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アカシック・レコード  作者: The third eyes
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13/23

第13章 自我世界と「大宇宙の自我」


第7次元世界「精神世界」は、

第6次元「生命世界」と共有し

同時に存在する。



だが精神世界は、

概念としては生命世界とは異なる場所に出現した

「別世界」の次元宇宙である。



命が存在する場所、

生命。


思いが生まれる場所、

こころ。



同じものでありながら

異なる場所に存在する「命」と「思い」。

あるいは命によって支えられる

精神の世界。




しかし「精神世界」にとっては

「生命世界」の方こそが

「精神世界の存在をささえる概念世界」である。




このように双方がともに実在する以上、

「存在する」という言葉の概念は

それぞれにおいて違った意味合いとなる。




明確な表現にすると、

「命と心」は同じ場所に発現した

異なる概念の同じ「あなた」という存在なのだ。




生命体としての「あなた」と

こころとしての「あなた」。

それは同じ「あなた」でありながら

違う場所にいる「あなた」である。




物質の連鎖の先に命があり、

命の連鎖の先に心はある。







つまり精神構造をもつ生き物たちは全て、

それ自体で「多重次元構造」をその内がわへと含み

存在という概念を抱えている。



そして精神世界が「実在する」ものである以上、

どこかに必ず現れる新しい概念の発現がある。



それが「次元共有の大原理」の創り出した

次元世界の命題であり、

次元世界の生みだす必然の力学である。



それは概念を超えて拡大する

「同じもの」の無限大の連鎖と広がりである。




つまり「次元原理」として、

無や空間、

時間や宇宙、

命や精神などの

概念世界の延長線上にようやく発現する世界、

それが人間の「自我世界」なのである。





そしてこれが我々人間が

人間として存在する場所

第8次元「自我世界」である。






したがって「自我世界」発現のために一番重要となる要素は、

感情をともなった「精神世界の広がり」である。



それも豊かに広がる精神体としての土壌が必要であり、

自我世界は「激しい感情をもつ生命体」を基盤として

誕生したということが分かる。



すなわち人間の祖先は、

動物の中でも特に喜怒哀楽のはげしい、

豊かな感情をもつ生き物たちだったはずである。



彼らは強い願望、あるいは欲望をもち、

明確な仲間意識と愛情を育て、

激しく怒り極端に恐怖する動物であった。



そこには非常に強い「精神世界の重力」が存在する。



そのために彼らは、仲間との意志の疎通を必要とし、

食糧を手にいれるため、あるいはその身を守るために、

さらなる手段を必要とした。



やがて工夫と予測の能力をとぎすました彼らは、

目的のために感情(欲求)をコントロールするという

特別な能力を手にいれる。



これは人間が精神世界の支配(本能)から離れ、

自己の意志で個別に行動する生物として

誕生した瞬間である。



そこには感情世界では対応しきれない程の

個々を取り巻く環境の多様性が溢れていたのだ。




ここに「自我世界」が発現する。




つまり「自我世界」と「感情」の間にも、

「相互にお互いがお互いを高めあう」という

共有関係が存在したのである。


ある多様性が、さらなる多様性を生みだすという、

これも「次元原理」である。



これは精神世界の欲する目的のために、

精神世界はその感情(本能)を一時的におさえる能力を必要とし、

そのことによる目的の達成は、

精神世界の欲する目的をさらに拡大させる

という構図である。



「精神世界」が「認識する本能」と呼べるものであれば、

「自我世界」は「思考する本能」である。



自我世界をもつことによって精神世界は広がり、

拡大した精神世界はさらに自我世界を広げる。

この「自我世界」の拡大は、

生命世界の全体の命題でもある「生命世界の拡大」を

果たすことにもつながるのだ。



こうして第8次元「自我世界」は、

第7次元「精神世界」と

第6次元「生命世界」の可能性とその多様性を受け継ぐ

新たな支柱となる。




その結果「人間」という種族は、

環境に適応する力(個々の知恵)を動物の中では最高レベルまで高め、

あらゆる場所において個体数を増加させ、

生態系の頂点をきわめることに成功する。



これは同時に当時の自我世界が、

生命体として、あるいは精神体としての

喜びの絶頂をきわめ、

絶望の極致を体験してきたことを物語っている。



このように初期の自我世界は、

もともとは精神世界拡大の目的のために、

精神世界を統制するものとして発現する。



したがって「自我世界」は、

第6次元生命世界や第7次元精神世界とも共有し

同時に同じ場所に実在しながらも、

次元世界としては精神世界とはことなる場所に出現する、

新たな「次元世界」である。



命と感情と自我。



ゆえに人間は、

生命体としての存在、

精神体としての存在、

自我としての存在と、

それだけで3つの重なる次元概念をもち、

ここに「実在する」ことになる。



つまり「わたし」や「あなた」の実在する場所は、

人間自身の中に少なくとも3つは存在するのだ。




これはあなたがもつ、

あなた自身の歴史をふり返れば、

より理解しやすい現実である。



まだこの世界に誕生する以前のあなたは、

