Op.45「正義の執行者」
名もなき黒髪の青年と、魔導学院のブレザー制服に身を包んだ白狼種の少女が、魔導戦艦の展望デッキへと向かっていた頃。
同じ戦艦の中枢部に位置する、虫喰穴の防衛隊の任務に就く騎士団員たちの待機室でも、ひときわ騒がしい映像が大型モニターに映し出されていた。
――『死傷者ゼロの快挙!』
――『明星ギルド、白銀ギルド、秋風ギルドの大活躍!』
――『現場に居合わせた冒険者の尽力!』
――『乗員乗客を救った奇跡の光、その正体は!?』
画面を占めているのは、見覚えのあるギルドの紋章と、勇ましいテロップの数々。
切り替わる映像には、現場で魔獣の討伐にあたる冒険者たちの姿や、誇らしげにインタビューに応じるギルド関係者の顔が次々と映し出されていく。
その光景を、苦々しい表情で睨みつけている青年がいた。
「……なんでいつもいつも、冒険者ばかりが……!」
低く、吐き捨てるように零れた呟き。
それを発したのは、世界調律騎士団に所属し、現在はアルタイル共和国内でホールドガードの任務に就いているアレクだった。
彼は、椅子の背もたれに深く身を預けたまま、腕を組み、視線だけをモニターに向ける。
その眼差しには、苛立ちを隠そうとする気配すらない。
理由は単純だった。
報じられるのは、いつだって冒険者やギルドの功績ばかり。
今回も例外ではなく、世界調律騎士団の名はどこにも見当たらない。
ましてや、現場で指揮を執ったアレク自身の名前など、最初から話題にすら上らなかった。
挙句の果てに、注目の的となっているのは――
「クソっ……なにが奇跡の光だ……」
歯噛みするように吐き出し、アレクは拳をぎゅっと握り締める。
爪が掌に食い込み、わずかな痛みが走る。
彼は、あの場にいたからこそ理解していた。
あの光が、どれほど異様で、どれほど理不尽な存在だったかを。
自分たちが任された現場を、すべて飲み込むようにして奪い去った、忌まわしき光の奔流。それによって死傷者が出なかったという事実に、安堵していないわけではない。
だが同時に、何もできなかったという現実と、圧倒的な力の差を突きつけられた屈辱が、胸の奥に重く沈殿していた。
そんなアレクの隣で、椅子に腰掛けていた少女が、少し困ったように肩をすくめる。
「結果的に、死傷者ゼロだったんだから素直に喜ぶべきよ。あなたの正義をちゃんと評価してくれる人はたくさんいるわ」
落ち着いた声音が、張りつめた待機室の空気をやわらかくほぐす。
アレクを慰めるようにそう語りかけたのは、濃紺色の長髪を背に流した少女――ミリア・クロイツェルだった。
彼と同じ隊服に身を包み、姿勢よく椅子に腰掛けたその姿は、感情に流されがちなアレクとは対照的に静かで理性的。
ミリアもまた世界調律騎士団に所属し、現在はアレクと同じ部隊で副官的な立場として彼を支えている。
「ミリー……」
アレクは小さく彼女の愛称を呼び、視線を落とす。
その声音には、慰めに対する感謝と、それでも拭えない葛藤が滲んでいた。
そんな二人のやり取りに割り込むように、今度は冷えた声が待機室に響く。
「ミリアさんは甘いですね。これはワタシたち、ひいては世界調和機構の信頼と威厳の問題なのです」
淡々と、しかし一切の情を交えずに言い放ったのは、耳長種特有のやや尖った耳と、丸縁のメガネが印象的な男だった。
ホルシュ・マルケット――彼もまた世界調律騎士団の一員であり、現在はアレクの率いる部隊では参謀役を務めている。
その彼が放った言葉を真正面から受け止めたアレクは、肩を落とすようにして大きく息を吐き出した。
「信頼と威厳、か……」
自嘲気味な呟きが、低く転がる。
それを聞いたミリアは、即座に表情を険しくし、反対側に座るホルシュへと視線を向けた。
「ちょっと! ホルシュ! 余計なこと言わないでよ」
