二十四話 その光は、冷たかった
23話で、布包みはなくなっていました。
今回は静かな日常が、突然終わります。
ハエルが初めて「勝てない相手」と出会います。
強さとは何か。その答えを探す旅が、ここから本格的に動き出します。
朝から町の空気がおかしかった。
いつもより静かで、いつもより重い。
「……なんか変じゃないですか」
リナが周囲を見渡しながら言った。
「変、とは?」
「人が少ないです。朝市の時間なのに」
言われてみれば、確かにそうだった。
いつもなら賑やかな広場が、今日はがらんとしている。
屋台も半分以上が閉まっていた。
「セラ、何か感じる?」
「……少し前から、嫌な気配があります」
セラの目が細くなった。
「昨日の男です。いつもより……はっきりしています」
「近いの?」
「近い。そして——動いています」
その言葉が終わる前だった。
広場の向こうで、悲鳴が上がった。
「きゃああああ!!」
三人は走った。
広場の中心に、男が立っていた。
昨日、薬屋で会ったあの男だった。
整った身なり、穏やかな顔。
でも——今は違った。
その目が、完全に空洞だった。
感情がない。光がない。
まるで人形のように、ただそこに立っている。
周囲の人たちが逃げ惑っていた。
男の足元に、気を失った兵士が二人倒れていた。
「……あなたが、ハエルですね」
男が口を開いた。
声は穏やかなのに、温度がない。
「神が、あなたを必要としています」
「……お前、何者だ」
「使者、という認識は正確ではありません。私は神の意志そのものです」
セラが俺の前に出た。
「ハエルに近づくな」
「天使が人間を庇うとは。天界の規律に反しますね」
「今の天界の規律は——正常ではありません」
男はセラを見た。
その空洞の目が、わずかに細くなる。
「……排除対象に追加します」
次の瞬間だった。
男の体から、光が放たれた。
普通の光じゃない。
冷たくて、重くて——まるで「命令」みたいな光だった。
「セラ!!」
セラが光を受け止めた。
光魔法で盾を作ったが、ひびが入っている。
「っ……!」
「セラ、下がって!」
俺は剣を抜いて踏み込んだ。
全力で斬りかかる。
でも——男は避けなかった。
剣が男の腕に当たった。
手応えがあった。
なのに——男はびくともしなかった。
「……っ!?」
「痛みの概念が、私にはありません」
男は俺の剣を素手で握った。
そのまま、ゆっくりと力を込める。
「ぐっ……!」
剣が、きしむ音を立てた。
「あなたの力は認識しています。ですが——まだ足りない」
俺は剣を手放し、後ろに跳んだ。
男が追ってくる。
速い——いや、速いんじゃない。
動きが「読めない」。
人間の動き方じゃない。
筋肉の動きも、重心の移動も、何もかもが「普通じゃない」。
(どうする……!)
拳を叩き込む。
弾かれる。
蹴りを入れる。
流される。
(効かない……!)
父さんに教わった全部を出した。
踏み込み、重心崩し、連撃。
全部——通じなかった。
男の攻撃が俺の胸に入った。
「ぐあっ……!!」
吹き飛んだ。
石畳に叩きつけられ、転がる。
視界が揺れる。
体が重い。
立ち上がろうとするが、足がふらつく。
「ハエルさん!!」
リナの声が遠い。
(くそ……! 全然、効いてない……!)
男がゆっくりと近づいてくる。
「抵抗は不要です。——世界の均衡のためです」
「……うるさい」
俺は立ち上がった。
膝が震えている。
それでも——立った。
男が手を伸ばした。
その瞬間——
「やめろ!!」
鋭い声が飛んだ。
男の動きが、一瞬止まった。
声の方向を見た。
路地の入口に、人影が立っていた。
フードを被っている。
首元の首輪が、今日はいつもより強く光っていた。
「……そいつに触れるな」
低く、かすれた声だった。
男は人影を見た。
「……魔族の核反応。不安定ですね」
「うるさい」
人影——ソロは、一歩前に出た。
首輪がさらに強く光る。
「俺に関係ない話に首突っ込むつもりはない。でも——」
ソロの目が、男を真っすぐ見た。
「そいつが倒れるのを、黙って見てるのも嫌だ」
その言葉が、胸に刺さった。
男はソロを一瞥した。
「……不安定な核では、私には届きません」
「試してみるか?」
ソロの体から、魔族の気配が漏れ出した。
首輪がきしむ音を立てる。
それでも——ソロは動じなかった。
男はしばらくソロを見て、やがて視線を俺に戻した。
「……今日はここまでにします。次は必ず、連れていく」
男は光の中に消えた。
広場に、静寂が戻った。
俺は石畳に膝をついた。
体中が痛い。
「ハエルさん!!」
リナが駆け寄る。
セラも俺の隣にしゃがんだ。
「……動けますか」
「……なんとか」
俺は顔を上げた。
路地の入口を見た。
ソロはまだそこに立っていた。
「……お前、なんで」
「言っただろ。関係ないって」
「でも助けてくれた」
ソロは視線をそらした。
「……別に。通りかかっただけだ」
リナが立ち上がって、ソロの方へ歩いた。
「ありがとうございました」
「……礼はいらない」
「でも言います」
ソロは黙った。
リナはソロをまっすぐ見た。
「名前、聞いてもいいですか」
長い沈黙があった。
「……ソロ」
低く、かすれた声だった。
「私はリナです。こっちがハエルとセラ」
「……知ってる」
「知ってるんですね」
「顔は覚えた」
ソロはそれだけ言って、路地の奥へ消えた。
三人はしばらく、その場に立っていた。
リナが小声で言う。
「……助けてくれましたね」
「うん」
セラは路地の奥を見つめたまま、静かに言った。
「……関係ないと言いながら、動いた」
その言葉の意味を、俺はしばらく考えた。
「セラ、あの男——また来るかな?」
「必ず来ます。次は、もっと本気で」
「……そうか」
俺は立ち上がった。
体が痛い。
負けた。
完全に、何もできなかった。
(くそ……)
悔しかった。
でも——
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
(父さん)
(俺、まだ全然足りないよ)
風が吹いた。
まるで「分かってる」と言われているみたいだった。
「ハエルさん」
リナが俺の隣に来た。
「今日は負けました」
「うん」
「でも——次は違うと思います」
「なんで?」
リナは少し考えた。
「……負けた顔をしてないから」
その言葉が、胸に静かに落ちた。
俺は前を向いた。
「……明日から、また訓練する」
「付き合います」
セラが静かに言った。
「セラが?」
「あの使者の動きは、天使の動きに近い。私が相手をした方が効率的です」
「……ありがとう、セラ」
セラは視線をそらした。
「礼はいりません。観測のためです」
リナが小声で俺に囁いた。
「照れてますよ」
「聞こえてます」
俺は笑った。
体は痛かった。
でも——胸の奥は、不思議と軽かった。
24話、読んでくださってありがとうございます。
今回、神の使者が初めて直接戦闘しました。
ハエルは完敗でした。父さんに叩き込まれた全部を出して——それでも届かなかった。
でもソロが動きました。
「関係ない」と言いながら、動いた。
その理由は、ソロ自身もまだ分かっていないと思います。
リナの「負けた顔をしてないから」という言葉。
これが25話への引きです。
次回、ハエルが答えを出します。
そして再戦が始まります。
またお会いしましょう。




