↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔族に育てられた俺、 気づけば光と闇の境界に立っていた  作者: CYABUSAN(ちゃぶさん
第一章:父と子の物語(第1〜10話)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/60

五十七話 見えない文字と、冷めたお茶

56話で、ハエルはセラと約束を交わしました。


その約束が、誰かの目にどう映ったのか。


今回は、父さんが遺した道具が動き出します。

そして——お茶が一杯、冷めていきます。

翌朝。

バアサは朝市へ出かけ、ルシェは「町で聞き込みをしてくる」と夜明け前に家を出た。


残ったのは、俺とセラとリナの三人だった。


居間の机に、布を解いた未完成の道具を置く。

刃のような部分と、紋様の刻まれた柄。

昨夜遅くまで文献を読んでも、分かったことは一つだけだった。


「……やはり、この術式は途中で切れています」

セラが、柄の根元を指でなぞった。


「完成させるには、何かが足りません」


「その何かが、分からないんだよなあ」


「ええ。文献にも、そこだけ記述が見つかりません」

セラは悔しそうに息を吐いた。


台所の方から、湯を沸かす音がする。

リナは朝から、いつもより少しだけ口数が少なかった。


でも「おはようございます」と笑った顔は、いつも通りだった。

だから、それ以上は聞かなかった。


「……ちょっと、試していいか」


「試す?」


「ルシェに教わった通りに、指先だけ。ほんの少し、闇を流してみる」


セラが、一瞬だけ俺の目を見た。

「……慎重に、お願いします」


「分かってる」

道具を手に取る。


ずしりと重い。

冷たい金属が、掌に馴染んだ。


目を閉じて、指先に意識を集める。


全身には広げない。

指先だけ。

細い糸みたいに闇を伸ばして、刃の面にそっと触れさせた。


その瞬間——


道具が、とくん、と脈打った気がした。

「……っ!」


闇が、すうっと金属に吸い込まれていく。

刃の平らな面に、黒い光の筋が走った。

筋は細い線になって、文字のように並びながら、浮かび上がっていった。


「セラ、これ——」


「どうしました?」

セラは、不思議そうに道具を見つめている。

「何も、見えませんが」


「光ってるんだ。刃の平たいところに、文字みたいなのが、びっしり」


「私には、ただの金属にしか……」


あの森の家の隠し部屋と、同じだ。

父さんは、ここにも仕掛けを残していた。

俺にしか見えない、文字。


「写すから、読んでくれ。紙と炭を」


「用意します」

セラが、すぐに羊皮紙と炭を持ってきた。

「見えた通りの形で構いません。私が、読みます」


「ああ」


闇を保ったまま、もう片方の手で、浮かぶ線を写していく。


一文字。


二文字。


三文字目を書き終えた時——


『……もっと流せ』

声が、した。


「……っ」


『そんな細い糸じゃ、続きは見えないぞ』


『もっと流せば、全部見える。簡単なことだろう』


(……うるさい)

指先の闇が、ほんの少し揺らいだ。

文字が、薄れていく。


「ハエル」


セラの手が、そっと俺の腕に重なった。

触れたところから、柔らかい光がじわりと染みてくる。

「そのままで。大丈夫です」


囁くような声だった。


「……例の、あれだ」

俺も、声を落とした。


「分かっています。ゆっくり、呼吸を」


光に支えられて、闇が静まっていく。

声が、遠のいた。

文字が、また濃く浮かび上がる。


(……助かる)


