Op.40「浮き沈み」
「わぉ……」
全く予想していなかった絶景に、思わず声が漏れた。
隣の部屋に入った俺の目に飛び込んできたのは、下着姿の金髪美少女。
厳密には、淡い水色のブラとパンティーのセットアップを身に着けた女の子が、黒のショートパンツに足を通したばかりの、あられもない瞬間だった。
特に目を奪われるのは、細くしなやかな肢体に実る上下二つの豊満な果実。
それらを包み込む淡い水色の布地と、そこに装飾された小さなリボン。
さらに、引き締まった腹部によって肉体の立体感がより際立っている。
中でも、前かがみの姿勢で大きな谷間へと落ち込む三日月のネックレス。
その組み合わせはもはや芸術的であり、風情すら感じさせる光景だった。
「んなっ……!?!?」
唖然としたまま顔を引き攣らせ、半開きの口から漏れ出した声にならない声。
俺の存在に気づいたルナの茜色の瞳と、真正面から視線がぶつかる。
凍り付いた時間。
一拍の静寂。
刹那の絶景。
これから彼女が状況を理解して暴れ狂うまで、およそ一秒。
その間に、俺は目の前の光景を深く、深く脳裏に刻み込む。
何故なら、この直後に記憶が飛ぶくらいタコ殴りにされるかもしれないからだ。
(拝啓、前世の妹たち……)
そして、これまでの人生を振り返る間もなく、時が激しく動き出す。
「なんで普通に入って来とんじゃぁああああああああ!!!!」
怒声と同時に、ルナの手元にあったブレードの柄が空気を切り裂いて飛来する。
次の瞬間、鈍い衝撃が額を打ち、俺の視界が真っ白に弾け飛んだ。
「痛ってて……シアちゃんが来いって言うから来ただけなのに……」
腫れ上がった額を押さえながら身を起こし、床に座ったまま愚痴をこぼす。
俺はただ、シアの指示通りに隣の部屋にやって来ただけ。
覗いたわけでもなく、勝手に踏み込んだわけでもない。
ドアの前に立った途端、何の前触れもなく自動扉が横にスライド。
そのまま下着姿のルナと、運命的なご対面を果たした。
結果として、目に焼き付いたナイスバディの代償が、この立派なたんこぶだ。
「今回に関しては、俺、あんまり悪くないと思うんだけど……」
そう言いつつ、視線を絶対的な元凶である白髪セミロングのケモ耳少女へ向ける。
すると彼女は、前頭部に軽く握った拳をちょこんと乗せ、ウインクしながら舌をぺろり。
「てへっ♪」
「可愛い」
シアのあざとい仕草に完全敗北。
気づけば俺は、硬く握った拳に親指を立ててサムズアップを返していた。
しかし、その直後――
背後から、ひやりとした視線を感じた。
振り返った瞬間、距離を詰めていたルナと目が合う。
咄嗟に逃げようとするも、時すでに遅し。
「アホか! 反省しろ!!」
強烈なデコピンがシアの額に炸裂し、ほぼ同時に俺の腹部へ容赦ないボディブロー。
肺から空気が一気に押し出され、情けない声が喉から漏れた。
「誰にも見られたことなかったのに……ったく、本当に君って奴は……」
いつの間にか、ルナは夏らしい赤のノースリーブシャツを身に着け、胸の前で両腕を組みながらボソボソと不満を漏らしていた。
その口調は低く、恨みがましく、妙に湿り気を帯びている。
おまけに、視線までもが粘つくように俺を捉えて離さない。
本来なら、こういった張りつめた空気を中和してくれるはずのシアは、包帯を取りに行くと言い残して逃走。
飼育員さん抜きで、不機嫌な猛獣の檻に閉じ込められてしまったということだ。
とりあえず、俺にできるのはこれ以上彼女を刺激しないことくらいだろう。
「ルナ、安心していい。俺は何も見てない」
「……はぁあああ!? 嘘つけ! 思いっきり見てたでしょうがっ! バッチリ目合ったし、わぉ! って声出してたのはどこのどいつよ!」
