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閾の郭(いきのくるわ)  作者: 丸介
第一章「駆逐」

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10/17

第十話「廃墟地帯」

2026/06/11 本文投稿。

────────────────────────


【記録ログ 2147.04.28 05:44:19】

 ES-01 稼働日数:1890日

 本日の任務:第二防衛環 外縁部 哨戒および状況確認

 編成:ES-01、ES-02

 水無月(ES-01改)処置状況:回復中 外骨格修復完了 出撃待機

 備考:ES-01・ES-02・ES-01改、前夜に長時間の接触を確認。

    ES-02による情報開示の可能性あり。

    ES-01の行動変化について、注視を継続。


────────────────────────



 初雪が話し始めたのは、基地の灯りが落ちた後だった。


 三人で、誰も使っていない部屋に入った。床に座った。窓から、夜の廃墟が見えた。白雪と水無月が向かい合って座った。初雪は少し離れた壁に背中をつけて座った。その距離が、初雪がこれから話すことの重さを表していた。


 外骨格基部(エグゾシェル)の両肩。中にあるものの名前を、初雪は最初に言った。


 《脳》だ、と初雪は言った。


 白雪は初雪を見た。水無月は膝の上で手を組んだ。三人の部屋が、その一言で変わった。


 初雪は続けた。

 左右に分割された脳が、外骨格の両肩に一つずつ格納されている。

 素体(コアヴェッセル)。白雪が今まで自分の本体だと思っていた身体は、本体ではない。人間性を保つための生体部位だ。本体は、両肩にある。


 白雪はその言葉を聞いた。


 聞きながら、水無月が中破した日のことを思い出した。水無月の肩の内側に触れた瞬間。半球形に近い形をしたもの。有機的な質感。それを守るように配置された機構。

 あのとき言葉より先に来たものが、今夜、言葉になった。


 言葉になった瞬間に、白雪の中で何かが動いた。動いた何かは、今夜の白雪には、まだ触れられない種類のものだった。


 初雪はさらに続けた。


 左右の脳が完全に同期できないとき、統合不全ノイズが出る。白雪が持っている特殊性は、失敗個体の証だ。換装できない。アップデートできない。そのことが、皮肉にも、最勝(さいしょう)の管理から外れた判断を白雪に可能にしている。


 水無月が聞いた。「白雪だけなの?」と。


 「外縁部にいるゲリラが使うES-00系は、脳が分割されていない」初雪が言った。

 後頭部の単一ユニットに、分割されないまま格納されている。だから、最勝の管理網に接続しない。ES-00の構造は、最勝の《配合計画》が設計思想に入る前の機体だ。


 配合計画、という言葉が出たとき、水無月が少し動いた。


 初雪はそこから先を、声の温度を変えずに話した。素体バージョンアップの真の目的。交配適性センサー。優秀な兵士の評価が意味すること。最勝が何のために管理をしているか。


 白雪は全部聞いた。


 聞きながら、白雪は自分が怒っているかどうかを確認した。怒り、という感情が来るかどうかを確認した。

 来なかった。怒りではない何かが、今夜の白雪の中に湧き上がった。怒りより重く、怒りより静かな何かだった。名前は知らない。


 初雪が話し終えたのは、夜が最も深くなったあたりだった。


 三人で黙っていた。


 最初に口を開いたのは、水無月だった。


 「初雪は、いつから知っていたの?」と水無月は言った。責めてはいなかった。ただ、聞いた。


 「最初から」と初雪は言った。「配属されたときから、知っていた」


 水無月は頷かなかった。初雪を見続けた。


 「なんで言わなかったの?」


 「白雪に、《人間》だと思い続けてほしかった」と初雪は言った。「最初は、それだけだった」


 最初は、という言葉が入っていた。

 最初はそれだけだった。今は違うかもしれない。その差異が、初雪にあった。


 三人でまた黙った。


 水無月がゆっくりと息を吐いた。


 「私も、気づいてたかもしれない──」と水無月は言った。「気づきたくなかっただけで」


 誰も答えなかった。答えない、ということが、今夜の三人の答えだった。


 * * *


 初雪が話した夜から、五日が経った。


 五日間、白雪は整理できないままだった。

 整理できないまま、朝が来て、任務に出て、戻ってきた。整理できないことと、動くことは、両立した。両立する、ということが、以前の白雪からは想像できなかった。


 今日の任務は、第二防衛環の外縁部だった。


 初雪と二人で出た。


 水無月は今日も待機だった。外骨格の修復は完了していたが、素体の回復がまだ続いていた。

 水無月は昨日も、白雪が戻ったときに廊下で待っていた。「おかえり」と言った。今日も帰ってきたね、ではなく、おかえり。今日も同じ言葉を言うだろうと、白雪は思った。思った、ということに歩き始めてから気づいた。


