Op.39「小さな波紋」
このエピソードは、ルナ視点になります。
時は少し遡り、シアと暁斗が探り合いを繰り広げていた頃。
隣のメディカルルームでは、設置されたヒーリングカプセルのうち一台だけが稼働しており、室内には低く唸るような機械音が満ちていた。
ブーン、ブーン――
一定の間隔で装置が正常に作動する音が室内に響く。
その音に包まれながら、肩口まで液体に浸かる金髪の少女が一人。
ダンジョンウェアを身に纏ったまま、満身創痍の身体を青緑色の回復液に預け、ルナは静かに天井を仰いでいた。
「……シア、全然戻ってこないなぁー」
カプセル装置内にこぼれた呟きが、回復液の水面をかすかに揺らす。
治療を開始してから、すでに二十分ほどが経過していた。
本来なら、十分ほどでシアが戻ってきて、着替えや治療の手伝いをしてもらう予定だった。
だというのに、一向に戻って来る気配がない。
「なにやってるんだか……」
ルナはやれやれと軽く息を吐き、身体の力を抜いた。
そのまま全身を液体に沈めると、自然と思考が内側へと向かっていく。
(この数時間で、色々あったなぁ……)
悪夢にうなされ、寝坊から始まった18歳の誕生日。
演劇を観に行く道中で、突如として発生したワームホール。
そこから溢れ出した凶悪な魔獣との戦い。
絶体絶命の状況に追い込まれ、その窮地を救った奇跡の光。
そして、記憶を失った黒髪の青年との、あまりにも幻想的な出会い。
胸の奥がきゅっと締め付けられるような、初めての高鳴り。
それを一瞬で塗りつぶされた、苦く冷たい記憶。
さらに、彼の持つ神秘のオルゴールを開き、原譜の能力者になった瞬間。
その直後に待っていた、同世代の能力者二人との対面。
因縁のある明星ギルド団長、リヒト・ルーキフェルの登場。
(いやっ、どう考えてもてんこ盛りすぎでしょ!)
内心でそう愚痴をこぼしながら、ルナはぷはっと青緑の水面から顔を出す。
回復液が滴り落ちる中、乱れた前髪を軽く払いのけて一言。
「あー……お腹空いたなー」
そんな独り言が、カプセル容器の内側で小さく反響した、そのタイミングだった。
部屋の扉が静かに開く。
「ごめーん、お待たせ~」
軽やかな声とともに姿を現したのは、魔導学院のブレザー制服に身を包んだシアだった。
「おっそーい。待ちくたびれて体ふやけちゃいそうなんですけどー」
「ふふっ、ごめんって。ちょっと話し込んじゃって」
悪びれない様子に、ルナは半目のまま、じーっと視線を向ける。
当然、二人で何を話し込んでいたのか、気にならないはずがなかった。
「……アイツと?」
「うん、そうだよ。ルナの初恋の王子様だからね。どんな人なのかなーって思って」
「うっさい。出来立てホヤホヤの傷跡を抉ってくんなし」
即座に返されたルナの言葉に、シアはくすくすと肩を揺らして笑う。
「でもさ、悪い人じゃなさそうだったよ?」
「はいはい。それで? アイツと何を話してたわけ?」
「気になる? ふふっ、やっぱり気になっちゃう?」
「そーゆーのいーからっ! さっさと教えてってば」
急かすように追及してくるルナに、シアは一度だけニッコリと微笑んだ。
だが、ほんの一拍の間を置いて、その表情はわずかに引き締まる。
「私たちを救ってくれた、あの奇跡の光。その正体について、かな」
その一言で、室内の空気が変わった。
ルナの金色の髪から水滴が零れ落ち、青緑の水面に小さな波紋が広がっていく。
刹那、茜色の瞳と碧眼の瞳が、言葉を交わす前に静かに重なった。
「……へぇ。それで、何か分かったの?」
二人の声のトーンが、自然とわずかに落ちる。
それに呼応するように、表情も真剣なものへと変わっていく。
「ううん。本人は何も知らないって」
一拍置いて、シアは小さく息を吸い、真剣な面持ちで言葉を紡ぎ続ける。
「でもね……私は、あの人が関わってるんじゃないかなって思ってるよ」
