マウリツィオとスープ
家に帰って来た。
自転車を倉庫へ戻し、家に入る。
母親は帰ってきていなかった。
外は夕暮れで薄暗くなっていた。家の中は、かなり暗い。梨音は電気もつけずに廊下を進んだ。
レナータの感覚においては、照明といえば蝋燭や植物油を使ったランプのことだ。貴族用の広間には魔道具の照明もあったけれど、それは高価なものだったから廊下や狭い部屋に設置されていることは稀だった。
蝋燭にしろランプにしろ、火を灯さなくてはならないので面倒であるし本当に必要なところ以外では暗さに目を慣らして進んだ方が早かった。
そんなわけで、梨音は電気をつけなかった。
もちろん、スイッチを押すだけだということは知っているのだけれど・・・長年の習性というかね・・・
廊下の先で電話のボタンが点滅していた。
固定電話の留守番機能だ。梨音の記憶がボタンを押せと言っている。
『ピー。あ、梨音?まだ帰ってないの?お母さん、残業で遅くなるから、ご飯食べて、先に寝ちゃってね。キッチンのテーブルに千円置いてあるから。スーパーで夕飯買ってね。・・・ピー』
「マウリツィオ、どうやら今夜はお母さまも帰ってこないようです」
「日本という国の労働者階級は夜中までも働き続けるのですよ」
梨音は首を振った。
「いえ、これは梨音の記憶で知っているのですけど・・・お母さまは残業などで遅くなるのではありませんよ」
マウリツィオが怪訝そうな顔で見上げた。いや、そんな感じがする首の傾げ方で黒猫は見上げていた。
「お母さまは・・・お父さまとは別の男性と仲良くなさっているようなのです。ですから、夜中遅くにしか帰ってこないのです」
キッチンの電気を点け、千円札を1枚手に入れた。
梨音は買い物に行かずに冷蔵庫を開ける。
「このお金は週末に使いましょう」
冷蔵庫の中からミルクをマウリツィオ用に取り出すと皿に入れて差し出した。
「さて、何か作りましょう」
とは言っても梨音は料理の経験さえない。
ということはレナータの経験から料理をするしかない。もちろん、レナータも料理が得意というわけではない。警備隊長をしていたとはいえ、貴族令嬢である。自分で食事を作らなければならないような身分ではない。
が、簡単なものなら作ったことがあるし、どちらかといえば作りたがるほうだった。
「材料は・・・冷蔵庫の中にはあまりありませんね。ウインナーくらいですか」
豆腐や納豆、卵は入っていたけれど、かなり何も無い感じの冷蔵庫だ。梨音の母親はあまり料理をしない。出来ないわけではないようだけれど、夫が不在がちのため積極的に料理をしない。どうしても出来合いのものになることが多かった。
「こういう時は缶詰を使いましょう」
梨音の母親も、保存の利く缶詰は割と買っている方だった。その中にひよこ豆の水煮とトマト水煮があった。
「調味料は・・・この固形コンソメというものさえあれば、どんなものでもおいしくなるんですよね?」
キッチンの引き出しを片っ端から開けていくと、玉ねぎ、コンソメ、ブラックペッパー、塩、乾燥のペッパー類の瓶、オリーブオイルが出てきた。
ウインナーを切って、玉ねぎも切っていく。缶詰を開けて水煮のひよこ豆を確認する。
「私、豆の皮は嫌いなのよね」
ひよこ豆の皮をむいておく。
「レナータ様、大丈夫ですか?コンロを使えるのですか?」
「大丈夫よ。お母さまが使うところを見ていましたからね。一度使ってみたいと思っていたのですよ。実家の厨房にあった魔導コンロよりも凄いわ」
IHコンロである。
「見てよマウリツィオ。火も出ないのにフライパンが温まってきたわ」
具が少ないけれど、フライパンでウインナーと玉ねぎを炒める。ある程度火が通ったらひよこ豆の水煮とトマト水煮を投入する。コンソメ、オリーブオイル、塩、ペッパー、ハーブで味を調える。
「うん、懐かしい味」
実際の日付的には1週間と経っていないけれど・・・梨音の感覚的には何年も前のような感じがするためだ。スカファーティー家の普段の食事では、ひよこ豆は定番の食材だった。トマト煮込みも同様だ。
ぐつぐつと煮込んでいく。
「そろそろいいでしょう」
梨音はコンロからフライパンを降ろし、皿に移す。地中海風ひよこ豆のスープ。食パンを1枚添える。
「うん。おいしいわ」
豆はホクホクしていておいしい。パンにもあう。
「レナータ様、いい匂いがします」
「マウリツィオも食べる?スープなら少しは食べられるでしょう?」
「よろしいのですか?」
「ええ、少し多く作り過ぎたもの」
マウリツィオの皿に取り分けて床に置いた。マウリツィオは湯気の立つスープをなんとかして冷まそうと前足でつついていた。適度に冷めたところでガブリ、とかみついた。ホクホクの豆は柔らかく、半霊体のマウリツィオでもなんとか食べられた。
「大変懐かしい味でございます・・・」
マウリツィオも同郷みたいなものだ。隣国出身とはいえ、似たような地域である。あまりの懐かしさにマウリツィオは感動していた。
豆なんて、別に特に好物というわけではなかったのだが・・・今となっては堪らなく懐かしい・・・




