表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
閾の郭(いきのくるわ)  作者: 丸介
第一章「駆逐」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/17

第四話「第二防衛環、夜」

2026/06/04 本文・挿絵投稿。

────────────────────────


【記録ログ 2147.04.02 18:55:41】

 ES-01 稼働日数:1864日

 本日の任務:第二防衛環 西区画 夜間哨戒

 編成:ES-01、ES-02

 気象:晴れ 月齢:新月 視界:良好

 備考:第二防衛環における夜間クリーチャー活動増加に伴う緊急哨戒。


────────────────────────



 夜の第二防衛環は、昼とは別の場所だった。


 同じ廃墟だった。同じ建物が立っていた。しかし昼に見えていたものの大半が消えて、代わりに別のものが浮かび上がった。星が見えた。空を遮るものが百年で減ったせいか、都市の廃墟の上に、星が近かった。白雪は星を何度も見ていたはずだったが、近い、と思ったことは今日が初めてだった。


 初雪が隣を歩いていた。


 いつもの間隔だった。昼でも夜でも、その間隔は変わらなかった。変わらないことが、今日は少し違う意味を持つ気がした。気がした、という以上にはならなかった。


 「クリーチャーの活動域が広がっている」と初雪が言った。「先週より西に五百メートル」


 「第三の侵入頻度も増えている」


 「連動している。第二で何かが変わった」


 「何が変わったと思う」


 初雪は少し間を置いた。


 「わからない。ただ、変わった」


 白雪はその答えを処理した。初雪がわからない、と言うことは少なかった。少ないから、聞こえたときの重さが違った。


 旧・新宿区に入った。かつて高層ビルが密集していた場所だった。今は半分以上が倒壊していて、巨大な瓦礫の山が夜空の輪郭を作っていた。月のない夜に、星だけがその輪郭を縁取っていた。白雪はそれを見ながら歩いた。見ながら歩くことが、歩くことの邪魔にならないことが、少し不思議だった。


 「止まった理由」と初雪が言った。


 文脈なく言った。白雪は一瞬、何の話かを探した。


 「第二段階と目が合ったとき、か」


 「ああ」


 「わからない、と言った」


 「今もわからないか」


 白雪は少し考えた。第二段階の赤い目を思い出した。こちらを見ていた目。見ている、という動作を意志を持ってやっていた目。白雪の赤い目が、それを見ていた。


 「似ていると思ったのかもしれない」と白雪は言った。


 初雪が白雪を見た。白雪は前を見ていた。


 「何が似ていた」


 「目の色。赤い。それだけではないかもしれないが、それしか言葉にならない」


 初雪はしばらく黙っていた。黙り方が、いつもと少し違った。考えている沈黙ではなく、何かを押さえている沈黙に聞こえた。聞こえた、という判断が正しいかどうか、白雪にはわからなかった。


 「似ていることが、止まる理由になるか」と初雪が言った。


 「わからない。ただ、なった」


 「それは危険だ」


 「知っている」


 「知っていて、また止まるかもしれないか」


 白雪は答えなかった。答えがない、ということではなかった。答えが、まだ出ていなかった。また止まるかもしれない。止まらないかもしれない。どちらかを選ぶ根拠を、白雪はまだ持っていなかった。


 初雪は追求しなかった。


 二人で歩き続けた。瓦礫の山を迂回して、倒壊したビルの脇を抜けた。ビルの残骸の中に、かつてエレベーターだったものの骨格が剥き出しになっていた。上へ向かうための機構が、上へ向かえないまま残っていた。白雪はそれを一瞬だけ見て、通り過ぎた。


 * * *


 西区画の端で、反応があった。


 初雪が先に気づいた。手信号で白雪に知らせた。白雪は強化外骨格(エグゾフレーム)の機構を展開しながら気配を探った。一体。第二段階。建物の影から、こちらの位置を測っているのがわかった。触手が動いている音が、暗闇の中でわずかに聞こえた。


 昼とは戦況が違った。


 視界は星明かりだけだった。外骨格の暗視機能はあるが、クリーチャー側も夜間の方が触手による感知が鋭くなる。有利不利が昼と逆転する場合がある、と訓練では習っていた。習っていた、と今ここで思い出した。


