Op.58「契約」
フィオネは俺たち三人を一瞥すると、先ほどまでジークとミリアが座っていた正面の席へ静かに腰を下ろした。
長机を挟んで、こちら側には俺とルナ、それからシア。
向こう側には、フィオネが一人。
たったそれだけのことなのに、会議室の空気が急に息苦しいくらい張り詰めていく。
「さて、早速だけれど……」
フィオネは椅子に座るや否や、間を置かず本題へ入ろうとした。
だが、その流れを横から遮ったのは、俺の右隣に座るルナだった。
「その前にさ、さっきの世界戦慄楽団の件は大丈夫なの?」
ルナはひょいっと片手を挙げたままそう尋ねる。
仕草こそ軽いが、その声音にはさっきまでの気安さとは少し違う緊張が混じっていた。
フィオネは一瞬だけ眉を寄せたものの、すぐに小さく息をつき、落ち着いた口調で答える。
「えぇ、どうにか被害は最小限に抑えられてるみたい。ただ、死の魔法使いとその契約者に加えて、飢餓の契約者まで乱入してきたみたいで、現場も相当混乱しているようだったわね」
「マジか……ヤバいじゃん」
ルナの反応を見るだけで、ただならぬ事態が起こっているのは確かだろう。
左隣のシアも口は挟まないまま、真剣な面持ちで二人のやり取りを見守っている。
ただ、俺としては別の意味で気になる単語ばかりだった。
嫌でも好奇心や探求心がくすぐられる。
(世界戦慄楽団に死の魔法使い……その契約者? それに飢餓の契約者ってなんだ……?)
気にはなるが、今この流れに割って入るのはさすがにまずい。
ここでおふざけ混じりに聞き返したら、マジギレされる未来しか見えない。
沈黙は金。今は大人しくしておくべきだろう。
……と、内側から湧いてくる好奇心をどうにか押し込めているうちに、フィオネとルナの話はさらに進んでいた。
「落ち着きなさい。ひとまず、世界調律騎士団からさらに増援が派遣されるから問題ないそうよ。それにルナ。あなたは、さっき死にかけたばかりなのだから、今は自分の身体を休めることに専念しなさい」
「分かってるけど、やっぱ気になるじゃん。私だって原譜の能力者になったわけだし、そのうち……」
「まだあなたがそこまで考える必要はないわ」
「でもさ……」
気づけば、二人の会話は別の方向へ熱を帯び始めていた。
これでは、まだしばらく事情聴取も再開しなさそうだ。
俺としては別にそれはかまわないのだが、やはり二人の会話の中で飛び交っていた不穏な単語の数々が、どうにも頭から離れない。
俺は湧き上がる好奇心を抑えきれず、左隣で少し心配そうに二人の会話を追っているシアの方へ、少しだけ体を寄せた。
そして、耳打ちするように小さな声で問いかける。
「シアちゃん、世界戦慄楽団ってなに?」
「んー、簡単にいうと、魔法や魔術を悪用するとっても悪い人たちのことですね」
シアは硬い表情のまま小さく首を傾げ、少しだけ考えるように視線を上へ向けてから、子どもにも分かるようなやわらかい言い回しでそう答えた。
(まぁ、魔法とか魔術なんて力が溢れてれば、それを悪用する奴も当然いるよな……)
これまでの話の流れからしても、シアの返答はだいたい予想通りだった。
便利な力があるなら、それを悪い方向へ使う奴も出る。
それは多分、どこの世界でもそう変わらないのだろう。
そんな風にひとまず自分の中で納得しかけていると、ルナとのやり取りを一区切りつけたらしいフィオネが、こちらの小声の会話を拾うように口を挟んだ。
「『世界に悲鳴の讃美歌を、すべての命に惨劇を』。そんな非道な思想のもとに魔法や魔術を悪用して、世界に破滅の旋律を奏でる犯罪組織。それが世界戦慄楽団よ」
青い瞳が、正面からまっすぐこちらを射抜いてくる。
彼女が語った内容もかなり不穏なものだったが、感情を抑えた口調で淡々と告げられたせいで、余計に重たく響いた。
空調の効いた会議室のはずなのに、室内の温度が一段と冷えたような気がした。
