Op.46「第七会議室」
扉の前で、金髪の少女は一度だけ深く息を吐いた。
胸の奥に溜まった緊張を、ゆっくりと外へ逃がすように。
「……よしっ」
小さく呟き、扉を三度ほど軽くノックする。
間を置かず、内側から『どうぞ』という凛とした女性の声が返ってきた。
「入りまーす!」
やけに明るい声とともに、ルナはアダマンタイト製の重厚な扉を押し開く。
満を持してやって来たのは、魔導戦艦中枢部に設けられた第七会議室。
少人数用の簡素な部屋で、遠征に出る冒険者パーティや、世界調律騎士団の小規模部隊が作戦会議に用いることが多い場所だ。
室内の中央には四人掛けのテーブルと椅子。
壁際には大型モニターが一台だけ設置されている。
余計な装飾は一切なく、必要最低限の機能だけを詰め込んだ無機質な空間だった。
「死にかけたという割には、ずいぶん元気そうね」
軽く笑みを浮かべながら声をかけたのは、テーブルの奥側に腰掛けている女性だった。
青みがかった黒髪を長く伸ばし、知的な印象を与える青い瞳を持つ耳長種の女性。
フィオネ・プルメリア。
自由組合に所属する職員であり、冒険者ルナ・トワイライトの担当アドバイザーとして彼女の冒険者としての活動全般を支えている。
ルナとシアより二つ年上の20歳で、彼女たちにとっては頼れるお姉さん的な存在だ。
「そりゃもう。さっきご飯いっぱい食べてきたんで、大復活ですよ」
「まったくあなたは……まぁいいわ。立ち話も何だし、座ってちょうだい」
「はーい♪」
フィオネが本気で怒っていないことに安堵しつつ、ルナはテーブル手前の席へ向かう。
そのまま腰を下ろそうとして、ふと視線が卓上に止まる。
明らかに自分用と思しき、二つの大きなどんぶりの存在を無視することはできなかった。
「あの、これは……?」
「オーク肉の特盛かつ丼よ。あなたが来るから、あらかじめ注文しておいたの。食べられそうにないなら下げてもらうけど」
「……いえいえ。ありがたーく、いただきます」
ルナは自分自身のお腹に手を当て、まだ余裕があることを確認しながら着席した。
同時に、目の前の丼ぶりの蓋を開いたことで、甘辛いタレと揚げ油の香りが、湯気と一緒に立ちのぼる。
一方のフィオネは、飲みかけのコーヒーカップを手に取り、一口含む。
軽く息を吐いたあと、正面に座るルナを真っ直ぐに見つめた。
「まずは、お誕生日おめでとう。と言っておくわ」
「あっはは……ありがとうございます」
軽い調子で返しながらも、ルナの背筋は自然と伸びていた。
フィオネの口調と空気が、これから真面目な話に入ることを告げていたからだ。
「今日からあなたも18歳。大人の第一歩として、今まで以上に自分の言動に責任を持ちなさい」
「はい……」
フィオネの声色は穏やかだが、その芯は揺るがない。
「今回のように、人のために行動できるのは、あなたの素敵な長所だと思うわ。ただし――」
言葉を区切り、青い瞳で真っ直ぐにルナを見据える。
「あなたが無茶をして傷つくことで、心を痛める人がどれだけいるか。そのことも、ちゃんと自覚しなさい」
「はい」
短く答えながら、ルナは脳裏にいくつもの顔を浮かべていた。
姉妹同然の存在であるシアやリオ。
幼い頃から育ててくれた義母ロアナと義父ビスタ。
他にも、魔導学院で出会った友人や幻想喫茶キラキラの常連客。
「時には、引くことも、逃げることも大切なの。誰かのために自分を犠牲にすることや、正面から戦うことだけが必ずしも正解じゃない」
静かな語り口だからこそ、その言葉は重く胸に落ちる。
「悔しくて、みっともなくても、生き延びること。それが冒険者として、これからも活動していく上で一番大事よ」
「……分かりました」
茜色の瞳で真っ直ぐに見つめ返し、ルナは深く頷いた。
それを見て、フィオネはほんの少しだけ纏っていた空気を緩め、静かに息を吐く。
「今までは担当アドバイザーとして、少し甘く接してきたけど……」
そして、はっきりと告げた。
「これからは、もっと厳しく対応させてもらうわね」