「ここの俺だな」
「コイツっ……」
完全に失言だった。
火に油を注いでしまったようで、茜色の瞳がより深紅に染まっている。
さらに、獰猛な気配も相まって今にも噛みつかれそうな雰囲気だ。
そろそろ話題を変えなければ、回復液の浴槽に沈められるのも時間の問題かもしれない。
そう判断し、俺は真面目なトーンで一つ疑問を投げかけることにした。
「そういえばさ、さっき気になったんだけど……右の脇腹、大丈夫か?」
「ん? あー、これね」
『やっぱ見てんじゃん、変態』と吐き捨てながら一睨みした後、ルナは右手でシャツを大胆に捲り上げた。
そのまま引き締まった腹部の肌が露わになり、その中央に、拳二つ分はあろうかという赤黒い痣が浮かび上がっている。
まるで剛速球でも直撃したかのような、生々しい変色具合だ。
これが先ほど、ルナのあられもない姿を目にした際に気になったことの一つだった。
他にも疑問はあったが、下着やバスト関連だったので身の安全のため心の内に秘めておく。
「近くで見ると、結構エグイな」
「でしょ? ジュエルフィッシュって魔獣に思いっきり突進されちゃってさ。肋骨にヒビ入ってたみたい」
「マジか……」
俺は患部を確かめるように顔を寄せ、腫れ上がって変色した部分にそっと指先を当てる。
……が、悪戯心をくすぐられ、ぐっと少しだけ力を入れてしまった。
「痛ったぁぁああああい! な、なにすんのよ!?」
「あー、ごめん。結構痛そうだなーと思ってさ」
「アホか! そう思うんならつつくな!」
「……たしかに!」
「こんの……どアホがぁああああああ!!!!!」
これが引き金だった。
こめかみに青筋を浮かべた怒れる金髪少女が、拳を構えて飛びかかってくる。
次の瞬間、俺は床に押し倒され、気づけばルナが馬乗りになって大きく腕を振り上げていた。
「ちょっ――!」
咄嗟に両手で彼女の手首を掴み、寸前で振り下ろされる拳を食い止める。
だが、力は完全に拮抗しているわけではない。
押し合い、せめぎ合い、腕がじりじりと沈んでいく。
「とりあえず、さっきの記憶が無くなるまで殴らせてもらおっかな」
「ちょっと下着姿を見られたくらいでそんなプリプリ怒るなって。プリプリなのはそのデカい尻だけにしてくれよ。……なんつって……」
「ブチ殺す」
「待てって! 俺なりに空気を和ませようと――うぉ! 危ねぇ……!」
言い終わる前に、ルナのもう一方の拳が容赦なく飛んでくる。
俺は必死に身を捻り、直撃寸前でかわし、受け止める。
それでも容赦のない拳の雨が止むことはなく、さらに勢いを増していく。
一発でもまともに食らえば致命傷。
追撃を許せば、再び回復液の浴槽に逆戻りだ。
せめて、飼育員のシアさんが戻ってくるまで耐え忍ばなければいけない。
「避けんなっ!」
「それは出来ない相談すぎるだろ!」
色素の薄い金髪が揺らめくと同時に、鋭い拳が唸りを上げて迫る。
俺は回避と防御に全神経を集中させ、必死にその一撃を受け止めた。
それでも徐々に追い込まれ、強烈なパンチを受け止めた腕がグググっと押し込まれ、拳が顔寸前まで迫ってくる。
(シアちゃん、一刻も早く戻ってきてくれ……)
そんな切実な願いが、どこかに届いたのかもしれない。
次の瞬間――
部屋の天井からピーンポーンパーンポーンという電子音が響き渡る。
続いて、凛とした女性の声が艦内に流れ始めた。
『当機はまもなく離陸いたします。甲板デッキにいらっしゃる方は、速やかに艦内へお戻りください。繰り返します……』
艦内放送が流れ始め、その間だけは、俺もルナも動きを止めて耳を傾けた。
だが、依然として組み合ったままの体勢が解けることはない。
助かった、とは到底言えない状況だ。
やはり、彼女を諫めてくれるシアの帰還まで持ち堪えるしかない。