「随分と物騒な話ですね。で、さっきの世界調律騎士団の人たちが、その悪い奴らを取り締まる側ってことですか?」
「えぇ、その認識で正しいわ。もう少し詳しく説明するなら、彼らは世界調和機構に加盟する国々、通称『同調国』の治安維持を目的とした戦闘集団といったところね」
この説明を聞いて、頭の奥に引っかかっていた記憶がわずかに揺れる。
これに近い話は、サポート型アンドロイドのクロから既に聞いている。
国連のような国際的な組織――世界調和機構。
そこに加盟している国々が同調国。
そして今のフィオネの説明を足すなら、その同調国の治安維持を担うのが世界調律騎士団ということになるらしい。
話の内容はかなり物騒だが、それでもまた一つ、この世界の輪郭が明確になったような気がした。
「質問は以上でいいかしら? そろそろ、あなたの事情聴取の方へ進みたいのだけれど……」
フィオネはそう言いながら、机の上にメモ帳のようなノートとペンを置いた。
すでに事情聴取へ移る気満々なのは、一目瞭然。
だが、俺としてはまだ気になることが残っているので、このタイミングを逃すわけにはいかない。
「じゃあ、あと一つだけ。さっき話に出てた契約者ってのは?」
俺がそう尋ねると、フィオネがほんのわずかに目を細めた。
その仕草にどんな意味があるのかまでは分からない。
けれど、ここで引くわけにもいかない。
先ほどフィオネが口にしていた、死の魔法使いとその契約者。飢餓の契約者。
恐らくというか、ほぼ間違いなく原譜の能力者に関わる話だろう。
そうなると、聞かないという選択肢はない。
自分が能力者だと知られるわけにはいかない俺としては、この辺の情報は早めに固めておく必要がある。
そんな考えから投げた質問だったのだが、返ってきたのは予想外にも右隣からだった。
「さっき君が戦ってたじゃん。ってか、やっぱ知らずに戦ってたんだ」
あっけらかんとした口調のまま、ルナがじとっとした視線をこちらへ向けてくる。
(俺が契約者と戦ってた……?)
頭の中でその言葉を反芻しながら、これまでの記憶を手繰っていく。
その中で、今の話に当てはまりそうな人物は一人しか思い浮かばなかった。
「あー、あのアレクって奴のこと?」
「そう。あの人も、正義の題名を持つ能力者と契約している契約魔法師だよ」
「お兄さんであるジークさんもだね」
「えぇ、彼らは『正義』に由縁あるセオドールの家系だもの」
ルナの言葉に続いて、シアとフィオネがそれぞれ情報を補った。
その中で、ジークまでもが『正義』に連なる契約者であることが、さらりと明かされる。
ただ、俺にとって一番重要なのはそこじゃない。
今知りたいのは、契約者と呼ばれている契約魔法師が、どういう存在なのか。
原譜の能力者とどのような関係で、何が違うのかという点だ。
そう思い、話題を戻そうと口を開きかけたところで、フィオネは俺の意図を読んだように、すぐさま説明へ入る。
「さて、さっきのあなたの質問への答えだけれど、契約者というのは原譜の能力者と契約を交わした人間のことよ」
「契約を交わすとどうなるんですか?」
「原譜の能力者が創作した術式の一部を行使できる――とされていて、契約を結んだ人は一般的に契約魔法師や契約魔法使いと呼ばれているわ」
この説明によって、頭の中で点と点が繋がり始めた。
まず、アレクとジークはどこの誰かまでは知らないが、正義の題名を冠する原譜の能力者と契約を結んでいるから、その術式の一部を行使できるということ。
つまり、アレクが使っていた魔法は、本人が一から創作したものではない。
言い換えれば、もし俺が誰かと契約を結べば、その契約者は『悪夢の魔法』や『涙の魔法』を扱える可能性がある、ということだろう。
この辺の事実確認はもっときっちりしておきたい。
