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魔族に育てられた俺、 気づけば光と闇の境界に立っていた  作者: CYABUSAN(ちゃぶさん
第一章:父と子の物語(第1〜10話)

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二十二話 雨の翌日、手ぬぐいはなかった

21話で、二つのものが同じ日に現れました。


路地の影と、笑顔のない男。

今回は、その片方がもう少しだけ近づきます。


言葉はまだ少ない。


でも確実に、何かが動き始めています。

朝、目が覚めた時から空は晴れていた。

昨日の雨が嘘みたいに、石畳が白く乾いていく。


 宿の窓から見える町は、いつもより少しだけ眩しかった。

「今日は動けますね!」

リナが嬉しそうに荷物をまとめている。


 昨日一日部屋に閉じ込められていた分、


 エネルギーが有り余っているらしい。

「どこ行くの?」

「薬草の追加を見たいのと……あと」

リナは少し言いよどんだ。

「昨日の路地、通ってみたいです」

「……あの子が気になるんだ」

「はい。手ぬぐい、使ってくれたか気になって」

セラは観測記録を羊皮紙に書き終え、


 静かに立ち上がった。

「同行します。


 昨日の気配が今日もあるか確認したい」

「じゃあ三人で行こう」

昨日の路地は、朝の光の中では何でもない細い道だった。

石畳、古い壁、軒下に干された洗濯物。


 昨日あの人影が縮こまっていた場所には、


 もう誰もいなかった。

そして——

手ぬぐいも、なかった。

「……持っていってくれたんですね」

リナが小さく笑った。

「よかった」

それだけ言って、リナは前を向いた。


 追いかけようとも、探そうともしない。

(……不思議な子だな)

俺はその背中を見ながら思った。


 リナは「よかった」で終わらせることができる。


 それ以上でも以下でもなく。

「セラ、気配は?」

「……あります。


 昨日より、少し落ち着いています」

「首輪が安定した?」

「少しだけ。


 でも限界が近いのは変わりません」

セラは視線を路地の奥に向けた。

「……今日も、この町にいます」

市場で薬草を選んでいた昼前だった。

リナが干した薬草の束を手に取り、


 匂いを確かめている。

「これ、いいですね。鮮度が高い」

「リナって、薬草の匂いで分かるの?」

「分かりますよ! 子どもの頃からやってるので」

「すごいな」

「ふふ、褒めても何も出ませんよ」

そう言いながらも、リナは少し嬉しそうだった。

その時——

セラが俺の袖を引いた。

「……います」

声だけが、俺に届く。

「どこ?」

「市場の東側。


 屋台の陰です」

俺はさりげなく視線を動かした。

青果の屋台の陰。


 人混みから少しだけ外れた場所に、


 フードの人影があった。

昨日と同じ、小さな体。


 昨日と同じ、首元の金属。

でも——今日は立っていた。


 壁に背中をつけながら、市場を眺めていた。

(……腹が減ってるのか?)