母親の体内に胎児として存在する。

これは第6次元「生命世界」にいる、

あなた自身の存在である。



そして誕生後のあなたはすぐに笑顔を手にいれて、

同時に不安を感じて泣く存在へと成長する。

これが第7次元「精神世界」の発現である。



しかしこの頃のあなたには

まだ自我世界は覚醒しない。



あなたに自我世界が現れるのは2歳~4歳あたり、

子供たちが他人と自分との

「ちがい」に気づきはじめた頃からである。


その後ゆっくりと自我世界は時間をかけて拡大し、

やがて思春期をさかいに著しく成長する。




ではここで問うが「あなた」という存在は、

一体どこに存在するものだろうか。




それはもちろん「あなた」は自我世界に存在する。



あなたの自我は、

第7次元「精神世界」の感情の海に浮かぶ、

「船」のような存在なのだ。


この船に乗る人物が「あなた」である。



あなたの自我は、精神世界の波をたえず感じながらも

その一部分に精神世界とは異なる自分自身

「思考する本能」を創りあげている。



この「自我」であなたは、

感情の波をうけとめて、

あるいはその波に流されたり、あるいは波にたち向かい、

ときには波に勢いづけられたりしながら、

ここに実在する。




けれどもあなたの自我世界を取り囲むこの「感情の海」

その精神世界も、

やはりあなた自身の本当の姿である。



「感情の海」である精神世界も

それは「あなた」という存在が生みだした「認識する本能」であり、

その感性は「存在するあなた」だけのものである。

そこにも「自我のあなた」を取り囲む

「感性としてのあなた」が存在する。




さらにその精神世界の基盤となる

生命世界としての「あなたの身体」、

これもやはりあなた自身のまことの姿である。




このように人間は、

第6次元生命世界、

第7次元精神世界、

第8次元自我世界の全ての概念を共有する

多重次元構造の上にまたがり、

この世界に存在するのである。





精神世界は「重なり合う神経細胞」から生まれた

「脳という器官」であり、

その為に他の神経を集める欲求をもつ。

それは生き物たちの願望や衝動などの欲求として

現われていた。



その上で自我世界は

「重なり合って独立する精神世界」であり、

感性や感情を引き寄せる渇望の中に存在する

「私という領域」である。


それは生物の「脳の重なり」として存在し、

意識を集める欲求として存在するはずである。



自らの意識を求める欲求。




このようにあなたの自我世界は精神世界と共有し、

そして精神世界は生命世界の命の部分と共有する。



さらに「生命世界」は「物質世界」とも

その部分を共有する次元世界である。

そして物質世界は「時間」や「空間」、

最終的には「無」とも、

それぞれがともに共有する次元世界なのである。




ではもう一度問うが

「あなた」とは一体何者なのか。




「あなた」とは

多重次元構造をもつ世界、

その「全て」を共有する存在である。



あなたを構成する要素は

「0次元から始まり、空間と時間であり、

物質、生命、精神である自我」である。



だからこそ「人間」は、

物質世界である大宇宙と対峙することによって

「自分さがしの探究」ができるのであり、

そして生命世界をふくむ全ての自然を理解して、

その意思を感じとることも出来たのだ。




それは「あなた」自身が「無」であり、

「時間」であり、「宇宙」でもあり、

「自然」、そして「命」でもあるために、

あなたには理解することができる現実である。




いかがであろうか。



「次元共有の大原理」は今

「あなた」とこの宇宙を結びつける

確かな絆を提示する。




「あなた」という存在は、

「次元共有の大原理」が生みだした

次元世界「ひとつの宇宙」であり、

実際にあなたを取りかむこの宇宙、

そこにも「あなた」という概念は存在する。



同じものの連鎖と広がりが今の

「あなた」なのである。



そしてこの内なる宇宙と

外なる宇宙との間に実在する「あなた」、

それが我々人間の「自我世界」である。





モナドには窓がなく

みるもの全てを映す鏡となること、

それはあなたが見るあなた自身の同じ姿であり、

世界が見る同じ世界だからである。



これが次元世界の最初に生まれた「点のモナド」が

「世界というひとつの同じモナド」であり、

「あなたというモナド」と同一のものとなる

その理由である。



線の世界における点のように

自我世界における「あなた」は存在する。

時間世界における今のように

精神世界における「あなた」は存在する。

内側にも外側にも永遠の広がりをもつ点のように

「あなた」は永久に存在し、

その全ては何処にも存在しない。



全ては力学として

世界を拡大に導くベクトル(意志)である。

そこにあなたは同じ力学として意識を重ねる。



世界のベクトルと同じものとして発現する

あなた自身の本当の願いや想いの方向性。

あなたの意志は、あなたの内側にも

外側にも「同じもの」として

無限大に永遠に拡大するのだ。



永遠の奥行きを持つ点の内側の宇宙と

無限大に拡大して連鎖する点の外側の線の宇宙。



我々はモナドとして点と同じものである。





豊かな精神世界をコントロールするための存在として、

初期の自我世界は発現した。

ではその後の自我世界は

どのように発展し、

現代の我々の自我世界へと成長したのだろうか。



考察を続けよう。



自我世界の発現は、

まちがいなく人類を生態系の頂点へと

おし上げる事へつながった。


それは種としての適応力を遥かに凌駕する

