彼女たちの仕事(3)
◆
警報。警報――
任務失敗。救助要請確認。
緊急。管轄内のAクラス以上に限定する、救援ミッションを発令――
……。
――以降、当対象への接触を重要機密として封鎖。
……。
誤情報。該当項目を、消去。
迷い込んだ地図は深紅が足跡を浸していた。
何気ない仕事とは、ただ歩き、進み、そして殺される。
そうならなければならない。
ただそう鳴らなければならない。
儚く消える鈴という――それは生贄だった。
繰り返しの毎日を繰り返すことなき終止という変化が否定する。
何故そうなったのか。そうならなければならなかったのか。
因果なき災厄は淀みとなる。後悔と疑問を残した誰かの未練は濃く、強くなる。
その精神こそが魔を描く。
仄暗い不確かなモザイクとして、とある魔人級犯罪組織の影は伝播する。
◆
足跡となる信号は神出鬼没。
幽鬼の如く彷徨いは特定の地点ではなく、広範囲に散らばっていた。
すべての点を結んだ歪な円の内側には幾つかの人口密集地域――街を含んでいた。
営みの軌跡。巣に伏せる獣やモンスターではなく、人間が描く動線である。
人の生活という文化的なサイクルを行いながら、原始的な衝動を捨てることは拒絶した。
故に羊の皮を被る異質の何かによって、認識されぬままに群れは襲われていた。
そんな市井に紛れた怪物を追うには、目印となる生餌と痕跡を辿ることのできる優秀な狩人が必要だった。だが魔人級の実力が確かであるならば、入念に準備を重ねた複数の〈牙紋〉でさえ尾をつかむ見込みは薄いだろう。
それでなくても希少であり、鼻のきく彼らがこのような〝不明瞭な〟案件に飛び込んでくるとは考え難かった。
逆に低位クラスの〈偵察兵〉や〈探索者〉程度ではいくら頭数を揃えた所で、手に負えるものでは無いのは明白。
限りある人材は適切に使わなければならない。だから彼らの役割は狩人ではなかった。
「餌は餌。猟犬はしつけに縛られ、狩人は不在」
魔人級の出現という疑いがあるならば、無用な被害を出さない為にも制限をかけ、厳重に取り仕切られていなければならなかった。
「どうやらそんな記録はない。そして円の内側では異変が起きている」
同時期に作成された依頼と、ある地域を管轄として登録されている〈S.S〉の数に小さな異変が起きていた。
稼働人数の低下。
失敗の記録もなく、仕事を完遂しながら、活動を継続する〈S.S〉の数が減っている。
誰からも対応されることのないまま期限切れとなり、依頼者に差し戻された依頼件数が増加し、計上された達成率は緩やかな低下を続けている。
「無視してもいい数値だ。事実何らかの調査が行われる事は無かった」
一時的に〈S.S〉という仕事から離れ、そのまま復帰が行われていない。
登録抹消という扱いではなく、待機と見なされるが、事実上の引退と言える。
彼らが生きているのであれば、そうなるのだろう。
「もはや地上のどこを探してもこの〝休職者〟は存在しないだろう。書類上は〈S.S〉としての関与の記録はないが、これは死んでいるな。ならば最後に受けた依頼そのものが怪しい」
彼らが最後に受けた依頼。その関係者すべてを追跡する。そして明かされた。
過去から現在に続く〈S.S〉への依頼システム。その中に。
十に一つ。いや百に数件。数多ある依頼の中に、魔人級へと至るものが隠されてた。
「可哀想に。鼻の利かない魔術師が多く釣れているようだ。可哀想に」
ある時は仲間として、またあるときは協力者として。そして目的として。
痕跡は残されていない。
書き変えられた依頼書。残らない記録は内部からの手引きを示していた。
人の悪意はいつの時代も善意のシステムを上回ってしまう。
こういった操作を行えるのは実力と実績を持つ〝発言者〟と呼ばれる〈S.S〉だろう。
〝発言者〟は〈S.S〉への依頼に関与する権利を持つ。
多くの実績を重ねた者が、さらに上位の管理権限を持つ者により、内々での相談役として選ばれると云われているが定かではない。
無論大勢をまとめるための代表として、その判断は公明正大でなければならない。
そうでなければシステムという体内に自らを滅ぼす猛毒を飼っていることになる。
だが。