にっこりと、含みのある笑み。
それを真正面から受けたルナの頬が、ぴくりと引きつった。
これまでも散々怒られてきたし、こっぴどく説教された回数は数えきれない。
そんなことを思い返しながら、彼女は言葉を選ぶように慎重に口を開いた。
「えーっと、今までも結構厳しかったと思うんですけど……」
「なにか?」
「いえ、何でもないです」
ルナは乾いた笑みを浮かべながら、視線をすっと逸らす。
「分かってもらえたようでなによりよ。それじゃあ、早速だけど本題に入らせてもらうわね」
有無を言わせぬ締めくくり。
フィオネは満足げに頷き、カップを静かにテーブルへ戻しながら話を本題へと切り替えた。
「今回の一件について、シアから大体の報告は受けているわ。ただ、現場にいたあなたの口からも、詳しく聞いておきたいの」
「もちろん」
フィオネの声音は落ち着いているが、そこには自由組合の職員としての緊張感が含まれていた。
ルナは箸を置き、自然と背筋を伸ばす。
順を追って説明するまでもなく、呼び出された理由は明白。
ルナがここにいるのは、本日発生した魔導災害に関する事情聴取のため。
本人もそれを理解しているからこそ、軽口は封じ、両腕を胸元で組む。
そのまま視線を少し上へ向け、脳裏で記憶を辿るように口を開いた。
「って言っても、どこから話したらって感じなんですけど……まずは……」
一拍置いて、ルナは語り始める。
シアと共に乗車していた魔導列車が、突如として緊急停車したこと。
列車の護衛依頼を受けていた明星ギルド所属の冒険者パーティ『白亜の翼』と、ひと悶着があったこと。
その後、列車が脱線し、完全に動けなくなったこと。
周囲から30体もの魔獣が迫り、救援は間に合わないと判断したこと。
乗務員の協力を得て、魔獣誘引用の発煙筒を使用し、20体の魔獣を誘導。
戦いながら救援部隊が到着するまでの時間を稼ごうとしたこと。
しかし、囮に引っかからなかった残りの魔獣が、列車へ到達。
ルナ自身も満身創痍の状態で、動くことができず、メガロドンに喰い殺されそうになった死に際。
その瞬間に感じた膨大で異質な魔力。
直後に発生した『奇跡の光』。
光は一直線に迸り、木々も地面も抉り、射線上の魔獣をすべて呑み込んだ。
そして、大爆発。
衝撃で身体が宙へ投げ出され、視界が反転しながら無気力に空を舞った。
体力も魔力も使い果たし、落下しながら死を覚悟した、その時――黒髪の青年に助けられた。
「ってのが、私に分かることかなー」
最後は、いつもの軽い調子で肩をすくめたルナ。
一方で、フィオネは緊張感のある面持ちを崩さない。
「概ねシアの報告通りね。ただ、気になるのは……」
「あの光のこと、ですよね?」
「そうよ。特級クラスの魔力出力を観測していたようだし、出所不明で放置しておくわけにもいかないわ」
「たしかに……」
ルナは深く頷きながら、自然と黒髪の青年の姿を思い浮かべていた。
あの光の中心にいた人物であり、無関係だとは、どうしても思えない。
そして、フィオネが次に口にしたのも、彼の存在だった。
「それで、その光が発生したとされる地点付近にいた青年についてなんだけれど、記憶喪失というのは確かなの?」
「んー、少なくとも嘘って感じはしなかったかな。なんか目に入ったもの全部が新しいものって感じで、楽しそうだったし」
「あなたがそう言うなら、信憑性は高いわね。でも、私も直接話してみないと何とも言えない」
フィオネは顎に手を添え、わずかに考え込む。
その沈黙のあいだに、ルナは目の前のかつ丼に箸を伸ばし、一口だけ大きく口に運んで飲み込んだ。
そして、ふと思い出したように顔を上げる。
「今は、シアと一緒に甲板にいるはずですけど、呼びます?」
「えぇ、さっそくだけど連れてきてもらった方が良さそうね。ルナ、あなたにも同席してもらうわよ」
「はーい」
軽く返事をしながら、ルナは懐からテレパスフォンを取り出した。
シアへ連絡を取ろうと画面を操作しかけた、その時。
