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アカシック・レコード  作者: The third eyes
22/23

第21章 窓のない世界



今「次元理論」を理解することのできた私には、

次元世界の階層を吹きぬける一種の風のような存在を

感じとることができる。



それは私がまだ幼少のころ

今は過疎化のすすむ故郷で、

緑の草はらに寝そべり

大地の匂いを感じながら木漏れ日を見あげた時、

私を包みこんだ優しい風と良く似ている。



そして天文少年であったころ、

あまりにも圧倒的な星々の存在に

つい押しつぶされそうになった私を、

しっかりと支えてくれた大地の力強さと安心感を

私に思いださせてくれるのだ。



さらにそれは広がりはじめた私の不安定な自我を、

温かくささえてくれた両親や恩師たちの姿にも重なっていく。



そのころから私は自発的に

「宇宙と自我の探究」をはじめたように思う。





おそらく太古の人類も

この宇宙を見あげた時

はじめて己の中の自我世界に気づき、

大宇宙の中に自分の存在を探しはじめたのではないだろうか。





大都会で暮らす大部分の方には理解し難いことかもしれないが、

実際の「大宇宙」とは、

我々のすぐ目の前にまで迫りくる世界である。




宇宙飛行士のように空まで登ることは無くとも、

その圧倒的な輝きと空間は

我々のすぐそばに存在する世界である。




天空を斜めに切り裂く天の川は

銀河系の断面図である。

視界には収まりきれないそのスケールに

人間は永遠を感じずにはいられない。



この視界を覆う天の川が

まだ砂浜の砂のほんの一粒だという。




透き通って最果ての奥まで見渡せるはずなのに、

何も見えない、何も聞こえない、

あまりにも深淵で静寂の空間。




それは止まった時間と空間が自覚できる瞬間だ。






けれども「ここ」にはすぎゆく時間があり、

去りゆく者たちがいる。





あらゆるものが移りゆくその中で

「わたし」だけが変わらない。



けれども「わたし」の中の「かれら」も、

決して変わることはないのだろう。



「わたし」の求めに応じ、

わたしの自我世界を自由に行き来する「かれら」。



「わたし」たちはいつでも、

「かれら」を求めることができるのだ。



「わたし」の中で新たに生き始める「かれら」。




そして「彼ら」の感じてきた疑問を

「私」も今、一緒に感じている。









無数の星々にかこまれて迷子になるという体験は、

知識としての理解をこえて

実際に体感した者にしか解らない感覚だと思う。



地球に存在するはずの「わたし」が

宇宙に漂う「わたし」となる瞬間、

我々はこの宇宙を知覚する自我である。




けれどもその環境を失いかけた今、

我々は親として、あるいは人として、

次なる世代にもこの環境を

どこかで手渡していく必要がある。



人間はいつだってこの宇宙の中でしか

生きていくことはできない存在である。



宇宙や自然を体験するということは、

その事実を理解することなのだ。




けれどもこの大宇宙の中にさえ

我々は人間の「自我世界」を見つけだすことができる。





「わたし」を見ているのは「わたし」なのだ。

愛おしさを持って、

優しさと哀しみで

私たちをいつも包んでくれる。



私も同じように、

この世界を大切に想いたい。






変わらないはずの世界が、

本当は変わっていくのだという

次元理論のもたらしてくれた知識。



失われたはずの世界が、

本当は世界を広げているとする連鎖の認識。



太陽も、地球も、原子も、

植物も、動物も、

人間も、全て、同じ。



我々はつながり、ともに実在する宇宙である。




やがて「わたし」は消えてゆき、

また「わたし」は生まれてくるのだろう。




