三十二話 お前らに頼んでるわけじゃない
31話で、四人の距離が少し縮まりました。
今回は久しぶりに、あいつが動きます。
ずっと距離を保っていたソロが、初めて自分から近づいてきます。
でも——その理由が、穏やかじゃない。
温泉の宿を出て、次の町への道を歩いていた。
昨夜の雨が上がって、朝の空気が澄んでいた。
「体が軽い」
リナが伸びをしながら言った。
「温泉効果ですね!」
「……まあ、悪くなかった」
ルシェが前を向いたまま言った。
「ルシェさん、昨夜遅くまで入ってましたよね?」
「……聞いてたのか」
「音が聞こえて」
「……別にいい」
ルシェはそれ以上言わなかった。
リナも、それ以上聞かなかった。
セラが静かに言った。
「今日は天気が良いですね。移動日和です」
「どこまで行くんだ?」
「この先に小さな村があります。そこで補給して、また次へ」
「補給か……」
俺は荷物の重さを確認した。
食料は残り一日分くらいだった。
村に着いた頃、昼を少し過ぎていた。
小さな村だった。
家が十軒ほどで、市場も小さい。
「リナ、薬草の補充はここでできそうか?」
「少し見てみます!」
リナが市場の方へ向かった。
セラはその場で周囲の気配を確認し始めた。
「……魔族の残滓が薄くあります」
「ソロか?」
「おそらく。ただ——」
セラの眉がわずかに寄った。
「首輪の気配が、以前より不安定になっています」
「悪化してるってこと?」
「ええ。限界が近づいています」
ルシェが静かに言った。
「……核が暴走したら、本人が一番危ない」
「ソロ自身が制御できなくなる可能性がありますね」
「一人でいたら、誰も止められない」
その言葉が、胸に重く落ちた。
その時だった。
村の外れの路地から、人影が現れた。
フードを被った小さな体。
首元の首輪が、かすかに光っている。
「……ソロ」
俺は思わず声をかけた。
ソロは足を止めた。
こちらを見た。
その目が——いつもより、少しだけ疲れていた。
「……お前ら、ここにいたのか」
「ああ。補給で寄った」
ソロはしばらく俺たちを見た。
視線がルシェに向いた。
「……魔族が増えてる」
「ルシェだ。仲間だ」
「仲間?」
ルシェがソロを見た。
「……お前が例の」
「例の?」
「ハエルから少し聞いた。名前だけ」
ソロは黙った。
ルシェもそれ以上言わなかった。
初対面の二人が、お互いを静かに測っている空気だった。
リナが市場から戻ってきた。
「薬草、少し手に入りました——あ、ソロさん!」
「……」
ソロはリナを見た。
リナがまっすぐ近づいてくる。
「久しぶりですね。元気でしたか?」
「……元気かどうかは関係ない」
「関係ありますよ」
「……」
ソロは答えなかった。
でも逃げなかった。
以前より、少しだけ距離が縮まっている気がした。
「ソロ」
俺は聞いた。
「神の使者が、この辺りにいた気配がある。知ってるか?」
ソロの肩が、わずかに動いた。
「……三日前、このすぐ近くで見た」
「一人でいたのか」
「……ああ」
「どうした?」
「逃げた。逃げ切れたからここにいる」
短く、淡々と言った。
でも——その目が、少しだけ疲れていた。
「首輪、不安定になってるな」
「……分かってる」
「一人でいて大丈夫か?」
「大丈夫かどうかは関係ない」
「関係ある」
ソロは俺を見た。
「……お前、さっきリナと同じこと言ったぞ」
「そうか」
ソロはそっぽを向いた。
でも、その口元が——ほんの少しだけ緩んだ気がした。
村の外れに、五人で集まった。
「首輪の状態を見せてもらえますか」
セラが静かに言った。
ソロは少し躊躇した。
でも——頷いて、フードを少しだけ下げた。
首輪は、以前より明滅の間隔が短くなっていた。
「……限界が、かなり近づいています」
「分かってる」
「分かっていて、一人でいるんですか」
「一人でいるしかないだろ」
「そうは思いません」
ソロはセラを見た。
「天使が、魔族の心配をするのか」
