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魔族に育てられた俺、 気づけば光と闇の境界に立っていた  作者: CYABUSAN(ちゃぶさん
第一章:父と子の物語(第1〜10話)

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38/50

三十八話 雨宿りと、薄い壁と

37話で、ガルドと戦いました。

今回は少し落ち着いた回です。

でも——四人の距離が、また少しだけ変わります。

朝から曇っていた。


「雨になりそうですね」

リナが空を見上げながら言った。


「野営は無理か」


「……雨の中は厳しいです」


「宿は使えないし」


「あるかもしれません」

セラが静かに言った。

「ザイルの情報網は、大きな町に集中しています。小さな村なら、まだ伝わっていない可能性があります」


「じゃあ小さな村を探すか」


「ええ。この先に、地図にも載っていないような小さな集落があるはずです」


「地図にも載ってない村を知ってるのか?」


「天界の調査記録に残っていました」


「……さすがだな」


「情報収集は調査員の基本です」


ルシェが小声で俺に言った。

「……天使って、なんか調査員のことになると急に張り切るな」


「仕事だからじゃないか」


「……それだけじゃない気がするけど」


「聞こえています」


「……」


「でも、否定はしません」

セラは少し間を置いた。

「……調査をしている時だけ、天界にいた頃の自分に戻れる気がするので」


その言葉が、少しだけ重かった。

ルシェは何も言わなかった。

俺も何も言わなかった。


でも——セラが少しだけ、自分の話をしてくれたことが、なんとなく嬉しかった。


昼前に、小さな村に着いた。

本当に小さかった。

家が七軒。井戸が一つ。市場もない。


でも——宿が一軒だけあった。


「ここなら大丈夫そうですね」

リナが安心したように言った。


宿の女将さんは、人の良さそうな老婆だった。

「あらまあ、若いお客さんたち! いらっしゃい!」


「一晩お願いできますか」


「もちろん! ただ——」

女将さんは少し申し訳なさそうな顔をした。

「空き部屋が二つしかなくて。どちらも二人部屋なんですよ」


「二部屋で四人……」

リナが少し考えた。


「女性二人と男性二人で分かれましょうか」


「ルシェさんと私、ということですね」


ルシェは少し黙った。

「……それでいい」


「じゃあ俺とセラが——」


「待ってください」

セラが静かに言った。

「私は女性です」


「……そうだった、すまない」


「……ハエルさんとルシェさん、ということですね」

リナが言った。


「……」

ルシェが俺を見た。


俺もルシェを見た。

「……問題あるか?」


「……ない」


「ならいい」


女将さんが微笑んだ。

「仲良しさんたちねえ」


「「仲良しじゃない」」

俺とルシェが同時に言った。


リナが小さく笑った。


部屋に荷物を置いた後、リナが言った。

「お風呂、使っていいそうですよ! 順番に入りましょう!」


「順番は?」


「私とセラさんが先に——」


「……待ってください」

セラが手を挙げた。

「お風呂とは、何ですか」


「え?」


「体を洗う場所のことですか」


「そうです! お湯が張ってあって、体を温めながら洗えるんですよ」


「……温泉とは違うんですか」


「少し違います! 温泉より小さいですが、一人でゆっくり使えます」


「……一人で」

セラは少し考えた。

「一人で使うものなんですか」


「そうですよ!」


「……天界では、体を清める時は光魔法を使うので、場所は必要ありませんでした」


「じゃあ初めてですね!」


「……はい」


「楽しみにしていてください! 気持ちいいですよ!」


セラは真剣な顔でメモの仕草をした。

「お風呂。一人で使う温泉。気持ちいい。記録しました」


リナが笑った。

「記録することじゃないですよ!」


「でも記録します」


ルシェが小声で俺に言った。

「……天使って、ほんとにそういう生き物なんだな」


「慣れた」


「……あたしはまだ慣れてない」


「そのうち慣れる」


「……そうか」


リナとセラが先にお風呂に入った。


俺とルシェは部屋で待っていた。

「……静かだな」


「そうだな」


「訓練でもするか」


「部屋の中で?」


「頭の中でやる訓練だ。ガルドの動きを思い出せ」


「……ああ、あの時か」


「次に会った時、同じ手は通じない。でも——砂をかける、目を見る、という基本は使える」


「ガルドは次、砂を警戒してくるかもな」


「なら砂を出す動作だけして、別方向から攻める」


「フェイントか」


「そう。でも——」

ルシェは少し間を置いた。

「あいつは前回より本気で来る。力の差は埋まってない」


「……分かってる」


「暴走に頼らず、なんとかできるか」


「……やるしかない」


ルシェは俺を見た。

「……折れないやつだな、お前は」


「父さんにそう育てられたから」


ルシェは少し黙った。

「……そうか」

それ以上は言わなかった。


でも——その目が、少しだけ柔らかくなった気がした。

その時だった。


隣の部屋から、リナの声が聞こえた。

