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オストラシズム・ジャスティス-現代聖魔対策科-  作者: 家奈みつき
バズりと、血溜まりと、色欲のデビル
11/13

堕ちる天使。嗤う悪魔。夜惑なネオン。6

 聖はグラスに手を伸ばし、震えを隠すように氷をひとつ落とした。


ーからん、と乾いた音が卓の上で小さく響く。


「ウィング・リッパー、ロックでよろしかったですよね?」


「ええ」


 男――アスモデウスは、相変わらず穏やかに微笑んでいる。

 端から見れば、気前のいい上客と、それに応じる少し緊張したキャスト。


 聖が琥珀色の液体をグラスへ注ぐ。その手元を眺めながら、アスモデウスは何気ない調子で口を開いた。


「綺麗な手ですね」


「よく言われます」


「羽を隠すのも、そのくらい器用だといいのに」


 聖の指先が止まった。だが、顔は崩さない。笑顔のまま、ゆっくりと視線だけを上げる。


「……何のことですかぁ?」


「惚けなくていい」


 声色は柔らかいまま。なのにその一言で、卓の温度がぐっと下がった気がした。


「君、自分がずいぶん目立つことをしている自覚はあるんでしょう?」


「お客様、酔ってます?」


「いいえ。むしろ冴えていますよ」


 アスモデウスはようやくグラスを手に取ったが、飲みはしない。ただ、聖をじっと見つめた。


「この街は香りが多すぎて嫌になります。酒、香水、欲望、虚栄、嫉妬……下に堕ちてまでこんな場所に潜み、安酒と男の欲に塗れている羽虫が」


 聖の喉が小さく鳴る。


「あなた、何者?」


「それを君が聞くんですか?」


 くすり、と笑う。人好きのする優雅な仕草なのに、どこか残酷な笑顔で聖に微笑む。


「……好きでこんなとこにいるわけじゃない」


「だとしても、見苦しい」


「黙って」


 今度は聖が言葉を遮った。声は小さいが、芯に尖った怒気があった。


 しかしアスモデウスは意に介した様子もない。


「君たちはいつもそうだ。高い場所から見下ろし、綺麗な顔で赦しを語るくせに、落ちれば誰より醜い」


「黙ってって言ってるでしょ」


「君も同じですか? それとも、もっと惨めかな」


 その瞬間、聖の笑みが完全に消えた。藍色の瞳が冷たく細まり、そこにいるのは愛らしいキャバ嬢・聖ノエルではなくなっていた。


「……あなたに関係ない」


「ありますよ。狩りの前には、獲物の質を見極めたい」


 アスモデウスがやっと酒を口に含む。まるで会話の区切りを味わうみたいに、ゆっくりと喉へ落とした。


「天使というからには、もう少し品があるかと思った。お前はあのお方の祭壇の贄に相応しくない。」


「……っ」


 聖の肩が震える。怒りか、恐怖か、その両方か。


「どこで私を嗅ぎつけたの」


「君が隠れるのが下手だっただけです。あまりにも目立ちすぎなんですよ貴方。こちらのネットワークを舐めないでください。貴方、もう我々に近いところまで堕ちてますよ」


 その一言で、聖の中で何かが切れた。


「……っ、」


 彼女は立ち上がった。勢いよくソファから離れ、椅子の脚が床を擦る音がした。


 周囲の客が一瞬だけ何事かと目を向けるが、店内は派手な音楽と歓声で満ちている。小さな異変はすぐに飲み込まれた。


「気分悪いので、少し外します」


 聖は営業用の声を辛うじて保って言う。


「すぐ戻りますから」


「ごゆっくり」


 アスモデウスが穏やかに言った。


 遠くから2人の様子を伺っていた狭間は違和感を感じた次の瞬間、彼女は駆け出した。ドレスの裾を翻し、人波を縫うようにしてフロアの奥へ抜ける。普通のキャストが客を放ってこんな逃げ方をするはずがない。


(やっぱりおかしい……!)


 少し離れた位置から様子を見ていた俺は、反射的に聖を追いかけた。


(やり取りの声はほとんど聞こえなかった。だが見えた。ただの接客トラブルじゃない!)


 走り出した後ろには中央卓の方でひときわ大きな歓声が上がった。


「アマネさーん! こっち向いて!」


「代犠様、すごーい!」


「セリナさんも入って! 写真撮るよ!」


「ヘルプだから私はいいわよ」


 視線を向けると、御子柴セリナがアマネの隣へ寄り、さりげなくヘブンリー・ドロップのラベルが正面に来るよう位置を整えていた。シャンパンタワーは卓の左寄り、アマネの笑顔がいちばん映える角度、そして翼を模した白銀のボトルがきらりと光る位置。慣れた手つきだった。


 セリナはスマホを構えたボーイに軽く角度を指示し、それから自分でも別の端末を取り出す。

 レンズ越しに卓を覗き込み、ほんの一瞬、無表情になった。――撮った。


 だが今はそれどころじゃない。


 アスモデウスは聖が走り去ったのを見て立ち上がった。


「すみません!ノエルちゃん今日調子が悪かったみたいで、お客様大変申し訳ございません…」


田村が走りそう言ったら、


「お会計を」


「えっ、もうお帰りですか?」


「ええ。お目当てが席を外してしまったので」


「はっ!大変申し訳ございませんでした!!2番卓さんお会計です」

 アスモデウスは伝票を受け取り、さらさらとサインを書き、そっと退店した。


***


 裏口の扉は少しだけ開いていた。冷気が吹き込み、布越しでも分かるほど温度が落ちる。


「聖さん!」


 呼んでも返事はない。外へ出ると、雑居ビルの脇に取り付けられた螺旋状の外階段が、夜の闇へ巻き上がるように伸びていた。


 かすかに、上の方で足音がした気がした。


「くそっ……!」


 俺は階段を駆け上がる。

 鉄の段が足裏に冷たく、踏むたびに甲高い音が響いた。下を見れば歌舞伎町のネオンが遠く滲んでいる。風が強く、看板の明かりがちらちらと壁に反射する。


「聖さん!どこにいますか?」


 返事はない。ただ、どこかに“気配”だけがある。


 数階分を上がったところで、俺は足を止めた。息が白く漏れる。見回しても、人影はない。


(見失った……?)


 いや、そんなはずはない。一本道だ。どこかの踊り場に身を潜めているのか。


「……あなた」


 すぐ背後から声がした。不意打ちだった。


 ぐらり、と視界が傾く。鉄が軋む。次の瞬間には、体がもう支えを失っていた。


「っ――!」


 足元が消える。世界が反転した瞬間だった。

ようやく落ちました。

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