Op.53「第四会議室」
「――というのが、私が認識している今回の顛末となります。重ねて、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
ミリアの澄んだ声が、魔導戦艦中枢にある第四会議室へ静かに響いた。
青みがかった照明に照らされた室内は、展望デッキの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
左右に長机と椅子が整然と並び、正面には大型モニターが据えられた、簡素で無機質な空間。
戦場の熱気も血の匂いも届かないはずのこの場所に、今は別種の緊張が重く沈殿していた。
発言を終えたミリアは、立ったまま深く頭を下げる。
それから静かに頭を上げ、自分の椅子へゆっくりと腰を下ろした。
その隣には、上官であるジークエリート・セオドール。
彼は片手で額を押さえ、弟と部下たちのあるまじき失態を前に、沈痛な面持ちで目を伏せていた。
ミリアが報告した内容の要点は、五つ。
①星屑の森に発生した『奇跡の光』について、部隊内で議論を交わしていた。
②現場で記憶喪失の青年を保護したという情報を知り、魔人の可能性があると判断。
③対象者が同じ魔導戦艦に搭乗していたことから、緊急性が高いとして捕縛へ移行。
④騎士団側の不遜な態度や強引な拘束に対し、黒髪の青年が怒り、戦闘へ発展。
⑤対象の青年を捕らえることはおろか、一方的に蹂躙されて負傷者多数。
「次にシア。今、彼女が話した内容と、あなたの認識に差異はあるかしら?」
静かな声で場を進めたのは、ミリアたちの向かい側に座るフィオネだった。
その隣ではルナが、不満と苛立ちを押し殺したままムスッとした表情で黙り込む。
さらにその横には、両腕を拘束されたまま椅子に座らされ、未だ目を覚まさない黒髪の青年。
そして、続いて名を呼ばれたシアが、緊張と疲労の滲む面持ちで小さく身を強張らせた。
膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめ、一度だけ息を整える。
「えっと、基本的には……ミリアさんがお話しした通りで、間違いありません」
そう口にしてから、シアはほんの少し視線を落とした。
おぼろげな記憶を一つずつ手繰り寄せるように、胸の内で言葉を探す。
間違ったことは言いたくない。
けれど、見たままをそのまま伝えなければいけない。
そんな緊張が、指先のわずかな震えとなって膝の上に現れていた。
「ただ……」
その一言が落ちた瞬間、第四会議室の空気がわずかに張り詰める。
ルナが、黒髪の青年越しに、シアの次の言葉を待つような視線を向けた。
フィオネも急かさず、黙って続きを待つ。
ジークは表情を崩さず座ったまま視線を向け、ミリアは息を詰めるようにシアを見つめていた。
この場にいる全員の視線を集めたシアは、その重みを受け止めながら、一瞬だけ、隣で拘束されたまま眠る黒髪の青年へ目を向けた。
そして、少し迷うように唇を開く。
「彼は、ただ怒りに任せて暴れたわけではないと思います」
その言葉に、ミリアの表情がかすかに揺れた。
驚きというより、否定しきれない何かに触れられたような反応だった。
ルナとジークは何も言わない。ただ、その続きを待っている。
フィオネだけが、続きを促すように小さく頷いた。
「確証は、ないんですけど……彼は、怒りに任せて暴れようとしたんじゃなくて……自分の魔力に酔っているように見えました」
その証言に対する反応は、大きく二つに分かれた。
「あー、なるほど。そういう感じね」
「ふむ……」
実際にその場面に遭遇したルナとジークは、どこか納得したような面持ちで相槌を打つ。
ミリアは声こそ出さなかったが、脳裏に何かが蘇ったのか、わずかに肩を強張らせた。
一方で、展望デッキへ遅れて駆けつけたフィオネだけは、やや困惑したように眉を寄せる。
「魔力酔い? それも自分の魔力に……?」
「はい。最初に彼から魔力が溢れたとき……すごく驚いてるような、戸惑ってるような顔をしてたんです。自分でも何が起きてるのか分かってないみたいで……」
そこまで言ったところで、シアの脳裏にあの瞬間の光景が生々しく蘇る。
展望デッキに激しく噴き上がった魔力の奔流。
それに呑まれながら、彼がほんの一瞬だけ見せた、戸惑いを滲ませた表情。
その面影を塗り潰すように広がっていった、狂気じみた笑み。
「でも……そこから少しずつ雰囲気が変わっていって……気づいたときには、すごく、狂気的というか……だから……」
シアはそこで一度だけ言葉を止めた。
視線は再び、隣で安らかに眠る黒髪の青年へと落ちる。
