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魔族に育てられた俺、 気づけば光と闇の境界に立っていた  作者: CYABUSAN(ちゃぶさん
第一章:父と子の物語(第1〜10話)

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五十八話 今度は、冷めないうちに

57話で、お茶は冷めきりました。


今回、夜が明けます。

「明日、ちゃんと話す」と決めた朝です。


でも——朝は、思っていた形では来ませんでした。

夜明け前。


居間の床に横になったまま、俺はほとんど眠れていなかった。

窓の外が、薄い藍色に変わっていく。

屋根の上では、ルシェが見張りを続けている。


窓際の椅子には、毛布を肩に掛けたセラが座っていた。

最後の見張りは、セラの番だった。


「……起きていますね」

小さな声が、降ってきた。


「……バレてるのか」


「呼吸の音が、眠っている人のものではありません」

セラは窓の外を見たまま、ふっと息を漏らした。

笑ったのかもしれない。


「今日、リナと話すのでしょう」


「ああ。何て言うかは、まだ決まってないけど」


「決まっていなくていいと思います」


セラは静かに言った。

「ルシェさんの言葉を借りるなら、分からないまま、持っていく、でしょうか」


「聞こえてたのか」


「屋根の上と庭の距離ですから」


目を開けると、セラがこちらを見ていた。

「私も、リナに謝りたいと思っていました。ですが——それは、きっと違うのでしょうね」


「セラが謝ることじゃない」


「分かっています。分かっていても、気になるものは、気になるんです」


セラは、ふいに視線を逸らした。

「私がそばにいることで、傷つく人がいる。……そんな可能性を、考えたことがありませんでした」


「セラ……」


「独り言です。忘れてください」

それ以上、セラは何も言わなかった。


窓の外の藍色が、少しずつ薄くなっていく。


その時、奥の部屋の戸が、小さくきしんだ。

ぺたり、ぺたり。

はだしの足音が、こちらへ近づいてくる。


(……リナだ)

反射的に、目を閉じた。

閉じてしまってから、しまった、と思った。


でも、もう遅かった。


足音は、居間の入り口で、ぴたりと止まった。


「……おはようございます」

リナの声は、ひどく小さかった。


「おはようございます、リナ」

セラが答えた。


「お茶を、淹れてきます」


「……はい」


「ハーブも、庭で少しだけ摘んできます。窓から見える場所にいますから」


「分かりました。ここから、見ています」


足音が、また動き出す。

そして、俺のすぐ傍で、止まった。


見られている。

閉じたまぶたの裏側でも、視線の重さが分かった。

息を止めないように、必死で呼吸を整える。


ふわり。

肩に、何かが掛けられた。


毛布の端が、そっと、俺の肩の上まで引き上げられる。

指先が、ほんの一瞬だけ腕に触れて——すぐに離れた。


「……風邪、ひかないでくださいね」

ささやくような声だった。


足音が、台所の方へ遠ざかっていく。


(……何で、起きなかったんだ)

目を開けなかった自分を、殴りたくなった。


「起きていたのに、よかったのですか」

セラが、静かに言った。


「……何て言えばいいか、まだわからなかった」


「そうですか」

責める声では、なかった。


「次は、起きましょうね」


「……ああ」


台所から、水を汲む音がした。


棚の戸を開ける音。

食器が、かちゃりと触れ合う。

湯を沸かす、鍋の音。

やがて、裏口の戸が、静かに開いて、閉じた。


「庭に出ました」


セラが、窓の外を見たまま言った。

「薬草畑の前に、しゃがんでいます。ここから、よく見えます」


「そうか」


「朝の光の中で、髪が、きれいに光っています」

その言い方が、少しだけ、寂しそうに聞こえた。


「……行ってあげてください」

セラが、振り返った。


「……寝たふりしてたの、バレてるよな」


「かもしれません」


セラは、少しだけ口元をゆるめた。

「それも含めて、そのまま話せばいいと思います。飾った言葉より、本当のことの方が、リナには届くはずです」


「……嘘は、つけないしな」


「ええ。だから、そのまま行ってください」


台所に入ると、湯気が、真っ先に目に入った。

鍋の湯が、静かに煮立っている。

机の上には、湯呑みが四つ。


その間に、折り畳まれた紙が、一枚。

何となく、手に取った。


紙の端が、少しよれていた。

何度も書き直した跡みたいに。


 昨日は、失礼な態度をとってしまって、ごめんなさい。


 お話の続きを、聞かせてください。


 お茶、冷めないうちに、どうぞ。


              リナ


丁寧な字だった。

最後の一行だけ、ほんの少し、字が大きかった。


(……冷めないうちに、か)

