Op.59「持たざる者」
「惑星迷宮の秘宝である神秘のオルゴールを開いて、原譜の能力者になるなんて奇跡でも起こらない限りね」
長机を挟んだ向こう側で、フィオネの青い瞳がまっすぐルナを射抜く。
言うまでもなく、その言葉は原譜の能力者になったばかりのルナへ向けられたものだった。
だが、その内容には少しだけ引っかかるところがある。
「ちょっと待った。さっきの契約の説明の時に、魔力量の少ない人間が原譜の能力者と契約しても術式を使えないって話だったと思うんですけど、その理屈でいくなら、魔力の少ない人間が原譜の能力者になっても魔法を使えないんじゃないんですか?」
俺の問いに、フィオネはほとんど間を置かず答えた。
「その考え方は正しいわ。能力者当人の魔力量も重要よ。けれど、原譜そのものに大きな魔力が宿っているとされるから、神秘のオルゴールを開いて、原譜を獲得した人間は誰でも能力者に成り得るということよ」
「なるほど。原譜そのものに魔力が宿ってるのか……」
つまり、本人の持つ魔力量に、原譜に宿る魔力が上乗せされるということだろう。
俺の場合、この世界の人間じゃない以上、もともとの魔力量はゼロに近いと考えるべきだ。
なのに今こうして、とんでもない魔力量扱いをされている。
だとすれば、原譜三枚分の魔力がそのまま俺に上乗せされている可能性はかなり高い。
そのおかげで魔術を使える可能性も高い。
だがその一方で、あまりに突出して魔力量が多いと思われれば、『あいつ、原譜の能力者なんじゃね?』なんて疑われる危険も、それだけ高くなるということだ。
そんな考えを頭の中で巡らせているうちに、目の前ではいつの間にか女子三人の会話が再開していた。
「じゃあ、今のルナは以前と比べて魔力量もかなり増えてるってことなのかな?」
「どうなのかしら? 感覚的に実感はあるの?」
シアの素朴な疑問に、フィオネがそのまま乗るように問いを重ねる。
自然と、能力者になったばかりのルナへ視線が集まった。
しかし、当の本人はといえば、口を尖らせたまま小さく首を傾げ、何とも言えない微妙な表情を浮かべている。
「んー、正直あんまり分かんないかも。そう言われれば、そんな気もするし……」
歯切れの悪い返答。
それ以上はルナ本人にも説明できないらしく、言葉が途切れたところで、会議室にふっと静けさが落ちた。
空調の低い駆動音。
それに混じる、魔導戦艦が飛行していることを思い出させるような重たい振動音が響く。
誰も何も言わない数秒が、妙に長く感じられる。
その微妙な沈黙を断ち切るように、フィオネが小さく息をついた。
「いずれにしても、この話は一旦ここでお終いよ。誰かに聞かれても面倒だし、また後日考えましょう」
「「はーい」」
ルナとシアの返事が、驚くほどぴたりと重なる。
仲の良さがにじみ出るようなその声に、張り詰めていた場の空気がほんの少しだけ緩んだ。
その雰囲気につられるみたいに、俺もふっと肩の力を抜く。
だが、その緩んだ空気もほんの一瞬で消えた。
次の瞬間、フィオネの青い瞳が、再び正面から俺を捉える。
「さて、これでようやく本題に移れるわね」
「……お手柔らかに」
顔を引き攣らせながら返答しつつ、俺は内心で小さく息を吐いた。
どうやら、本当にまだ気を抜ける時間は来てくれそうになかった。
♪―♪―♪
「じゃあ、遅くなったけれど、改めまして――私は自由組合職員のフィオネ・プルメリアよ」
仕切り直すようにそう名乗ったフィオネは、長机の向こう側で背筋をすっと伸ばしたまま、青い瞳でこちらを真っ直ぐに見据えた。
(自由組合……どこで聞いたんだっけ……)
これまで何度か耳にしている単語だ。
恐らくは、この世界において有名な組織の名前なんだろう。
そして、彼女が身に着けている白と紺を基調とした制服はその組織に所属していることを示しているのだろう。
だが、実際それがどんな組織なのかまでは、俺にはまだ分からない。
だから、その辺りも尋ねておこうと思った矢先だった。
「率直に聞かせてもらうけど、あなたは何者なのかしら?」
間髪入れずに飛んできた問いと、こちらを見定めるような鋭い視線。
俺が質問する間もなく、会話の主導権は完全に向こうに握られていた。
まあ、事情聴取なのだから当然といえば当然。
ただ、それでも困るものは困る。
記憶喪失の青年という情報は、さすがにもうこの人にも共有されているはずだ。
つまりこの質問は、俺がまともな答えを返せないことを分かったうえで投げられている。
(大方、こっちの反応を探るためって感じか……)
それなら、まあ……少しくらい適当に返してもいいだろう。
ついでに、フィオネ・プルメリアの人物像を掴めたら上々。
そう考えて、俺はわざと肩の力を抜き、椅子の背もたれに身体を預けた。
「吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ」
