四十八話 声が、聞こえる
47話で、セラを取り戻しました。
今回は、その帰還を祝う話です。
でも——賑やかな時間の裏で、
ハエルの中で、何かが静かに動き始めています。
ガルドの廃墟に戻ると、ガルドは驚いた顔をした。
「……無事だったか」
「ああ。セラも取り戻した」
セラが一歩前に出た。
「ご心配をおかけしました」
ガルドはしばらくセラを見て、それから頷いた。
「……よかった」
短い言葉だった。
でも——その声には、確かな安堵があった。
ガルドの視線が、リナに移った。
その目が、少し止まった。
「……その耳と尻尾は、なんだ」
「あ……」
リナは慌てて頭に触れた。
まだ、犬耳が残っていた。
「わ、私にも分からないんです……! 天界で急に……」
「急に、生えたのか」
「はい……!」
ガルドは少し眉をひそめた。
「……普通のことじゃないな」
「巫女の血、かもしれません」
セラが静かに言った。
「天界の古い記録に、そういった血統の話がありました」
「巫女……」
ガルドは少し考えた。
「聞いたことがある。神がああなる前、そういう存在がいたと」
「詳しいことは、分かりません。でも——リナの力が、結界を砕きました」
「……それは、すごいことだぞ」
ガルドがリナを見た。
「すごいことだったの、私……?」
「当然だ。第二階梯の結界を、正面から破ったんだからな」
「……そう言われると、実感が」
リナは自分の手を見た。
「……まだ、よく分かってないです」
「無理もない」
ガルドは静かに言った。
「……いずれにせよ、無事でよかった」
「ありがとうございます」
「あと鍵、使わせてもらった。ありがとう」
「……役に立ったならよかった」
「上には、侵入者に奪われたと報告する」
「……それでいいのか」
「問題ない。天界の記録上、鍵の紛失は珍しいことじゃない」
ガルドは涼しい顔で言った。
「他の騎士も、似たようなことをしている」
「……そうなのか」
「表向きの規律と、実際の運用には差がある」
ガルドはそれだけ言って、話を切り上げた。
「……それより、無事に戻れたことの方が重要だ」
その言葉に、リナが目を潤ませた。
「ガルドさん……」
「……なんだ、その顔は」
「なんでもないです」
リナは慌てて袖で目元を拭った。
ガルドは少し戸惑ったように、視線をそらした。
「……騎士に、そんな顔を向けるな」
「ガルドさんが優しいこと言うからです」
「優しくは言っていない」
「言いました」
「事実を言っただけだ」
「それが優しいんですよ」
ガルドはそれ以上言い返さなかった。
代わりに、少し不器用な仕草で、リナから視線をそらしたまま酒を注ぎ足した。
セラが静かに言った。
「……ガルドさんは、そういう人なんですね」
「どういう人だ」
「優しさを、優しさだと自覚していない人です」
「……余計なお世話だ」
ルシェが小さく笑った。
「賑やかだな、お前ら」
「ルシェさんも一緒に笑ってましたよ!」
「……笑ってない」
「笑ってました!」
セラが静かに言った。
「……本当に、賑やかですね」
その声に、深い安堵が滲んでいた。
夜、ガルドが用意してくれた食事で、ささやかな祝いをした。
「セラが戻ってきたお祝いです!」
リナが明るく言った。
「……祝うほどのことでしょうか」
「祝うほどのことです!」
「……そうですか」
セラは少し照れくさそうに笑った。
ガルドが静かに酒を注いだ。
「……騎士は本来、任務中に飲まないものだが」
「今日は特別か?」
「……特別だ」
四人と一人で、食事を囲んだ。
笑い声が、廃墟の中に響いた。
俺もその輪の中で笑っていた。
でも——
(……なんだ、これ)
胸の奥で、何かがざわついていた。
食事の味が、途中から分からなくなった。
「ハエルさん?」
リナが気づいた。
「……大丈夫だ」
「顔色、悪いですよ」
「疲れてるだけだよ」
「今日は無理しないでくださいね」
