番外編 大根王妃のその後
題名通り、果竪が戻った後の凪国でのお話です。
背後で扉が閉まる音が聞こえる。
辺りを包み込む光が強さを増し、扉が消えていくのが分かった。
それを肌で感じながら、果竪はゆっくりと目を開けた。
「果竪っ!」
ぐいっと伸びてきた手に引っ張られ、果竪はその胸に転がり込む。
どんっとぶつかった固い胸に痛みを覚えながらも、ぎゅうぅぅと体が締め付けられて動けない。
「い、イタタタっ」
「イタタじゃないよ! 全く!」
そう叫ぶのは、天使よりも麗しく可憐な美貌と名高い果竪の友神――朱詩。
身震いする程の色香をダダ漏れにし、白い肌と朱色の長い髪のコントラストが何とも美しい。
これで男の子なんてあり得ない、と女なら誰もが嘆き悲しむだろう。
「朱詩、痛いって!」
腕の中で暴れるが、絞める力は全く緩まない。
所詮見た目は女の子でも中身は男という事か。
そんな事を考えていると、果竪の足が地面から浮き上がった。
「へ?」
「もう!! 一神で飛び出しちゃう果竪なんてお仕置きしちゃうからっ!」
「はいぃぃぃっ?!」
お仕置きって何?!
しかし、ぷんぷんと可愛らしく頬を膨らませる朱詩はどこか嬉しそうに果竪を肩に担ぎ上げて歩き出した。
★
「それで、一週間外出禁止ですか」
「でも、それで良かったじゃないですか」
宥める涼雪と梅香に果竪は頬を膨らませた。
「良くない」
涼雪と梅香が顔を見合わせ、困ったように微笑む。
かたや宰相夫人となった涼雪。
かたや、筆頭書記官の婚約者となった梅香。
王妃の間に入る事を赦された数少ない二神に慰められつつも、果竪は自分の身に起きた事に不満を覚えていた。
確かに、一神で抜け出した。
確かに、周囲が止めるのも聞かずに一神で人間界に降りた。
けれど、あと少し遅れてたら間に合わなかった。
あの時、周囲を振り切ったからこそ間に合ったのだ。
遙か昔、あの悪辣な獣達から美琳を助けたように、咲を助ける事が出来た。
あそこで悠長と周りを待っていたら咲はとっくの昔に死んでいただろう。
「それでも、果竪は王妃だから」
「うん」
涼雪と梅香の言葉に果竪は膨らせた頬から空気を抜く。
「確かに、そうだけど」
炎水界でも一、二を争う大国――凪国の王妃。
それが果竪の嘘偽りない素性である。
本来であれば王宮の奥深くで生活し、外に出る事は殆どない。
が――、それは既に過去の事となり、実は結構外に出かけている果竪。
いわゆる、お忍びだ。
ただし、その時には必ず上層部の誰かが一緒に行くことになっているが。
「明睡様もとても心配なさっていましたよ」
「泣いてた」
ヘタレ――という言葉がその時果竪の中によぎったとかよぎらなかったとか。
「朱詩様も、とても心配してた」
「元寵姫組の方達が宥めるのにとても苦労してましたしね」
その姿が目に浮かぶようで、果竪は後で元寵姫達に謝りに行くことを決めた。
元寵姫達こと元寵姫組。
あの地獄の様な煉国から助け出された後、彼らは凪国にて新たな生活を始めた。
そしてその多くが王宮へと勤めた。
だが、それが果たして彼らにとって良かったのかどうか――。
上層部に、いや、特に明燐と朱詩の暇つぶしの玩具として遊ばれている彼らを見ると――。
「不憫だよね」
「うん」
果竪と梅香が同時にため息をついた。
「そういえば、葵花は居ないの?」
茨戯の愛妻の名に涼雪がコクンと頷く。
「はい、その、えっと」
涼雪の言いよどむ様子に果竪は何となく理解した。
きっと、茨戯と一緒に寝台の上だと。
いつの間にか夫婦となっていた二神。
だが、周囲の祝福とは裏腹に、葵花は離縁を望み、茨戯はそれを拒否する。
一体結婚の時に何があったのか?