そう前置きしてから、彼女は当時の状況を丁寧に語り始めた。
先ほど隣のメディカルルームで、黒髪の青年に説明したのと同じ内容を、今度はルナに向けて。
ロックスホエールに吞み込まれる寸前だった状況。
その直前、魔力探知機に映った五つの魔力反応。
その地点付近から突如として観測された、桁違いに大きな魔力と奇跡の光。
そして、突如現れた記憶喪失の謎の青年。
パズルのピースを一つずつ嵌めていくように語られる情報を、ルナは回復液の中で静かに受け止めていた。
そして、全てを聞き終えた後。
青緑色の水面がわずかに揺れ、彼女の胸元で小さな波紋を描き出す。
「……なるほどねぇ」
気の抜けた相槌とは裏腹に、ルナの茜色の瞳は真剣そのものだった。
「でも、記憶喪失は本当だと思うよ。可憐なる白銀の姫君のことも、豊穣の紅葉乙女のことも、傲慢なる光の聖剣士の名前すら、全然知らない様子だったから」
シアはそう言って、わずかに視線を落とす。
ここまでの道中、彼女は何度も黒髪の青年の様子を観察していた。
彼が本当に記憶喪失なのか、それを確かめるために。
だから、原譜の能力者たちと出会った瞬間、魔導災害のニュースが流れた瞬間、魔導戦艦に搭乗後もその反応を静かに観察していた。
だが、結果として違和感は一つも見つからなかった。
「とりあえず、様子見って感じじゃない? どっちにしろ、アイツが悪いことしたわけでもないんだしさ」
「うん、私もそれでいいと思うよ」
ルナの結論に対し、シアが緊張感を解きながら同意した。
だが、それだけでは終わらず彼女は悪戯っぽくこう付け加える。
「あ、でもね。ルナはもうちょっと彼に優しくしてあげた方がいいと思うよ?」
「ん? どゆこと?」
「彼のこと意識しすぎて、好きな子にいじわるしちゃう男の子みたいになってるよーってこと」
「んなっ!? なってねぇーわ!」
顔を真っ赤に染め、即座に否定する少女の声が室内に大きく響いた。
その直後、治療が終了したことを告げるように、ヒーリングカプセルが排水音を立てて回復液を引き始める。
シアが用意していた服へ着替えるため、ルナもカプセル容器から外へと出た。
「別に、そんなに意識してないし……!」
ボソボソと呟きながら、金髪の少女はダンジョンウェアを脱ぎ捨てていく。
その最中も、彼女の脳裏を支配していたのは、二つの光景だった。
幻想的な出会いと、最悪の出会い。
『愚者と約束の木』の大好きなワンシーンを彷彿とさせる瞬間。
それを、デリカシーの欠片もない言葉で無残に砕かれた非情な瞬間。
初めて胸に灯った、温かい鼓動の高鳴り。
それが一瞬にして凍り付き、粉々に砕け散った淡い恋心。
そんな対極の光景と感情が、ルナの頭の中で何度もせめぎ合う。
だが、より深く彼女の心に刻み込まれていたのは、やはり苦い記憶だった。
「うぅ……くっそ、やっぱ思い出したらまたムカついてきたかも……」
口先を尖らせ、悶えるような声を漏らす。
そのまま誤魔化すように、下着姿のまま黒のショートパンツに足を通そうとした、その瞬間だった。
――ウィィーン。
本来なら、鍵がかかっているはずの扉が、なぜか何の前触れもなく独りでに開き始める。
(……え?)
ルナの思考が、そこで一瞬止まる。
確か、シアが出ていくときにロックをかけていたはずだ。
扉の横の小さな表示ランプも、赤い施錠表示が点灯していた気がする。
それなのに、ゆっくりと横にスライドしていく扉。
メディカルルームに満ちていた機械の唸りも、排水の音も、どこか遠くへ引いていく。
時間が、ほんの一瞬だけ凍りついたようだった。
そして――
開ききった扉の向こうに立っていた黒髪の青年と、下着姿のまま固まった金髪の少女の視線が真正面から、ぶつかった。
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