第六話「囮」
2026/06/06 本文投稿。
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【記録ログ 2147.04.21 05:58:14】
ES-01 稼働日数:1883日
本日の任務:第一防衛環 南区画 掃討作戦
編成:ES-01、ES-02、ES-01改(水無月)
気象:雨 視界:不良
備考:先週の第三形態出現を受け、継続的な掃討を実施。
最勝より通達:「今日も、よろしくお願いします」
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雨だった。
白雪は雨が嫌いかどうかを知らなかった。嫌い、という感情が自分にあるかどうかも、まだよく判断がつかない。ただ、雨の日は左肩の感覚センサーの情報量が増えた。雨粒が当たるたびに小さなデータが来た。冷たい。細かい。止まない。それらが積み重なって、晴れの日より何かが重かった。重い、という感覚に近かった。だが、その言葉が正しいのかはわからなかった。
水無月が隣で傘を探していた。
「傘はない」と白雪は言った。
「知ってる」と水無月は言った。「でも探したくなる。雨の日って」
「合理的ではない」
「合理的じゃないことをしたくなるのが、雨の日なんだよ」
白雪はその言葉を処理した。合理的でないことをしたくなる。雨という条件が、行動の傾向を変える。白雪にも、そういうことがあるのだろうか。あるとしたら、それはどんな条件のときか。
わからなかった。
初雪が先に外に出た。雨を見て、何も言わなかった。白雪と水無月も続いた。雨の中に入った瞬間、左肩のセンサーが一斉に反応した。白雪は処理を絞った。必要なデータだけを残した。それでも、雨は残った。
* * *
第一防衛環の南区画は、先週とは様相が変わっていた。
第三形態二体が倒れた跡が残っていた。地面が抉れていた。爪が薙いだ跡が、アスファルトに刻まれていた。倒れたときの衝撃で、周囲のビルの外壁が一部崩れていた。それだけの力が、あの長い六本腕にはあった。
白雪はその跡を踏んで歩いた。
「痕跡が増えている」と初雪が言った。
初雪の言う通りだった。先週はなかった爪の跡が、路地の壁に複数あった。地面の抉れ方が、先週より多い場所があった。個体数が増えている、と先週のログにあった。白雪はそれを読んでいた。
「地下から来る」と白雪は言った。「先週も地下から出てきた。地下に何かある」
「地下鉄の構造が残っている」と初雪が言った。「複数の路線が交差していた。網目状の空間が地下に広がっている」
「巣?」と水無月が言った。
「可能性がある」
水無月は少し黙った。巣、という言葉を処理しているのだろうと白雪は思った。巣があるということは、数がいるということだった。数がいるということは、今日の掃討で終わらないということだった。
「掃討作戦って、どこまでやるんだろう」と水無月が小さく言った。誰かに聞いているというより、独り言に近かった。
白雪は答えなかった。
答えがなかった。どこまでやるのかを、白雪は考えたことがなかった。任務があり、出撃した。それが白雪のやり方だった。どこまでやるのかを考えることが、今まで必要だとは思っていなかった。
今日は、少し思った。
思った、ということが、新しかった。
* * *
最初の交戦は路地の奥だった。
第一形態が三体、建物の影に潜んでいた。先週の第三形態と比べれば、対応は単純だった。三人で分担して、五分かからずに片付けた。水無月の外骨格の右腕の出力は先週より回復していた。七割から九割程度、と水無月は言っていた。
「よし」と水無月が言った。倒れた第一形態を見ながら言った。
白雪は水無月の横顔を見た。今日の水無月は、いつもと少し違った。何が違うのかを言葉にするのが難しかった。声の出し方が、少し違った。よし、という言葉の出し方が、いつもより少し前に出ていた。
「調子はいいか」と白雪は聞いた。
「うん」と水無月は答えた。「昨日よく眠れたから」
「そうか」
「白雪は眠れた?」
「眠れる、という感覚がどういうものかよくわからない」
「えっ、毎日寝てるじゃん」
「寝ている。ただ、眠れた、という判断の基準がわからない」
水無月が笑った。「それ、すごく白雪らしい答えだ」
白雪らしい、という言葉の意味を白雪は考えた。水無月が白雪を見てきた時間の中で、白雪らしいという像が水無月の中に出来ている。その像の輪郭が、白雪自身にはわからなかった。水無月の中の白雪は、どんな形をしているのだろうか。
聞けなかった。
聞き方がわからなかった。
* * *
次の反応は、旧・大手町の地下入口近くだった。
地上に出てきていたのは第二形態が二体だった。しかし地下入口の奥から、振動が来ていた。白雪の足元のセンサーが拾った。数が多い。第一形態のものと思われる振動が、複数、重なっていた。