「は?……吾輩? 猫? ちょっと意味が分からないのだけど……」
ここまで凛とした空気を崩さなかったフィオネが、ぽかんと間の抜けた表情を浮かべた。
「ちょっと適当に喋ってみただけなので、お気になさらず」
困惑するフィオネに向けてそう言い終えた、その瞬間だった。
彼女のこめかみに、ぴくりと青筋が浮かぶ。
それと同時に、会議室の空気が音もなく凍りついていった。
眉間には深い皺。
肩先に流れた長く綺麗な黒髪が、わずかに揺れた。
さっきまで鋭かった視線には、今や露骨な苛立ちが混じっている。
そして彼女は、底冷えのする声で俺の右隣に座る怪力の金髪少女の名を呼んだ。
「ルナ」
「はーい♪」
フィオネとは対照的な、陽気な声が響いた次の瞬間だった。
右隣から容赦のない拳が俺のわき腹へ突き刺さる。
「とりゃっ!」
「ごふっ――!?」
鈍い衝撃とともに肺の空気が一気に押し出され、情けない声が漏れた。
俺はそのまま、目の前の長机に突っ伏すように倒れ込む。
痛い。めっちゃ痛い。
マジでこの怪力娘、加減ってものを知らないんじゃないだろうか。
そのままわき腹を押さえつつ顔を上げると、正面から冷たい瞳が俺を見下ろしていた。
「ふざける余裕があるのは結構だけれど、こちらとしては真面目に話を進めたいの。協力してもらえるかしら?」
「……善処します」
痛みに顔をしかめながらそう返すと、フィオネはそれ以上何も言わず、小さく息をついた。
「それで、これからの話をしたいのだけれど」
そう前置きしてから、彼女は淡々と言葉を重ねる。
「あなたには頼れる知り合いや友人、家族もいない。いたとしても、今のあなたには分からない。それどころか、自分の名前や世間一般の常識すら曖昧――その認識で正しいかしら?」
「めちゃくちゃ辛辣……まぁ、でもそうですね。その通りです」
「率直に聞くけど、あなたはこれからどうするつもりなのかしら?」
どうするつもりかなんて、こっちが聞きたい。
ここまで魔法や魔術、この世界の未知に心を躍らせてきたが、現実的な問題は山積み。
考えるだけで頭が痛くなってくる。
「どうしたもんかな……」
空っぽみたいな言葉が、無意識に口からこぼれ落ちた。
改めて過酷な現実を突きつけられた俺は、弱々しく天を仰ぐことしかできない。
そんな中、右隣から妙に強い視線を感じてそちらを見る。
すると、どこか心配そうにこちらを見つめる金髪少女と目が合った。
そこでふと思いついた答えを、半分冗談、半分本気で正面に座るフィオネへ向ける。
「ルナが養ってくれるらしいです」
「言ってねぇわ! 堂々とヒモになろうとすんな!」
「えー、面倒見てくれるって言ったじゃん」
そう。俺が持っていた神秘のオルゴールを開いて、原譜の能力者となったルナ。
その代わりとして、この世界のことを色々と教えてもらう――そういう約束を交わしている。
なので、その約束を盾に、冗談めかして言ってみた。
だが、返ってきたルナの言葉は極めて妥当なものだった。
「それは言ったし、約束もした。でも、君にもちゃんと働いてもらうからね」
茜色の瞳で、真っ直ぐにこちらを見るルナ。
彼女の答えは至極真っ当だ。
何ひとつ間違っていない。
ただ、今の俺がまともに働けるのかどうかはかなり怪しい。
彼女は知る由もないが、状況は最悪。
実際のところ、今の俺には金もない。
帰る家もない。知識もない。知り合いも、友人も、家族もいない。
仕事もないから今日食べるものですら、自力ではどうにもならない。
完全に詰んでいる。
前世で両親が死んだ時だって、まだ生活の土台そのものは残っていた。
妹の真昼と輝夜もいたし、生きていくこと自体はそこまで難しいものじゃなかった。
けれど今は違う。
何もない。
今の俺は、本当に何一つ持ち合わせていない。
改めてそう実感した瞬間、胸の奥にずしりとした重みが沈んだ。
そうして後ろ向きな考えが次々と積み重なっていき、気づけば俺の口は自然に力なく動いていた。
「でも俺さ、ホントに知らないこととか分からないことだらけなんだけど、できそうな仕事とかある?」
思わずこぼれたのは、弱音の入り混じった本音。
口にしてから、自分でもしまったと思った。
案の定、場の空気がわずかにしんと沈むのが分かった。
(あぁ、こうなるのが嫌だから、さっきまでちゃんとふざけてたのに……)
そうやって内心で頭を抱えた、その瞬間だった。
バンッ――!
突然、ルナが両手を長机へ叩きつけた。
「あるよ!」
長机を叩くような勢いで立ち上がった彼女は、茜色の瞳をきらきらと輝かせながらこちらへ身を乗り出してくる。
「……え?」
あまりに勢いよく言い切られ、間の抜けた声が漏れた。
ルナはそんな俺に構わず、まっすぐこちらを見つめたまま満面の笑みを浮かべた。
「冒険者やろうよ!」
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