自分の代わりに怒り、守るように戦ってくれたことへの感謝。
同時に、とてつもなく大きな負担を彼に押しつけてしまったことへの罪悪感。
そして、膨大な魔力を纏い、蹂躙を繰り広げた彼に対する、拭いきれない恐怖。
そのどれもが本物だった。
シアはそれらすべてを胸の内へ押し込み、逃げるように言葉を濁すのではなく、きちんと前を向く。
「彼は最初から怒って、暴れようとしてたわけじゃ……ないと思います」
言い切ったあと、会議室に短い沈黙が落ちた。
青みがかった照明の下、誰もすぐには口を開かない。
ただ、今しがたシアが口にした言葉だけが、会議室の中央に置き去りにされたみたいに残っていた。
この沈黙の中で、ルナはどこか満足げに小さく口元を緩める。
それは勝ち誇るような笑みではない。
シアが自分の見たものを、ちゃんと言葉にしてくれたことへの、かすかな安堵に近かった。
一方、場の進行役を担うフィオネは表情を崩さない。
だが、シアの言葉を受け止めるように、ゆっくりと一度だけ頷いた。
そして最後に、その短い静寂を破ったのは、ジークが椅子を後ろへ引きながら立ち上がる音だった。
「説明ありがとう。いずれにせよ、今回の件についてこちらに非があるのは明白だ」
迷いのない、真っすぐな言葉だった。
責任を軽くしようとする色も、言い訳を挟む隙もない。
その声に続くように、隣のミリアも素早く立ち上がる。
「彼らの上官として、謝罪させてもらうよ」
そう言って、ジークは深々と頭を下げた。
その動きに遅れることなく、ミリアもまた深く頭を垂れる。
会議室の中で、小さく椅子が軋む音だけが響いた。
重たい沈黙が、再びその場を包む。
その中で、フィオネとルナは自然とシアへ視線を向けた。
この謝罪に最初に応えるべきなのは、彼女だと示すように。
シアは、二人から向けられた視線の意味をすぐに理解した。
小さく喉を鳴らし、それからほんのわずかに頷く。
そして、頭を下げる二人へ向き直り、そっと唇を開いた。
「謝罪を受け入れます。ただ……」
その言葉とともに、シアの視線は静かに隣へ流れる。
両腕を拘束されたまま椅子に座らされ、未だ目を覚まさない黒髪の青年へ。
「私よりも……彼の方が、嫌な思いをしたと思うので、彼にもちゃんと謝罪をお願いします」
決して大きな声ではなかった。
けれど、その言葉は静まり返った第四会議室の中で、驚くほどはっきりと響いた。
ルナがわずかに目を細める。
フィオネもまた、何も言わずに静かに息を吐いた。
そして、頭を上げたジークはシアを真っ直ぐに見つめ、短く頷く。
「ああ、当然そうさせてもらうよ。ただ、その前に――いくつか彼について質問してもいいだろうか?」
アレクやミリアの上官としては、当然の確認だった。
その問いを受けたシアとルナ、そしてフィオネは、互いに顔を見合わせる。
誰が返答するべきか。
どこまで、何を話していいのか。
互いに言葉を探るような、短い沈黙がその場に落ちる。
その一拍の間を置いて、代表するように口を開いたのはフィオネだった。
「えぇ、もちろん。ただ、彼については、こちらでもまだ情報を把握できていないので、お答えできることもあまり多くはありませんが……」
当たり障りのない返答。
だが、それは曖昧に濁したのではなく、現時点での事実そのものだった。
実際、フィオネは黒髪の青年とまだ会話すら交わしていない。
素性も、経歴も、何一つ分からない。
答えようにも、答えられる材料がなかった。
「なら、直接本人に聞いたらいいんじゃない?」
話が停滞しかけた重い空気を、ルナの軽い調子の一言が横からすっと切り裂いた。
あまりにも率直で、あまりにももっともな提案。
第四会議室にいる全員の視線が、自然と一か所へ集まる。
青みがかった照明の下、拘束されたまま椅子に座る黒髪の青年。
閉じられた瞳。静かな呼吸。整った横顔。
こうして見るだけなら、とてもあの展望デッキで蹂躙を繰り広げた張本人には見えない。
しかし、この場に集まった大半の人間が、彼の持つ潜在的な能力の片鱗を目の当たりにしている。
だからこそ、彼の指先がピクリとわずかに揺れただけで、この場にいた全員の神経は一瞬で張り詰めた。
しん、と第四会議室が静まり返る。
その直後だった。
「ん……」
かすかな吐息混じりの声が漏れた。
座ったまま両手を拘束されている黒髪の青年の、閉じられていた瞼がピクリと揺れる。
誰かが息を呑む。
誰も動かない。
ただ、その小さな変化だけを全員が見つめていた。
そして次の瞬間――
静寂に包まれた第四会議室の中で、空色の瞳がゆっくりと開かれた。
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