けれども変わらない「わたし」とは、

「変わっていくわたし」のことである。




「あなた」も「わたし」なのだ。





著者はこの本の執筆にあたり、

じつに様々な人々の想いや思想が

自分の中へと流れこんでくることを、

いつも自覚していた。



古来よりつづいてきた人類の探究の上に

私のこの探究も存在する。



かれらが確かな「今」を生き続けた証、

それがいまの「わたし」なのだ。




そして現在も進行形で日々真実を追いもとめ、

飽くことなき探究をつづける

現代の知者たちとの「知識の共有」にも、

私は深く感謝を捧げる。




これもまた人間のもつ「数多の目」の成果である。




私もまた彼らの「第三の瞳」となれることを

願わずにはいられない。






私の中に溢れてくる

「彼ら」の残した様々な自我の波は、

私の中でひとつにつながり、

それはいつでも私を幸福へとさせた。




私の中で私自身とつながった彼らの存在は、

決して多くを語ることはない。



けれども私は、いつでも彼らの存在にささえられて

また絶えず背中をおされながら、

私自身の自我が決して独りきりではないことに

安らぎと勇気とをあたえられたのだ。




これが私にとっての真実である。






もちろん私の中の「かれら」も、

それは私自身の「自我世界が創りだした幻」である。



けれども実在する全ての人々も

「自我世界が創りだした同じ自我である」ことに変わりはない。



生きることを望み、

ひとつになることを望んだ「わたし」であることに、

変わりはないはずなのだ。



安らぎは彼らのものであり、

わたしのものである。





次元理論も、間もなく終章をむかえる。



ここまで書きすすむにあたり、

私には「実在する概念を証明する」などということは、

やはり宗教じみたことなのかもしれないと、

やや自嘲する部分もある。



けれども盲目的に信じるというだけでは

駄目なのだ。





点は存在する!

それは事実であり、知識の確信である。


点は存在しない!

これも事実であり、知識の前提なのだ。




人間は理解することができてはじめて、

それを「信じる」こともできる生き物である。



「今」を犠牲にして成りたつ「未来」はなく、

確かな「今」の連続が「未来」の起点である。



「今」を犠牲にするかぎり

「未来」でもその「今」は

永久にくり返されるだけだろう。





いま次元理論を学び「次元共有の大原理」を確信する私には、

同様に人類を「信じる」ことができる。




人間の希望はいつも人間にあり、

あなたにあたえるのも人間、

あなたがあたえる喜びもやはり人間にある。



さらに人間は、

同じものとして

全ての力学なのだ。



あらゆる人々もまた「次元世界」として、

大宇宙や自然と同様に「あなた」自身と共有し、

共に広がる宇宙である。




あなたの広がる先にある、

あなたがつながるために存在する次元世界。




今後も我々は

その道を踏み間違えることはあるだろう。



けれども我々はそれを修正しながら、

絶対に正しくはなくとも

より正しい道を選択する能力は

もつはずである。



次元理論はそのことを証明する。

人間は美しい未来を求める義務を持つ。




次元理論は、時間も人間もこの世界も、

全てが統合された等価な実像であることを証明する。




だからこそ自我世界は

世界に「拡大すること」ができたのだ。





わずかな時間の流れの相違から生まれた小さな世界。

その無限大の連鎖によって時空が広がった結果、

宇宙の意志をつなぐ自我として「あなた」は存在する。



そして自我世界のもつ統合とは、

決して「統合されてはならないもの」である。



あなたがその一歩をふみ出すごとに、

第8次元はまた新しく広がりはじめるのだ。





 