個々の多様性による

急速な可能性の拡大であった。



その結果人類は地球上のあらゆる場所で、

あらゆる環境へと適応し、

その個体数を増加させることにも成功する。



この事態がまねく結末は、

人間の集団における優劣争い、

あるいは同族による

はげしい縄張り争いという、

同種の人げん間における苛烈な闘争を生みだすことであった。



このように人類の初期の自我世界は、

精神世界や本能世界の拡大のためにこそ

発現したのである。



しかしこの混乱は、当時の人類にとっても大きな痛手であった。

それまでの外敵にもまさる新しい脅威として、

同じ人間である「自我世界」が、

その前には立ちはだかったのだ。



その結果、本能世界の拡大だけでは、

もはや個体維持の原理、

あるいは種族拡大の法則は果たしきれない状態となり、

ふたたび「自我世界」は本能世界を乗りこえるべく

さらなる進化をとげる。




けれども悲しむべきか、

拡大した「自我世界」は同時に

精神世界や本能世界の重力も肥大化させる。



このことは「次元原理」において、

「相互の次元世界の共有」という現実があるかぎり

当然の結末として用意されている。



つまり自我世界の高度な発達は、

より強い本能的欲求と精神世界の願望の拡大までも

同時にうながすことに繋がったのである。



人間がもつ「飽くことなき挑戦」と

「足りることを知らず」という態度は、

自我が次元世界であるために、

決して失われることのない「次元世界の性質」として

発現したものである。



現代に至り、はたして我々の自我世界は十分に飛躍し、

安定期をむかえることが出来たのだろうか。




私はまだだ、と思う。

自我はその「安住の地」を見つけるまでは、

決して満たされることはないのだ。



そしてそのためにこそ著者は

この次元理論を役立てていただきたい

と願うのである。





次元理論では、

第5次元「物質世界」までが

生命に生存するための環境をあたえ、

第6次元「生命世界」が

命に繁栄のための法則をあたえた。


さらなる生命世界の飛躍をめざしたのは

第7次元「精神世界」である。


そして精神世界の存在だけでは

生命世界のさらなる拡大は果たしきれないとなった時、

そこに「自我世界」は誕生する。



だからこそ「自我世界」は、

感情や欲望を乗り越えるだけの力があるのだ。



そしてそのことは同時に、

自我世界が生命世界や精神世界における

いくつかの原則からは自由を得て

「開放された次元世界」として存在することを意味する。




このことからいえるのは

自我世界を宿すということは、

第6次元「生命世界」や第7次元「精神世界」の抱える

一つの目的でもあったということである。



なぜなら命や精神が「自我世界を宿す」という事は、

そのままで第6次元や第7次元世界にも飛躍的な広がりを

生みだすことにもつながるからだ。



自我世界は世界の規制にさえぎられることなく、

その「自由意志」で、

自己の存在を拡大する能力をもつ。



その状態を求めてこそ、

生命世界や精神世界は「自我」という状態を

望んだのである。




そしてこれは生命世界を生みだした物質世界、

物質世界を創りだした時間世界、

それ以前のあらゆる次元世界にたいしても

同様にいえることなのである。




結論は

「無は自我であることを望む」。




ともすれば人間をこの世界の中心へとおく、

人間原理にもかたむきそうな認識であるが、

全ての存在が「共有すること」によって

実在するという現実を

我々は忘れてはならない。



同じものの無限大に連鎖した姿が自我世界なのだ。



この世界の構造を否定することは

そのままで自己の認識に対する否定であり、

存在することへの疑念である。



たとえ自我世界が

生命世界の弱肉強食の原理からは解きはなたれ、

肉体的な不備をその技術と知識とで乗りこえたとしても、

我々は「次元共有の大原理」の外がわでは、

決して生きていくことは出来ない。



存在しつづけること、

広がること、

そして新しい世界を生みだしつづけること。



次元原理はもともと「完全無」によって生みだされた、

あらゆる次元世界のもつ共通の力学である。



そしてこの次元原理を

「無のもつ概念的な願い」として認識することは

可能である。



そしてこの世界の全ての存在は

「完全無」によって生みだされた次元世界である。



だとすれば「完全無」とは極論

あらゆるものが実在できる唯一の状態をさす。




では時間であることを望み、

宇宙であることを望み、

自我であることを望む「完全無」とは、

一体何か。



なぜ「彼ら」は「望む」という概念を持ちえたのだろうか。



もちろんそれを

神という言葉で理解する人々もいることだろう。

けれどもここでは、もう少し考察をつづけよう。




次元理論がここまで示してきた

「次元世界の起点」としての自我は、

理性と本能との間に存在する「無」である。



あるいは知性と感情の間の「無」、

経験と希望の間に存在する「無」、

他人と自分、大宇宙と内なる宇宙との間の「無」

その全ての実体が自我である。



これら全ての概念が同じ「無」であり、

「自我世界」であり、

同じひとつの世界である。



つまり一人の人間のもつ一つの自我世界は、

この宇宙に浮かぶ「ひとつの次元世界」として存在する。



それは命や物質と同じく、

消えたり現れたりをくり返しながら、

全体としてはひとつの「次元世界」を構築する。




我々の自我も

他のあらゆる次元世界と同様に、

