の心に入り込むことは魔術よりも高度な奇跡ではないだろうか、そう彼は思った。
行先や目的、素性といった、互いの事情に踏み込んでくるような話題は無かった。
それでもどうやら野山の中で何かを採集しに来たというのが目的であることは、言葉の端々から捉えることが出来た。
学者、研究者――いや、おそらく仕事を請けた〈S.S〉なのだろう。そう推察した。
最後まで、特に変わった事は無かった。
そして、相槌のように戦闘は始まっていた。
何か敵対的な行動や言動があったわけではない。
あるいは過去。何らかの恨みを買っていたのかもしれない。
もしくは仇敵。かの宿命を引き継ぎ幾星霜を経て刃を向ける意思をもつ運命が動いたのかもしれない。
それとも事務的に。今回の彼の存在そのものが何らかの都合が悪いものであったのかもしれない。
そういった間柄だったのだろう――そういうことは、よくある。
陰鬱な気持ちは無かった。だが多少の驚きがあった。
思いのほか一筋縄ではいかない相手だった。命を取る為の戦いとして本気を出すような業は制しているとはいえ、容易い戦いではなかったのだ。
うまく距離を図られ、細かい攻撃と巧みな間合いを織り交ぜ、決定的な詰みを打たせず、引き延ばすかのようなやり取りだった。
そして時折、さも先ほどまでの続きであるかのように会話を仕掛けられる。
遊んでいるようにも見えるが、〝ヤツ〟も攻めあぐねているのだ。
幾度の試行を重ね、薄氷を踏むような実行を続けることから、彼はそれを感じ取った。
まだ、退く気はないようだ。
「どうした。それでは俺は殺せないぞ」
彼は行為ではなく、消費する時間にわずかに焦れていた。
一見相手の隙をつくようでいて、単調な繰り返しを刻む消極的なやり取りには意義が見えなかった。
そして、この戦闘行動における魔術使用の痕跡は対象に警戒を抱かせる可能性があった。
懸念は間もなく当たる。この場所が何かの魔術効果圏となったことに気付いた。
遠くから見られているような感覚がある。だが攻撃が放たれる気配はない。何かの偵察魔術だろう。
これはさっきまでの〝ヤツ〟のものではないと判断する。おそらく〝彼女〟の仕業だろう。
〝彼女〟のものと思わしき監視器をいくつか壊して来たが、ようやく反応を見せたようだ。
魔術による察知を行うのであれば、もうしばらくこのあたりからは離れる事は無いだろう。
〝ヤツ〟からの攻撃はしばらくない。ならばこの場合は〝彼女〟だ。
面と向かって手を出す気はないが、もう少し藪をつついてみてもいいだろう。
考えた所で手近に迫っていた気配を撃ち抜いた。
〝槍〟を使用した狙撃の型。放たれた衝撃波は遥かへ疾く届く。
一撃は彼を見ていた影を潰した。
人ではなかった。魔術で作られた具現の形。だが容易い。こちらを試したのだろうか。
彼は歩法を整え、俯瞰するように深く遠くを見据えるような視界を纏った。
ゆっくりとした歩みの中、視界に入った〈人形〉を即座に撃ち飛ばしていく。
速度を落としたが大地を踏みしめる足はしなやかに前へと進んでいた。間もなく、十分と掛からず対象の元へと辿り着けるはずだった。
景色の中の影が揺れた。またもや〈人形〉の気配か。
出現の間隔が短くなっているのは〝彼女〟の場所へと近付いているのだろう。
この距離はいつもの通り、槍ではなく剣を選んだ。
表情など読めやしない距離とて、彼にとっては振って、打てば射程となる。
遠近均し我に累無し。
剣の魔術を放った。
斬。
音と空と波が重なり両を断つ風が吹く。斬撃が駆けた。
「何――!?」
〈人形〉はいまだ健在だった。あの突風を避けたのだ。
遠隔の使いは如何様な魔術師が使役したところで、見て、動かして、避けるという離れているが故の致命的な遅延が生じることになる。その隙を消す為には起こり得ることを完全に予知し、前もった動作として準備していなければならない。
偶然やマグレとは思えなかった。必然的な行動を選び、生還への一筋を完全に写して見せたのだ。
「先程までの腑の抜けた人形ではないな。お前は誰だ――」
◆
振動する空間に存在する特異点を魔法陣が示している。ブライカたちは一足先にその内へと集まっていた。
「エトリ、早く。なんか動き出しそうよ、これ」
「はいはい」
そして発動間近の力場へとエトリは滑り込んだ。
「じゃあ、帰るよ――」
揺れる。見渡す限りの空間は大地震の如く震えていた。
だが魔法陣によって区切られたこの場所には僅かな振動すら起きてはいなかった。
その代わりに切り離され零れた虚空の破片が光となり、魔法陣の中心へと収束していく。
昂る光がまばゆく広がり、彼女たちを包み込んだ。
ページをめくるように、時を剥がすように、光で区切られたドアが開いた。