ただ、ロクデモナイ事だけは確かだ――と、萩波がため息をついていたのを思い出す。
「でも、咲が助かって本当に良かったですね」
会話を変える様に、けれど心からの涼雪の言葉に果竪も笑顔で頷いた。
「うん、本当に良かった。それに、『香奈』に手を下させなくて……」
「果竪……」
「あ~、本当はね、もう少し居てあげたかったんだよね」
せめて、もう少し。
今回の件が終わるぐらいまでは。
でも、神である事はまだしも、一国の、それも大国の王妃である果竪が長く人間界に無許可で留まる事は赦されない。
いや、もし許可を得られたとしても、果竪はやはり香奈の傍に長くは居られない。
香奈を守る為にも、香奈の存在に気づかれない為にも、『果竪』が傍にいる事は赦されなかった。
昔はこんな事はなかったというのに――。
悠久の彼方に眠る記憶を呼び覚ます。
全てではないが、覚えている。
あの頃は、何の制約もなしに弟妹達と共に日が暮れるまで駆け回った。
「果竪……」
愁いの表情でため息をつく果竪に涼雪は心配そうに声をかけた。
まるで、今すぐどこかに飛び立ってしまいそうな――そんな気がしてならない。
「ん? どうしたの? 涼雪」
「……どこにも、いかないですよね?」
「涼雪?」
涼雪が手を伸ばし、果竪を抱き締める。
きゃっと声が上がるのを無視して、涼雪は果竪を抱き締め続けた。
温かい。
温かくて、柔らかい。
守りたかった温もり。
守れなかった温もり。
奪われて、連れ去られて。
そして最後には、終わりのない眠りについた。
もう二度と会えないと思っていた。
それが奇跡によって再会出来た。
「果竪」
「ん?」
「もうどこにも――」
そこで、涼雪は口を閉じる。
そう願いたい。
それを心から望む。
でも、それでは駄目だと気づいた陛下達。
それは涼雪達も同じ。
「どこにも行かないでと言っても、きっと果竪を止める事は出来ない。だから、せめて無事に帰ってきて」
どこに行っても、帰るべき場所はここ――。
「待っているから、ここで」
隣に居る梅香も頷く。
「ここでずっと、待ってる」
だから――。
「待っている神が居る事を忘れないでね」
無事に帰ってきて。
そう告げる涼雪に、果竪は目を見張る。
けれど、少しの間を置いてゆっくりと頷いた。
「当たり前だよ。だって――ここが私の帰る場所だもの」
その言葉に、涼雪が笑顔を浮かべた――その瞬間。
「果竪、御仕事終わらせたから遊ぼうっ!」
「ばっ! 朱詩、萩波よりも先に行っ」
「朱詩、良い度胸ですねぇ」
目にもとまらぬ速さで飛び交う術の応酬。
それでも瞬時に自分達に張り巡らされた結界に感嘆の溜め息を漏らす涼雪と梅香を余所に、果竪はため息をついた。
「神力、昔と同じく使用制限されたままの方が良かったかも」
「ですわねぇ」
ほぅっと、ちゃっかりと結界内に入り込んでいた明燐が艶やかに微笑む。
そして果竪の膝の上に、これまたちゃっかりと陣取る麗しき美姫――。
王妹の玉瑛が猫の様に喉を鳴らしながら義理の姉に甘えていた。
「おほほほ、本当にこうしていると大国の王と高官には見えませんわねぇ」
「明燐、感心してる場合じゃないって」
「陛下、おやめくださいっ!」
「朱詩様、どうか剣を収めて!」
遅れて駆けつけた明燐の夫である蓮璋、そして今では元寵姫組の幹部となっている秀静と来雅、悧按が慌てて自国の王と上司を止めにかかる。
が、たぶん無理だろう。
何せ、腐っても王と上層部だし。
「イッソノコト共倒れすればイイノニ」
そうすれば、愛しい義姉は自分のもの――。
「おほほほ、玉瑛様は本当に果竪の事が好きですのね」
「いや、そこ笑うとこじゃないし」
そんな果竪のツッコミは、その後起きた萩波と朱詩のぶつかり合った術が引き起こした爆発によって消えた。