「あと少しだ」


「はい」

羊皮紙に顔を寄せて、二人で、額が触れそうな距離にいた。


そのとき——


食器が、小さく鳴る音がした。

顔を上げると、台所の入り口にリナが立っていた。


お盆の上の湯呑みが、かたかたと小さく揺れている。

リナの視線が、俺の腕に重なったセラの手を見て、俺たちの距離を見て、それから——逸れた。

唇を、噛んだ。


噛んだ唇が、すぐに、無理やり笑みの形に変わる。

「……お茶、置いておきますね」


「リナ、これは——」


「邪魔しちゃ、いけないので」

湯呑みを机の端にそっと置く指先が、わずかに震えていた。


リナは、自分の手の甲をちらりと見た。

あの日、光の紋様が浮かんだ場所だった。


今は、何も浮かんでいない。

その手を、ぎゅっと握りしめて、リナは背を向けた。

「洗濯物、見てきます」


足音が、庭の方へ遠ざかっていった。

セラが、弾かれたように手を引いた。


「……すみません。今のは——」


言いかけて、止まる。


説明しようとすれば、あの声のことを話さなければならない。

闇を使えること自体は、みんな知っている。

でも、闇が俺に囁きかけてくることは、セラにしか話していない。


みんなには言わない。

そう頼んだのは、俺の方だった。


「……セラのせいじゃない。俺が、頼んだことだ」


「ですが……」


湯呑みから、細く湯気が立っていた。

リナが飲み込んだ言葉を、俺は、まったく分からないわけじゃなかった。

分かっているのに、返せる答えを持っていなかった。


答えのないまま追いかけるのは、違う気がした。

だから、立ち上がれなかった。


セラも、何も言わなかった。

自分の掌を見つめたまま、じっと動かなかった。


それから、俺たちは黙って羊皮紙の続きを写し続けた。

湯呑みの湯気は、いつの間にか、見えなくなっていた。


昼過ぎ。


ようやく写し終えた紙を前に、セラが眉を寄せた。

「……写せたのは、三行だけですね」


「それ以上は、闇を深く流さないと見えなかった」


刃の面には、まだ下の方に、ぼんやりとした線の影が残っている。

でも、指先の闇だけでは、あれが限界だった。


「読めるのか」


「天界の古い書き方です。……ええ、読めます」

セラは、炭で書かれた線を一行ずつ辿った。


「『この刃は、光のみにては、鞘に収まらず』」


「……」


「『闇のみにては、鞘より抜けず』」

声に出して読んで、セラはそこで言葉を止めた。


「三行目は?」


「写した線が乱れていて、読めません。闇が揺らいだ時のものです」


あの声に気を取られた、あの一瞬。

「光だけでも、闇だけでも、駄目ってことか」


「そう読めます。それと——」

セラは、柄から刃の根元までを、もう一度見渡した。

「この道具には、鞘がありません」


「……未完成なのは、そっちか」


「かもしれません。確証は、ありませんが」


光と闇。

両方を必要とする刃。


俺は、自分の胸元に手を当てた。

「最初に会った日、セラが言ってたよな。俺の中には、光と闇の反応が、両方あるって」


「ええ」

セラは、俺の目をまっすぐ見た。

「偶然とは、思えません」


「続きを読むには、もっと深く、闇を流さないといけない」


「……無理は、させません」

セラは静かに言った。

「あの声が、また強くなるのでしょう」


「ああ。だから、まだやらない」


あの声は「もっと流せ」と囁いた。


あの先に、続きがある。

でも、あの声に頷いた先に何があるのか、俺はまだ知らない。


その時、玄関の戸が乱暴に開いた。


「戻った」

ルシェが、肩で息をしながら居間に入ってきた。


「収穫は?」


「道具に詳しい奴なんて、いやしなかった。町中、回ったけどな」

ルシェは、机の上の道具に目を留めた。


「……それ」


「ああ。さっき、少し反応があった」


ルシェは道具に鼻を近づけて、眉をひそめた。

「……そうか。思い出した」


「何を」


「この魔力、どこで嗅いだか、ずっと引っかかってたんだ」


ルシェは顔を上げて、俺を見た。

「お前だ。お前の闇に混じってる、あの変な気配と、同じ匂いがする」


「俺の……?」


「混ざり方まで、そっくりだ」


道具を、指先で小突く。

「ハエルの父親が作ったもんなら、同じ匂いでもおかしくない。……けど、道具に染み込んだ匂いと、人間の中に混じってる匂いが同じってのは、普通じゃない」


「それって……」


「まだ、分からない。分からないことは、言わない」


バアサは言っていた。

父さんは、俺に何かを分けてくれたんじゃないか、と。

もしそれが本当なら——この道具と、俺の中にあるものは、同じ手から生まれたのかもしれない。


「それと」

ルシェの声が、少し低くなった。

「町で、気になるもんを見た」


「気になるもの?」


「白い外套を着た旅人が二人。先週から、同じ宿に泊まってる」


「それだけ、ですか」

セラが聞いた。


「何もしてない。金払いもいい。ただ、やたら静かなんだ」


ルシェは腕を組んだ。

「窓から、一日中、同じ方角を見てる」


「どちらの方角ですか」


「町外れだ」


町外れ。

つまり、この家のある方角。


セラの顔から、血の気が引いた。