「余計なことではありません。ワタシは事実を述べたまでです」
「それが余計だって言ってるのよ。今回は死傷者も出なかったから、何も問題ないじゃない!」
「いいえ。先ほども申し上げたように、冒険者たちに活躍の場を独占されていては、ワタシたちの存在意義に関わります」
「いつもいつもネチネチと……この超絶ださださメガネ!」
「私服のセンスが壊滅的なあなたにだけは言われたくありませんね」
一気にヒートアップする二人の言い合い。
感情でぶつかるミリアと、理屈で返すホルシュ。
待機室の空気は一瞬で騒がしくなった。
だが、そんなやり取りをよそに、アレクは再びモニターへと視線を戻していた。
そこに映るのは、奇跡の光によって森の中に大きく刻まれた一筋の線と、その先に広がる円形状に焼き焦げた大地。
とても一人の魔術師や魔法師が成したとは思えない人知を超えた所業であった。
「それにしても……何だったんだ、あの光は……」
誰に向けるでもない、独り言のような呟き。
当然、答えは返ってこない。
しかし、その問いに呼応したかのように無機質な電子音が、待機室に響き渡った。
ピピピ、ピピピ――
「おっと、失礼」
ホルシュはそう断ると、白い隊服の胸ポケットから通信用デバイスを取り出した。
画面に表示された内容を一読した瞬間、彼の表情がわずかに引き締まる。
丸縁のメガネを指先でクイ、と持ち上げる仕草は、彼が思考を巡らせる時の癖だった。
「ふむ……これは……非常に興味深い内容ですね」
その意味深な呟きに、アレクとミリアの視線が同時に彼へと向けられる。
「何の報告だったんだ?」
「もったいぶらずにさっさと教えなさいよ」
二人からの視線と圧に晒されながらも、ホルシュは慌てる様子を見せず、あくまで冷静に口を開いた。
「今、話題となっている奇跡の光、その手がかりとなる情報が届きました」
「なに!?」
アレクが思わず声を荒げる。
「一体、どんな情報だったんだ!?」
「あの光の正体が分かったの……?」
ミリアも息を呑み、ホルシュを見据える。
「それでは、順を追って説明しましょう」
二人の視線が一点に集中する中、ホルシュは小さく頷いた。
無駄のない所作で通信用デバイスを操作し、待機室の壁面へ投影を切り替える。
淡い光が走り、次の瞬間、壁一面に地図と複数の光点が浮かび上がった。
「まず、これが今し方、ワタシのもとに届いた『奇跡の光』発生直前における魔力探知機の観測情報になります」
壁際に投影された地図には、魔力反応を示す光点がいくつも散っている。
その分布は、見て取れるほど明確に、三つの領域へ分かれていた。
①11体の魔獣に包囲されていたとされる魔導列車。
②現場で囮となり、20体の魔獣を誘導していた冒険者ルナ・トワイライトの魔力反応。
③奇跡の光が起こったとされる地点付近の謎に包まれた五つの魔力反応。
「さらに、現地の調査部隊が列車に搭載された魔力探知機を解析したところ、当時観測された魔力の放出力音量の数値は一万を超えていたそうです」
「なっ……!?」
「ウソでしょ……」
思わずアレクが身を乗り出し、ミリアは言葉の形にならない息を漏らした。
この数値が持つ意味を理解しているからこそ、反射的に体が強張る。
魔力の放出力音量、その一万超えの値。
それは、特級クラスの怪物の出現を示唆する数値だった。
魔獣や魔人なら、国家の存続を揺るがす脅威『脅威度Sランク』。
人だとすれば、人類でも数少ない精鋭中の精鋭。
それこそ、アルタイル共和国の五人の能力者や世界調律騎士団の隊長格に匹敵する規格外。
だが今回の場合、後者の可能性は極めて低い。
名のある魔法師の出撃情報はなく、軍や騎士団の正規記録にもそれらしい動きはない。
つまり、前者の脅威の可能性が極めて高いということだ。