 「囮は私が出る」と初雪が言った。


 「私が出る」と白雪は言った。


 「なぜ」


 「昼に経験がある。第二段階との間合いを知っている」


 初雪は一秒だけ考えた。


 「わかった。私は右から回る」


 白雪は正面に出た。


 第二段階がこちらを向いた。夜の中でも、赤い目だけが見えた。橙色の発光ではなく、赤だった。昼に見たものと同じ赤だった。白雪は今度は止まらなかった。止まらなかった理由は、まだわからなかった。ただ、止まらなかった。


 前に出た。


 第二段階が動いた。長い腕が伸びた。白雪は右に跳んで躱した。着地の瞬間に斥力(リパルション)クローを展開した。斥力が指先から腕全体に纏わった。反発する力が、空気を押す感触が左肩の外骨格基部(エグゾシェル)の感覚センサーに来た。熱に似たノイズが走った。


 振り抜いた。


 第二段階の側面に当たった。斥力の反発で吹き飛んだ。壁に叩きつけられた。しかし起き上がった。第二段階はすぐに起き上がった。触手が再び広がった。


 初雪が右から撃った。


 斥力パルスが第二段階の頭部を捉えた。大出力防御フィールドを反転させた一撃だった。初雪の武装は防御と攻撃が同じシステムだった。守るための力を、そのまま押し出す。白雪はその仕組みを説明されたことがあったが、なぜそういう設計にしたのかは聞いたことがなかった。


 第二段階が倒れた。


 今度は立ち上がらなかった。


 白雪は斥力クローを収めた。感覚センサーに、まだ斥力の余韻があった。押し返した感触が、少しだけ残っていた。


 「問題ない」と白雪は言った。


 「ああ」と初雪が答えた。


 二人で周囲を確認した。他に反応はなかった。夜の廃墟は、また静かに吸い込む静かさに戻っていた。


 * * *


 哨戒を終えて基地に戻る前に、二人は廃墟の中に残っていたビルの屋上に上がった。


 上がった理由は、初雪が「周囲の確認が必要だ」と言ったからだった。白雪は同意した。確認が必要だった。ただ、屋上に出て、初雪が周囲を見回した後で動かなくなったことで、確認以外の理由があったかもしれない、と白雪は思った。


 旧東京が一望できた。


 廃墟だった。どこまでも廃墟だった。しかし夜に見ると、昼とは違った。星の光を反射する瓦礫が、ところどころで光っていた。川が光っていた。荒川だった。第三話で水無月と並んで見た川だった。同じ川が、夜は別の色をしていた。


 初雪が隣に立っていた。


 白雪は旧東京を見ながら、初雪がここに上がりたかった理由を考えた。考えて、やめた。理由がわかっても、わからなくても、今ここにいることは変わらなかった。


 「白雪」と初雪が言った。


 「何だ」


 「お前は、ここで戦い続けることが正しいと思っているか」


 白雪は少し考えた。考えた、というより、問いの意味を確認した。ここで、というのは第二防衛環のことか。あるいは、旧東京全体のことか。戦い続ける、というのは、クリーチャーと戦うことか。あるいは、もっと別の何かか。