 初雪が斜め前を歩いていた。


 五日前と同じ間隔で歩いていた。ただ、今日の初雪の歩き方には、何かが加わった重さがあった。全部話した、という事実が、初雪の中で何かを変えた。その何かが、歩き方に出ていた。


 第二防衛環の外縁部は、白雪が今まであまり来たことがない区域だった。


 防衛環の中でも外側に近い場所だった。内側より廃墟の密度が低く、建物の間隔が広かった。かつては公園や広場だったらしい空き地が残っていた。百年の草木が、舗装の隙間から伸び、建物の影で育ち、人のいなくなった広場を覆っていた。


 「植生が残っている」と白雪は言った。


 「外縁部は建物の崩壊が進んでいる分、光が入りやすい」と初雪が言った。「土と光があれば、百年で戻る」


 「植物は待てる」と白雪は繰り返した。「待つ。そして育つ」


 白雪は足元の草を見た。舗装の割れ目から伸びていた。細かった。ただ、確かにそこにあった。踏まなかった。踏まないことを選んだ。


 地下入口が視界に入った。


 白雪は入口を見た。暗かった。先週から、地下の振動が深くなっていた。深い場所に引いたまま、静かになっていた。

 近づかなかった。知らないから確認する、ではなく、知らないから近づかない、という判断が今の白雪はできた。それが正しいかどうかはわからなかった。ただ、その判断をしていた。


 南端の廃ビル街に入ったあたりで、気配があった。


 クリーチャーではなかった。人の気配だった。一人。こちらを観察している種類の気配だった。ただし、近づいてくる様子はなかった。距離を保っていた。


 「初雪」と白雪は言った。


 「気づいている」と初雪は言った。「ES-00系だ。一人。こちらを見ている」


 二人で足を止めた。


 しばらくして、崩れたビルの陰から人影が出てきた。


 白雪は相手を見た。


 ES-00だった。


 肩のユニットが小さかった。白雪や初雪の外骨格基部とは全く違う形状をしていた。代わりに、後頭部に丸みのある、やや細長のユニットがあった。一つだけ。分割されていない。全体のシルエットが、人間に近い。素体の露出が少なかった。色はオリーブドラブだった。使い込まれた傷があった。