恐ろしい事実を前に二人の顔色が変わっていくのを、ホルシュは視線だけで確認し、淡々と次を告げる。
「そして、最も重要な情報が一つ。この現場付近で、身元不明の青年が一人保護されたということです」
ホルシュが指先で空中をなぞると、地図上に小さな印が灯った。
それは、奇跡の光が発生したとされる地点と、ルナ・トワイライトが交戦していた地点の中間。
一般人が逃げ遅れて偶然居合わせた可能性も考えられる。
だが、『身元不明』という一言が、その存在の怪しさと不気味さを際立たせていた。
「身元不明か……怪しいな……」
「魔人の可能性もある、かもね」
アレクとミリアが、同じ結論へ踏み込みかける。
魔人というのは、魔獣が進化した存在であり、より『人』に近い外見と知能を持つ。餌である人間を喰らった魔獣や魔人ほど知能が高く、姿も人に近づく傾向がある。
もし、今回保護された身元不明の青年の正体が魔人だった場合、あの異常な攻撃にも説明がつく。
ここまで三人の意見は一致しており、ホルシュは一歩その先へと踏み込む。
「はい、ワタシもその可能性を考えました。そして、その人物が魔人でない場合にも問題があります」
彼の声が、わずかに低くなる。
待機室の空気が、じわりと冷えるのが分かった。
次に議論され始めたのは、保護された青年が魔人ではなかった場合の話。
なぜなら、あの規模の攻撃を、一般人や一介の魔術師が行えるはずがない。
かといって、名のある魔法師が出撃したという情報も届いていない。
「違法、もしくは未承認のアーティファクトか……?」
「はい。アレク隊長と同様にワタシも、その可能性が最も高いと考えています」
アレクが思案気に口にした言葉に、ホルシュが頷きながら同意する。
彼らが考えついたのは、違法もしくは未承認のアーティファクトの使用。
アーティファクトとは、術式効果が付与された道具のことを指す。
その中でも戦闘用に特化したものは、魔法師や魔術師でない人間でも使用可能な強力な武器であり、魔獣との戦いにおいて大きな役割を果たす必需品。
しかし、出力規模の高い大型アーティファクトを使用するのであれば、危険が伴うため、必ず国へ申請や許可が必要となる。
だが、そのような報告は確認されていない。
つまり、今回の一件で使用されたとすると、違法性が高いものや認可されていないものであるという結論に至るのも自然な流れであった。
「ホルシュ。その保護された青年は、今どこにいるか判明しているの?」
眉間に深い皺を刻み、神妙な面持ちでミリアが口に出した質問。
彼女は、既に青年の身柄はどこかのギルド、もしくは自由組合が保護または拘束しているものと考えていた。
しかし、その予想に反して思わぬ答えが返ってくることとなった。
「対象人物については、この魔導戦艦に搭乗しているようですね。現在は、甲板の展望デッキで読書しているとの情報が入りました」
「えっ……」
「なにっ!? この船に乗っているのか!?」
ミリアは言葉を失い、アレクは椅子から半分立ち上がる勢いで身を乗り出した。
そんな二人を他所に、ホルシュは淡々と報告を続ける。
「はい。この後、第七会議室にて自由組合の職員が彼へ事情聴取を行う手筈となっているようです」
「なにを呑気な……!」
吐き捨てるように言い放ち、アレクは椅子の肘掛けを強く掴んだ。
金属が軋む音が、静かな待機室に不釣り合いに響く。
ここまで淡々と報告を積み上げてきたホルシュも、次の一言には熱を滲ませた。
丸縁のメガネの奥、その眼差しがわずかに鋭さを帯びる。
「同感です。ただし、これは我々にとって好機であるとも考えられます」
「好機? どういうことだ?」
「自由組合より、先んじて我々が対象の青年を拘束するのです! そうすれば、今回の『奇跡の光』などともてはやされている報道が偽りであると証明できます!」