 「正しいかどうかを考えたことがない」と白雪は言った。


 「なぜ」


 「考える必要がなかった。任務があり、出撃した。それだけだった」


 「今は」


 「今も」白雪は少し止まった。「同じかもしれない。ただ、同じかどうかが、最近わからなくなってきた」


 初雪は何も言わなかった。


 白雪は続けた。


 「水無月が、記録に残らなくてもここにあった、と言った。壁画のことを言っていた。私は処理できなかった。今も処理できていない」


 「処理できない、とはどういう状態か」


 「言葉にならない。言葉にならないのに、引っかかっている」


 初雪がわずかに白雪の方を向いた。向いた、というより、顔の角度が少し変わった。


 「白雪」


 「何だ」


 「お前は、変わっている」


 「どう変わっている」


 「配属されたときと比べて」初雪は前を向き直した。「言葉にならないことが増えている。処理できないことが増えている。それを、私に話している」


 白雪は考えた。


 「変わったことは、悪いことか」


 初雪は答えなかった。しばらく旧東京を見ていた。川が光っていた。


 「わからない」と初雪は言った。


 初雪がわからない、と言った。今日二度目だった。初雪がわからないと言う回数が、最近増えている気がした。気がした、だけで、数えていたわけではなかった。


 「初雪」と白雪は言った。


 「何だ」


 「お前は何かを知っているか」


 初雪の動きが止まった。止まった、という変化があった。わずかだったが、確かにあった。白雪はそれを見ていた。


 「何を」と初雪が聞いた。


 「わからない。ただ、お前は何かを知っていて、言わない気がする。水無月がそう言っていた。私もそう思うことがある」


 「水無月が言ったのか」


 「怖いと言っていた。私は怖いとは思わない。ただ、知っていて言わない、という感覚は、ある」


 初雪はまた黙った。今度の沈黙は長かった。川が光っていた。星が近かった。白雪は待った。待つ、という動作を意識してやったのは初めてだった。


 「知っていることは、ある」と初雪が言った。


 白雪は初雪を見た。初雪は旧東京を見たままだった。


 「言えないのか」


 「……今は」


 「今は、ということは、いつか言うか」


 初雪はすぐに答えなかった。


 「言うべきときが来たら、言う」


 「言うべきとき、というのは誰が決める」


 「私が決める」


 白雪はその答えを処理した。初雪が決める。白雪が決めるのではない。初雪の判断が、白雪の知ることと知らないことを決めている。それが、正しいことなのかどうか、白雪にはわからなかった。


 ただ、怒り、という感情に近い何かが、少しあった。


 少しあった、ということが、新しかった。


 「わかった」と白雪は言った。


 「怒っているか」と初雪が聞いた。


 白雪は少し驚いた。驚く、という反応をしたことに、自分で気づいた。


 「わからない」と白雪は言った。「怒りに近い何かが少しある。それが怒りかどうかは、まだわからない」


 「そうか」


 「お前には、わかるのか」


 「……少し、わかる」


 初雪の声が、今日初めて変わった。変わった、という判断を白雪はした。何がどう変わったのかを言葉にするのは難しかった。ただ、何かが薄くなった気がした。初雪の声から、何かが薄くなった。


 「初雪」


 「何だ」


 「言うべきときが来たとき、言ってくれ」


 初雪は答えなかった。


 白雪は続けた。


 「私は、知りたい。知ることが正しいかどうかはわからない。怖いかどうかもわからない。ただ、知りたい。それだけははっきりしている」


 初雪がわずかに、白雪の方を向いた。今度は顔の角度だけでなく、体ごと向いた。白雪は初雪を見ていた。初雪の青い目が、星の光の中にあった。


 「……わかった」と初雪が言った。


 それだけだった。説明もなかった。いつ言うか、何を言うか、何も付け加えなかった。ただ、わかった、と言った。


 白雪はそれで十分だった。十分、という感覚が何を意味するのか、まだわからなかった。ただ、何かが少し、軽くなった。その感覚を、白雪はまだ言葉にできなかった。


 二人で旧東京を見た。


 川が光っていた。星が近かった。どこかでクリーチャーの気配がした。遠かった。今夜は遠かった。


 初雪が肩の外骨格基部(エグゾシェル)の表面を指でなぞっていた。左右対称に、同じ回数。白雪はそれを見ながら、自分も右腕で左肩をなぞった。二人が同じ動作をしていた。気づいたのは白雪だけだった。


 気づいて、何も言わなかった。


 何も言わないことが、今夜は少し、別の意味を持っていた。



────────────────────────


【記録ログ 2147.04.03 01:22:58】

 ES-01・ES-02 帰還確認。

 本日の交戦記録:

  第二段階 1体 排除

  損傷なし

 交配適性センサーログ:接触反応 1件

 うち有効反応 0件

 備考:統合不全ノイズ、ES-02との行動中に軽減傾向を確認。

    ES-01改(水無月)との相関と合わせ、調査継続。

    ES-02の情報管理状況について、確認が必要。

 最勝(さいしょう)へ報告:要検討。


────────────────────────


【挿絵:初雪】

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