Op.54「最悪の目覚め」
「んんっ……」
最初に戻ってきたのは、最悪な感覚だった。
頭の芯を鈍器で殴られ続けているような痛み。
胃の奥がひっくり返りそうな吐き気。
手足の先まで鉛でも流し込まれたみたいに重く、身体を動かす気力さえ削がれていく。
(……気持ち悪ぃ)
意識が浮上するなり、それが心の第一声だった。
ほんの少しだけ、重たい瞼を持ち上げる。
ぼやけた視界の向こうには、青白い照明に照らされた無機質な天井。
椅子に座ったまま、両手首を手錠のような拘束具で固定されていた。
周囲には複数の気配。
妙に視線を集めている感覚だけが、ぼんやりと伝わってくる。
次の瞬間、不意に右隣から聞き慣れた声が落ちてきた。
「おはよう。お目覚めの気分はどう?」
妙に落ち着いた、けれどどこか意地の悪い声だった。
重たい首をわずかに動かし、聞き覚えのある声の方へ頭を傾ける。
そこにいたのは、案の定というべきか、ルナ・トワイライトだった。
茜色の瞳でこちらを見下ろしながら、腕を組み、足を組んだまま椅子の背にもたれている。
「ん~……最悪。めっちゃ気分悪い……」
俺は掠れた声でそう返すのが精いっぱいだった。
頭は痛いし、身体はだるいし、思考はまだ泥の中に沈んでいるみたいに鈍い。
ルナはそんな俺の様子を見て、ふんっ、と鼻を鳴らす。
「だろうね。そりゃ、あんな魔力の使い方してりゃそうなるよ」
「魔力……?」
その単語が、ぼやけていた意識の表面を鋭く引っかいた。
「あー、やっぱ無自覚だった感じね」
ルナは何かに納得している様子だが、俺の方は依然として状況が掴めない。
ただ、さっきまで泥の中に沈んでいたみたいな意識が少しずつ浮上し始めていて、ここに至るまでの記憶も断片的に蘇りつつあった。
(あー、そうだ……展望デッキで読書してたら、正義ヅラしてやって来たバカどもに連行されそうになったんだっけか……)
思い出しかけた瞬間、頭の奥にずきりと鈍い痛みが走る。
頭の中の引き出しを片っ端から開けられたように、記憶の断片が次々と溢れ返ってきた。
俺とシアを取り囲んでいた、白と黒を基調にした隊服の集団。
ホルシュとかいう、俺とシアを拘束したメガネ野郎。
まるで話の通じなかった、正義の魔法を使うアレク。
そして、よく分からない容疑をかけられた俺を庇ってくれたシアの姿。
それから先も、確かいろいろあった。
でも、最後の引き金になった出来事だけは鮮明に覚えている。
ルナから預かった本を、あいつらがゴミみたいに投げ捨てたことだ。
その瞬間、胸の奥で何かが決壊した。
内側で渦巻いていた得体の知れない力の濁流が、一気に溢れ出し、その先は、正直、もう上手く思い出せない。
ただ、気づいたときには、その力の奔流みたいなものに自分ごと呑まれて、戦いになっていた……そんな流れだった気がする。
俺はまだ鈍く痛む頭を押さえたい衝動をこらえながら、再びルナへ視線を戻した。
「ルナ。一応、確認なんだけど、魔力って俺の中から溢れ出した……こう、なんつーか……力の奔流みたいなやつってことで合ってる?」
「まぁ、大体はそんな感じかな」
「じゃあ、魔力って普通にみんなが持ってるもんなの?」
「んー、そこはかなり個人差あるし、君みたいな化け物じみた魔力量の人なんてそういないと思うけど……」
そのままルナが言葉を続けようとしたところで、隣から小さく咳払いが差し挟まれた。
「ルナ、そろそろ本題を進めてもらっていいかしら?」
凛とした女の声だった。
自然とそちらへ視線を向ける。
ルナの向こう側に座っていたのは、腰まで伸びた、ストレート寄りのダークブルーの長髪の女だった。
前髪は片目にかかるように斜めへ流れ、顔立ちはやわらかい。
青く澄んだ大きな瞳は理知的で、冷たさよりも落ち着きを感じさせる。
そして何より目を引いたのは、少し長く尖った耳だった。
恐らく、この世界特有の人種だろう。
服装は白を基調に青い装飾を組み合わせた制服風のデザイン。
ノースリーブのトップスには胸元に青いリボンがあしらわれている。
全体としては、可憐でありながらもどこか隙のなさというか、年上のお姉さんっぽい雰囲気といえる。
(美人さんだな。ちょっと怖そうな感じもするけど……)
というか、このお姉さんの言う本題とは何のことだ?
そもそも、今の俺が置かれてる状況ってどうなってるんだ?