昨日の、冷めた湯呑みを思い出す。


美味かった、と言った俺に、リナは「嘘、つくの、苦手なくせに」と言った。

胸の奥が、じん、と熱くなった。


紙を、そっとポケットにしまう。


深呼吸を一つして、裏口の戸を開けた。

庭は、薄い朝霧に包まれていた。


薬草畑の前に、リナの背中が見えた。

髪を後ろで結んで、しゃがみ込んで、小さな手でミントの葉を摘んでいる。


足音を忍ばせて、近づいた。

「リナ」


返事は、ない。


「手紙、読んだ」

細い背中が、わずかに動いた気がした。


「それと——さっき、起きてた。寝たふりして、ごめん。毛布、ありがとう」

背中は、動かない。


「……昨日は、ごめん。いや、謝るのは、違うか。ちゃんと話そうって、決めてたんだ」

薬草の香りが、朝の風に混じって流れてくる。


「答えは、まだ持ってない。リナが何を言いかけたのか、分かってるつもりでも——返せるものが、今の俺には、ない」

自分でも、情けない言葉だと思った。


「それでも、逃げたくなかった。だから、話しかけた」


「……こっち、向いてくれないか」

やはり、返事はなかった。


まだ、怒っているんだろう。

当たり前だ。


しゃがみ込んだ肩に、そっと手を伸ばす。

指先が、触れた——


その瞬間。


リナの背中が、音もなく、白くほどけた。

白い花びらのような光が、ばっと散る。

「……っ」


何も、なかった。

薬草畑の前には、誰も、いなかった。

摘みかけのミントが、土の上にこぼれている。


「リナ……!?」

一拍遅れて、体が動いた。


「セラ! ルシェ!」

叫んだ声に、窓の中と屋根の上から、同時に反応があった。


「今、リナの気配が——私は、ずっと見ていたのに!」

セラが、裏口から飛び出してくる。


ルシェが、屋根から庭に飛び降りた。


「偽物だ! 触ったら、花びらになって消えた!」


「あたしだって、ずっと見てたんだぞ!」

ルシェは柵に駆け寄った。


留め具が、外側から開けられている。

爪で柵の木をなぞり、地面に鼻を近づける。


「足跡、二人分。軽い。まだ新しい」


鼻をひくつかせる。

「……甘い匂いが残ってる。眠らされたな。血は、流れてない」


ルシェの目が、街道の方角を向いた。

「匂いが続いてる。こっちだ!」


ルシェは、柵の柱を拳で殴りつけた。

鈍い音がして、ひびが走る。


「……逃がすか」

そのまま、地面を蹴って走り出した。

俺も、迷わず後を追った。


「ハエル、あの偽物は、私にも見抜けませんでした!」

並んで走りながら、セラが叫んだ。

「それほどの術です! 自分を責めないでください!」


「……分かってる!」

分かっていても、頭から離れなかった。


台所の音を聞いていた、あの数分。

目を開けて、「おはよう」と言えていれば、、、。


「後悔は、あとで!」

セラが、俺の肩を押した。


「今は、足を動かしてください!」


「……ああ!」


その時、背後から、杖の音と声がした。

「ちょいと待ち——いや、行きな!」


裏口から、バアサが顔を出していた。

「リナを頼むよ! お茶は、人数分、淹れて待ってるからね!」


「——はい!」

振り返らずに、叫び返した。


ルシェの背中を追って、裏道を駆け抜ける。

匂いは、薄い。

でも、途切れてはいない。


町の外れ、街道の脇に、古びた石の道標が立っていた。


「……ここで、消えてる!」

ルシェが、足を止めた。


「匂いが、この石の前で、ぷつんと切れてる!」


セラが、石の根元に滑り込んだ。

指先で、土と苔を払う。

「……ありました。転移の術式の、名残です」


石の足元に、白い円が刻まれていた。

細かい紋様が、円の中に並んでいる。


「古い形式です。行き先までは——」


「読めないのか!」


「……はい」


俺は、石の前に膝をついた。


『……俺なら、見えるぞ』

声が、した。

あの声だ。


『闇には、隠されたものが見える。この石の奥まで、辿れる』


(……黙ってろ)