そして扉は閉じた。
彼女たちの姿は消えていた。
遠いどこか。
何の異変もない景色の中に、栓を引き抜いたかのように光が漏れ出していた。
意思の力と呼ばれる超常の法則が、世界という限りなく広く手に余るものに作用する。
果たして。
このようなことを個人の意思でしかない思考の力が許す範疇たり得るのだろうか。
少なくとも。
この力は現代ではありふれた言葉――魔術と呼ばれ、認知された奇跡――人の技として、今は人の手に在る。
「到着」
……。
「はいはい、到着到着」
エトリはパンパンと手を鳴らした。それでようやく目が覚めたかのように小さくうめき声が上がった。
「……んー」
「あー気持ち悪い……」
「ちょっと荒っぽかった? ゴメンゴメン」
焼けた円が地面を焦がし、区切られた中で折り重なるようにしてブライカたちは倒れていた。
「ほら、しっかりして。大丈夫?」
通常に使われている〈転坑〉であれば眩暈など起こすことなく瞬間転移を果たすのだが、エトリが一人で構築したそれは転移者にかかる負荷への保護という精度が甘かったようだ。
「ここは、どこ……」
「学園の裏」
確かに見慣れた壁とフェンスで囲まれていた。ブルツ・アリス学園の体育館裏あたりだろう。
空はすっかり夜の帳に包まれていた。もう学園に殆ど人は残っていないだろう。
「結局、さっきのってどうなったの」
地面に尻もちをついていたリンゼがスカートを直しながらエトリに問いかけた。
エトリは〈賢盤〉を取り出した。
受信可能圏に最後まで残ったエトリの〈賢盤〉に計測値が集約されることになっていた。条件は魔力反応の基礎解析深緑判定を解析可能値までの採集であったのだが、
「残念。魔力情報の開示可能域までは到達しなかったようね」
解析完了値は五割にも満たなかった。やはり時間が足りなかった。
手際は決して悪いものではなかった。
だが魔力情報の解析にはいくつも条件があり、その鍵となる要因が解明できなければ工程に負荷を掛けることになる。
エトリの感では使用された魔術の残留を拾うことはできたが、おそらくそこに特殊な欺瞞波形が混じっていたことにより解析に遅延を掛けられていた、ということだろうか。
ただ方法としては間違いではなかった。あの方法で探り当てることが出来ないとなると、それは逆に相手を絞り込むためのヒントにもなる。
「ああ心配しないで。成功報酬というわけではなかったから。協力分の報酬は出すから――って何笑ってんの」
「ふっふっふふふふふふーん。チッチッチッ。おいおい、ブライカチームの諸君。私たちが何のためにあんなド田舎ど真ん中に行ったか忘れたわけじゃあないでしょうね」
無駄に芝居がけて立ち上がったブライカがリンゼに指を突き付けた。
「ナニって、蝶を探しに行ったんでしょ」
突きつけられた指をリンゼは鬱陶しそうに払った。
「そう。普段は可視光すら弾いて透明に近いけど、魔力に反応したら光るという性質を持っているヘンな蝶。けど空気内の含有程度では光らない。つまり近くで、怖がらせないように強い魔力を当てつつ、捕獲しなければならないという地味に難易度高いネタだったわけだ」
「ああ……」
そういば、そんなことがあった。エトリは彼女たちがあの広大な自然の中、どうやって蝶を探す予定だったのかを知らなかった。
「そこで今回、キュリンに協力を依頼した」
「キュリンが?」
「正確には私の……師匠の、ですけどね」
まだボンヤリとしているのか、目をこすりながらキュリンは自分の〈賢盤〉を取り出し、地図を映し出した。場所は先ほどまでエトリたちがいた荒野周辺のようだ。
「これは限定魔術力場走査装置つまり、考案者によればM.P.P.Sに定義されるものであると言っていました」
「限定魔術力場……走査装置?」
聞いたことのない機材だ。
「ええ、つまり……今回の場合だと、魔術を仮想散布させたフィールドをつくりだし、中で起こりうる魔力反応を予測し、その反応を観測するためのもの、といったところですね」
「そんなものがあったの……」
「ええ、ハイブリッド・ギアとして師のミルズィアに提供され現在テスト中だったのですが、今回のブライカの手伝いを相談したら貸与していただいた……あ」
「あれ、そうだったの。てっきりキュリンの工房で開発してたんだって聞いたけど……」
朦朧としていたキュリンの目が見開かれ、分かりやすく口をつぐんだ。言っては駄目なことを言ってしまった、そういう表情だった。
「いや、そうそう、そうでした。試作機として師匠がとある研究所から開発を依頼されていたのでした」
「それって……」
「お願いだからこの件については詮索しないでください」
