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オストラシズム・ジャスティス-現代聖魔対策科-  作者: 家奈みつき
バズりと、血溜まりと、色欲のデビル
10/13

堕ちる天使。嗤う悪魔。夜惑なネオン。5

 そう男が言った目線の先を見ると、田村さんと聖が話し合っていた。


聖の顔色は、遠目にも分かるほど悪かった。


 藍色の瞳は怯えた小動物みたいに揺れていて、それでも必死に平静を装おうとしているのが見て取れた。


「知らないわよ! 私はアマネさんのヘルプで今入ってんの!」


 店の喧騒の中でも、その声だけは少し尖って耳に届いた。

 田村さんは困り果てた顔で、何度も宥めるように両手を動かしている。


「気持ちは分かるけどさ、聖さん。相手は新規でいきなりウィング・リッパー開けてんだよ? しかも聖さんを指名。ここで無下にしたら、後でマネージャーになんて言われるか――」


「だから無理だって言ってるでしょ!」


 聖が言葉を被せた。

 その瞬間、藍色の瞳がちらりと男――アスモデウスの方を見た。


 刑事の勘だが、あれはただの“苦手な客”を見る目じゃない。この男に怯えている目だ。喉元を掴まれた鳥みたいな、剥き出しの恐怖。


(……この2人の間にきっと何かある)


 男はそんな卓のざわつきを肴にするみたいに、片肘をソファに預け、聖達のやり取りを眺めていた。急かすでもなく、苛立つでもなく、ただ余裕たっぷりに微笑んでいる。まるで、逃げ場なんて最初からどこにもないと分かっている捕食者みたいに。


 そのときだった。


「アマネちゃーん! 今夜も一番輝いてるねぇ!」


 フロア中央から、代犠の上機嫌な声が響いた。見れば彼が立ち上がり、芝居がかった仕草で片手を上げている。隣のボーイがすぐに身を寄せ、何か耳打ちされた。


 次の瞬間、店内に通る声が響き渡った。


「代犠様より、シャンパンタワーに続いて、ヘブンリー・ドロップ、いただきました!!!!」


 一気にフロアの空気が変わる。


「「ありがとうございます!!!!」」


 歓声と拍手が上がり、照明が中央卓へ集中する。まるで祭壇だ。黄金色の泡とガラスの反射、きらびやかな歓声、その中央で嶺聖アマネが花みたいに微笑んでいる。追加で運ばれてきた白銀の意匠を纏う最高級ボトル――ヘブンリー・ドロップは、他の酒とは明らかに格が違った。翼を模した装飾がネオンを受けて鈍く光る。


 その光を見た瞬間、聖の肩がぴくりと震えたように見えた。


「ほら、聖さん! 今アマネさんの卓が派手に動くから、むしろ一瞬抜けやすいって! 頼むって!」

 田村さんが必死に言う。


「抜けやすいとかそういう問題じゃ……」


 そのとき、二人のもとへすっと近づく影があった。


「何、騒いでるの?」


 低く、艶のある声。2人の側に来たのは御子柴セリナだった。

 店の喧騒さえ彼女のためにあるみたいに見える女だった。黒を基調としたドレスを隙なく着こなし、長い睫毛の下の瞳には夜の光を映している。華やかなのに、どこか底知れない冷たさがある。圧倒する“本物”の夜の女の登場だ。


「セ、セリナさん」

田村さんが一歩姿勢を正す。


 セリナは聖と田村さん、そして少し離れた卓に座る俺と男を順番に見た。


「事情は?」

短く問う。


「新規のお客様が聖さん指名で……でも聖さん今アマネさんのヘルプ入ってて……」


「断ってるの?」


セリナの目が聖へ向く。


 聖は唇を噛み、露骨に顔を逸らした。


「……今、アマネさんの卓が大事なところだから」


「それは理由になってないわ」


ぴしゃりと切り捨てる。感情のない、よく通る声だった。


「でも……」


 聖が何か言い返そうとした、そのとき。セリナはふっと中央のアマネの卓へ目を向けた。代犠が上機嫌でグラスを掲げ、ヘブンリー・ドロップの栓が抜かれようとしている。


「……ふうん」


 その一瞥だけで何かを計算し終えたみたいに、セリナは小さく息を吐いた。


「いいわ。アマネのヘルプ、私が入る」


 田村さんが目を丸くした。


「えっ、セリナさんが!?」

「問題ある?」

「い、いや、ないですけど……」


 ある意味一番の非常事態だった。御子柴セリナほどの格の女が、そう簡単にヘルプへ回ることなんてない。彼女は“付く側”じゃない。普通は付かれる側だ。


 だがセリナはまるでそれが当然みたいに、グラスを載せたトレイを近くのボーイから受け取った。


「今のアマネの卓、代犠様が上機嫌でしょう。私が入れば見栄えもする。客も喜ぶ。店としても損はない」

そこまで言ってから、セリナは聖へ視線を戻した。


「だから、あなたは行きなさい」


 聖の喉がひくりと鳴る。怒り、恐怖、反発、それでも逆らえない諦め。全部が混じっていた。


 セリナは一歩だけ近づき、聖にしか聞こえないくらいの声で何かを囁いた。


 聖の肩がびくっと震える。


 その内容までは聞こえなかったが、次の瞬間には、聖はもう反論できなくなっていた。


 俯き、爪が掌に食い込むほど手を握りしめ、それからぎこちなく笑みを作る。


「……分かりました」


 その声は、ほとんど自分に言い聞かせるみたいだった。


「最初からそう言えばいいのよ」


 セリナは何事もなかったかのように言い、くるりと踵を返す。

 そのまま中央の卓へ向かっていく後ろ姿は、まるで舞台の主役が主役のもとへ行くような貫禄だった。


 案の定、彼女が近づいた瞬間、中央の空気がさらに華やいだ。代犠が歓声を上げ、アマネが驚いたように微笑み、シャンパンタワーの前はますます絢爛な見世物になる。


 一方で、聖はしばらくその場から動けずにいた。


「聖さん……」


 田村さんが気まずそうに声をかける。


「分かってる」


 聖は吐き捨てるように言うと、胸元を整え、乱れひとつない営業用の顔を作った。けれど、その藍色の瞳だけは死んだみたいに冷えていた。




 俺は聖がこちらに向かって歩いて来たので、

「では、引き続きお楽しみください。」

といい、卓から離れつつ様子を伺うことにした。





 聖は卓の前で立ち止まる。ほんの一瞬だけ呼吸を整え、それからふわりと笑った。


「失礼しまぁす。聖ノエルです。ご指名ありがとうございます」


 完璧な笑顔。完璧な声色。けれど、その指先はテーブルの縁に触れる寸前まで震えていた。


 ソファに腰を下ろした聖を前に、男はグラスも持たず、ただ満足そうに目を細めた。


「ええ。待っていましたよ」


 かたや余裕の笑みのアスモデウス。


 聖の笑みが一瞬だけ引きつる。


「うれしい。私、そんなに待たせちゃいました?」


「少しだけ」


 アスモデウスは、まるで恋人に甘い文句を囁くみたいな柔らかさで言う。


「でも、逃げずに来てくれて安心しました」


 その一言で、聖の背筋が強張った。


 ――逃げずに。その言葉の意味を、理解しているのはたぶんこの卓で二人だけ。この男は、最初から知っていた。この店に“何がいるか”を。そして聖ノエルもまた、こいつが自分を狩りに来た存在だと気づいている。


 ネオンと笑い声に満ちた高級キャバクラのど真ん中で。今、静かに“狩り”が始まろうとしていた。

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