Op.57「優しい拳骨」
ジークとミリアが足早に出ていった、魔導戦艦内の会議室。
さっきまで張り詰めていた空気は、二人が去ったことで少しだけ緩んでいた。
とはいえ、完全に静けさが戻ったわけでもない。
室内の壁際では、フィオネが緊急連絡とやらで誰かと通話している。
「はい、至急そちらでも確認をお願いします。自由組合側からの増援については……」
落ち着いた声ではあるものの、その表情は真剣そのもので、さっきの緊急伝令の余波がまだこの場に残っているのが嫌でも分かった。
その間、俺は左側に座るシアの方へ体を向け、右頬の傷の治療を受けていた。
「痛てっ……」
「あっ、動いちゃダメですよ」
頬に走る鋭い痛みに、思わず体がのけ反りそうになる。
だが、シアはこちらへ身体を向けたまま慌てたように眉を下げつつも、手元の作業は止めない。
彼女の持つペン型の回復アイテムの先端から、青白く淡い光がこぼれ、俺の頬の傷口をやわらかく照らす。
なんでも、これで小さな裂傷くらいなら治療できるらしい。
(さすが魔法や魔術のある世界だな……)
妙なところで感心していると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「シア。私がコイツのこと押さえとくから、さくっとやっちゃって」
次の瞬間、背中側からするりとルナの腕が回り込んでくる。
そして躊躇いも遠慮もなく、俺の首元にがっちりとヘッドロックが決まった。
「ぐ、苦しい……」
動けない。
普通に苦しい。
だが、それ以上に嬉しくもまずいのは、後頭部から伝わってくる感触だった。
薄着のルナと密着したことで、体温や肌のやわらかさが嫌でも直に伝わってくる。
首元に絡む腕の力は容赦ないのに、それとは別の意味で意識が変な方向に持っていかれそうになる。
「あ、でもこれ……おっぱいの感触が……がっ!?」
「くだらないこと言えないように、もっと締め上げとこっと♪」
「待っ……ぐぁああああああああ!」
ぐい、と一段強く締め上げられ、視界の端がちょっとだけ明滅した気がした。
「もう……二人とも、これじゃ治療できないでしょ」
「ったく、君が暴れるから」
「抵抗してなきゃ、治療前に死んでたと思うけど」
ようやくルナの拘束が少し緩み、俺は咳き込みながら姿勢を戻す。
シアは呆れたように小さくため息をつきつつも、どこか困ったように微笑んでいた。
そうして、ようやく治療が再開される。
俺は右頬にぴりぴりと走る痛みに耐えながら、シアと向き合っていた。
こうして改めて顔を合わせてみると、彼女の表情にははっきりと疲れが滲んでいる。
目元は少し重たそうで、声にも柔らかさはあるものの、どこか張りが足りない。
トレードマークの獣耳も、ぺたりと倒れたままだ。
それに、思い返してみれば、さっきの会議中も明らかに口数が少なかった。
(これって、多分……)
ジークたちとの会話を思い返しながら、俺の中で一つの考えが浮かぶ。
あの場でも少し出ていた、俺の魔力が周囲に与える影響。
もしそれが本当なら、シアのこの疲弊にも説明がつく気がした。
俺はこちらを向くシアを見据えたまま、背後のルナへ問いかける。
「ルナ、シアちゃんが疲弊してるのは俺の魔力のせい?」
「えっ?」
いきなり自分の名が出て、シアが目を丸くする。
一方のルナは、すぐには答えず、ほんのわずかに言葉を選ぶような間を置いた。
「……まぁ、そうっちゃそうかもね」
責めるような響きはない。
けれど、誤魔化しきらない声音でもあった。
「そっか、やっぱ俺のせいなのか。ごめん」
謝罪の言葉が、思ったよりもあっさりと口をついて出た。
すると、シアは一度だけ治療の手を止める。
ペン型の回復アイテムをそっと膝の上へ置き、両手もその上に揃えるように重ねてから、小さく姿勢を正した。
どう返答すべきか迷っているのだろう。
そんな空気が、そのまま彼女の仕草に出ていた。
そのまま、ほんの一拍。
短い沈黙を挟んでから、シアは碧い瞳で真っ直ぐにこちらを見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「えっと……確かに、あの時は怖かったです。息もしづらくて、しんどくて、辛かった……」
柔らかくも、どこか重たい声だった。
今、彼女の脳裏に浮かんでいる光景は、展望デッキでの出来事だろう。
俺自身、記憶が曖昧なところがあるが、彼女がその場に倒れ込んでいた姿だけは、なんとなく頭の片隅に残っている。
ここまでの話を踏まえるなら、それもたぶん俺の魔力のせいなんだろう。
当然、わざとじゃない。
それでも、辛い思いをさせたのは事実。
だから、責められてもおかしくないと、次に彼女の口から出てくる言葉を覚悟していたのだが……
「でも今は、少し晴れやかな気分なんです」
「……え?」
思わず、間の抜けた声が漏れる。
この状況で返ってくる言葉としては、あまりに予想外だった。
そんな俺の反応を見ても、シアは目を逸らさなかった。
むしろ、さっきよりもわずかに表情を和らげながら、まっすぐに言う。