 白雪は後頭部のユニットを見た。


 丸みがあり、後頭部に、一つだけ。

 初雪が話した夜に言っていた。ES-00は脳が分割されていない、と。後頭部の単一ユニットに、分割されないまま格納されている、と。だから最勝の管理の外にある、と。


 その形が、今日の白雪の目の前にあった。


 相手は銃を持っていた。旧式の銃だった。斥力(リパルション)技術のない銃だった。ただし、銃口は下を向いていた。向けていなかった。


 白雪も外骨格右腕の機構を展開しなかった。


 「ES-00か?」と白雪は言った。


 「そうだ」と相手は言った。声は低かった。感情を使う必要がなかった長い時間が、声に入っていた。


 「偵察か?」


 「そうだ」


 「誰の指示で」


 相手は少し間を置いた。


 「深雪(みゆき)の」


 深雪、という名前が外縁部の廃墟に出た。白雪は初めて聞く名前だった。固有名詞として、今日初めて聞いた。


 「深雪とは誰か」と白雪は聞いた。


 「私たちのリーダーだ」相手は答えた。「この区域を長く見ている」


 「お前の名前は」


 相手は少し間を置いた。


 「(かや)だ」


 「榧──なぜ私たちを偵察していた」


 「お前たちが外縁部に来るようになったから」榧は言った。「いつもと違う動き方をしていた。理由を確認したかった」


 「いつもと違う動き方、というのは」


 「地下に近づかなくなった」榧は白雪を見たままだった。「以前は地下入口を確認していた。今は近づかない。何かを知った個体の動き方だ」


 何かを知った個体の動き方。白雪はその言葉を処理した。知った、ということが、外から見て行動の変化として現れていた。白雪自身は変化を意識していなかった。


 「知った」と白雪は言った。「五日前に」


 「何を知った」


 「外骨格基部の内側を見た。それが何かを、仲間から聞いた」


 榧が白雪の両肩を見た。外骨格基部を見た。見てから、自分の後頭部ユニットに触れた。触れる、という動作をした。確認するような触れ方だった。


 「そうか」と榧は言った。「深雪に報告する」


 「それでいい」


 榧が白雪を見た。今度は少し長く見た。


 「一つ言っていいか」と榧は言った。


 「言っていい」


 「クリーチャーは思っているより賢い」


 唐突だった。白雪は榧の言葉を処理した。脈絡がない、のではなく、脈絡があるが白雪にはまだ見えていない種類の言葉だった。


 「どういう意味だ」


 「意味はそのままだ」と榧は言った。「地下の掃討をしているな。外縁部の観測からそう見える」


 「している」


 「やめた方がいい」


 「なぜ」


 「理由は深雪に聞け」榧は銃を背に回した。「会いたければ、五反田に来い。南口の方に、まだ立っているビルがある。屋上に旗あれば、それが合図だ」


 「深雪がそう言っているのか」


 「深雪が言う前に、私が言っている」榧は少し間を置いた。「深雪に報告した後で、どう言うかは、深雪が決める。ただ、私はお前たちに来てほしいと思っている」


 「なぜ」


 「それも、会ってから話す」


 榧が踵を返した。歩き始めた。ビルの陰に向かって歩いた。その背中が、廃墟の影に消えた。


 白雪は榧の消えた場所を少し見た。


 初雪が白雪の隣に来た。


 「行くか」と初雪は言った。


 「ああ」と白雪は言った。


 二人で歩き始めた。榧が消えた方向とは別の方向を歩いた。外縁部の草が、風に揺れていた。


 「五反田に行くか」と白雪は言った。


 「白雪が決めることだ」と初雪は言った。


 「私が決めていいか」


 「私は白雪の隣にいる。白雪が行くなら、私も行く」


 白雪は草の揺れているのを見ながら歩いた。


 今日、外縁部で榧と会った。

 深雪という名前を聞いた。

 五反田に旗が出る日があると聞いた。

 クリーチャーは思っているより賢い、という言葉を聞いた。

 地下の掃討をやめた方がいい、という言葉を聞いた。


 それらが今日の白雪の中にあった。


 行く、という言葉が、白雪の中に浮かんだ。旗が出る日に、五反田へ。深雪のところへ。


 浮かんだ言葉を、白雪は強く刻んだ。


 * * *


 基地に戻ると、水無月が廊下で待っていた。


 処置室ではなく、廊下で待っていた。包帯の左腕。外骨格を部分的に装着して、立っていた。


 「おかえり」と水無月は言った。


 「ああ」と白雪は言った。


 「何かあった? 顔が違う」


 「あった」


 「話してくれる?」


 白雪は水無月を見た。包帯の左腕。おかえり、と言った水無月。今日白雪が外縁部で見てきたものを、水無月はまだ知らない。知らないまま、廊下で待っていた。


 「今日、外縁部でES-00系の機体と会った」と白雪は言った。「榧、という名前だった。深雪というリーダーの指示で偵察をしていた。五反田に拠点があるらしい。旗が出ている日に来ていい、と言われた」


 水無月は黙って聞いていた。


 「地下の掃討はやめた方がいい、とも言っていた。理由はリーダーに聞け、と」


 「ゲリラ、ってこと?」と水無月は言った。 「初雪が話してた、最勝の管理外にいる人たち?」


 「そうだ」


 水無月はしばらく黙った。廊下の壁を見ていた。考えている顔だった。


 「行くの?」と水無月は言った。


 「行く」と白雪は言った。


 水無月が白雪を見た。


 「三人で?」


 「三人で」


 水無月は少し黙った。黙ってから、頷いた。


 「うん」と水無月は言った。「行こう」


 白雪は水無月を見た。水無月は前を向いていた。今日白雪が外縁部で感じた何かを、水無月は受け取っていた。受け取った上で、行こう、と言った。


 「水無月」と白雪は言った。


 「何?」


 「回復したら、聞きたいことがあれば聞いていい」


 水無月が白雪を見た。初雪が話した夜の続きのことだ、と水無月はわかっているはずだった。わかった上で、水無月は少し間を置いた。


 「うん」と水無月は言った。「聞く。ちゃんと聞く」


 廊下の奥で、基地の発電機が鳴っていた。いつもの音が、今日は少し違う意味を持っていた気がした。いつもここにあった音が、今日ここで続いている。

 続いている、ということが今は、何かの確認だった。



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【記録ログ 2147.04.28 18:03:55】

 ES-01 本日の交戦記録:交戦なし

 備考:ES-01・ES-02が外縁部において未確認個体(ES-00系)と接触。

    接触時間:推定10〜15分。

    個体識別:不能(最勝の管理網に登録なし)。

    会話内容:傍受不能(ES-00系は管理網に非接続のため)。

    接触後、ES-01がES-01改(水無月)に何らかの情報を伝達した可能性あり。

    ES-01の行動変化:継続して観察中。

 最勝へ報告:ES-01への直接通信を検討。タイミングを慎重に判断すること。

 最勝コメント:「少し待ちます。白雪さんのペースで、話しましょう」


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