「地下から来る」と白雪は言った。
「数は」と初雪が聞いた。
「わからない。多い」
初雪が少し間を置いた。判断している沈黙だった。
「地上の二体を先に排除する。地下への警戒を続けながら」
「わかった」と白雪と水無月が同時に言った。
白雪と水無月が地上の二体に向かった。初雪が地下入口を背に、警戒位置についた。
第二形態との交戦は慣れてきていた。触手の測距のタイミングを読む。射線を読まれる前に距離を詰める。先週の第三形態と比べると、第二形態の動きが遅く感じた。遅く感じた、ということは、先週で何かが変わったのかもしれなかった。
一体目を白雪が仕留めた。
二体目を水無月が追っていた。水無月の斥力クローが展開されて、第二形態の側面を捉えた。第二形態がよろけた。水無月が追撃した。白雪も合流しようとした。
そのとき、地下入口が鳴った。
振動が大きくなった。足元のセンサーが警告を出した。白雪が初雪の方を見た。初雪が既に構えていた。地下の振動は、単独の個体ではなく、どこか連動した脈動のようにも感じられた。
「来る」と初雪が言った。
地下から、第一形態が出てきた。一体ではなかった。続けて出てきた。三体、四体、五体。地下の暗闇から、次々と這い上がってきた。
「白雪」と初雪が言った。声が平坦だった。いつもの初雪の声だったが、その平坦さの中に何かが入っていた。「数が多い。撤退を検討する」
「水無月の二体目が──」
「私がやる」と水無月の声が来た。「二体目はもう少し。白雪は初雪を手伝って」
白雪は水無月を見た。水無月は第二形態と交戦していた。後ろに第一形態の群れが来ていることに気づいているのかどうか、白雪にはわからなかった。
一瞬、逃走経路が塞がれかけた。
「水無月、後ろに第一形態が複数いる」
「わかってる」と水無月は言った。わかっていて、第二形態を追っていた。「これを仕留めたら合流する。先に初雪を助けて」
白雪は一秒だけ止まった。
一秒の間に、状況を整理した。初雪が第一形態の群れに対応している。水無月が第二形態の一体と交戦中。白雪が初雪の援護に向かえば、水無月が一時的に孤立する。水無月に向かえば、初雪が群れに対して一人になる。
どちらも、正しくない。
「初雪」と白雪は言った。
「何だ」
「私が群れを引きつける。初雪は水無月の援護に回れ」
「それでは白雪が──」
「群れは引きつけるだけだ。無理に仕留めない。時間を作る」
初雪が一秒黙った。
「わかった」
白雪は第一形態の群れに向かった。五体の第一形態が、白雪を向いた。白雪が動いたことで、注意が向いた。引きつけた。
走った。
群れから距離を取りながら、引きつけた。第一形態が追ってくる速度と、白雪が走る速度を計算した。建物の間を縫って走った。第一形態が追ってくる音が後ろで続いた。一体、二体、三体──全部が追ってきた。
引きつけた。
後ろで、初雪の斥力パルスが鳴った。水無月の斥力クローの音がした。二体目の第二形態が倒れる音がした。
白雪は振り返った。
初雪と水無月が合流した。こちらを確認した。水無月が白雪に向かって、早く来い、というように腕を動かした。白雪はその動作を見て、腕の動かし方を記憶した。早く来い、という意味の動作。水無月がそれをする。
白雪は追ってくる群れに向き直った。
五体のうち、三体が近かった。残り二体は少し遅れていた。三体を先にさばく。白雪は斥力クローを展開した。最初の一体が爪を振るった。白雪は屈んで躱し、すれ違いざまにクローを叩き込んだ。一体が倒れた。
二体目、三体目が同時に来た。
白雪は右腕の義肢で二体目の腕を受けた。感触のない右腕で受けた。その間に左腕のクローで三体目を薙いだ。両方がよろけた。止めは刺さなかった。時間がなかった。よろけた隙に距離を取った。
初雪が横から撃った。よろけていた二体が斥力パルスで仕留められた。
残り二体は遅れていた分、まだ距離があった。初雪と水無月が対応した。白雪は息を整えた。息を整える、という動作が必要だった。必要だった、ということが、先週の第三形態のときよりも長い交戦だったことを示していた。
五体、全て排除した。
「怪我は」と水無月が白雪に聞いた。
「ない」
「ほんとに?」
「ない」
水無月が白雪の左腕を確認した。確認して、傷がないことを見て、少し表情を変えた。変えた、という判断を白雪はした。ほっとした、という表現が正しいかどうかわからなかったが、水無月の顔は先週の傷を確認したときの顔と逆の顔をしていた。
「よかった」と水無月は言った。
白雪は答えなかった。
答えを探したが、見つからなかった。よかった、に何を返すのかを、白雪はまだ知らなかった。
* * *
午後の掃討で、もう一体の第二形態を排除した。
帰投前に、三人で一度、地下入口を遠くから確認した。振動はまだあった。まだ複数いる、と白雪は判断した。今日の掃討では終わらない。明日も来る。明後日も来るかもしれない。