だが、当然ここで俺を例に挙げれば、変に怪しまれるかもしれない。
そんな考えを巡らせつつ、俺は左右に座る少女たちを一瞥してから、正面に座るフィオネへ視線を戻した。
「じゃあ、例えばルナがシアちゃんと契約すれば、シアちゃんが契約魔法師として魔法が使えるって認識で合ってますか?」
「その答えは、理論的には正しいけれど、現実的に難しいとしか言えないわね」
「というと?」
「まず、原譜の能力者との契約については様々な制約があるの。そうね、まずは……」
そう言って、フィオネは一度言葉を区切った。
まるで講義でも始めるみたいに、落ち着いた口調のまま一つずつ説明していく。
その内容を大きくまとめると、要点は六つあった。
①契約魔法師は、原譜の能力者が創作した術式の一部を行使できる。
ただし、行使できる術式は契約によって許可された範囲に限定され、原譜の能力者本人の力を完全に再現できるわけではない。
②原譜の能力者同士は、契約関係を結ぶことができない。
原譜を有する者は、すでに独立した力の根源を持つ存在であるため、別の原譜の能力者と契約を結ぶことはできない。
③契約魔法師は、同時に複数の原譜の能力者と契約を結ぶことはできない。
契約できる原譜の能力者は一人のみであり、複数の能力者の術式を同時に借り受けることはできない。
④契約できる人数は、一年に一人ずつ増加する。
契約可能人数の上限は十二人。最大枠に到達するには十二年の時間を要する。
⑤契約魔法師が死亡した場合、その契約枠は消失する。
死亡した契約魔法師の枠は再利用できず、以後その分の契約枠は失われる。
⑥原譜の能力者本人が死亡した場合、すべての契約は消失する。
契約魔法師は、原譜由来の術式を行使できなくなる。
「少し駆け足になったけれど、契約関連の説明についてはこんなところね」
「なるほど……」
フィオネの言葉に相槌を打ちながらも、俺の意識は頭の中へ叩き込まれた契約に関する情報の処理に大忙しだった。
まず、想像していた以上に、原譜の能力者との契約にはいろいろな制約が絡んでいる。
ただ、一つ一つのルール自体はそこまで難しいものじゃない。
それがいくつも重なることで、全体として複雑に見えているだけだろう。
原譜の能力者と契約を結び、その力の一部を行使できるのが契約魔法師。
まずはこの根底の部分を押さえておけば、大きく見誤ることはなさそうだ。
そして、俺は異質ながらも原譜を三枚も所持する能力者側の立場にいる。
その視点から考えた時、最も重要なのは『契約相手の選定』だ。
契約枠という制約によって、契約できる人数に十二人という上限が設けられている以上、誰といくらでも契約を結べるわけではない。
契約相手を見誤れば、無駄にその契約枠を消費してしまうことになる。
(まぁ、このルール通りなら俺もルナも誰かと契約できるのは早くても一年後みたいだし、今から考えても仕方ない気もするけど……)
俺は頭の中で今の説明を手早く整理しつつも、脳裏にとある疑問が残り続けていた。
「契約に関するルールは理解しましたけど、今聞いた内容に当てはめても、シアちゃんが契約魔法師として魔法を使えない理由がないと思うんですけど」
「それはシアの魔力量の問題ね。私も含めてだけれど、一般的に魔法や魔術を行使できるほどの魔力を持つ人間は極めて少ないの。だから、理論的には契約を結んで契約魔法師になれても、術式を扱うための魔力が足りていないということね」
「そういうことか……」
ここでようやく、フィオネが先んじて口にしていた『理論的には正しいけれど、現実的に難しい』という言葉の意味に理解が追いついた。
どうやらこの世界においても、魔法や魔術を扱えるほどの魔力を持つ者はごく少数。
その中で、俺の魔力量はかなり多いようだが、果たしてこれは喜ぶべきか迷いどころだ。
純粋に、魔法や魔術を扱える可能性が高いという点は素直に喜べる。