次元理論が検証されるのはこれからである。

しかし次元理論はもともと「無」を理解して、

次元世界の生みだす世界の「多重構造」を

理解するだけの科学である。




その単純なはずの理論が、

あらゆる科学の領域を凌駕して、

これまで曖昧だった我々の認識を

より確かなものへと変えていく。



皆さまもそのことに関しては

十分に納得していただけたのではないだろうか。



全ては同じものである。



最終的には人間理解へとつづく

次元理論の広がりそのものが、

次元理論を支持する私の確信である。




「無」と「0」は同一のものではない。

「0」は単位であり、我々が世界を認識するために作った

人間の工夫である。



だが「無」は実体であり、

この世界の全ての概念を支える「連鎖(力学)」である。

全ての点が「無」なのだ。




「実在する無の概念(点)」は「完全無」であり、

それは「無限大」である。



全ての「存在」は実在する無のわずかな一部分であり、

無と同一の実体である。




たとえ反論や否定をいただくとしても、

次元理論だけでもこれほどまでに統合された現実世界が出現することは、

紛れもない事実なのだ。



今も点も存在するものであり、

それは現実であり、

そしてそれが実体である。



おそらく人間は科学について、

これから先もずっと考え続けなければならないのだ。


永遠に。


あるいは無や時間や世界、命や人間の存在について

ずっと学び続けなければならないのである。





私は現代科学の間違いを指摘する。



そして次元理論も、まずは反証されるべきである。

反証には反証が生まれ、最終的にはその議論は、

この宇宙に最初に存在するものは何か、

という所まで及ぶに違いない。




その時に我々は、

果たしてどのような結論を下せるのだろうか。



あるいはよりシンプルで、

より明確なのはどちらなのか。



私はできるかぎり多くの「自我」に、

この次元理論と対峙していただける事を願う。



そしてその中から

真の学問は生まれることだろう。



「次元理論」は「信じるもの」や「信仰の対象」ではない。



次元理論は人間が「理解するため」に学ぶ科学として、

教育には必須となる学問である。



人間が宇宙や自然から学ぶのは「正しさ」、

すなわちその「理(人間の生き方)」なのだ。





ほとんどの方は本書にて、

初めて「次元理論」と出会ったことだろう。



実際問題、次元世界の概念について

正しい理解のある研究者は皆無である。



次元世界についての正しい知識があれば、

それが即ち

無と宇宙とを結びつける本当の科学となるだろう。



この「次元理論」は

次元世界という枠組みであらゆる世界をとらえ、

無からはじまる現実の宇宙と

そして我々人間の自我世界までを統合する、

宇宙と人間の新しい「世界理論」である。



次元理論には

「宇宙統一理論」や「大統一理論」としての科学が含まれ、

単一の科学の分野を超越した「世界理論」としての

可能性が秘められている。




けれども2012年(最初の発表の年です)現在における現実は、

物理学を統合する統一論でさえ

完成には程遠い状況である。



全ての「科学」は単独でそれぞれの正義を主張し、

ほとんどの人々もそれぞれの「信じる正しさ」だけをその根拠とする。


我々は「自らの正しさ」を守るために否定の力を蓄えて、

あるいは無関心を装って生きていく。



そこにも「生きる」と「喜び」は見つけだせるのかもしれない。



けれどもそこに本当の「生きる喜び」は存在しないのだ。



自分の中に広がる世界、

世界の中に広がる自分。



そのたったひとつの希望は

世界の力学であり、

喜びであり、意志であり、愛である。




そのことを知るだけでも今回、

私が「次元理論」を執筆した意義はあると思うのだが、

いかがなものだろうか。



生きる確信とは、

前を見つめながら穏やかに

確かな一歩を踏み出すことである。

それはたったひとりの小さな一歩ではない。




次元理論においては、

あらゆる現象とその全ての存在は、

統合された同じものとして「一つの力学」から誕生する。



世界がもつそのただ一つの現実は、

「無と共有すること」、

すなわち「次元共有の大原理」である。



この世界には何も存在しなかった。



これが「存在する無」である。

これが「無が実在する」ということなのだ。



この「無」は

「何も存在しない状態」ではない。



世界の根本に存在する「無」は「完全無」という世界であり、

あらゆるものが「永遠に無の属性をもつ」という世界原理である。