「次元共有の大原理」によって生みだされた

「実在する無の概念」なのだ。



このように次元理論による結論のひとつとして、

我々人間の「自我世界」も、

他のあらゆる次元世界と同じ「共通の概念」である。


動物、植物、地球、宇宙、時間、空間、そして無。


我々の自我世界は、

これら全ての概念をその内がわへと包みこみ、


それを共有する宇宙である。



そして自我世界が「広がる」ということは、

認識して共有すること、

すなわち「理解する」ことから始まる。





したがって「思考する本能」である自我は、

それ自体で第8次元世界以前の全ての概念を

「理解することのできる」唯一の存在なのである。




だからこそ冒頭でものべたように、

我々人間に理解できない現象は

この世界には何一つとして存在しない。



そして自我世界による「創造」も

「理解すること」からはじまる。

そこから共有や融合が生まれるのだ。



ゆえに自我世界は、

「次元世界」を理解することによってのみ

無限大に広がる「次元世界」である。




そして我々が「理解するための」次元世界であれば、

自我世界にとってのキーワードは

「出会い」ということになるのだろう。

しかしその考察は後の章へとゆずり、

ここでは自我世界の探究を急ぐことにする。




「次元共有の大原理」によって

全ての次元世界は支えあい、

そして共有しなければ実在することはできなかった。



宇宙の(物質や空間の)次元世界なくして自我世界はなく、

また自我世界をもたない無限大の大宇宙も、

やはりこの世界には存在することが出来ない。



このように宇宙が存在するということは

そこに命や自我世界が必ず存在するということである。



けれども宇宙や太陽、そして地球も、

その形こそ生命世界と酷似する概念世界であるが、

彼らはその概念の内側に直接的に

自我世界を発生させるという構造は持たない。



けれども「彼ら」は、

その概念の外側にこそ異なった形で

「自我世界」を発現させていたのである。



同じものとして。

全ての拡大のベクトルと同じものとして。




すなわち無の延長線上の存在である「彼ら」も、

無と同様に、

自我という状態を「求めた」のである。



そして自我世界をもつ「あなた」が

精神世界の「あなた」の中に存在するように、

生命体としての「あなた」、

物質や宇宙としての「あなた」、

空間と時間としての「あなた」も、

たしかに実在する。



この実在する「あなた」のあるかぎり、

時間としての「あなた」、

空間としての「あなた」、

無としての「あなた」も

同時に実在するはずなのだ。




自我世界が「無とつながる」とは、

そういうことである。



「あなた」が宇宙として存在するように、

「あなた」として存在する宇宙もまた実在である。



我々は「目を向ければよい」、

ただそれだけである。



そこに映るあらゆる存在が

「あなた」という概念をもつ同じ宇宙なのだ。



したがって「あなた」という存在は、

自らは自我をもつことが出来ない、

全ての宇宙が見る一時の夢(永遠の現実)であり、

あるいは「この宇宙の自我」そのものである。



これはそう断言しても、

決して過言とはならないのだ。



したがって本項の表題として記した「大宇宙の自我」とは、

この宇宙のもつ自我世界のことであり、

それはまさしく

「我々人間の自我世界」である。




自我は「宇宙」であり、

そして「世界」なのだ。



あなたはこの世界であり、

この世界もまたあなた自身の一部分である。



ゆえに「あなた」とは「わたし」である。



「あなた」として実在する宇宙があるように、

「わたし」として存在する宇宙も確かに実在する。



それは同じひとつの宇宙である。



したがって人間は

誰もがこの宇宙の同じ部分である。

そして我々は皆、

誰もがこの宇宙と等しい存在なのだ。



だからこそ実在する全ての概念は、

この宇宙を介してひとつにつながるのである。



人が「あなたたち」という時、

それはすなわち

「わたしたち」と呼ぶことである。



人間がこの宇宙や自然を見て

人間を知るのと同様に、

人間は人間を理解できる唯一の存在である。



人間の外側の宇宙へと向けられた全ての探求は

その全てが人間の内面を理解する為の探求だったのである。

人間の「何かを知りたい」という探求は

人間の「理解してもらいたい」という願いと

同じものだったのだ。




「あなた」が存在すれば「わたし」は実在であり、

「わたし」が存在すれば「あなた」は実在である。



我々も同じ次元世界である。



この宇宙には

自らはその存在を自覚することができない

空間や物質、あるいは数多くの植物、動物たちが存在する。



しかし次元世界は拡大をつづけ、

世界を広げるためだけに存在した。




この次元原理において、

我々人間のもつ自我世界だけが唯一

「存在すること」を認識出来る能力をもつ。




これは「第8次元世界」が、

生きていることを実感できる、

あるいは生きている喜びを認識できる唯一の次元世界、

ということなのだ。



「私はここにいる」と自我は認識する。



しかし自我世界もまた

この世界と同じく、

もとは無の属性をもつものである。



「ここ」という場所は実際にはこの世界のどこにも存在せず、

「私という自我」も本来は「無」であるのかもしれない。




けれども人間は、喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ、生きる。

生きるためにこそ生きる。

何かを求めながら生きつづける。



