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魔族に育てられた俺、 気づけば光と闇の境界に立っていた  作者: CYABUSAN(ちゃぶさん
第一章:父と子の物語(第1〜10話)

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二十九話 懐かしい匂い

28話で、ルシェが正式に姿を現しました。

今回は訓練初日です。


ルシェの教え方は、思っていたより丁寧で、思っていたより厳しい。

そしてハエルが、ずっと考える暇がなかった疑問と、


ふとした瞬間に父さんのことを思い出します。

夜明け前だった。


「起きろ」

ルシェの声が、耳元で聞こえた。


「……っ、もう?」


「夜明け前って言っただろ。遅い」

ルシェはすでに準備ができていた。


赤い髪を後ろで束ねて、腕を組んでいる。


「……セラとリナは?」


「まだ寝てる。今日は二人は連れていかない」


「なんで?」


「最初の訓練は、二人には見せない方がいい」


「どういう意味だ?」


「やればわかる」

ルシェはそれだけ言って、部屋を出た。


町の外れの、人気のない森の中。

夜明けの薄明かりが、木々の間から差し込んでいる。


「まず確認する」

ルシェは俺の前に立った。

「お前の闇、自分でどう思ってる?」


「どう、って……」


「自分の力だと思ってるか? それとも、体に入り込んだ何かだと思ってるか?」


俺は少し考えた。

「……分からない」


「分からない?」


「そもそも……俺に闇があるって、天使のセラに言われて初めて知ったんだ」


「セラに?」


「ああ。旅を始めてすぐの頃に。俺の体に闇と光の二重反応が出てる、って」


ルシェは少し黙った。

「自分では気づいてなかったのか」


「気づいてなかった。でもそれからずっと、色々なことが立て続けに起きて……」

俺は言葉を選んだ。


「……ゆっくり考える暇がなかった」


「そっか」


「なんで俺に闇があるのか、本当はずっと気になってた。でも父さんは亡くなる前に色々話してくれたけど、これについては何も言わなかった」


「……聞けなかったのか」


「聞けなかった。というより——」

俺は少し黙った。


「気づいた時には、もう聞ける状態じゃなかった」


ルシェは何も言わなかった。


ただ、静かに俺を見ていた。

「……そっか」


「ああ」


「分からないままでも、訓練はできる。でも——」

ルシェは少し間を置いた。


「いつかは知った方がいい。その闇が何なのかを」


「……ああ。そう思ってる」


「今は先に進む。いいか」


「ああ」


「まず闇を、少しだけ出してみろ」


「出し方が分からない」


「暴走した時のことを思い出せ。あの感覚の、一番最初の部分だ」


俺は目を閉じた。

あの時の暴走を思い出す。

リナが危険にさらされた瞬間、体の奥から何かが溢れ出した。

あの最初の感覚——


「……っ」


腕に、うっすらと黒い模様が浮かんだ。


「そうだ。それだ」

ルシェが静かに言った。

「でも今、お前は怖がってる」


「……ああ」


「怖がるのは正しい。でも怖がりながら、ちゃんと触れろ。逃げるな」


俺は深呼吸した。

闇の感覚に、意識を向ける。

冷たくて、熱い。


矛盾しているけど、そうとしか言えない感覚。

「……気持ち悪い」


「最初はそうだ。慣れる」


「慣れるもんなのか、これ」


「慣れる。あたしがそうだったから」

ルシェはさらっと言った。


「ルシェも……最初はそうだったのか」


「そう」


「どれくらいで慣れた?」


「……10年」


「10年!?」


「お前にはそんなにかけさせない。方法を知ってるから」

ルシェは俺の腕の模様を見た。

「今、どんな感じがする?」


「……体の奥から、何かが溢れ出そうになってる」


「それを、手の先だけに集中させろ。全身に広げるな」


「……手の先に」


「そう。闇を体全体に流そうとするから暴走する。最初は一点に集中させることから始める」


俺は意識を手の先に向けた。

溢れ出そうな闇を、手の先だけに押し込める。


「……っ」

手の甲に、黒い模様が濃くなった。

爪が、わずかに伸びかけた。


「やめ」

ルシェが静かに言った。


「引き戻せ」


「引き戻し方が——」


「怖いという感情を使え。その感情が歯止めになる」


俺は、怖いという感覚に意識を向けた。

