Op.48「愚かな選択」
「世界調律騎士団だ! お前を特級アーティファクトの無断使用および対魔特別条項第七項違反の容疑で連行する!」
夕闇に沈みかけた魔導戦艦の展望デッキへ、割れるような若い男の声が響き渡った。
穏やかな談笑に満ちていた空間が凍りつく。
周りの視線が、一斉にこちらへ集まる。
気づいた時には、俺とシアのテーブルを囲むように、白と黒を基調とした隊服を纏った十数名の集団が立っていた。
靴音すら揃ったような訓練された動き。
見慣れぬ大きな銃や剣で武装した集団。
彼らの先頭に立つのは、白いマントを羽織り、腰に剣を携えた茶髪の青年。
年齢は俺と大差なさそうだが、纏う空気は明らかに違う。
そんな彼の鋭い視線が真っ直ぐ、俺を射抜いていた。
(これ、どう考えても――俺に言ってんだよな?)
念のため背後を振り返ってみても、近くには誰もいない。
それどころか、さっきまで近くで談笑していた乗客たちは、椅子を引く音も立てないように距離を取り、逃げるようにその場を離れていく。
ひそひそとしたざわめき。
好奇と警戒が入り混じった視線。
そして気づけば――
俺とシアを中心に、半円を描くように展望デッキの一角が封鎖されていた。
(なんかの容疑で連行する、みたいなこと言ってたけど……思い当たる節なんて……)
真っ先に脳裏に浮かぶのは、涙の魔法で森に一本道を開拓した光景。
消し飛んだ鮫の魔獣、黒焦げとなった魔導列車。
……うん。思い当たる節は、めっちゃあった。
だが、あれは状況的に仕方ないし、死傷者も出ていなかったって話だ。
むしろ俺のおかげで多くの人が助かったってことらしいし、逮捕される道理はない。
(さて、どうするべきか……)
先頭に立つ男が、間合いを詰めるようにさらに一歩踏み出した。
硬い靴底が甲板を叩く音が、やけに大きく響く。
その一歩に合わせるように、周囲を取り囲む隊員たちの視線が一斉にこちらへ集中した。
完全に逃げ場を塞ぐ配置。
俺は背中にじわりと嫌な汗を滲ませながらも、できる限り平静を装って息を整える。
心音が耳の奥でやけに大きく響く。
それでも頭の中だけは冷静に、この場をどう切り抜けるか考え始めていた。
まず、戦うような手荒な手段は避けたい。
だが、ここは上空で逃げ場もない状況。
痴漢冤罪のように連行されてしまえば、人生詰んでしまうパターンもあり得る。
事情を説明する前に、容疑だけが独り歩きする可能性もある。
(そうなると、最善の対応は……)
まずは、シアにこの人たちを説得してもらえればベスト。
もしダメなら、彼女と共にこの場を離脱して、ルナと合流する。
その後に、色々と状況を説明してもらえれば話は早い。
そんな結論にたどり着いた――その時だった。
「ちょっと待ってください!」
希望通りの展開。
隣の椅子から立ち上がったシアが勢いよく俺の前へ滑り込んだ。
肩口までの白い髪が夕焼けの光を受けて揺れ、小さな背中が俺を庇うように立ちはだかる。
「彼については、このあと自由組合の職員のもとで事情聴取を行うように話を通してあります! 勝手に連行するのは――」
「ここはオレたち世界調律騎士団の管轄だ!」
シアの言葉が途中で叩き潰される。
それでも彼女は一歩も退かなかった。
強張った背筋を伸ばし、真正面から茶髪の青年を見据える。
「そうだとしても、こんな横暴が許されるはずありません。強制的に連行するなら、正式な令状を出してください」
声色は穏やかで、口調も丁寧。
しかし、言葉の裏には確実に怒りが感じられる。
一方で、正面の茶髪の青年は痛いところを突かれたように眉間に深い皺を刻み、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「……君は下がっていろというのが分からないのか!」
「はい。おっしゃっていることが理解できないので、ちゃんと説明してください」
「そんな時間はない!」
「なぜですか? 彼はご覧の通り逃げる素振りもありません。急ぐ理由はないはずです」
言葉の応酬が、静まり返った展望デッキの中央で鋭く交差する。
あからさまに都合の悪い話題を逸らそうとする青年。
それを一歩も逃さないシアの追撃。