『リナを、取り戻したいんだろう?』


(……お前の力を借りるんじゃない。俺が、自分自身の力でやる)


石の円に、掌を置く。

ルシェに教わった通りに、細い糸みたいに、闇を伸ばした。


背後で、セラが息を呑む気配がした。

手は、伸ばしてこない。

信じて、見ていてくれる。


闇が、石に吸い込まれた。

とくん、と何かが脈打つ。

円の中に、黒い線が浮かび上がった。

線は、一本の細い糸になって、石の奥から伸びていく。


街道の、北へ。


(……北だ)


『もっと流せ。糸の先まで、見えるぞ』


(……これ以上はまだ......)


『弱いな』

闇を指先に戻し、歯を食いしばって手を離す。


黒い線が、すっと消えた。

全身に、汗がにじんでいた。


「北だ! 糸が、北へ、ずっと伸びてた!」


「十分だ!」

ルシェが、もう走り出していた。

「方角が分かれば、追える!」


「私は、走りながら記録を思い出します!」


セラが、俺の隣に並んだ。

「この紋様、確か天界の古い記録で見たことがあります。教団が、巫女を迎える門として使っていたと」


「迎える……?」


「記録には、連れ去る、ではなく、迎える、とありました!」


その言葉に、胸の奥が、ざらついた。

(……迎える、か)

リナの意志を、最初からなかったことにする言葉だ。


北へ向かう街道を、全力で走った。

ポケットの中で、紙が、走るたびに、かさ、と鳴った。


『冷めないうちに、どうぞ』

(……冷めさせてたまるか)

あの湯呑みは、まだ、冷めきってなんかいない。

そう、思いたかった。



白い天井だった。


目を開けた時、リナは、そう思った。

体が、重い。

頭の奥が、ぼんやりしている。


(……お茶……)

最初に浮かんだのは、それだった。


(火、消さなきゃ……)

そこまで考えて、はっとした。


庭にしゃがんだ時、背後で、何かが、ふわりと香った。

甘い、眠くなる匂い。

そのあとの記憶は、ない。


柔らかい寝台。

白い壁。

窓には薄い白布が掛けられていて、外の景色は見えなかった。


手の甲を、そっと見る。

何も、浮かんでいなかった。


(……手紙、読んで、もらえたかな)

あの人は、お茶を、飲んでくれただろうか。


冷めないうちに。


そう書いたのに。

胸の奥が、きゅっと縮んだ。

その理由は、考えないことにした。


扉の向こうで、低い声が、重なった。

「——間違いありません。反応は、確かに」


「慎重に。決して、傷をつけてはならぬ」


「ええ。我らが、長きにわたり待ち望んだ、巫女様なのですから」

声の主は、どこか、うっとりしていた。


敬うような、祈るような。

それが、かえって、恐ろしかった。


扉が、ゆっくりと開く。

白い外套の人影が、柔らかな光を背に、立っていた。


「お目覚めですか、巫女様」

穏やかな、優しい声だった。


「どうぞ、ご安心を。あなたは、ようやく——」

微笑む気配が、した。


「あなたの居場所に、お帰りになられたのです」

58話、読んでくださってありがとうございます。


リナの置き手紙は、書き直した跡が残るほど、何度も丸められていました。

最後の一行だけ字が大きかったのは、そこだけは、迷わず書けた言葉だったからかもしれません。


「次は、起きましょうね」

そう言ったセラも、ハエルも、「次」は当たり前に来るものだと思っていました。


次回、三人は北へ走り続けます。


またお会いしましょう。

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