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閾の郭(いきのくるわ)  作者: 丸介
第一章「駆逐」

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11/17

第十一話「深雪」

2026/06/12 本文・挿絵投稿。

────────────────────────


【記録ログ 2147.05.02 05:51:44】

 ES-01 稼働日数:1894日

 本日の任務:第二防衛環 外縁部 状況確認(継続)

 編成:ES-01、ES-02

 水無月(ES-01改)処置状況:回復中 出撃待機

 備考:外縁部における未確認ES-00系個体の追加接触を警戒。

    ES-01・ES-02の行動を注視。


────────────────────────



 (かや)と会ってから四日が経っていた。


 四日間、白雪と初雪は毎日外縁部に出た。掃討の名目で出た。名目、という言葉を白雪は初めて使った。名目、表向きの理由。本当の理由とは別の理由。

 歩きながら、南の方角を確認した。五反田の方向だ。旗は出ていなかった。出ていないまま、四日が経っていた。


 四日の間に、白雪は地下入口に近づかなかった。


 近づかない、という選択をしていた。榧が言っていた。クリーチャーは学習する。

 深い場所に引いていった振動が、何を意味するのかを、白雪はまだ知らなかった。知らないまま、近づかなかった。知らないから近づかない、という判断が、白雪にとって新しかった。以前の白雪は、知らないから確認する、という動き方をしていた。


 初雪と二人だった。水無月は回復中だった。回復は順調だったが、まだ出撃できない状態が続いていた。

 水無月は今日も、処置室で白雪たちの帰りを待っていると言っていた。「おかえり、って言いたいから早く帰ってきてよ」と言っていた。

 白雪は答えなかった。答えなかったが、今日は少し速く歩こうと思った。思ったということに、歩き始めてから気づいた。


 外縁部の空気は今日も静かだった。


 クリーチャーの気配がなかった。外縁部に出るたびに確認していた。四日間、第一形態の気配すらなかった。静かすぎた。地下に引いたまま、何かが変わりつつある、と榧は言っていた。変わりつつある何かが、今も地下にある。


 * * *


 南区画の廃ビル街を抜けたあたりで、気配があった。


 クリーチャーではなかった。人の気配だった。今日は一人だった。四日前に感じた気配より、落ち着いていた。こちらを観察している、という種類の気配ではなかった。ただ、そこにいた。


 「初雪」と白雪は言った。


 「気づいている」と初雪は言った。「一人。ES-00系。榧とは別の個体だ」


 「別の個体?」


 「歩き方が違う」


 白雪は少し考えた。歩き方で個体を識別する、ということを、初雪はしていた。初雪がそういう観察をしていた、ということが、白雪には少し新しかった。

 初雪は白雪の知らないところで、知らない方法で、周囲を見ていた。


 気配は動かなかった。


 白雪たちが歩くにつれて、気配との距離が縮まった。縮まったのは、白雪たちが近づいたからではなく、気配の方が位置を調整していたからだった。こちらに向かってきているのではなく、こちらの動きに合わせて位置を保っていた。


 接触する意思がある、と白雪は判断した。


 白雪は歩く速度を変えなかった。


 旧・首都高速の高架が残っている区画に入ったとき、高架の陰から相手が出てきた。


 白雪は相手を見た。


 ES-00系。榧と同じ強化外骨格(エグゾフレーム)だった。だが、榧より背が高かった。外骨格の使い込まれ方が、榧より深かった。傷の数が多かった。修復の跡が多かった。後頭部のユニットに、細かい傷が複数あった。


 白い皮膚ではなかった。素体の露出が少ないES-00系の構造のため、素体はほとんど見えなかった。ただ、見えている部分──首のあたりの素体が、日に焼けていた。外で長い時間を過ごしてきた色だった。