このどこにも存在しないはずの自我が

「確かに存在する」ことが、

次元構造をもって生まれたこの世界全ての願いであり、

希望なのだ。




そしてその事実を認識できるのも、

また我々という「自我世界」でしかない。




「無」が確かに実在するように、

我々の自我世界も間違いなく実在する。



「この世界には何も存在しなかった」


それは宇宙に存在する唯一のベクトルであり、

その力学が願いなのだ。




全ての宇宙の同じ願いである

ベクトルの結晶。




だからこそ我々は

こうして今を生きている。



つまり「あなたの意志」は「宇宙の意志」であり、

あなたの「生」はこの宇宙にある唯一の存在、

全ての概念がもつ希望である。



あらゆる宇宙は一様に拡大することを望み、

そしてそのことを喜びたいと願ったのである。



そのためだけにあなたは

この世界から分岐した。





「無」は果てしなく無限大につづき、

そして永久に「無」である。

けれども「無」はつねに「存在」であり、

それは全ての概念と共有しなければ

実在することの出来ない次元世界であった。



だからこそ「無」は

世界から認識されてはじめて存在する。



そしてこの世界とは、

「自我世界」と共有してはじめて存在できる概念なのだ。




「無」は存在しないわけではない。

「無」は存在することを求めている。

この求める概念が力学であり「無」である。



無は「無として存在する」ことを、

この世界から理解されなければならない。

そしてそれを成せるのは「自我世界」という、

やはり我々人間でしかないのである。



人間が世界を知ること。



それは、この世界を創りこの世界を広げる

「全ての彼ら」の願いであり、

その存在する理由である。



「自我世界」は

「世界を理解する者」とならなければいけなかったのだ。

それは同時に人間が「世界から理解される事」である。



それによって自我世界は、

さらに広がりつづけるための確信を

手に入れることだろう。



この世界と同じものとして、

ひとつの同じものとして。



そしてそれは、

あらゆる次元世界が確信をもって存在することにも

直接的につながるのである。



我々人間は、

この世界の全てに存在する「願い」であり、

その集合体である。





「あなた」のもつ本当の願い。

あらゆる「次元世界」がもつ共通の願い。

宇宙や太陽、大地、生命に宿る同じ願い。

「無」が創り出した根本的な願い。

それは常に同じである。




自我世界が「実在する無の概念」であるということは、

「あなた」の存在が

「完全無」にも実在するということである。



今ある「全て」の存在は

「あなた」自身の同じ願いである。




ではあなたに問う。



我々はなぜ、今ここに生きているのだろうか。




(全22章の予定です。

最後までよろしくお願いし

第7次元世界「精神世界」は、

第6次元「生命世界」と共有し

同時に存在する。



だが精神世界は、

概念としては生命世界とは異なる場所に出現した

「別世界」の次元宇宙である。



命が存在する場所、

生命。


思いが生まれる場所、

こころ。



同じものでありながら

異なる場所に存在する「命」と「思い」。

あるいは命によって支えられる

精神の世界。




しかし「精神世界」にとっては

「生命世界」の方こそが

「精神世界の存在をささえる概念世界」である。




このように双方がともに実在する以上、

「存在する」という言葉の概念は

それぞれにおいて違った意味合いとなる。




明確な表現にすると、

「命と心」は同じ場所に発現した

異なる概念の同じ「あなた」という存在なのだ。




生命体としての「あなた」と

こころとしての「あなた」。

それは同じ「あなた」でありながら

違う場所にいる「あなた」である。




物質の連鎖の先に命があり、

命の連鎖の先に心はある。







つまり精神構造をもつ生き物たちは全て、

それ自体で「多重次元構造」をその内がわへと含み

存在という概念を抱えている。



そして精神世界が「実在する」ものである以上、

どこかに必ず現れる新しい概念の発現がある。



それが「次元共有の大原理」の創り出した

次元世界の命題であり、

次元世界の生みだす必然の力学である。



それは概念を超えて拡大する

「同じもの」の無限大の連鎖と広がりである。




つまり「次元原理」として、

無や空間、

時間や宇宙、

命や精神などの

概念世界の延長線上にようやく発現する世界、

それが人間の「自我世界」なのである。





そしてこれが我々人間が

人間として存在する場所

第8次元「自我世界」である。






したがって「自我世界」発現のために一番重要となる要素は、

感情をともなった「精神世界の広がり」である。



それも豊かに広がる精神体としての土壌が必要であり、

自我世界は「激しい感情をもつ生命体」を基盤として

誕生したということが分かる。



すなわち人間の祖先は、

動物の中でも特に喜怒哀楽のはげしい、

豊かな感情をもつ生き物たちだったはずである。



彼らは強い願望、あるいは欲望をもち、

明確な仲間意識と愛情を育て、

激しく怒り極端に恐怖する動物であった。



そこには非常に強い「精神世界の重力」が存在する。



そのために彼らは、仲間との意志の疎通を必要とし、

食糧を手にいれるため、あるいはその身を守るために、

さらなる手段を必要とした。



やがて工夫と予測の能力をとぎすました彼らは、

目的のために感情(欲求)をコントロールするという