淡々とした口調でありながら、彼女の碧眼の瞳には明確な意思が宿っていた。
完全に押している。
周囲を囲む隊員たちも視線を揺らし、互いに顔を見合わせ始めている様子。
この論戦がどちらに傾いているかなど、誰の目にも明白だった。
(よし、この調子なら……)
このまま押し切れば、無用な衝突は避けられる。
そう思い始めた、その瞬間だった。
「うるさい! オレたちは君の相手をしている暇はないんだ!」
怒声が空気を引き裂いた。
次の瞬間、茶髪の青年は苛立ちを隠そうともせず一歩踏みこんだ。
その勢いのままに伸ばされた腕。
払いのけるような乱暴な動作。
躊躇いも配慮もないまま、彼はシアの肩を強引に押しのけた。
「きゃっ!」
小さな身体が、簡単にバランスを崩す。
白い髪が宙に舞い、足元が浮いた。
「シアちゃん! ――ぐっ!」
反射的に立ち上がろうとした俺の身体が、横から押さえ込まれる。
重たい衝撃。視界が傾く。
乱暴に前のめりへと叩きつけられ、息が詰まった。
さらに、背後へ回り込んでいた隊服の男たちが、訓練された動きで俺の腕をねじ上げる。
「くっそ、痛ってぇな。もっと丁重に扱えよ」
甲板の冷たさと衝撃の痛みを全身に感じながら、思わず愚痴がこぼれる。
理不尽な暴力や言動に、胸の奥で怒りや憎悪が膨れ上がる。
その中で、歯を食いしばりながら視線を横に傾けた。
すると、体勢を崩したシアは転ぶことなく、茶髪の青年の隣にいた青髪の女に抱きかかえられる形で身体を支えられていた。
「ちょっとアレク! 手荒なことしないで!」
「ミリア、分かってるさ。 ホルシュ! 今すぐこいつを拘束しろ!」
ミリアと呼ばれていた青髪の女が、責めるような視線を茶髪の青年に向ける。
あの話の通じないクソ野郎の名前は、アレクというらしい。
俺は心の中のデスノートにしっかりとその名を刻み込む。
そして、シアが怪我をしていないと分かった安堵も束の間。
隊列の中から、一歩前へ出る影があった。
細身の体躯。
尖った耳。
神経質そうな眼鏡。
ホルシュと呼ばれていた男が、命令を受けて意気揚々と俺の前に躍り出る。
「さて、ようやくワタシの出番のようですね」
どこか楽しげですらある声色。
彼は地に組み伏せられた俺を見下ろし、ゆっくりと胸の前で両手を組む。
祈りにも似た姿勢。
だが、その眼鏡のレンズ越しに映る瞳に宿るのは、慈悲ではなく侮蔑。
まるでゴミを見るようにこちらに視線を落としている。
さらに、次の瞬間だった。
彼は声のトーンを少し低くし、呪文のようなものを唱え始めた。
「律戒、天輪、聖環、裁きの鎖がその身を結ぶ」
背筋を冷たいものが駆け上がった。
(――これは、あの時と同じ……!?)
脳裏に蘇るのは、冷たい記憶。
謎の仮面集団に拘束され、氷漬けにされた最悪の思い出。
あの時と唱えている単語は違うが、祈るポーズと詠唱という過程は同じ。
間違いなく、サポート型アンドロイドのクロが説明していた魔術を発動する工程だ。
(くそっ、これはガチで逃げないとヤバいな……)
当然、このホルシュという男が、どのような魔術を発動するかなど知る由もない。
だが、碌なことにならないのだけは確実だ。
その考えに至ったものの、数人がかりで組み伏せられて動かない身体。
さらに、遅すぎた状況判断。
メガネの男に悠々と詠唱を完成させることを許してしまった。
「世界譜収録魔術書-拘束譜術-第九番『縛光』」
刹那、白い環が空間から弾けるように出現した。
肩、腕、胴、脚へ光の鎖が一瞬で絡みつき、容赦なく締め上げる。
「ぐっ……!」
骨を直接握り潰されるような圧力。
肺が押し潰され、呼吸が浅くなる。
身体の全ての自由を奪う完全拘束。
光の輪がわずかに収束するたびに、痛みが走りさらに拘束が強まっていく。
「アレク隊長、対象の拘束が完了しました」
「そのまま連行しろ!」
涼しげな顔で報告するホルシュと、見下ろすように俺を一瞥するアレク。
まるで人として扱われている気がしない。
そんな彼らの不遜な態度に胸の奥で黒い衝動が蠢いた。
「なぁ。聞かせてくれよ」
拘束されたまま、視線だけを上げる。
「何で俺がこんな仕打ちを受けてるのかをさ」