「きゃっ!」


「どうした!?」

俺は思わず立ち上がった。


「だ、大丈夫です! ちょっと石鹸が滑っただけで……!」


「怪我は?」


「ないです! ……でもドアが……」


「ドアが?」


「ちょっと開いちゃって……!」

俺は思わず目を向けた。


隣の部屋のドアが、少しだけ開いていた。

湯気が漏れている。


「っ……!」

俺は即座に視線を背けた。


「……今、見たか」

ルシェが静かに聞いた。


「見てない!」


「顔が赤いけど」


「湯気のせいだ!」


「ドアから湯気が来てるだけで顔が赤くなるのか」

ルシェは小さく鼻で笑った。

「……ドア、閉めてあげろよ」


「え?」


「目を閉じて、手だけ伸ばせばいい」


「……」

俺は目を閉じたまま、壁沿いに歩いた。

「リナ、ドア閉めるぞ」


「あ、は、はい……! ありがとうございます……!」


手探りでドアを引いた。

かちっと閉まった。

「……閉めた」


「ありがとうございます……!」

リナの声が、ドア越しに聞こえた。


「本当に見てないか?」


「見てない!」


「……なんで目を閉じながら顔が赤いんだ」


「うっさい!」


ルシェが声を出して笑った。

小さく、でも確かに声を出して笑った。


それが珍しくて、俺は思わず振り返った。

「……笑うなよ」


「笑ってない」


「笑ってたぞ」


「……少しだけ」


「少しって何だよ」


「……ちょっとだけ面白かった」


「どこが」


「全部」


「……うっさい」

俺は顔を背けた。


でも——ルシェが笑うのを見たのは、初めてだった気がした。

お風呂の後、四人で夕食を食べた。

女将さんが作ってくれた温かいスープだった。


「美味しいですね……!」

リナが目を細めた。


「……ええ」

セラも素直に言った。


「お風呂、どうでしたか? セラさん」


「……」

セラは少し間を置いた。

「……記録を更新しました」


「どんな?」


「お風呂。一人で使う。気持ちいい。温泉より好きかもしれない」


「温泉より!?」


「一人なので、落ち着けます」


「なるほど……」

リナが少し笑った。

「セラさん、一人の時間が好きなんですね」


「……そうかもしれません。天界では、一人でいることが多かったので」


「寂しくなかったですか?」


「……」

セラは少し考えた。

「寂しいという感覚が、よく分かりませんでした。天界では、そういう感情を持つことが少なかったので」


「今は?」


「……今は、少し分かる気がします」


「どんな感じですか?」


「……一人でいると、誰かの声が聞きたくなります」


リナが嬉しそうに言った。

「それが寂しいってことですよ!」


「……そうですか」

セラは少し間を置いた。

「……では、今は寂しくないですね」


「なんで?」


「……声が聞こえているので」

その言葉に、四人が少し黙った。


リナが目を潤ませた。

「……セラさん、そういうこと言うんですね」


「事実を述べただけです」


「でも嬉しいです!」


「……どういたしまして」


ルシェが視線を窓の外に向けていた。

その横顔が、いつもより少しだけ柔らかかった。

俺は自分のスープを飲みながら、思った。


(こういう夜が、続けばいいな)

(父さんも、こういう夜が好きだったかな)


焚き火じゃなく、温かい食卓。

賑やかな声。

(……きっと好きだったと思う)


夜、部屋に戻った。


俺とルシェが同室だった。

「……さっきのこと、まだ気にしてるか」


「何を」


「ドアのこと」


「……気にしてない」


「顔が少し赤い」


「部屋が暑いんだ」


「……そうか」

ルシェは壁にもたれた。

「リナは、気にしてるぞ」


「なんで知ってる」


「夕食の時、お前を見る回数が増えてた」


「……そんなこと気づくなよ」


「魔族は気配に敏感だ」


「……」

俺は天井を見た。

「ルシェ」


「なに」


「リナのこと、どう思う」


ルシェは少し考えた。

「……真っ直ぐな奴だ」


「それだけか?」


「それだけだ。でも——」

ルシェは少し間を置いた。

「真っ直ぐな奴は、傷つきやすい。気をつけろよ」


「……どういう意味だ」


「そのままの意味だ」

ルシェはそれ以上言わなかった。


俺も、それ以上聞かなかった。

窓の外で、雨が静かに降り始めた。


(リナ……か)

(俺は、リナのことをどう思ってるんだろう)

答えは出なかった。

でも——

今夜のリナの笑顔が、頭から離れなかった。

38話、読んでくださってありがとうございます。

ドアが開いてしまった場面。目を閉じながら手探りでドアを閉めに行ったハエル。ルシェに全部見られていました。

セラの「今は寂しくないですね。声が聞こえているので」という言葉。事実を述べただけのつもりが、一番刺さる言葉になっていました。

ルシェの「真っ直ぐな奴は傷つきやすい。気をつけろよ」という言葉。これはリナへの心配でもあり、ルシェ自身の経験から来ている言葉でもあります。

そしてハエルが「リナのことをどう思ってるんだろう」と初めて考えた夜。答えはまだ出ていません。

次回、ザイルがさらに動きます。

またお会いしましょう。

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