特別な能力を手にいれる。



これは人間が精神世界の支配(本能)から離れ、

自己の意志で個別に行動する生物として

誕生した瞬間である。



そこには感情世界では対応しきれない程の

個々を取り巻く環境の多様性が溢れていたのだ。




ここに「自我世界」が発現する。




つまり「自我世界」と「感情」の間にも、

「相互にお互いがお互いを高めあう」という

共有関係が存在したのである。


ある多様性が、さらなる多様性を生みだすという、

これも「次元原理」である。



これは精神世界の欲する目的のために、

精神世界はその感情(本能)を一時的におさえる能力を必要とし、

そのことによる目的の達成は、

精神世界の欲する目的をさらに拡大させる

という構図である。



「精神世界」が「認識する本能」と呼べるものであれば、

「自我世界」は「思考する本能」である。



自我世界をもつことによって精神世界は広がり、

拡大した精神世界はさらに自我世界を広げる。

この「自我世界」の拡大は、

生命世界の全体の命題でもある「生命世界の拡大」を

果たすことにもつながるのだ。



こうして第8次元「自我世界」は、

第7次元「精神世界」と

第6次元「生命世界」の可能性とその多様性を受け継ぐ

新たな支柱となる。




その結果「人間」という種族は、

環境に適応する力(個々の知恵)を動物の中では最高レベルまで高め、

あらゆる場所において個体数を増加させ、

生態系の頂点をきわめることに成功する。



これは同時に当時の自我世界が、

生命体として、あるいは精神体としての

喜びの絶頂をきわめ、

絶望の極致を体験してきたことを物語っている。



このように初期の自我世界は、

もともとは精神世界拡大の目的のために、

精神世界を統制するものとして発現する。



したがって「自我世界」は、

第6次元生命世界や第7次元精神世界とも共有し

同時に同じ場所に実在しながらも、

次元世界としては精神世界とはことなる場所に出現する、

新たな「次元世界」である。



命と感情と自我。



ゆえに人間は、

生命体としての存在、

精神体としての存在、

自我としての存在と、

それだけで3つの重なる次元概念をもち、

ここに「実在する」ことになる。



つまり「わたし」や「あなた」の実在する場所は、

人間自身の中に少なくとも3つは存在するのだ。




これはあなたがもつ、

あなた自身の歴史をふり返れば、

より理解しやすい現実である。



まだこの世界に誕生する以前のあなたは、

母親の体内に胎児として存在する。

これは第6次元「生命世界」にいる、

あなた自身の存在である。



そして誕生後のあなたはすぐに笑顔を手にいれて、

同時に不安を感じて泣く存在へと成長する。

これが第7次元「精神世界」の発現である。



しかしこの頃のあなたには

まだ自我世界は覚醒しない。



あなたに自我世界が現れるのは2歳~4歳あたり、

子供たちが他人と自分との

「ちがい」に気づきはじめた頃からである。


その後ゆっくりと自我世界は時間をかけて拡大し、

やがて思春期をさかいに著しく成長する。




ではここで問うが「あなた」という存在は、

一体どこに存在するものだろうか。




それはもちろん「あなた」は自我世界に存在する。



あなたの自我は、

第7次元「精神世界」の感情の海に浮かぶ、

「船」のような存在なのだ。


この船に乗る人物が「あなた」である。



あなたの自我は、精神世界の波をたえず感じながらも

その一部分に精神世界とは異なる自分自身

「思考する本能」を創りあげている。



この「自我」であなたは、

感情の波をうけとめて、

あるいはその波に流されたり、あるいは波にたち向かい、

ときには波に勢いづけられたりしながら、

ここに実在する。




けれどもあなたの自我世界を取り囲むこの「感情の海」

その精神世界も、

やはりあなた自身の本当の姿である。



「感情の海」である精神世界も

それは「あなた」という存在が生みだした「認識する本能」であり、

その感性は「存在するあなた」だけのものである。

そこにも「自我のあなた」を取り囲む

「感性としてのあなた」が存在する。




さらにその精神世界の基盤となる

生命世界としての「あなたの身体」、

これもやはりあなた自身のまことの姿である。




このように人間は、

第6次元生命世界、

第7次元精神世界、

第8次元自我世界の全ての概念を共有する

多重次元構造の上にまたがり、

この世界に存在するのである。





精神世界は「重なり合う神経細胞」から生まれた

「脳という器官」であり、

その為に他の神経を集める欲求をもつ。

それは生き物たちの願望や衝動などの欲求として

現われていた。



その上で自我世界は

「重なり合って独立する精神世界」であり、

感性や感情を引き寄せる渇望の中に存在する

「私という領域」である。


それは生物の「脳の重なり」として存在し、

意識を集める欲求として存在するはずである。



自らの意識を求める欲求。




このようにあなたの自我世界は精神世界と共有し、

そして精神世界は生命世界の命の部分と共有する。



さらに「生命世界」は「物質世界」とも

その部分を共有する次元世界である。

そして物質世界は「時間」や「空間」、

最終的には「無」とも、

それぞれがともに共有する次元世界なのである。




ではもう一度問うが

「あなた」とは一体何者なのか。




「あなた」とは

多重次元構造をもつ世界、

その「全て」を共有する存在である。



あなたを構成する要素は

「0次元から始まり、空間と時間であり、