「するときもあります」
「……変な天使だ」
「よく言われます」
ソロは少し黙って、視線を落とした。
「……お前らに話したのは」
「ん?」
「別に頼んでるわけじゃない」
俺は少し笑った。
「分かってる」
「……ただ、使者の情報を共有しておいた方が、お互いにとって損じゃないと思っただけだ」
「そうだな」
「それだけだ」
「うん」
ソロはフードを元に戻した。
「……行く」
「待って」
リナが一歩前に出た。
「これ、受け取ってください」
リナが差し出したのは、小さな薬瓶だった。
「首輪の魔力が不安定な時、これを首に塗ると少し安定します。完全じゃないですけど」
「……なんで魔族の薬を持ってる」
「作ったんです。魔族の体質に合う薬草の配合があって」
ソロはしばらく薬瓶を見た。
「……受け取る理由がない」
「理由はいりません。困ってる人に渡したいから渡します」
「俺が困ってるとは言ってない」
「言わなくても分かります」
ソロは黙った。
リナはずっと手を伸ばしていた。
やがて——
ソロは薬瓶を受け取った。
「……返せと言われても返さない」
「返さなくていいです」
「……」
ソロはフードを深く被り直して、村の外へ向かった。
その背中が、角を曲がって消えた。
「……ソロさん、少し変わりましたね」
リナが静かに言った。
「前は話もしてくれなかったから」
「ああ」
「でも——首輪、大丈夫かな……」
リナの声に、心配が滲んでいた。
ルシェが静かに言った。
「心配するのは勝手だ。でも踏み込むのとは別の話だ。あいつが来るまで待つしかない」
「……そうですね」
リナは頷いた。
でも、その目はまだ心配そうだった。
俺は、ソロが消えた方向を見た。
(ソロ……お前は今夜、どこにいるんだ)
(廃墟か、森の中か)
(一人で、あの首輪を抱えて)
「ハエル」
ルシェが俺を見た。
「あいつは自分で選んでる。今は、それを尊重するしかない」
「……分かってる」
「分かってても、気になるんだろ」
「ああ」
ルシェは少し間を置いた。
「……それでいい」
その言葉が、どこか柔らかかった。
夜、野営の焚き火を囲みながら。
セラが静かに言った。
「首輪が限界に達した時、核が暴走します。その時ソロが一人でいたら——誰も止められないかもしれません」
「どれくらい時間がある?」
「……分かりません。でも、遠くない」
「俺たちにできることは?」
「今は……ソロが自分で選べる状況を作ることだけです」
「選べる状況……か」
「助けを求めるかどうか、ソロが自分で決められるように」
俺は焚き火を見つめた。
(ソロ)
(お前がどう選んでも、俺は待ってるよ)
炎が、静かに揺れた。
ルシェが、ふと口を開いた。
「……あいつ、薬受け取ったな」
「ああ」
「最初は断ろうとしてた」
「うん」
「でも受け取った」
「……うん」
ルシェは焚き火を見つめたまま言った。
「それだけで、十分だと思う」
リナがルシェを見た。
ルシェは視線を逸らした。
「……なんでもない。寝ろ」
「ルシェさん」
「なんだ」
「優しいですね」
「……うっさい」
ルシェは毛布を頭まで被った。
でも——
毛布の端が、少しだけ震えていた気がした。
焚き火が、夜の中で静かに揺れ続けていた。
32話、読んでくださってありがとうございます。
ソロが動きました。
「お前らに頼んでるわけじゃない」と言いながら、自分から話しかけてきた。情報共有という名目で、でも本当は——少しだけ、一人でいることに限界を感じ始めているのかもしれません。
リナの薬を受け取った場面。「返せと言われても返さない」という言葉が全部を表していました。
そして最後のセラの一言。神がソロを把握している可能性。これが次の大きな展開への伏線です。
ルシェがソロの消えた方向を振り返った場面。あの子も何かを感じています。まだ言葉にはなっていませんが。
次回、訓練が再開します。でも——何かが近づいてきています。
またお会いしましょう。