離反や背任、漏洩を防ぐための監視制御も、人材と経験を備えた〈S.S〉ならば裏をかくことは不可能ではないだろう。
コピー。アンドペースト、アンドコピー。
そうして使い捨ての依頼者という、隠蔽が重ねられた仲介人というものが用意される。
「浅はかに功名を欲し、容易く統率を壊す。割を食うのは誰になるやら」
すべての依頼案件の裏付けを行うことはまず不可能。そして社会が彼ら〈S.S〉の力を必要としている以上、運用を止める事もまた同じく。
人々の助けとなるものに悪意を混ぜる。その目的は何か。
始まりの意図は、子飼いとよばれるものであったのだろう。
裏の仕事を間接的に斡旋し、そして時には対抗勢力へ向けるための兵として手頃な実力をもつ〈ゼ・トトガリ〉という存在をマークし、いつの日か切り捨てることで自らの実績へと加えるため、定期的に存在を確認する為の鈴という贄を送り込んでいたのだ。
「陰謀家のようだが、詰めが甘かったな」
肥え太らしているものが、手に負えないまでに力をつけていることは想像すらしていなかった。あるいは権威を有するが故の慢心だったのか。
養殖の森で飼い育てていたはずの狐はいつしか野性に目覚め、森を支配する怪物となっていた。
狡猾という術を学び、貴族をたばかる影の領主。
そして化かし合い騙し獲る権謀術数の針は〈S.S〉という集団の頭脳に食い込んでいた。
彼らの〝力〟は〈S.S〉を司る統括へと及び、〝発言者〟のさらなる上、〝管理者〟へと姿を変える。それは魔術世界を征服するに等しい力を持つことを意味する。
「成果はまずまずか。ならばこの運命〈ダンルフェルゴ〉に献上しよう……そう――」
懐から取り出したのは二つ折りとなった板状。展開すると簡素なボタンが付いていた。
押し込む。
音も光も振動もない。少なくともこの場所から観測できる範囲には何の変化も訪れてはいない。
それでも満足するように鼻を鳴らす。折りたたみ、再び懐へと戻した。代わりに取り出したのは同じような大きさの携帯通信機だった。
「……はい。ああ、やはりそうか。……うん、ああ、そうか。それぐらいでいい。……いや、そっち処分していい。こちらはそうだな……〈晄騎〉が観測されている。それを――」
〈ゼ・トトガリ〉は確かに世界征服に限りなく近付いていた組織であると言えた。
それも間もなく、一人の少女の気まぐれによって、誰も知らない世界の片隅で潰えるのだが。
「――そして我ら〈ダンルフェルゴ〉が全てをいただく」
◆
整った顔立ちには傷一つなく、風になびく髪は柔らかく整えられていた。
まだ若い顔立ちだが、穏やかな笑みと、成熟した大人として品のある所作が身についていた。
高級な仕立てを纏いオフィス街に佇めば、優秀なビジネスマン。
国を代表する会合の場に現れれば王家の血縁筋。
一部の隙も無い姿の正体を、誰もが好意的に想像するだろう。
事実彼はその理想にかなった素性を仮面としていた。
ただ仮面であるならば、隠している卑しさがある。
隠しているのは、衝動。
衝動とは嗜好。
秘められた嗜好は大別するならば、観測という欲求。
とある事柄の――観察であり、培養、あるいは経営。そういった経過を見続けるもの。
例えるならば植物栽培のような。
庭先にある鉢植えの様子を見守り、時に水をやり、肥料を撒き、あるいは近付く害虫を駆除する。
管理を失敗したところで植物は文句を言わない。ただ枯れるのみ。
だが正しい配分で栄養を与えれば、実りという報酬を静かに捧げてくれる。
これもそういうものであると彼は思っていた。そうとしか見て、感じてはいなかった。
手段は何でもよかった。育成や栽培は過程でしかなく、採集こそが目的であるから。
時折様子を見に、この場所へと訪れていた。
もしその時、適っていれば――彼の収穫は始まる。
薄膜にゆっくりと刃物を押し当て、吹き出す瞬間を弄ぶように摘み取っていく。
果実から吹き出す瞬間を最大限に感じ観賞するために、ゆっくりと、確実に刃を挿しこむ。
ちぎり取った〝部品〟を積み上げ、それを種子として憎悪を構築する。
時折ただ欠けたものを虫のような瞳で見つめ、爛々と輝く目と吊り上がった口が嗤う。
人の持つ満足とは異なる感情。
赦されることなき所業を機械的に行い、呼吸として愉悦を喰らう。