そう覚悟を決めたところで、艦内アナウンスが終了した。
そして、再び時が動き出す。
ルナの獰猛な瞳が俺を捉え直し、腕を掴む指先にグッと力が入る。
このまま第二ラウンドに突入するのかと身構えた時だった。
部屋の扉が開き、ようやく待ち侘びた救世主が帰って来た。
「ごめん。お待たせ~、って……二人とも何してるの!?」
扉を開けて現れたシアが、俺とルナの姿を見て碧眼の瞳を丸くさせた。
「飼育員さん! ……じゃなくてシアちゃん! ルナをどうにかしてくれ!」
「マジで、コイツは二度と失礼なこと言えないようにお仕置きしてやんないとだわ」
「もー、二人ともほどほどにね~」
どうやらシアの目には、俺とルナがじゃれ合っているようにしか見えなかったらしい。
そのまま彼女は深刻そうな様子もなく、ヒーリングカプセルの操作パネルへと向かい、ポチポチと軽快な音を立ててタッチ操作を始めてしまった。
「シアちゃん!? マジで助けっ――」
「おりゃああ!」
その後、俺は必死に抵抗するも虚しく、頬に強烈なビンタを叩き込まれて床に沈み込んだ。
同時に、飛行機が離陸する際のような内臓が置いていかれるような浮遊感が襲ってくる。
どうやら俺が沈んだのと入れ替わるように、魔導戦艦は空へと飛び立ったようだった。
♪―♪―♪
「痛ってて……シアちゃん、俺の頬っぺたちゃんとある? ちぎれてない?」
歩きながら情けなく問いかけると、隣のシアがちらりとこちらを見て、くすっと微笑んだ。
「大丈夫ですよー、ちゃんとありますよ~」
その言葉に、ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。
ルナの脇腹の治療が終わり、俺たちはメディカルルームを後にしていた。
目的地も告げられないまま、三人並んで艦内の通路を進んでいく。
立ち位置が左からルナ、シア、俺の順となっているのはごくごく自然な流れだろう。
「ったく、一発だけで許してあげたんだから感謝しなさいよね」
「感謝……」
「なに? まだ言いたいことがあるなら、私が優し~く聞いてあげるけど?」
シアを間に挟みながらの会話の応酬。
さらに、白髪碧眼のケモ耳少女越しに金髪少女の茜色の瞳が鋭く俺を射貫く。
その視線に耐え切れず、目を逸らして小さく声を返すしかなかった。
「……心の底から遠慮しとく」
これ以上この話題を続けても、ろくな結末にならないのは明白。
そう判断して、俺は話の舵を強引に切ることにした。
「それでさ。今、俺たちどこに向かってんの?」
横に並ぶ二人へ問いかけると、真っ先に反応を示したのはルナだった。
まるでこの質問を待っていたかのように、彼女は大きく一歩前へ躍り出る。
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれました!」
肩口までの金髪を揺らし、振り返った彼女の顔には、先ほどまでの不機嫌さなど微塵もない。
そこには満面の笑みが浮かび、声色まで一気に弾んでいた。
「これから食堂に行きまーすっ! やっぱ戦った後は、腹ごしらえしないとだからね♪」
「食堂?」
「この魔導戦艦の食堂が無料で開放されていて、ちょうどこれからバイキングの時間なんです」
先頭を歩きながら上機嫌に宣言するルナを余所に、隣のシアが穏やかな口調で補足してくれる。
また、目的地が近いことを示すように通路に食欲をそそる香りが漂い始めた。
焼いた肉の香り、煮込みの湯気、ほのかにスパイスの刺激。
その匂いに導かれるようにして、程なく俺たちは食堂へと辿り着いた。
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