「……ああ」
俺は笑って見せた。
でも——胸の奥のざわつきは、消えなかった。
その夜、みんなが眠った後だった。
俺は一人、廃墟の外に出た。
夜風が、頬に冷たかった。
(……なんだ、これ)
胸の奥から、何かが滲み出てくる感覚があった。
暴走の時とは違う。
もっと——静かで、粘着質な感覚だった。
『……もっと、使えばよかったのに』
「……っ」
声が、聞こえた。
自分の声じゃない。
でも——自分の中から聞こえた。
『あの時、もっと闇を出せば、楽に勝てたのに』
「……誰だ」
『お前の中にいる、お前自身だよ』
腕に、じわりと黒い模様が浮かんだ。
(……止まれ)
止まらなかった。
『楽になりたいだろ。もっと力を出せば』
「……うるさい」
『……本当に、うるさいと思ってるのか?』
その声は、どこか嬉しそうだった。
『本当は、もっと知りたいだろ。この力の本当の姿を』
「……違う」
俺は歯を食いしばった。
(怖がれ)
(ルシェが言ってた。怖がるのが歯止めになるって)
でも——怖いという感情が、今日はうまく掴めなかった。
『……ほら。もう、迷ってるじゃないか』
「……っ、くそ……!」
膝から、崩れ落ちそうになった。
腕全体が、黒く染まりかけていた。
爪が、伸びかけていた。
(……戻れ)
(戻らないと)
「……ハエル?」
声がした。
振り返ると——セラが立っていた。
「……セラ」
「……その腕」
セラは俺の腕を見た。
黒い模様が、まだ消えていなかった。
「……なんですか、それ」
「……なんでもない」
「なんでもなくないです」
セラは俺の前に立った。
「……食事の時から、様子がおかしいと思っていました」
「……気づいてたのか」
「顔色が、変わっていましたから」
セラは俺の腕をじっと見た。
「……何が、起きたんですか」
俺は少し黙った。
「……分からない。急に、声が聞こえて」
「声?」
「……もっと使えとか、そういう」
セラの表情が、強張った。
「……今、初めてですか」
「ああ」
「……そうですか」
セラは少し考えた。
「みんなには、言わない方がいいですか」
「……頼む」
「分かりましたみんなには、言いません。あなたが言いたくないなら」
「……ありがとう」
「でも——」
セラは俺の腕に、そっと手を触れた。
光が、優しく広がった。
黒い模様が、少しずつ引いていく。
「その代わり」
セラは俺を見た。
「苦しい時は——私に、そばにいさせてください」
「……セラ」
「一人で抱えないでください。あなたが、前に私に言ってくれたことです」
その言葉が、胸に静かに落ちた。
「……分かった」
腕の模様が、完全に消えた。
「……ありがとう、セラ」
「お礼を言われることでは——」
「言わせてくれ」
セラは少し笑った。
「……分かりました」
夜風が、二人の間を通り抜けた。
「セラ」
「なんですか」
「……この声、何なんだろうな」
セラは少し考えた。
「……分かりません。でも」
セラは俺の胸に、そっと手を当てた。
「あなたが負けなければ、それでいいと思います」
「負けないよ」
セラは静かに微笑んだ。
「私が、そばにいますから」
その言葉が、夜の中で静かに温かかった。
二人は、しばらくそこに立っていた。
星が、いつもより近く見えた。
48話、読んでくださってありがとうございます。
セラの帰還を、みんなで祝いました。ガルドの不器用な優しさ、リナの犬耳と尻尾への戸惑い、ルシェの小さな笑い。
でも——その裏で、ハエルの中に新しい何かが芽生えていました。
初めて大きく力を引き出したことの反動。声として現れた、闇の一部。「もっと使え」という誘惑。
セラだけが、それに気づきました。「みんなには言わない」という約束と、「苦しい時はそばにいさせてください」という条件。二人だけの秘密が、また一つ増えました。
この声が今後どうなっていくのか——まだ分かりません。
またお会いしましょう。