食という生存行為ではなく、虚飾という余剰の慰めであるならばそれは純粋な邪悪である。
それこそが男の真の姿だった。
数時間前までは。
複数の遮光板を繋げたような鉄仮面から漏れるのは、まだ学生と呼べるような年若さの声色だった。
「まあーこんなもんか」
「ぐっ……ぐぐ、がはっ……!」
体は無理な体勢に捻じられ、さらに頭を踏みつけられていた。
「げえ……はあ……う……」
瀕死のまま蟻に内臓を貪られるカエルのように喘ぎ、その顔は歪んでいた。
すでに表情には余裕のかけらも見えず、必死にもがき、絞られた脂汗が絶えず滴っていた。
えげつない角度に関節をぎりぎりと締め上げるのは、うら若き少女の姿のようだ。
ほっそりとした身体には不釣り合いな〈隠密機甲D装備〉と呼ばれる戦術鎧。
装着者によって各部をカスタムできるユニットボルトが少女の影を、非対照な悪魔のように描いていた。
真新しくはないが、よく使い込まれている。
致命傷に備えた部位の護符は古く色褪せ、交換されているのは、すべて消耗品に等しい身体の芯を外れたものばかりだった。
今回に至っても表面外殻を越えた損傷は見られなかった。備えとしている以上の意味はないのだろう。
膨らんだままのホルスターやポーチは多く残され、内蔵器もほとんどが使用された形跡はなかった。
余裕。それが何よりも如実に語っていた。
純粋に剣と魔術の力だけで、少女はこの〈ゼ・トトガリ〉を壊滅させたのだ。
「オートニールの野郎の動きはなかったはずだ……」
わずかに浴びた血飛沫と汗は光を浴びて鈍い光沢を放つ。
赤と黒の宝石を纏う死を統べる女王――エトリは恍惚と笑っていた。
「くっ……何故だ――」
体格差としては決して覆らないはずはないのだが、それでもエトリには全くと言っていいほど効果はない。縫い付けられた身体を眼球だけが這いまわる。
侵入者用の隠し武器もトラップも無効化されていた。
砦に潜む部下の気配もない。丁寧に全滅させられたのだろう。チェックメイト。
それでもなお、もがこうとする〈ゼ・トトガリ〉の頭目をぞんざいに、面倒くさそうに拘束するエトリ。
見下ろした瞳が交差する。
一瞬ため息をついたように揺れた。それでも油断は一切ないが。
――。
「……!」
一瞬僅かにエトリの視線が逸れた。
それこそが最後のチャンスなのは疑いようがない。
死力を尽くせ。今、ここで生存の為の、取れる手段をすべて洗い出せ。
だが彼我の差は歴然。魔術師としての腕では、彼ではエトリを破れない。
ならばもう一つの仮面。武器商人としての術ならば――!
開発中の兵器。まだ誰も知らないはずのものがある。
それが――緊急時に用意していた体内の魔力砲を展開。
発射までの僅かなタイムラグを持たせるため、全方位に斬撃を投射する虚空の刃を展開。
「一緒に流星を落とそうぜ――爆哮」
男の体内から突き出た銃口と刃が、体諸共を破壊しながら光の収束を始める。
「うるさい。いい加減あきらめろ」
エトリは涼やかに剣を抜きながら紫電を放った。
長く鋭く伸ばされた極細の雷の糸は、銃口と刃をすべて縫い貫き、最後に床へと打ち込まれた。
「影を止めた。これですべての武器は発動しない――」
そのまま剣を躊躇いなく、男に刺した。
音もなく首筋に深々と突き立てられた刃は皮膚を破るのではなく、溶けるように霧散した。
「く、おお……このまでは……お、わ……」
苦悶ではなく衰弱するかのように男はばったりと動きを止め、静かになった。
刺したのは吸魔剣。
特に〈套紋〉に対し相克するような性質を持ち、結果的に強制的な魔力欠乏による麻痺を起こさせることができる。
暫くは屈辱を味合わせながら、下らない尋問でも行ってもよかったが、事情が変わった。
〈ゼ・トトガリ〉たちが根城としている、この砦跡の周辺に残してきた感覚に報せがあった。
何かが接近しているようだ。
「あれ……」
エトリは数秒前とはまるで違う、年相応の少女の顔つきでわずかな焦りを見せていた。
遠隔的な聴覚が音声を拾っていた。
この声には聞き覚えがある。多分この声は――
2018/09/17【投稿】お久し(略
2018/10/07【修正】演出的に色々変更。内容は同じ