また呑まれたら、リナを傷つけるかもしれない。


その恐怖が、闇を押し返した。

模様が、薄くなった。

爪が、戻った。


「……っ」


「できた」

ルシェが言った。

「今、何が起きたか分かるか」


「……闇を出して、引き戻した」


「そう。それだけだ。でも——」

ルシェは俺を見た。

「今日それができただけで、十分だ」


「え?」


「最初の訓練はそこまでだ」


「もう? まだ全然——」


「欲張るな」

ルシェは腕を組んだ。

「闇の訓練は少しずつしか進まない。一気にやろうとすると逆に暴走しやすくなる」


「……そうか」


「明日も同じことをする。毎日続ける」


「分かった」

俺は自分の手を見た。

模様は消えていた。

「ルシェ」


「なに」


「俺の闇が何なのか、ルシェには分かるか」


ルシェは少し黙った。

「……完全には分からない」


「でも、変な気配がするって言ってたな」


「ああ」


「どういう意味?」


ルシェは慎重に言葉を選んだ。

「魔族の闇の気配がある。でもその中に……別の何かが混じってる。魔族でも人間でもない、別の気配が」


「別の気配……」


「あたしには正体が分からない。でも——」

ルシェは少し眉をひそめた。

「その混じり方が、異常なんだ。本来、混ざるはずのないものが混ざってる」


俺は黙った。


(本来、混ざるはずのないものが混ざってる)

答えは出なかった。

でも——この疑問は、いつか必ず答えを見つけなければならない。


「……ありがとう、ルシェ」


「礼はいらない。訓練の一部だ」

ルシェはそっぽを向いた。


宿に戻ると、セラとリナが起きていた。

「おかえりなさい! 訓練どうでした?」


「少しだけ進んだ」


「少しだけって……大丈夫ですか? 怪我は?」


「ない」


「よかった……!」

リナが安心したように笑った。


その時、台所から香ばしい匂いが漂ってきた。

「今日のごはん、カレーに色んなスパイスを少し入れてみたんです。」

リナが嬉しそうに言った。


その匂いが——


鼻を抜けた瞬間、胸がずきっとした。


「あれ、ハエルさん? 顔色が……」


「……なんでもない」


「本当に?」


「ああ」

俺は笑って見せた。


でも、心の奥では父さんの声が蘇っていた。


「やっと気づいたか。今日は特製カレーだぞ」

「水浴びしてくる!! 父さん、絶対食べないでよ!!」


(……父さん)


セラが静かに俺の隣に来た。

何も言わなかった。

ただ、少しだけ近くにいてくれた。


その夜。


みんなが眠った後、俺は布団の中で目を開けていた。

なんでカレーの味がしなかったんだろう。

けど匂いが、まだ鼻に残っている気がした。


(父さんのカレーは、世界で一番うまかった)

(旅をして世界中の料理を食べても、きっと勝てないって思ってた)


瞼の裏に、台所で鼻歌を歌う父さんの背中が浮かんだ。

筋肉ムキムキなのに、料理のときだけ妙に軽やかだった。


(……もう、あの背中は見られない)

目の奥が、じんわりと熱くなった。


(父さん……俺、ちゃんとやれてるかな)


涙が、一粒こぼれた。

声を殺して、布団の中で泣いた。


誰にも聞かせたくなかった。

父さんに会いたいという気持ちを、誰かに言ったら壊れてしまいそうで。


しばらくして、泣き声が収まった。

天井を見つめていた。


(父さん)


(俺には、なんで闇があるんだろう)

(……教えてよ)


答えは返ってこなかった。


でも——

胸の奥が、じんわりと温かくなった。

今夜だけは、その温度に素直に甘えた。

(……おやすみ、父さん)

目を閉じた。

窓の外で、虫の声がしていた。

29話、読んでくださってありがとうございます。

今回、ハエルが「なぜ自分に闇があるのか」という疑問を初めて言葉にしました。セラに言われて初めて知った。でもその後ずっと考える暇がなかった。ようやく立ち止まれた瞬間に、その疑問が表に出てきました。

そしてカレーの匂い。

リナが何気なく使ったスパイスの香りが、ハエルの中で父さんの記憶と直結しました。

夜、一人で泣きました。声を殺して。

これからもこういう場面を、自然な形でちらちら入れていきます。ハエルはまだ16歳くらいの少年です。強くなっていく一方で、父さんが恋しくて泣く夜があっていい。

またお会いしましょう。

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