彼女は、とある重大な情報をフィオネに伝えていないことを思い出した。
「あっ! その前にあと一つ、大事な報告があるんですけど……」
「……なにかしら?」
再び箸を置きながら、ルナはわずかに言いづらそうな表情を浮かべる。
その様子を見たフィオネは、内心で小さく身構えた。
ルナのこういった態度や口調、雰囲気の切り出しから始まる報告がろくな内容だった試しはなかったからだ。
互いに視線が絡み合い、数秒の沈黙が流れる。
まるで、魔獣の群れに正面から立ち向かう覚悟を決めるかのように、ルナは一度だけ息を吸い込み、重たい口を開いた。
「わたし、神秘のオルゴール開いて原譜の能力者になっちゃいました」
次の瞬間、時が凍りついた。
第七会議室に満ちていた空気が、音を失ったかのように静まり返る。
聞こえるのは、室温を保つための空調の低い作動音だけ。
そんな静寂の中で、フィオネは瞬きを忘れたまま、完全に固まっていた。
表情は保ちつつも、青い瞳が大きく見開かれ、思考が追いついていないのがはっきりと分かる。
それでもどうにか冷静さを保ち、彼女は困惑気味に声を絞り出した。
「……は? えっと、ごめんなさい。ちょっと理解が追いついてないわ。もしかして、何かの冗談?」
「いや、マジなんですよね、これが」
「本当なの? 嘘だったら怒るわよ?」
「今日の晩ごはんと、冒険者のライセンスを賭けてもいいですよ」
あまりにも突拍子もない内容を素直に受け入れられず、何度も確認を行うフィオネ。
その心情も理解できるルナは、軽口を叩きながらもどうにか信じてもらえるように努めた。
「……はぁ。何がどうなったら、そうなるのよ」
「あっはは……」
フィオネは額に手を当て、大きく、疲れたような息を吐き出す。
その様子を前に、ルナはこめかみをぽりぽりと掻きながら、苦笑するしかなかった。
「まぁ、これもさっきの話の続きになるんですけど……」
軽く咳払いをしてから、ルナは気持ちを切り替えるように声の調子を整える。
そして、一連の出来事を思い返すように視線を宙へ向け、一つひとつ言葉を選びながら語り始めた。
大爆発の直後、助けてくれた黒髪の青年を、反射的に殴り飛ばしてしまったこと。
彼を川岸まで運び、目を覚ました後に交わした会話。
名前も出身も分からず、記憶を失っていた彼の素性を確かめようとして、所持品のバッグを確認したこと。
その中に入っていた小さな黒い箱。
悪魔系に分類される神秘のオルゴール。
開けば魔法使いになれるとされる誰もが欲する迷宮の秘宝。
その箱の表面に記されていたのは――
悪魔系-幻命譜-タイトル『月華の英霊』。
それを誤って落とした拍子に箱が開き、内部の譜面が光り輝きながらルナの胸へ吸い込まれたこと。
さらにその後、秋風ギルドと白銀ギルドの『双星の世代』や、明星ギルドのリヒトに絡まれた一件まで。
ルナは、現在に至るまでの忙しない道のりをできる限り、順序立てて説明していった。
「ってな感じです。正直、私自身も、まだ能力者になった実感とかは全然ないんですけどね」
そう言いつつ、ルナは最後の一口となったかつ丼を、勢いよく口の中へ放り込んだ。
箸を置き、満足げに息を吐く金髪の少女を前に、フィオネは一気に力が抜けたような表情を浮かべる。
「もう情報量が多すぎて、どこから手を付けていいのか分からないわね……」
「ですよね。私も、もう何がなんだかって感じだし」
小さく肩をすくめるルナに対し、フィオネは短く考え込むように目を伏せ、やがて静かに結論を口にした。
「ひとまず、この件は保留よ。上層部と対応を協議するわ」
「了解です」
「あなたも、能力者になったことは誰にも口外しないようにお願いね」
「はーい」
こうして、二人の間でひとまずの方針は固まった。
そして、話題は自然と本題へと戻る。
「まずは、例の青年に話を聞くのが先決よ」
「じゃあ、シアに連絡して……」
ルナがテレパスフォンを手に取り、操作しようとした――その瞬間だった。
ドォオオン――!!