「答える必要はないし、お前に発言を許可していない」
「禁止された覚えもないんだけど?」
「黙れ!」
わざと煽るような返答にあからさまにアレクの顔が歪む。
俺だって、できることならこんな状況で相手を煽るような危険を冒したくない。
だが、ここは時間を稼ぐ必要がある。
(自力でこの拘束を解いて逃げられればベストだけど……せめてルナが戻るまではこの状況を維持しておきたいところだな……)
もっとも、この状況でルナが戻ってきたところで解決するのかは怪しい。
むしろ盛大に場を引っ掻き回しそうな気しかしない。
あいつ、ちょっと脳筋っぽい感じだったし。
でも、なんとかしてくれそうという若干の希望もある。
だから――今は耐える。
可能な限り時間稼ぎに徹するしかないだろう。
「さっさと立て!」
アレクが乱暴に俺の肩を掴み上げる。
「あのさ、強制的に連行するなら令状がいるんだろ? それをさっさと見せてくれよ」
「……緊急時には現場の判断に委ねられている! そんなものは必要ない!」
「へぇ~? じゃあ、この状況のどこに緊急性があるのか教えてくださーい。か弱い一般人が横暴な人たちに理不尽な暴力を振るわれて怖いんですけどー!」
甲板に転がされたまま、ふざけた口調で騒ぎ立てる俺に苛立ちを隠せないアレク。
周囲の隊員たちの何人かが視線を迷わせる。
「ふざけやがって……」
「ふざけてませんけどー? むしろ、俺からしたら話も聞かずに一方的に拘束してくるお前らこそ、ふざけんなって感じなんだけど」
「……もういい! コイツを引きずってでも連れていけ!」
額に青筋を浮かべ、吐き捨てるような怒声で命令を下すアレク。
この男は、本当に話が通じない。
常に自分が正義で、それに沿わないものは全て悪のような考えを持っているのだろう。
喋ってるだけでこっちまで苛立ちが募っていく。
そして、吐き捨てられた命令に従うように、アレクの部下たちが俺の身体を無理やり引き起こす。
(さすがに時間稼ぎも限界だな……こいつらに連行されるくらいなら、いっそ魔法を使うのもありか……?)
内心で舌打ちを鳴らす。
こんな話の通じない奴らに連行されれば、確実に面倒なことになる。
下手したら、牢屋にぶち込まれて出てこれないかもしれない。
それならいっそ、悪夢や涙の魔法を使ってでも、この場を凌ぐことも考え始めた時だった――
「待ってください!」
魔導戦艦の展望デッキに柔らかくも芯のある声が響いた。
俺が連行される進路を遮るように立ち塞がったのは、白い髪のケモ耳少女シア。
彼女は通せんぼするように両手を大きく広げ、俺と世界調律騎士団の間へ割って入る。
緊張した面持ちでありつつも、その立ち姿には一歩も退く気配がなかった。
真剣な碧眼が、真正面からアレクを射貫く。
再び、二人が真っ向から向き合う。
「また君か。これ以上オレたちの邪魔をするのであれば、君も拘束させてもらう」
「どうぞご自由に。でも、こんな横暴なことを続けるのであれば、自由組合を通して正式に抗議します」
睨み合う二人。
両者とも一歩も退かず、碧眼の瞳と歪んだ正義感に染まった瞳が空中で激しく衝突する。
数秒の沈黙の中で周囲の空気が張り詰めていく。
俺や隊員たちですら、息を呑んで成り行きを見守っている。
そして、堪えきれなくなったアレクは苛立ち気味に最悪の命令を吐き捨てた。
「……仕方ない。ホルシュ、彼女も抑え込んでおけ」
「ふむ。ワタシが出る必要もなさそうですが……承知しました」
やれやれといった雰囲気で、細身のメガネ男が一歩前へと踏み出す。
続いて、彼は先ほどと同様に胸の前で祈るように手を組んだ。
その動作を見た瞬間、俺は背筋が凍りついた。
「おいっ! やめろ!」
絶句しつつも声を振り絞るが、当然ホルシュの動きを制止できるはずもなく……
「世界譜収録魔術書-拘束譜術-第九番『縛光』」
次の瞬間、白い光の輪がシアの身体を絡め取った。
「うぐっ……」
細い身体が宙で拘束され、そのまま甲板へ倒れ込む。
光の鎖が腕と脚を締め上げ、彼女の身体の自由を完全に奪い取った。
俺は何もできないまま、目の前で起こった光景に言葉を失っていた。
胸の奥に、何かが沈んでいく。