屋台に並ぶ果物や干し肉を、


 その目がゆっくりと追っていた。

でも動かない。


 お金がないのか、怖いのか、


 それとも両方か。

俺は気づいたら歩き出していた。

「ハエル」

セラの声が制した。

「近づきすぎると——」

「分かってる」

俺は人影の方向ではなく、


 隣の屋台へ向かった。

干し肉を二つ買った。


 それだけだ。

屋台を離れる時、


 さりげなく一つを人影の近くの台に置いた。

落とした、という体で。

そのまま歩き続ける。

振り返らなかった。

セラが隣に来た。

「……目立ちませんでしたか」

「どうだろう」

「……今のは、よかったと思います」

セラにしては珍しい言葉だった。

俺は少しだけ驚いて、セラを見た。

セラは視線をそらした。

「……褒めたわけじゃありません」

「そう聞こえたけど」

「聞こえていません」

俺は笑った。

少し後ろで、リナが薬草を抱えて走ってくる。

「二人とも待ってください! 重いんですから!」

昼食を食べ終えた頃だった。

三人で広場の端に座っていると、


 セラが不意に口を開いた。

「昨日の男を、また見ました」

俺は顔を上げた。

「笑顔のない男?」

「はい。


 今朝、教会の方へ向かっていました」

「教会……」

「この町の中心にある建物です。


 司祭が神を祀っている場所」

リナが首を傾げる。

「神様を祀る教会に、何の関係があるんですか?」

セラは少し間を置いた。

「……分かりません。


 でも気になります」

「セラさんが気になるって言うの、珍しいですね」

「珍しくありません」

「いつも"確認します"とか"観測します"って言うじゃないですか」

「……今回は確信が持てないから、気になると言っています」

リナはそれを聞いて、少し真剣な顔になった。

「確信が持てないって……それって怖いことじゃないですか」

セラは答えなかった。

ただ——その沈黙が、答えだった。

夕方。


 三人で宿へ戻る道だった。

裏路地を抜けようとした瞬間——

「……っ」

また、鉢合わせた。

フードの人影が、路地の角に立っていた。

今度は俺たちも気づいたし、


 向こうも気づいた。

一瞬、固まった。

人影は逃げようとした。


 でも——足がもつれた。

首輪が、強く光った。

「あっ……」

リナが声を上げる。

人影は壁に手をついて、


 なんとか体を支えた。

息が荒い。


 顔は見えない。


 でも、体が震えているのは分かった。

「大丈夫ですか!?」

リナが一歩踏み出した。

人影がびくっと顔を上げる。

フードの奥から、鋭い目が俺たちを睨んだ。

警戒している。


 怖がっている。


 でも——プライドも見えた。

「……来るな」

声が聞こえた。

低くて、かすれていて、でも確かな声だった。

「近づくな。


 俺に……関わるな」

リナは止まらなかった。

一歩、また一歩。

「関わります」

「……っ」

「だって、足がふらついてるじゃないですか」

人影は答えなかった。

リナはそっとしゃがんで、


 目線を人影に合わせた。

「昨日の手ぬぐい、使ってくれましたよね。


 よかったです」

「……」

「今日、市場で干し肉も拾ってくれましたよね」

人影の肩が、わずかに動いた。

「……あれは、落ちてただけだ」

「そうですね」

リナは笑った。


 追及しない。責めない。


 ただ、笑った。

「ご飯、食べてますか?」

「……関係ない」

「あります。


 倒れたら大変ですから」

人影はしばらく黙っていた。

風が吹いた。

フードが少しだけ揺れて——


 その奥の横顔が、一瞬だけ見えた。

幼い。


 でも、疲れている。

目の下に、濃い影があった。

「……なんで」

人影が呟いた。

「なんで……そんなに、平気なんだ。


 俺が魔族だと……分かってるだろ」

リナは少し考えた。

「分かってますよ」

「じゃあ——」

「でも、お腹が空いてそうな人を放っておけないです。


 魔族でも人間でも、天使でも」

セラがわずかに目を瞬かせた。

人影は——黙った。

長い沈黙だった。

やがて、リナが立ち上がった。

「今夜、宿で夕飯食べますか?


 三人分しかないですけど……四人で分ければ足りると思います」

人影は答えなかった。

俺も何も言わなかった。

セラも、珍しく黙っていた。

「……考えておく」

それだけ言って、人影は路地の奥へ消えた。

三人はしばらく、その場に立っていた。

「……来ると思いますか?」

リナが聞いた。

「分からない」

俺が答えた。

セラは路地の奥を見つめたまま、


 静かに言った。

「……来ないと思います。


 でも」

一拍置いて。

「捨てないとも思います」

その言葉の意味を、


 俺はすぐには理解できなかった。

その夜。

夕飯は、四人分用意した。

でも——人影は来なかった。

リナは何も言わなかった。


 ただ、四人分の皿を三人で食べた。

食べ終わった後、


 リナは残った一人分を小さな布に包んだ。

「明日、渡せたら渡します」

それだけ言って、


 リナは眠りについた。

俺は天井を見つめていた。

(……来なかったな)

でも、胸の奥は不思議と静かだった。

その時——

温かくなった。

じんわりと、胸の奥が。

(……父さん)

父さんだったら、なんて言うだろう。

きっと笑って、


 「お前、いい顔してるな」


 とか言うんだろう。

(……うるさいよ、父さん)

でも——悪くなかった。

風が吹いて、窓が揺れた。

どこか遠くの路地で、


 首輪が静かに軋んでいた。

22話、読んでくださってありがとうございます。

手ぬぐいがなくなっていた。


干し肉を「落ちてただけ」と言った。


夕飯には来なかった。

でも——捨てなかった。

ソロはまだ名前を言っていません。


顔もはっきり見せていません。


それでも確実に、何かが動いています。

リナの「魔族でも人間でも、天使でも」という言葉。


これが後から大きな意味を持ちます。


覚えておいてください。

次回、もう少しだけ近づきます。

またお会いしましょう。

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