何か言ったら駄目なことを言ってしまったのかもしれない。
「まあまあ。それで、その装置を使えばどうなるの」
エトリは気を聞かせて柔らかく微笑みながら話の続きを促した。
キュリンは咳払いをし、一度深く瞼を閉じた。
「はい、それはですね。現地に到着した私たちは乗ってきた車にM.P.P.Sを残し、私たちを追跡するように〈計測〉を起動しました。これで機材からの通信が私の〈賢盤〉にタスクされることになり、稼働中のデータログとして命綱の役割を果たすことになります」
本来ならばこれも偵察用魔術の一種だが、常に対象の位置を頂点として認識し、相互の距離間での変動を記録し続ける〈計測〉を自分たちを追跡させることにより、未開の地からの帰還用のナビとして使用していたということだ。
「ほほー、そういう使い方ね」
エトリは素直に感心した。
「機材は私たちが使った車に積んだまま、この反応の通り、M.P.P.Sはまだ稼働しています。残念ながらデータの受信範囲はまだまだ実用的とは呼べないので現在受け取ることはできませんが、機材付近に行くことが出来れば、蓄積データを受信できることになります」
「確か、捜査範囲が〈螺旋蝙蝠〉の範囲に近いんだっけ」
「はい、ですのであの場所が含まれていると考えて間違いありません。もちろん〈螺旋蝙蝠〉と〈人形〉とデータを突き合わせて符号化しないとダメですが」
「つまり、ここにおいてある機材を回収すれば解析未満だったデータが、なんとっ、解析できるようになる……かもしれない、ということ」
「おー」
キュリンの説明をブライカたちは拍手で称え、エトリに向き直った。
「……というわけで、解析データいくらで買う?」
ブライカの差し出した手にエトリはタッチを交わした。
「ま、回収してからね。けど危険だからすぐに引き返しちゃだめよ」
言いながらエトリの視線は時計を確認していた。
「オッケー、それでは近々お楽しみに。……ってどこに行くの」
エトリは踵を返し部室などがある生活棟へと向かおうとしていた。
先日の大崩壊を撒き戻って再構築された校舎は、すっかりいつも通りの構えでそびえ立っている。
「この後、カルソーニャで夕飯いくつもりだけど、来る?」
ブライカを肩越しに見たエトリは不敵に笑った。
「いいえ、これからデートなの」
◆
エトリたちが仕事の成功に沸いていたそのころ――正確には少し前。
「……逃げられたか」
〈人形〉を囮としていたのは気付いていたが、最後の一体を仕留めるのに時間がかかってしまった。その一体こそが殿として残った強者が引き受けたのだろう。
そしてわずかな気がかりがもう一つ。
先程まで纏わりついて来ていた〝ヤツ〟が姿を消していた。
「何か繋がりがあったのか……まあ、いい。いずれ出会うこともあるだろう」
そして彼はふと気付いた。迫りくる、何かの気配。
「なにっ……」
何かが近付いて来ていた。
ただの魔術ではない。それでいて禍々しい厄を感じる。
無機質な破壊衝動の塊。純然たる――兵器だ。
野生動物は危機を感じた時、反射的に逃走を選ぶという。人であるならば時として安心を手に入れることを優先し、リスクを賭して危機の解明を選択する。
人を越えた彼が臨むのは逃走でも安心でもない。
力を持つという自信と運命が、彼の己の生命への固執という枷から解き放っていた。
まずは耐える。その迫りくる何かがこの地に落ち、そして爆ぜる瞬間の観測であるならばこれの正体を読み取れるはずだ。
加護を最大に。防御態勢。
そして巨大質量の矢が一つの山へと着弾した。
そこは彼が向かうはずだったとある盗賊の根城となっているはずの座標付近。
始めに大地が震えた。
耐えきないほどのエネルギーの塊によって地が沸き、繰り返される膨張によって生まれたベクトルが世界に加速する波を生んだ。
爆ぜた。
大地を消滅させる地底からの剣。貫かれた剣先が火柱へと変換された。
天変地異の如く、熱と振動が容赦なく吹き荒れる中、不思議と何の音も聞こえてはこなかった。
この広大な自然景観の中に巻き込まれた生命がいることは明白だが、断末の木霊さえ上がってはいなかった。
破裂する大地という現象は結果であった。それより前に起きた過程の現象があったのだ。
この緋色の景色は古きものを洗い流す清流だった。生きとし生けるものを焼き尽くし、新たに始まる緩やかな再生を奇麗な世界で行うための、清浄。
破砕の雨、灰の繭、赤き夕暮れから始まりに謳われた原典。
――それは原初への再製。
2019/06/01【修正】誤字、文法などの修正
2019/05/27【投稿】うへぇぇえ、もう前から2か月以上たってるぅぅぅうう!?、という気持ち。はえよーorz




