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アカシック・レコード  作者: The third eyes
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第20章 世界を統合する共通の言語 (科学)



我々は日々の暮らしの中で、

誰かを否定したり、

あるいは誰かから否定された経験を

少なからずもつものである。



そして否定された場合にも、

あきらかに自分が誤りであると理解できた場合には、

今後はまた共有しあうことも出来るだろう。



けれどもそれが「無理やりな統合」であったり、

あるいは「一方的な否定」の結果だとすると、

その後には他者に対する

「否定の心」しか残らない。






つまり何かを否定するということは、

そのままで何かから否定されることと

同じ意味合いを持つ。



さらに「何かのために他の全てを否定(犠牲に)する」人間は、

その何かから否定された場合には、

自らの存在の全てを失ってしまうことだろう。



したがって今、

「自分が存在する」ということは、

できるかぎり多くのものと共有する、

あるいは何かと深く

その根底まで理解しあうということである。




このように共有と理解は、

「自我世界の器」とも言うべき

人間の居場所である。






ここまで次元理論がしめしてきたように、

自我世界が次元世界として存在し

次元世界としての資質をもつものであれば、

自我世界は広がることにおいてのみ

この宇宙に実在する。



存在(実在)とは「拡大する力学」なのだ。



そして自我世界が広がるとは

「共有し共存すること」であり、

それは自分以外の次元世界を理解することによって

自らの中に新しい領域を構築することである。



あるいは他の次元世界の中に

「あなた自身を拡大する」ことである。




これは「自らの自我世界の空間を広げる」という意味であり、

より多くの価値観を自我にもたせ、

あるいは理解、共有することによって

「お互いに成長する」ということである。





それゆえ自我に宿ったそれら多くの価値観は、

最終的にはあなた自身の存在も

大きく変えていくことだろう。



自我世界は広がりつづけるために、

そして結びつくために、

日々のあらゆるものとの出会いの中で

共有と共存とを確かめているのだ。




従って一つの価値観だけに執着し、

自分とは相いれないもの全てを否定する人間は、

やがてその自我世界にも

崩壊をもたらすことになるだろう。



元々無と同一の実体である自我世界は、

始めからあらゆる次元世界との理解と共有によって

形成されたものである。



自らの世界に外側の宇宙を取り込むということは、

「学ぶ」という行為と同時に

「記憶」という領域も含まれるのかもしれない。



これは共に自我世界の構築である。




このように「理解」とは、

「自らの中に見つけ出す」という

人間の探求と共有であり、

それは「外側の世界を自らの中に取り込む」という

同化や融合と同じ力学である。



人間の理解力や共感力、

同化や悟り、覚醒といった感覚の全ては

この同一性から生まれる。



しかし人間は、第7次元に属する感情の動物でもあった。



支配欲や縄張り意識、独占欲、闘争本能などの動物的な重力も、

自我はその意識以前の感情世界においてまず享受し、

それを感じとることから思考し、その意思とする。



ゆえに自我世界とは、

この精神世界にただよう浮島のような存在であり

感情世界をともなわない自我世界もまた、

この世界に実在することは出来ないのだ。



自我世界だけが「人間」を形成する全てではない。



その感情もふくめた、

あらゆる次元世界の多重構造をもつ概念が

「人間」である。



そのために人間の理性が司る「自我社会」においては、

動物的本能は時に弊害を生みだして、

時には人々を混沌へとむかわせてしまう。



けれどもその動物的な本能をのり越えるためにこそ、

次元原理が生命に用意した能力、

それが「自我世界」である。



あるいは「ひとつになりたい」という

自我の求める心「希望」なのだ。



自我世界は「さらなる融合のため」のものである。







したがって我々は、

広がりゆく自我世界の「共有と共存の声」に耳を傾ければ良く、

それが人間の求める人間自身の声となる。


つまり自我世界は精神世界に翻弄されるだけの存在ではなく、

精神世界もまた広がりゆく自我世界によって

その面積と豊かさとを同時に拡大させる、

もう一人の「あなた自身」である。




荒れ狂う嵐の中に自らの「自我」をおくのか、

あるいは追い風の吹くおだやかな海に帆を広げるのか、

それは「あなた」自身で選ぶ選択肢なのだ。




この時あなたの手もとで

自我の行き先を指し示し