物質、生命、精神である自我」である。



だからこそ「人間」は、

物質世界である大宇宙と対峙することによって

「自分さがしの探究」ができるのであり、

そして生命世界をふくむ全ての自然を理解して、

その意思を感じとることも出来たのだ。




それは「あなた」自身が「無」であり、

「時間」であり、「宇宙」でもあり、

「自然」、そして「命」でもあるために、

あなたには理解することができる現実である。




いかがであろうか。



「次元共有の大原理」は今

「あなた」とこの宇宙を結びつける

確かな絆を提示する。




「あなた」という存在は、

「次元共有の大原理」が生みだした

次元世界「ひとつの宇宙」であり、

実際にあなたを取りかむこの宇宙、

そこにも「あなた」という概念は存在する。



同じものの連鎖と広がりが今の

「あなた」なのである。



そしてこの内なる宇宙と

外なる宇宙との間に実在する「あなた」、

それが我々人間の「自我世界」である。





モナドには窓がなく

みるもの全てを映す鏡となること、

それはあなたが見るあなた自身の同じ姿であり、

世界が見る同じ世界だからである。



これが次元世界の最初に生まれた「点のモナド」が

「世界というひとつの同じモナド」であり、

「あなたというモナド」と同一のものとなる

その理由である。



線の世界における点のように

自我世界における「あなた」は存在する。

時間世界における今のように

精神世界における「あなた」は存在する。

内側にも外側にも永遠の広がりをもつ点のように

「あなた」は永久に存在し、

その全ては何処にも存在しない。



全ては力学として

世界を拡大に導くベクトル(意志)である。

そこにあなたは同じ力学として意識を重ねる。



世界のベクトルと同じものとして発現する

あなた自身の本当の願いや想いの方向性。

あなたの意志は、あなたの内側にも

外側にも「同じもの」として

無限大に永遠に拡大するのだ。



永遠の奥行きを持つ点の内側の宇宙と

無限大に拡大して連鎖する点の外側の線の宇宙。



我々はモナドとして点と同じものである。





豊かな精神世界をコントロールするための存在として、

初期の自我世界は発現した。

ではその後の自我世界は

どのように発展し、

現代の我々の自我世界へと成長したのだろうか。



考察を続けよう。



自我世界の発現は、

まちがいなく人類を生態系の頂点へと

おし上げる事へつながった。


それは種としての適応力を遥かに凌駕する

個々の多様性による

急速な可能性の拡大であった。



その結果人類は地球上のあらゆる場所で、

あらゆる環境へと適応し、

その個体数を増加させることにも成功する。



この事態がまねく結末は、

人間の集団における優劣争い、

あるいは同族による

はげしい縄張り争いという、

同種の人げん間における苛烈な闘争を生みだすことであった。



このように人類の初期の自我世界は、

精神世界や本能世界の拡大のためにこそ

発現したのである。



しかしこの混乱は、当時の人類にとっても大きな痛手であった。

それまでの外敵にもまさる新しい脅威として、

同じ人間である「自我世界」が、

その前には立ちはだかったのだ。



その結果、本能世界の拡大だけでは、

もはや個体維持の原理、

あるいは種族拡大の法則は果たしきれない状態となり、

ふたたび「自我世界」は本能世界を乗りこえるべく

さらなる進化をとげる。




けれども悲しむべきか、

拡大した「自我世界」は同時に

精神世界や本能世界の重力も肥大化させる。



このことは「次元原理」において、

「相互の次元世界の共有」という現実があるかぎり

当然の結末として用意されている。



つまり自我世界の高度な発達は、

より強い本能的欲求と精神世界の願望の拡大までも

同時にうながすことに繋がったのである。



人間がもつ「飽くことなき挑戦」と

「足りることを知らず」という態度は、

自我が次元世界であるために、

決して失われることのない「次元世界の性質」として

発現したものである。



現代に至り、はたして我々の自我世界は十分に飛躍し、

安定期をむかえることが出来たのだろうか。




私はまだだ、と思う。

自我はその「安住の地」を見つけるまでは、

決して満たされることはないのだ。



そしてそのためにこそ著者は

この次元理論を役立てていただきたい

と願うのである。





次元理論では、

第5次元「物質世界」までが

生命に生存するための環境をあたえ、

第6次元「生命世界」が

命に繁栄のための法則をあたえた。


さらなる生命世界の飛躍をめざしたのは

第7次元「精神世界」である。


そして精神世界の存在だけでは

生命世界のさらなる拡大は果たしきれないとなった時、

そこに「自我世界」は誕生する。



だからこそ「自我世界」は、

感情や欲望を乗り越えるだけの力があるのだ。



そしてそのことは同時に、

自我世界が生命世界や精神世界における

いくつかの原則からは自由を得て

「開放された次元世界」として存在することを意味する。




このことからいえるのは

自我世界を宿すということは、

第6次元「生命世界」や第7次元「精神世界」の抱える

一つの目的でもあったということである。



なぜなら命や精神が「自我世界を宿す」という事は、

そのままで第6次元や第7次元世界にも飛躍的な広がりを

生みだすことにもつながるからだ。



自我世界は世界の規制にさえぎられることなく、

その「自由意志」で、

自己の存在を拡大する能力をもつ。



その状態を求めてこそ、