ひとつしかない世界の

ただひとつの本当のこと。



「永遠に続く無」



したがって「無」はすでに「永遠の連鎖」である。



そしてこの「永遠に何も存在しない」という状態が「無限大」なのだ。



この「完全無の実在」をささえる為に、

全ての概念世界は「同じ実体として」実在する。



「無」と「有」は相反するものではなく、

「無」は「有」を生みだして「無限大」を存在させる

「同じひとつの概念」である。



この「同じ概念」に共有された

内側と外側が永遠につづく世界が実体である。



その結果「有」という「無限大」は、

「無」を実在させる唯一の実在となる。




そのためだけに、あらゆる全ては存在する。





この世界の状態が人間なのである。



我々人間もこの世界原理に基づいて、

はじめから統合されて生まれている。



「大宇宙に宿る自我世界」である我々は、

「地球上における生命体としての自我」というだけではなく、

まさに「大宇宙の自我」と呼ぶにふさわしい存在である。




あなたの抱えた無は、

あなたに宿る永遠の無限大と等しい。



「可能性」



世界に存在する確信として、

我々の自我の存在意義は計り知れないものである。



「人間とは何か、宇宙とは何か」



次元理論によって明かされた

これらの全ての人類の疑問にたいする解答は、

あらゆるものの出発点は統合されていて、

その全ては広がりつづけることによって

再び統合されるという「解」を、

我々にもたらした。



人間と全ての世界に共通する

相互の共有関係とそのつながりについて。



そのために「真理は一つしかない」、

あるいは「真理の姿はひとつではない」という両端の認識であっても、

それは決して相反する内容ではなかったのである。



全ての存在の中に、唯ひとつの原理

「次元共有の大原理」は共有されている。



これによって価値観の異なる全ての我々が、

お互いに理解し、許しあうことのできる環境が

やっと整ったのである。





「次元共有の大原理」が我々人類にあたえた命題は、

「共有し共存する個性の創造」である。



「新世界の創造」はそこからはじまるものであり、

それは人間と世界との新たな可能性である。





次元世界として統合されて誕生した「自我世界」ではあるが、

自我は次元世界であることを拒むこともできる能力

「自由意思」を与えられている。


しかしその否定による選択の先には、

無知によって造られた負の連鎖しかなく、

罪の輪廻として暗く閉ざされた未来しか存在しない。




けれども本当の「自由意思」は

可能性を選択する「人間の多様性」の為にあるものであり、

この選択肢を放棄して良いのは

命の危険に直面した場合に限られるのだ。



自我世界はこの「自由意志」を

世界原理からあたえられた人類の命題へとむけさせて、

確固たる第8次元世界の存在を、

この宇宙に対しても示していかなければならない。



世界に喜びと安堵を与えるために。



受け入れることによって広がり、

受け入れられることによって広がる、

ひとつの世界のために。




人類の行き先はそこにしかなく、

いやそこにこそ

我々の安住の地は用意されていたのである。



「共有し共存する個性の創造」は

「他者とわかり合い、自分らしく自立する」

人間と社会のあり方でもある。




そして「次元理論」とは、

全てを統合する「科学や信仰」ではなく、

本来は全ての存在が統合されていたという現実を

我々が認識するための「知識」である。



その学問が我々を導くだろう。



存在する無の同じ部分として、

全ての我々は同一であり、ひとつである。




世界の力学は人間の意志と変わりなく、

それは世界の希望、世界の愛なのだ。



それは我々が

新しく始めるための理解である。












人間はただひとつの真実から生まれた。



「この世界には何も存在しなかった」



これが世界の原始に存在する無である。



この「存在する無」は

「面積も体積も時間も持たない」ものであり、

これが存在する点「実体の概念」である。



これによって現実に宇宙は誕生する。



実体は空間であり、

時間であり、物質であり、

生命、そして自我である。



全てが確かにあるのに何処にも存在しない実体なのだ。



このように世界は

未だ永遠の無であり続けている。



全ては無と同一の無の部分であり、

故に世界は無限大に広がる。



これが本当の科学であり、

世界原理である。


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