ようやく少しクリアになってきた頭と視界で、改めて周囲を見回す。
すると、見覚えのある顔がいくつか並んでいた。
まず目に入ったのは、会議室みたいな雰囲気の室内だった。
左右に長机と椅子が整然と並び、青白い照明が空間全体を淡く照らしている。
妙に静かで、妙に息苦しい。
いかにも『これから大事な話をします』って空気で、正直あんまり居心地はよくない。
その中で、俺が座らされている椅子の左隣には、ぐったりと疲れた様子のシア。
右隣にはルナ。
さらにその右隣に、さっき発言した長耳のお姉さんが座っている。
そして正面に座っているのは、よく見覚えのある白と黒を基調とした隊服の二人。
(アイツらは……)
一人目は、ルナと一緒に仲裁へ入ってきた赤茶髪の男。
ぱっと見は大学生くらいの年齢に見える、お兄さんっぽい雰囲気の男だ。
顔立ちはアレクとよく似ているが、目の前のこっちの方が少しだけ柔らかい印象。
たしか、ジークと呼ばれていた気がする。
もう一人は、濃紺の長髪が特徴的な女。
アレクやホルシュと一緒に俺を捕まえに来た連中の中では、一番まともそうに見えた人物だ。
いずれにせよ、この二人が揃って正面に座り、しかも俺は拘束された状態。
どう考えても、好ましい状況じゃない。
(……あー、これ絶対、めんどくさいやつじゃん)
嫌な予感しかしない。
今も室内では、不穏な会話が飛び交っていた。
「私が色々と聞いた方が良い感じ? それともフィオネさんが質問する?」
「そうね、私が進行するから挙手制にしましょうか」
「こちらは、そのまま進めてもらって構わないよ」
ルナが、フィオネと呼ばれた耳長のお姉さんへ話を振り、そこから正面のジークへ視線が流れる。
誰が何を質問するのかは、正直あまり考えたくない。
ただでさえ最悪の目覚めなのに、この状態で質問攻めとか勘弁してほしい。
願わくば、俺に関係のない話であってくれ。
そんな淡い期待を込めて、隣のルナへ小さく尋ねてみる。
「これって、何か大事な会議中? なら、俺はもうひと眠りして……」
「はい、却下♪」
笑顔の即答だった。
その直後、俺の右頬にルナの人差し指が押しつけられる。
次の瞬間、激しい痛みが走った。
「痛ったぁぁああ!」
反射的に上体を起こしかける。
だが、拘束された腕は思うように動かず、余計に無様な悲鳴だけが第四会議室に響いた。
そして、なぜ指先でちょっと触れられただけでここまで痛いのか。
その疑問は、視界の端に映った赤茶髪の男を見た瞬間、すぐに答えへ変わった。
(あー、そうだ。アレクって奴の正義の魔法が掠ったんだっけか……)
嫌な記憶が戻るのと同時に、頬を走る鋭い痛みが眠気を一気に吹き飛ばした。
「よーく目が覚めるでしょ? こっちは君のお目覚め待ちだったんだから、根掘り葉掘り色々と聞かせてもらうよ」
にこやかな声音とは裏腹に、その笑みには有無を言わせない圧があった。
細い指先が頬の傷口あたりを、ぐりぐりと遠慮なく押してくる。
どうやら二度寝など絶対に許してもらえないらしい。
「分かった! 分かったから! マジで分かったから!」
「ったく、ほんとに分かってんの? マジで二度寝なんてしたら……」
「しないって! マジで痛いから勘弁してくれ!」
白旗を上げたところで、ようやく頬からルナの指先が離れた。
それでもなお、右頬にはジンジンとした痛みが残り続けている。
しかも両腕が拘束されているせいで、手で押さえることすらできない。
というか、そもそもなんで俺だけが拘束されているのだろうか。
「そっちの質問の前に聞きたいんだけど、なんで俺は両腕を拘束されてんの?」
「そりゃ、あんだけ大暴れしたんだからこうなるでしょ。目覚めて、また大暴れされたらたまったもんじゃないし」
「あーーー……」
そこまで言われて、断片的だった記憶が少しだけ繋がる。
いや、暴れていたというか、戦っていたときの記憶は今もまだ曖昧なまま。
ただ、異様なほどに気分がよくて、何もかもを蹴散らせそうな万能感に浸っていた気がする。
襲いかかってくる隊服の連中の動きが、やけにゆっくり見えたような感覚。
自分の身体は軽く、思いのままに動いて、その感覚を楽しむみたいに、向かってくる奴らを蹴散らしていた。
そんな曖昧な記憶だけが、今も頭の奥に残っている。
「……って、いやいや、あれは不可抗力だろ。俺も何が何だかよく分からんかったし、元はといえば……」
言いかけて、視線を横へ流す。
すると、正面の机の向こうに座る濃紺の長髪の女――ミリアと目が合った。
その瞬間、彼女の肩がびくりと小さく震える。
視線はすぐに逸らされ、わずかに青ざめた横顔だけが目に入った。
正直なところ、なぜそっちが怯えたような顔をするのか分からない。
無理やり俺を連行しようとして、先に仕掛けてきたのはお前らだってのに。
(一方的に難癖つけて絡んできたくせに、返り討ちにされたら被害者ムーブかよ)
内心で毒づきながらミリアを見ていると、右頬の傷口の近くを再び軽く小突かれた。
「はい、睨まないの」
「睨んでねぇよ。ただ、いかにも被害者ヅラして座ってる奴がいるなって見てただけだし」
「それを睨んでるって言うんだよ。それにあの人は――」
ルナが言葉を続けようとした、そのときだった。
「横からすまない。その件については、僕から彼に説明させてもらっていいだろうか?」
落ち着いた声でそう割って入ったのは、ミリアの隣に座る赤茶髪の男――ジークだった。
そして俺が答えるより先に、ルナがちらりとジークへ視線を向け、小さく頷く。
その一瞬で、会議室の空気がまた少しだけ引き締まった。
静まり返った会議室の中で、ジークは静かに立ち上がると、一度だけ俺を真っ直ぐ見据え、口を開いた。
「僕は世界調律騎士団第三楽隊次席、ジークエリート・セオドール」
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