「……白い装束」


「知ってるのか」


「教団の記録に、そういう装いの記述があります。確証は、ありませんが」


「ありえるな」

俺は立ち上がった。

「リナを、一人にしない方がいい」


「あたしは、夜は屋根で見張る。ハエルとセラは、交代で家の中だ」


「リナには、俺から話す」


「私が——」


「いや、俺が話す」


セラが何か言いかけて、飲み込んだ。

その意味を分かった上で、俺は首を振った。


「さっきのことも、ある。俺から話した方がいい」


夕方。


庭の物干しから洗濯物を取り込むリナの背中に、声をかけた。

「リナ」


「……はい」


リナは、振り返らなかった。


シーツの端を、きっちり揃えて畳んでいる。

必要以上に、丁寧に。


「お茶、飲んだ」


「……え?」


「冷めてたけど、美味かった」

リナの手が、止まった。


「冷めたお茶が、美味しいわけ、ないじゃないですか」


「美味かったよ」


「……嘘、つくの、苦手なくせに」


小さな声だった。

ほんの少しだけ、笑ったようにも聞こえた。


でも、すぐに手は動き出した。

「何か、ご用ですか」


声が、一段、硬くなった。


「ルシェが町で、白い外套の二人組を見たらしい。教団かもしれない」


リナの肩が、小さく跳ねた。


「だから、しばらく一人で出歩かないでほしい。家の中でも、できるだけ誰かと一緒に」


「……護衛、ですか」


「そうじゃなくて、心配で——」


「心配、してくれるんですね」


リナは、初めて振り返った。


笑っていた。

目だけが、笑っていなかった。


「ハエルさんは、誰にでも、そう言うんでしょうね」


「……何だよ、それ」

自分でも驚くくらい、強い声が出た。


「心配して、何が悪いんだ」


「悪くないです」


リナは、すぐに言った。

「何も、悪くないです。……何も悪くないから、困るんです」


その声が、細く震えた。

リナは、洗濯物の入った籠を胸に抱きしめた。


指先が、白くなっている。

唇を、強く噛んでいた。


「リナ、俺は——」


「みんな、大事、なんですよね」


先回りするような声だった。

「分かってます。ハエルさんが、そういう人だって」


「……ああ。みんな、大事だ」


嘘じゃなかった。

嘘じゃなかったから、余計に、言ってはいけなかった気がした。


リナは、小さく頷いた。

「……ですよね」


その頷きが、ひどく静かだった。


「失礼します」

深く、頭を下げられた。


こんなに丁寧なお辞儀を、リナからされたのは初めてだった。

俺が何か言うより先に、リナは籠を抱えて、家の中に消えた。

戸が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。


庭に立ち尽くしたまま、動けなかった。

追いかければ、何かを言わなきゃいけない。


でも、リナの気持ちに返せるほどの答えを、俺はまだ持っていない。


持っていないのに追いかけて、何かを言うのは——

それこそ、いちばん無責任な気がした。


夜。


家の裏手に出ると、屋根の上から声が降ってきた。

「追わなかったな」


見上げると、ルシェが屋根の縁に腰かけていた。


「……聞いてたのか」


「聞こえただけだ」


「そうか」


「追わなかったのは、悪くない」


「そうか?」


「今のお前が追ったら、何か言うだろ。ろくでもないことを」


「……否定できない」


ルシェが、ふっと息だけで笑った。

「ただし」


声が、少しだけ真面目になる。

「逃げるなよ。明日、ちゃんと話せ」


「何て言えばいいか、分からないんだ」


「答えがないなら、ないままでいい」


ルシェは夜空を見上げたまま言った。

「分からないなら、分からないまま持って行け。誤魔化すより、そっちの方がずっとましだ」


「……ルシェ」


「あたしは、こういうの、向いてないけどな」


それだけ言って、ルシェは屋根の上に寝転がった。

「見張りは任せろ。お前は、少しでも休め」


家の中に戻る途中、リナの部屋の前を通った。

扉の隙間から、細く灯りが漏れている。


ノックしようと手を上げて、そのまま、下ろした。


(……明日だ)

そう自分に言い聞かせて、居間へ戻った。

その夜、リナの部屋の灯りは、いつもより遅くまで消えなかった。


同じ頃。


町外れの丘の上から、二つの白い影が、小さな家の灯りを見下ろしていた。

白い外套が、夜風に揺れる。


「……間違いない。反応は、あの家だ」


「覚醒した巫女の気配は、隠しきれないものだな」


「連れが厄介だ。天使と、魔族が一人ずつ」


「屋根の魔族に気づかれてはいないな」


「術は、抜かりない」


一人が、静かに言った。

「さっき、庭で揉めていた」


「ああ」


「ああいう時、人は、輪から離れたがる」


もう一人が、低く笑った。

「あの娘は、必ず一人になる。そこを待てばいい」


家の灯りの一つが、ふっと消えた。

白い外套は、音もなく、夜に溶けた。

57話、読んでくださってありがとうございます。


次回、夜が明けます。


またお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。