重く、黒く、ゆっくりと。
――こっちが下手に出てれば調子に乗りやがって。
――魔法を使って、こいつら全員悪夢に堕としてやろうか。
――先に攻撃されたし、ぶっ飛ばしてもいいんだっけ。
ここまで蓄積していた怒りの感情に憎悪や殺意も加わり、限界まで膨らんでいく。
それをどうにか崩壊寸前の理性で無理やりに押さえつける。
(……ダメだ、冷静になれ。ここで暴れるのはリスクが大きすぎる)
感情的に行動するのは、愚かな選択。
一時の感情だけで、この世界での新たな人生を棒に振るわけにはいかない。
ここは歯を食いしばり、感情を殺してでも耐え抜くしかない。
そう自分に言い聞かせ、心を無理やり平静へ戻そうとしたのだが――
「アレク隊長、対象者の所持品についても回収しますか?」
「当然だ。全て押収しろ!」
背後で交わされた短いやり取り。
その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感が背筋を撫でた。
そして、それは最悪の形で的中することとなる。
部下たちによってサポート型アンドロイドのクロ、メガロドンとの戦闘の際に使用したブレードなどがバッグから取り出され、回収されていく。
その作業の中で、アレク自身もテーブルの上にあった一冊の本へ手を伸ばした。
「おい、その本は俺のものじゃねぇよ」
反射的に声が出ていた。
だが、アレクは一瞥すら寄越さない。
「お前の言葉を信用するつもりはない。ここにあるものは全て押収する」
事務作業のようにルナの本のページをペラペラと雑に捲っていく。
物語を読む者の手じゃない。
証拠品を検分するだけの、無機質な手つき。
苛立ちが、抑えきれない速度で膨らんでいく。
「……が、これは必要なさそうだな」
興味を失ったように、本のページからアレクの指先が離れた。
次の瞬間――
夕焼けの静寂を背に、本が宙を舞った。
まるでゴミでも扱うように投げ捨てられた一冊が弧を描く。
表紙に刻まれた『愚者と約束の木』の題名やイラスト、裏表紙に描かれた男女と巨大樹の絵が空中で無造作に翻る。
時間が、ほんのわずか引き延ばされたように感じた。
実際には一秒にも満たない一瞬のできごと。
その刹那の末に俺の耳に届いたのは、バサッという乾いた音。
夕陽に重なりながら地面に落ちた本は、拘束されたまま倒れたシアの脇へ無造作に転がった。
「……は?」
声が漏れた。
自分でも驚くほどに、低く、冷えた声だった。
同時に、胸の奥に沈めていたはずの感情が、ひび割れた理性の隙間から溢れ出す。
――薄っぺらい正義を掲げ、問答無用で拘束された怒り。
――『愚者と約束の木』という良い作品の余韻を、土足で踏みにじられた不快感。
――目の前でシアを傷つけられても、何もできない無力感。
さらに、自分の宝物だという本を俺に託してくれた時のルナの笑顔。
それをゴミのように扱った歪んだ正義を掲げる集団。
今も本が地面に落ちる瞬間だけが、何度も何度も脳裏で繰り返される。
「あー、ははっ……はははは……」
とっくに限界だった。
溢れ出したドス黒い感情の濁流が理性を飲み込んでいく。
何も面白くないのに乾いた笑みが抑えられない。
「ブツブツと何を言っている! さっさと歩け!」
唖然としながら立ち尽くしていた俺の肩を乱暴に掴むアレク。
そのまま連行しようと強引に引っ張られたことで体勢を崩し、力なく地面に倒れ込む。
その瞬間だった――
胸の内がドクンっという音を掻き鳴らし、波状の衝撃が全身へ迸る。
五感が研ぎ澄まされ、万能感や全能感が体中に満ち溢れていくような危険な感覚。
さらに、それが体外にも伝播するように広がり、周囲に力の奔流が吹き荒れる。
(これ、魔法を使った時と同じ……って、ヤバい……!)
瞬時に冷静になろうと努めたが、考えが上手くまとまらない。
沸きあがるように気分が高揚し、理性も感情も思考さえもぶっ飛んでいく。
まるで、望めば世界すら思い通りにできそうな感覚。
今はただ、最高に気分が良い。
「あー、ははっ! なーんかもう全部どうでもいいや」
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