「だって、あなたが代わりに怒ってくれたから」
この言葉に、俺は首を傾げるしかなかった。
同時に、展望デッキでの騒動の流れを頭の中で辿ってみるが、明確な答えは見つからない。
一方で、シアはどこか懐かしむように目を細めた。
「あの本は、ルナの宝物であると同時に、私にとっても大事な作品だったんです。小さいころから、何度もルナと一緒に読んでいた思い出の詰まった一冊で……」
そこまで言って、シアは一度だけ小さく息を継いだ。
それから、胸の奥にしまっていた本音を、ひとつずつ確かめるように続ける。
「だから……あんなふうに扱われて、私も正直、とーっても怒ってました」
ムスっとした表情のまま、シアは語尾だけをほんの少し強める。
柔らかく言ってはいるが、たぶん実際のところはブチ切れていたんだろう。
「だから、大きな声では言えませんけど――」
そう言って、シアは口元に人差し指を立てる。
いたずらっぽく微笑むその仕草は、少しだけ子どもっぽくて、けれど妙に似合っていた。
「やり返してくれて、胸の奥がスッとしたんですよ」
その笑みは柔らかく、温かい。
この発言には、彼女の本音も含まれているのかもしれない。
けれど同時に、俺に罪悪感や責任を感じさせないための配慮でもあるのだろう。
ありがたい限りだ。
けれど、このまま綺麗に話が終わるわけではなかった。
シアは真面目な表情へ切り替え、言葉を紡ぎ直す。
「ただ、やり返すにしても、やり過ぎだったとも思ってます。だから……」
ふわりと柔らかかった空気が、そこで少しだけ引き締まる。
シアは軽く握った拳を持ち上げると、俺の額へ――
コツン。
痛みなど欠片も感じさせない愛のある拳骨。
背後のじゃじゃ馬娘みたいに本気で殴られるのかと身構えていたぶん、思わず力が抜ける。
「これで許してあげます。あと……」
シアはそう言って、今度はその拳をほどくように指を開き、俺の手をそっと握った。
不意打ちみたいに触れられた手は細く、驚くほど温かい。
それでいて柔らかく、でも芯のところだけはちゃんと意志が通っているような握り方だった。
「私の代わりに怒ってくれて、ありがとうございました」
少し見上げるようにこちらを見つめるその笑みは、やけに優しかった。
理由はうまく言えないが、うわべだけの感謝じゃないことだけは伝わってくる。
張り詰めていたものがほどけるような穏やかな空気が、俺とシアの間に流れる。
さっきまでの頬の痛みも、ルナに締め付けられた息苦しささえも、どこか遠くへ薄れていく気がした。
――が、当然というべきか、そんな空気を大人しく見守ってくれる奴ばかりではなかった。
「シア、いいの? なんなら私がガツンとやっとくけど?」
背後から飛んできたのは、呆れるほど空気を読まない金髪少女の声だった。
俺は振り返ることなく、目の前のシアに視線を固定したままで、言葉だけ背後に立つルナへ返す。
「良い感じで話がまとまりかけてんのに水差すなよ。空気読めない奴だな」
「はい、首が締まりまーす♪」
にこやかな声音と同時に、再び首元へ回り込んでくる細い腕。
次の瞬間には、そのまま容赦なく締め上げられ、俺の後頭部がぐいとルナの胸元へ沈み込んだ。
「おっぱい……やわ……ってギブ! そろそろマジで落ちる!」
「まだしょーもないこと言える元気あるじゃん。ってか、おっぱいおっぱい言うな!」
さらに、首元に巻き付いたルナの細腕へぐぐっと力が加わっていく。
俺も慌てて手足をばたつかせて抵抗を試みるが、視界の端が明滅し、意識がじわじわ遠のいていくのが分かった。
「せ、せめて……締め落とされるなら正面から顔を挟んだまま……がはっ……」
「マジでこのまま締め落としてやる!」
「あー、もうここであんまり騒いじゃダメだって」
さっきまで穏やかだった空気はどこへやら。
シアが困ったように声をかけても、ルナの腕はびくともしない。
というか、こいつ絶対ちょっと楽しんでるだろ。
(ってか、マジでヤバイ……)
俺の呼吸も限界が近かったので、そろそろ本格的に抜け出そうと考えた時だった。
「騒がしいわね。あなたたち静かにしなさい!」
通話を終えたらしいフィオネの凛とした声が、室内にぴしゃりと響き渡る。
その一喝は、さっきまでの騒ぎを一瞬で冷やし固めるには十分すぎる威力を持っていた。
途端に、首元を締めていた圧力がふっと緩む。
俺は解放されるや否や、空気を貪るように大きく息を吸い込んだ。
「はぁーふぅー、空気が美味しい」
「ったく、君のせいでまた怒られた……」
「私は騒いでないのに怒られた……」
ルナが不満げに頬を膨らませ、シアはしょんぼりと肩を落とす。
いや、後者は完全にとばっちりだろう。
そんな俺たち三人の様子を、フィオネは呆れたように一度だけ見回した。
それから、先ほどまでの通話の余韻を引きずらせることなく、すっと声音を切り替える。
「座りなさい。早速だけれど、彼への事情聴取を再開するわよ」
その一言だけで、弛みきっていた会議室の空気が一瞬で引き締まった。
どうやら、まだ気を抜ける時間は遠そうだ。
次回もお楽しみに!
毎週、土曜12頃に更新中です。