だが、目立たないように立ち回る必要がある俺としては、素直に喜びきれない。
(まぁ、こんな世界にやって来ておいて、魔法も魔術も使えずにお預けを食らうよりは、遥かにマシか)
俺は少し強引に自分を納得させ、軽く息を吐きながら椅子の背もたれに背中を預けた。
そこでふと、右隣で何か言いたげな雰囲気を漂わせる金髪の少女の存在に気づく。
「フィオネさんの場合は……、いや、やっぱ何でもない……」
歯切れ悪く、途中まで何かを言いかけてやめるルナ。
何を口にしようとしたのか気になるところではある。
だが、その直後に俺の意識は、左隣に座る白髪のケモ耳少女の方へ引っ張られた。
「私にも戦えるくらいの魔力があればよかったんですけどね……」
自身のブレザー制服の裾をギュッと握るシア。
先ほど俺が例に出してしまったせいか、彼女は目に見えてずーんと落ち込んでいた。
ぽつりと零れた声は深く沈み、可愛らしい犬っぽい獣耳も、しゅんと力なく伏せられている。
「えっ……」
「あーあ、シアが結構気にしてることだったのにー」
思わず戸惑う俺に、ルナがじとっとした視線と一緒に、どこか責めるような言葉を向けてくる。
本気で怒っているわけではなさそうだが、どうやら触れるべきでないところに触れてしまったらしい。
「マジか。なんかごめん」
「ふふっ、大丈夫ですよ。悪意がないのは分かってますから」
咄嗟に謝ると、シアはぺろっと舌を出しながら悪戯っぽく微笑んだ。
どうやら完全に深刻な空気になったわけではなさそうで、ひとまず胸を撫で下ろす。
とはいえ、俺は改めて、この世界での言動には気をつけなければならないと実感せざるを得なかった。
(やっぱ、人によってはこの世界特有のコンプレックスとかあるよな……)
コンプレックスなんてものは人それぞれだ。
身長や体型、肌の色、年齢と例を挙げ始めれば、それこそきりがない。
だが、ここは俺の常識がそのまま通じる世界じゃない。
俺の知らない人種がいて、魔法や魔術が当たり前のように存在している。
魔力だって、その一つ。
そして、もしそこに明確な優劣があるのなら、劣る側がコンプレックスを抱えていても何もおかしくない。
俺はどうやら、その辺りを見事に踏み抜いてしまったということだろう。
今回は仕方ないとしても、今後同じような失敗はしたくない。
そう思いつつ、俺は再び正面に座るフィオネへ視線を戻した。
「ちなみに、魔力量ってのは生まれた時から変わらないものなんですか?」
「いいえ。先天的な側面も大きいけれど、歳を重ねて成長するにつれて魔力量が増えることもあるわ。特に成長期に、魔力を含んだ素材を多く口にしたり、魔力の放出と吸収の鍛錬を繰り返すことで魔力量が増加するということは、世間一般的にも広く知られていることよ」
フィオネのその説明に、シアは何度かコクコクと頷きながら微笑み、俺越しにルナへ顔を向けて補足を加える。
「だから、ルナもいっぱいご飯食べてるもんね」
「まぁ、私の場合は魔力量もあんま増えてないし、増えるのは体重だけで……って何を言わすんじゃ!」
「なんで俺を睨むんだよ」
びしっと勢いよくこちらを指差しながらキレるルナ。
いや、今の流れでこれは完全にとばっちりだろ。
一方、そんなやり取りには構わず、フィオネは長い黒髪を後ろへ払いながら淡々と補足を続けた。
「まぁ、後天的に増える魔力量は微々たるもの。個人差もあるでしょうけれど、大幅に魔力量が増加するケースはほとんど聞いたことがないわね。それこそ……」
そこでフィオネは一度言葉を切ると、俺をまっすぐ見たあと、ゆっくりとルナへ視線を移した。
「惑星迷宮の秘宝である神秘のオルゴールを開いて、原譜の能力者になるなんて奇跡でも起こらない限りね」
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