「っ……! たしかに、そうかもしれないな……」
アレクはゆっくりと息を吐き、拳を握り締めた。
掌に食い込む爪の感触が、思考を一つに束ねていく。
だが、その空気を断ち切るように、ミリアが一歩踏み込んだ。
「二人ともちょっと待って! 話が飛躍しすぎてるわ。接触するにしても、まずは話を聞くか、見張るだけにとどめておくべきよ!」
ミリアの黄緑色の瞳が、アレクとホルシュを真っすぐに射貫く。
一度、立ち止まって冷静に判断してほしい、という願いを込めた言葉と視線。
しかし、即座に返ってきたのは、それを上回る断言だった。
「いいえ。この場面は、甘い考えを捨てて即座に動くべきです!」
理屈と感情が、アレクを挟んで正面から衝突する。
「自由組合側に確認してからでも遅くないわ!」
「あちらが素直に情報を渡してくれる保証はどこにもありません」
「だからって、こっちも好き勝手に動いていいわけじゃないでしょ」
「何かが起こってからでは遅いのです! それはミリアさん、あなたもよく理解しているはずです!」
「それは……」
正論を叩きつけられ、ミリアの言葉が詰まる。
ほんの一瞬の逡巡。
ホルシュは、そのわずかな隙を逃さなかった。
間髪入れず、部隊を率いるアレクへ真剣な眼差しを向ける。
「アレク隊長! これは我々に巡って来たチャンスです! 奇跡の光などと持て囃されている偽りの幻想を、我々の正義で打ち砕いてしまいましょう!」
「オレたちの正義……」
その言葉を反芻するように、アレクは一度視線を落とした。
彼の瞳の中で迷いが、怒りが、屈辱が、一つに凝縮され、さらに熱を帯びていく。
「ちょっと待って……そうよ! お兄さんに相談しましょう? ジークさんなら……」
ミリアは、焦るあまり踏み込んではいけない一線に触れてしまった。
アレクにとって、双子の兄の存在は、劣等感そのもの。
幼い頃から比べられ、いつも後ろに立たされてきた。
だからこそ、彼は誓っている。
誰の力でもなく、自分の手で結果を掴むと。
「それはダメだ!」
即座に、アレクが声を荒げる。
「オレは絶対に、アイツには頼らない!」
張り上げられた声が、壁にぶつかって跳ね返り、室内に重く残響した。
空気が張りつめ、ミリアもホルシュも、次の言葉を失う。
刹那の静寂。
視線が一斉にアレクへと集まる中、彼は一度、深く息を吸い込んだ。
迷いを振り払うように拳を握りしめ、その瞳に決意の色が宿る。
――そして、答えは決まった。
「オレたちは、自由組合より先に重要参考人として青年の身柄を拘束する!」
その力強い宣言は、議論に終止符を打つものだった。
退路を断つような強い口調に、待機室の空気が一気に張り詰める。
「アレク……」
ミリアの小さな呼びかけ。
アレクは一度だけ彼女へ視線を向け、すぐに前へ戻す。
「ミリア。これはあの光の正体を解き明かし、この魔導戦艦の乗員乗客を守るための正しい行動だ」
「でも――」
「対象者は、高出力のアーティファクト所持の疑いもあります。総員、武装して捕縛にあたりましょう」
ホルシュが、最後の躊躇を切り捨てるように言った。
メガネ越しの視線が『もう十分でしょう』と告げ、ミリアの言葉を押し潰す。
アレクは白いマントを翻し、待機室の扉を力強く開いた。
通路の冷たい空気が流れ込み、決断の余熱をさらっていく。
「あぁ、オレたちの正義を執行する!」
こうして、アレク率いる世界調律騎士団の部隊が動き出す。
衝動的な正義感と、兄への対抗心に突き動かされるアレクを先頭に、彼らは展望デッキのある甲板へ向かう。
だが、この時はまだ誰も想像していなかった。
正義の道の先に、理不尽と異端の化身が待ち受けていることを。
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