あなたの存在を確定するものが

「知識」である。



それは出来る限り陽当たりの良い、

強く美しい船であることが望ましい。





真理が千差万別だといわれたのは、

「人間のもつ価値観」が

人それぞれに異なるためである。



同じ黄昏を見て「失意」を感じるのも

「決意」をもつのも、

それは「人間」の捉え方次第なのだ。



感情の海も、

現実の世界も、

それはあなたと同じものであり、

だからこそ世界はあなたの「鏡」なのだ。



これが「モナドには窓がない」その所以であり、

我々がひとつの同じ世界であることの証明である。




この世界は常に正しい。




その不変の正しさを理解するために、

我々には「科学」や「宗教」

あるいは「芸術」といった

「様々な視点」が必要だったのである。



科学や宗教は本当の

「普遍の正しさ」となれるのだろうか。



それはこれからの我々次第である。







ここに一見全く相いれない存在である

支配したいという人間と、

自由のために生きていたいという人間がいたとする。


けれども実際には、この両者はともに

「ひとつになりたい」という自我の希望が生みだした、

同じベクトルをもつ人間である。



この両者が否定しあえば、争いは必至である。

けれどもこの両者は、もしも共有し共存することを望めば、

融合することもまた可能なのだ。



この場合支配したいという人間は、

強力なリーダーとなり自由を守るために働くことができるだろう。

そして自由のために生きていたいと願う人間も、

この指導者のために存在したいと

願えるようにも変わるのだ。



このように自我世界は融合するために存在し、

各々が変化にあわせて成長をつづける。



さらにこの場合、結合した両者は

それぞれが単独で存在するよりも、

はるかに強い自我の希望をもつことは

いうまでもないだろう。




「求める者」から「創り出す者」への変容。




それは「引きつけるだけの重力」から生まれた

新しい世界を創造する為の

「核融合反応」への変化である。









このように自我のもつ希望、あるいは「求める心」は、

自我世界における「重力」であり「電磁力」である。 


生命世界における

命と命がお互いに引きあう力「本能」も、

我々の自我世界では「自我の希望」と同じ

「重力の概念」である。


同じものを求める同じ力。


自我世界をもつこと、

それ自体が人間という生き物の本能なのだ。



そこには求める心があり、希望がある。

それが人間を構築する重力である。





この力学を運ぶ為に

全ての世界は存在する。




このように人間が何かを思う心、

そして何かとつながりたいと願う想いの全ては、

次元原理によって生みだされた

融合へとつづく道筋である。



「人は一人では生きられない」のではなく、

「人間は人間(世界)と生きることによって人間へと育つ」ものである。



人はひとりで生きてはならない。



この「次元原理」によって成りたつ世界で、

人間のあるべき姿とは

何時いかなる時も「共有と共存」へと

向かうものである。



そのことさえ見失わなければ、

あなたは優れた船乗りとなり、

あなたの航海は

より豊かな海へとつづくものとなるだろう。







これまでの我々は「正しい」と「正しくない」の判断を、

つねに集団の伝統や個人の良識へとゆだね、

それだけに頼ってきた。


そして現代社会においても

その認識は「変わることなく」つづけられている。



法や道徳という良識。

多数決による常識。

伝統という法律。



けれども次元理論は、その判断基準に

「共通の物差し」をあてはめていく。

この言いようは語弊を生むかもしれず、

むしろ嫌悪感を抱く方もいらっしゃるかもしれない。


けれどもこの「共通の物差し」には

「宇宙」という単位が記されており、

それによって我々は

「宇宙統一言語」を学ぶことができるのだ。



宇宙統一言語は我々を統合するものではない。

我々がその希望によって無限大に拡大する原則を

我々に教えるものである。



この「宇宙統一言語」は、

無から無限の大宇宙、原子や生命、

自我世界からさらなる次元世界に至るまで

そのあらゆる全ての存在と、

我々「人間」が語りあうために必要な

唯一の「共通言語」である。



それによって我々は、

あらゆる価値観を超えて異なる人と人とで解りあい、

共有するための唯一の言葉(知識)をもつことだろう。



あなたは世界に広がり、

あなたの中に世界は広がる。



我々はそれを学び、

それを正しく理解する必要がある。




百人の人間がもつ「百通りの価値観」は、

それぞれが優劣を競うために存在する訳ではなく、

一人の人間が「百通りの価値観」を

その内がわに見つけだす為にこそ必要だったのである。



そして「百通りの価値観」も、