魔導戦艦全体を叩きつけるような、凄まじい衝撃。
床が跳ね、壁が軋み、天井が悲鳴を上げるかのように大きく揺れた。
「おわっ……!」
「なに!? 何が起こったの!?」
衝撃に弾かれ、ルナの手からテレパスフォンが滑り落ちて床を転がる。
フィオネは反射的にテーブルに体を寄せ、バランスを取りながら立ち上がっていた。
通常、飛行中の魔導戦艦がここまで大きく揺れることはありえない。
仮に魔獣の攻撃を受けたとしても、機体は常時、魔力障壁を全面展開しているので、これほど直接的な衝撃が伝わるはずがない。
そもそも、魔獣であれば接近の段階で魔力探知機が反応し、警告が入る。
つまり、これは完全な想定外の事態。
「次から次に……一体、何がどうなってるのよ……」
ようやく魔導災害が収束し、一息つけると思った矢先の事態。
フィオネが困惑を隠せずにいる一方で、ルナは別の理由で動けずにいた。
茜色の瞳を大きく見開いたまま、彼女はその場に立ち尽くす。
「この魔力は……」
幾重もの壁と隔壁を隔ててなお、肌を刺すように伝わってくる濃密な気配。
威圧感を伴う、異様な魔力の波動。
先刻、死に際で叩きつけられた異質な魔力を彷彿とさせる波長。
完全に一致していると断定できないが、こんな魔力を持つ人間がゴロゴロいるとは考えにくい。
自然と、ルナの脳裏に黒髪の青年の姿が浮かび上がる。
「まさか……」
嫌な予感と、背筋を撫でるような悪寒。
その感覚が現実になったかのように、床に転がっていたテレパスフォンが着信音を鳴らした。
ピピピ―、ピピピ――。
一瞬で、それが誰からの連絡か悟る。
ルナは弾かれるように端末を拾い上げ、画面を何度かタップして通話を受けた。
直後、ノイズに塗れた切迫した声が飛び込んでくる。
「ルナ! あの人が――っ、って――れないの! 今すぐ――に――て!」
「なに!? ノイズで聞こえない! もう一回言って!」
「――の人たちが――になって――で――ないの!」
「シア!? 聞こえてる!? ねぇ、返事してってば!」
声は次第に歪み、ノイズが激しさを増す。
そして、唐突に通信が途切れた。
「……っ!」
ルナは何度も再接続を試みる。
だが、返ってくるのは無機質なザーザーという雑音だけだった。
「あー、くそっ……全然、繋がんない……!」
苛立ちを噛み殺しながら顔を上げる。
「フィオネさん、私は甲板へ向かいます」
「分かったわ。あなたは先行して。私もすぐ後を追うわ」
「了解!」
言葉を交わすと同時に、ルナは第七会議室を飛び出した。
肩口までの金髪を大きく揺らし、船内の連絡路を全力で駆け抜ける。
混乱する乗客。慌ただしく行き交う乗務員。
その間を縫うように、ただ前だけを見据えて。
甲板へ続く隔壁が近づくにつれ、空気は冷たく、重くなっていく。
金属の壁越しにも伝わる異様な魔力の圧が、否応なく胸の奥をざわつかせた。
そして、三分も経たず辿り着いた甲板――
そこでルナが目にしたのは、想像をはるかに超える異様な光景だった。
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