 銃を持っていなかった。


 両手が空だった。銃を持たずに出てきた。それが何を意味するのかを、白雪は確認した。敵意がない、という意思表示だった。


 白雪も外骨格の機構を展開しなかった。


 二人で、少し離れた距離に立った。


 相手が白雪を見た。白雪を見て、初雪を見た。視線がまた白雪に戻った。

 見方が、榧の見方と違った。榧は確認していたが、この相手は、測っていた。評価、という言葉に近い見方だった。


 「ES-01か」と相手は言った。


 声が低かった。榧より低かった。感情が入っていなかった。感情を入れない訓練をした声というより、長い間、感情を使う必要がなかった声だった。


 「そうだ」と白雪は言った。


 「名前は」


 「白雪」


 相手は少し間を置いた。


 「深雪だ」


 深雪、という名前の重さを確認した。榧が「深雪に報告する」と言っていたゲリラのリーダーだった。


 「榧から聞いた。知った、と言っていた」


 「五日前に。初雪が話した」


 「三人で聞いたと」


 「ああ。私と初雪と水無月だ」


 深雪は白雪を見たままだった。何かを決めている目だった。長い間があった。深雪は白雪を見て、白雪もまた深雪を見ていた。


 深雪が口を開いた。


 「お前たちに聞く」と深雪は言った。「今後も、最勝(さいしょう)の管理下に居るつもりがあるか」


 直接だった。白雪は問いの意味を確認した。あるか、ないか。どちらかを今、聞いている。


 「わからない」と白雪は言った。


 「わからない、か」


 「決めていない。ただ、居続けることに疑問がある」


 「疑問がある、とは?」


 「疑問がある状態だ。それ以上に言葉にならない」


 深雪は少し間を置いた。


 「正直だな」


 「不正確な返答は意味がない」


 「そうだ」深雪は言った。頷かなかった。ただ、そうだ、と言った。「不正確な答えを聞いても意味がない」


 白雪は深雪を見た。深雪の目が、評価から別の何かに変わった気がした。変わった何かの名前を、白雪は知らなかった。


 「初雪」と深雪は言った。


 「何だ」


 「知っていて、言わなかった理由を聞いてもいいか」


 初雪が少し間を置いた。


 「白雪に話した理由と同じだ」と初雪は言った。「白雪に《人間》だと思い続けてほしかった。それだけだ」


 「それだけ、か」


 「それだけだった。今は、それだけではないかもしれない。ただ、最初はそれだけだった」


 深雪は初雪を見ていた。評価している目だった。長く見た。


 「わかった」と深雪は言った。それだけだった。

 初雪の答えを受け取った、という言い方だった。批判しなかった。肯定もしなかった。ただ、受け取った。


 深雪が白雪に向き直った。


 「白雪」


 「何だ」


 「一つだけ言う」


 「聞こう」


 深雪が少し間を置いた。置いてから、言った。


 「疑い続けることが、私の戦い方だった」


 白雪は深雪の言葉を聞いた。疑い続けることが、戦い方。疑い続けてきた時間が、深雪の今に繋がる。その時間の長さが、深雪の中に入ってきた。


 「どのくらい疑ってきたのか」と白雪は聞いた。


 「長い」と深雪は言った。「確信はなかった。今もない。ただ、長い間疑っていた。疑い続けた結果が、今の私にはある」


 「何があるのか」


 「自由だ」深雪は言った。「不完全な自由だ。管理の外にいる、というだけの自由だ。それでも、ある」


 自由、という言葉が外縁部に響いた。

 白雪はその言葉を知っていた。今まで、自由、という言葉を白雪は自分に使ったことがなかった。使う必要がなかった。必要がなかった、ということが、今の白雪には、何かを意味していた。


 「管理の外に出ることが、自由か」と白雪は聞いた。


 「そうとも言えない」と深雪は言った。「管理の外に出ても、自由かはわからない。ただ、選択は増える。私はそれを自由と呼んでいる」


 選択が増えること。白雪はその言葉を処理した。

 管理の中では、選択の範囲が決まっていた。管理の外では、選択の範囲が広がる。

 広がった先に何があるかは、わからない。わからないまま、選択が増える。深雪はそれを自由と呼んでいた。


 「お前たちがどうするかは、お前たちが決めることだ」と深雪は言った。「私は強制しない。ただ、一つだけ言っておく」


 「何だ」


 「最勝はお前たちを手放さない。穏やかに、ずっと、手放さない」


 穏やかに。

 最勝の声が白雪の中に浮かんだ。


 いつも願っています。

 大切に思っています。

 帰ってきてくれて、よかった。


 穏やかな声が、穏やかに言い続けていた。

 深雪の言葉と最勝の声が、白雪の中で並んだ。


 「わかっている」と白雪は言った。


 「わかっているなら、いい」


 深雪が踵を返した。歩き始めた。高架の陰に向かって歩いた。


 白雪は深雪の背中を見た。深雪がここまで生きてきた時間が、背中に刻まれていた。


 「深雪」と白雪は言った。


 深雪が止まった。振り返らなかった。

 深雪は少し間を置いた。


 「──来たければ来い。旗が出ている日は、来ていい」


 「わかった」と白雪は言った。


 深雪が今度こそ歩き始めた。高架の陰に入った。入って、消えた。


 白雪は深雪が消えた場所を少し見た。


 初雪が白雪の隣に来た。


 「行くか」と初雪は言った。


 「ああ」


 二人で歩き始めた。


 白雪は歩きながら、深雪の言葉を繰り返した。

 疑い続けることが、戦い方だった。

 不完全な自由。

 選択が増えること。

 穏やかに、ずっと、手放さない。


 来たければ来い。


 その言葉が、今日の白雪の中で、他の言葉と並んだ。並んで、静かにそこにあった。


 「初雪」と白雪は言った。


 「何だ」


 「深雪は長い間、一人で疑っていたのか」


 「おそらく」


 「疑い続けた結果が、今の深雪にはある、と言っていた」


 「ああ」


 「私は、まだ始まったばかりだ」と白雪は言った。


 初雪が白雪を見た。白雪は前を向いていた。


 「そうだな」と初雪は言った。


 「始まったばかり、ということが……今は少し、何かを意味している気がする」


 「どういう意味か」


 「わからない」と白雪は言った。「わからないが、今は少し、怖くない気がした」


 初雪は答えなかった。


 答えない、ということが、初雪の答えだった。白雪はそれを受け取った。受け取る、という動作を白雪は判断した。


 二人で歩いた。


 外縁部の草が、今日も風に揺れていた。弱い風だった。草が揺れるだけの風が、廃墟の間を通り抜けていた。白雪は草が揺れているのを見ながら歩いた。


 水無月がおかえり、と言う場所に向かって。



────────────────────────


【記録ログ 2147.05.02 17:29:11】

 ES-01 本日の交戦記録:交戦なし

 備考:ES-01・ES-02が外縁部において未確認個体(ES-00系)と接触。

    接触時間:推定15〜20分。

    個体識別:不能。ただし前回接触個体とは別個体と推定。

    会話内容:傍受不能。

    接触後のES-01の行動変化:前回より顕著。

    歩行速度が帰投時に増加(推定7〜8%)。

    最勝へ報告:ES-01への直接通信を本日中に実施することを推奨。

 最勝コメント:「少し待ちます。白雪さんのペースで、話しましょう」


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【挿絵:深雪】

挿絵(By みてみん)

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