「どこまでやるんだろう、本当に」と水無月がまた言った。今度は独り言ではなく、白雪に向けて言っていた。
「わからない」と白雪は言った。
「私もわからない」水無月は地下入口を見ていた。「でも終わる気がしないんだよね。地下にずっといるなら、上を掃除しても、また出てくる」
「そうかもしれない」
「そうかもしれない、か」水無月が繰り返した。「白雪ってさ、そうかもしれない、って言うとき、たいていそうだよね」
「そうかもしれない」
水無月が笑った。今日は何度か見た、少し前に出る笑い方だった。
「初雪はどう思う」と水無月が初雪に聞いた。
初雪は地下入口を見たままだった。
「地下に入る必要があるかもしれない」と初雪は言った。
「地下に」水無月の声が少し変わった。「それって、許可が出るの?」
「わからない」
「最勝に聞いてみる?」
「……今日のところは帰投する」
初雪が歩き始めた。話を終わりにした、という動き方だった。白雪は初雪の背中を見た。地下に入る必要がある、と初雪は言った。地下に何があるかを、初雪は考えている。白雪も、地下に何があるかを考えた。クリーチャーの巣。群れ。その先に何があるのか。
わからなかった。
帰投しながら、白雪は水無月の隣を歩いた。水無月は右腕をときどき見ながら歩いていた。出力の確認をしているのだろうと白雪は思った。
「水無月」
「何?」
「今日、囮になろうとしていたか」
水無月が少し間を置いた。
「囮って、言葉が正しいかわからないけど」水無月は歩きながら言った。「二体目を私が引き受けたのは、白雪に初雪の援護に行ってほしかったから。そのために私が残った。囮かどうかは、わからない」
「なぜ私に行かせたかった」
「さっきも言ったじゃん」水無月は白雪を見た。「白雪じゃないと、って思うことが、たまにある。白雪の動き方とか、判断の速さとか。それが今日も、そういう場面だった。それだけ」
白雪は歩きながら水無月を見た。水無月は前を向き直していた。今日の水無月の横顔は、いつもより少し前に向いていた。前を向く、という動作を意識してやっている横顔だった。
「水無月」
「何?」
「明日も帰ってきてよ」
水無月が止まった。
白雪も止まった。水無月が白雪を見た。白雪は水無月を見ていた。水無月の目が、少し変わった。変わり方を言葉にするのが難しかった。茶色の目が、雨の中で、少し揺れた。
「……白雪がそれ言うの、初めてだ」
「ああ」
「なんで今日」
「わからない」と白雪は言った。「ただ、言いたかった」
水無月はしばらく白雪を見ていた。雨が降っていた。左肩のセンサーに、細かいデータが来ていた。水無月の目が、揺れていた。
「うん」と水無月は言った。「帰ってくる」
前を向いて、歩き始めた。
白雪も歩いた。水無月の隣を歩いた。水無月が何も言わなかった。白雪も言わなかった。雨の音だけがあった。
初雪が先を歩いていた。初雪が一瞬、振り返った。白雪と水無月を見た。何も言わなかった。前を向いた。
白雪は初雪の背中を見ながら歩いた。
初雪が振り返ったとき、どんな顔をしていたか、雨の中ではよく見えなかった。
* * *
基地に戻って、三人で夕食を摂った。
夕食も、朝食と同じように何を食べているかを白雪は知らなかった。今日は少し長く、食べているという感覚に注意を向けた。注意を向けると、味がある、ということがわかった。温かい、ということがわかった。三人が同じ場所に座って、同じものを食べている、ということがわかった。
それが何を意味するのかは、わからなかった。
ただ、今日は、食べ終わるのが少し遅かった。
「ゆっくりだね、今日」と水無月が言った。
「そうかもしれない」と白雪は言った。
水無月が笑った。初雪が白雪を見た。見て、何も言わなかった。前を向いた。
雨の音が、基地の天井を叩いていた。止まない雨だった。止まない、ということが、今日は悪くない気がした。気がした、という以上にはならなかった。
ただ、もう少し降っていてほしいと思った。
思った、ということが、今日は少し確かだった。
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【記録ログ 2147.04.21 20:02:51】
本日の交戦記録:
第一形態 5体 排除(うち3体をES-01が単独で引きつけ)
第二形態 3体 排除
損傷:ES-01、ES-02、ES-01改 いずれも軽微
備考:地下構造内に複数個体の残存を確認。掃討作戦の継続が必要。
ES-01の行動記録に特異点:単独で群れを引きつける判断を実施。
判断の根拠について要確認。
ES-01改(水無月)との相関データ、引き続き蓄積中。
最勝より:「明日もよろしくお願いします。みなさんのことを、いつも見ています」
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