その全てが世界とあなたとの共有と共存とを

模索するものでなければならない。



自我の教師は

我々の内がわにも外がわにも

同じように限りなく存在するだろう。



それは宇宙であり、

世界であり、

自然であり、

そして自我自身である。




では何のために我々は

この「宇宙統一言語」を学ぶのか。



それは自我世界が生きのびるために、

自我世界が広がりつづけるために、

そして自我世界がさらなる世界を創造するために、

我々は学ばなければならないのだ。




そして最後にもう一つ、

この大宇宙を創りだしたものが

「時間波のもつわずかな相違」であったことも

我々は忘れてはならない。



この相違は自我世界における、

全人類がもつ「個性」のことである。



個性を創造し共有することが

人類最大の力ともなりうることを、

我々はすでに学んだはずである。




この無限大の宇宙にも、

あなたという人間は二人と存在しない。



その上で「別々の思想」、「別々の文化」、「別々の人間」が存在し、

我々は「出会う」のだ。



その出会いの中で、

共有と共存が成立した結果、

未来は開かれるのである。




我々は出会い、そして共有するためだけに、

異なる思想、異なる個性、異なる文化、異なる世界を

創りだしていたのである。




あなたが他の人々と異なることは

この世界の希望である。



あなたがたった一人の個性であることは

全ての世界の可能性なのだ。






そのためにもあなたは「考える葦」となり、

「永遠の未完成」を目指さなければならない。



あなたの抱えた「失われた空間」が大きければ大きいほど、

あなたにはより強い「自我の重力」も

その希望として宿る。



我々は求めるべきである。



嫌悪すべきは思考停止と、

それを生みだす構図である。


個性とは責任なのだ。



我々は常に融合するための

一つの次元世界である。






共有と共存を考えるにおいて、

次元理論は正さなければならないのは「人間」ではなく、

その「知識」であることを教えてくれる。



人を正すとは人を「否定」することであり、

これはそのままで

自らの存在を否定することへつながる。


「否定すること」は正さなければならない。




我々はこの解答を知らないままに、

歴史の中に、そして現代社会にも、

大きな「ゆがみ」を創りだしてきた。



原因を知らなければ結果を変えることは出来ない。




したがって自我の責務は明白なのだ。


これは我々人間が自由を得た対価である。







けれどももしも仮に、誤った唯一の認識でしか、

この世界との結びつきを保てない者がいたとすれば、

我々はどうすればよいのだろうか。



この場合その認識を正すということは、

そのままで彼の存在自体を否定することにつながる。



この場合彼には、世界から滅ぼされるのか、

あるいは世界を滅ぼすのかという選択肢しか

残されないことになるのだ。



けれども私が期待するのは、

人には必ず「ひとつになりたい」という強い想いがあり、

人間は唯一「宇宙統一言語」を

正しく理解できる存在だということである。



次元理論を学べば、

人間は自らを正しく導くことのできる生き物である。


そして生きることを望まない人間は、

この世界には誰一人として存在しないのだ。




我々は「独りきり」で生きてよい生き物ではない。

生きることへの解答と喜びは

この世界の中にあるのだから。



それを知るために全ての人間は「独り」を抱える。




私はそれを信じて、ただ待ちたいと思う。

すでに「次元理論」はここにあるのだから。




いま自我世界が求める「正しさ」を、

知識としての「次元理論」は持つ。



これが科学である。

















次元世界は無から訪れ、

無限大へとつづく。


無と無限大の狭間にあるもの。


それが「存在する無」という

存在しない世界である。



大宇宙は無から訪れ、

無限大へと続く。


無と無限大の狭間にあるもの、

それが「存在する世界」という

存在しない無である。



生命もまた無から訪れ、

無限大へと続いていく。


無と無限大の狭間にあるもの、

それが「存在する死」という

存在しない命である。


  そして


人間も無から訪れ、

無限大へと向かう。


無と無限大の狭間にあるもの、

それが「存在するわたし」という

存在しない宇宙の意志である。



永遠なる無、それが無限大なのだ。



それは全てのものの部分を持たない

同じモナドである。



世界を様々な角度から見た時、

あなたはそこに存在する。



あなたを様々な角度から見たとき、

そこに宇宙は存在する。














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