生命世界や精神世界は「自我」という状態を

望んだのである。




そしてこれは生命世界を生みだした物質世界、

物質世界を創りだした時間世界、

それ以前のあらゆる次元世界にたいしても

同様にいえることなのである。




結論は

「無は自我であることを望む」。




ともすれば人間をこの世界の中心へとおく、

人間原理にもかたむきそうな認識であるが、

全ての存在が「共有すること」によって

実在するという現実を

我々は忘れてはならない。



同じものの無限大に連鎖した姿が自我世界なのだ。



この世界の構造を否定することは

そのままで自己の認識に対する否定であり、

存在することへの疑念である。



たとえ自我世界が

生命世界の弱肉強食の原理からは解きはなたれ、

肉体的な不備をその技術と知識とで乗りこえたとしても、

我々は「次元共有の大原理」の外がわでは、

決して生きていくことは出来ない。



存在しつづけること、

広がること、

そして新しい世界を生みだしつづけること。



次元原理はもともと「完全無」によって生みだされた、

あらゆる次元世界のもつ共通の力学である。



そしてこの次元原理を

「無のもつ概念的な願い」として認識することは

可能である。



そしてこの世界の全ての存在は

「完全無」によって生みだされた次元世界である。



だとすれば「完全無」とは極論

あらゆるものが実在できる唯一の状態をさす。




では時間であることを望み、

宇宙であることを望み、

自我であることを望む「完全無」とは、

一体何か。



なぜ「彼ら」は「望む」という概念を持ちえたのだろうか。



もちろんそれを

神という言葉で理解する人々もいることだろう。

けれどもここでは、もう少し考察をつづけよう。




次元理論がここまで示してきた

「次元世界の起点」としての自我は、

理性と本能との間に存在する「無」である。



あるいは知性と感情の間の「無」、

経験と希望の間に存在する「無」、

他人と自分、大宇宙と内なる宇宙との間の「無」

その全ての実体が自我である。



これら全ての概念が同じ「無」であり、

「自我世界」であり、

同じひとつの世界である。



つまり一人の人間のもつ一つの自我世界は、

この宇宙に浮かぶ「ひとつの次元世界」として存在する。



それは命や物質と同じく、

消えたり現れたりをくり返しながら、

全体としてはひとつの「次元世界」を構築する。




我々の自我も

他のあらゆる次元世界と同様に、

「次元共有の大原理」によって生みだされた

「実在する無の概念」なのだ。



このように次元理論による結論のひとつとして、

我々人間の「自我世界」も、

他のあらゆる次元世界と同じ「共通の概念」である。


動物、植物、地球、宇宙、時間、空間、そして無。


我々の自我世界は、

これら全ての概念をその内がわへと包みこみ、


それを共有する宇宙である。



そして自我世界が「広がる」ということは、

認識して共有すること、

すなわち「理解する」ことから始まる。





したがって「思考する本能」である自我は、

それ自体で第8次元世界以前の全ての概念を

「理解することのできる」唯一の存在なのである。




だからこそ冒頭でものべたように、

我々人間に理解できない現象は

この世界には何一つとして存在しない。



そして自我世界による「創造」も

「理解すること」からはじまる。

そこから共有や融合が生まれるのだ。



ゆえに自我世界は、

「次元世界」を理解することによってのみ

無限大に広がる「次元世界」である。




そして我々が「理解するための」次元世界であれば、

自我世界にとってのキーワードは

「出会い」ということになるのだろう。

しかしその考察は後の章へとゆずり、

ここでは自我世界の探究を急ぐことにする。




「次元共有の大原理」によって

全ての次元世界は支えあい、

そして共有しなければ実在することはできなかった。



宇宙の(物質や空間の)次元世界なくして自我世界はなく、

また自我世界をもたない無限大の大宇宙も、

やはりこの世界には存在することが出来ない。



このように宇宙が存在するということは

そこに命や自我世界が必ず存在するということである。



けれども宇宙や太陽、そして地球も、

その形こそ生命世界と酷似する概念世界であるが、

彼らはその概念の内側に直接的に

自我世界を発生させるという構造は持たない。



けれども「彼ら」は、

その概念の外側にこそ異なった形で

「自我世界」を発現させていたのである。



同じものとして。

全ての拡大のベクトルと同じものとして。




すなわち無の延長線上の存在である「彼ら」も、

無と同様に、

自我という状態を「求めた」のである。



そして自我世界をもつ「あなた」が

精神世界の「あなた」の中に存在するように、

生命体としての「あなた」、

物質や宇宙としての「あなた」、

空間と時間としての「あなた」も、

たしかに実在する。



この実在する「あなた」のあるかぎり、

時間としての「あなた」、

空間としての「あなた」、

無としての「あなた」も

同時に実在するはずなのだ。




自我世界が「無とつながる」とは、

そういうことである。



「あなた」が宇宙として存在するように、

「あなた」として存在する宇宙もまた実在である。



我々は「目を向ければよい」、

ただそれだけである。



そこに映るあらゆる存在が

「あなた」という概念をもつ同じ宇宙なのだ。



したがって「あなた」という存在は、

自らは自我をもつことが出来ない、

全ての宇宙が見る一時の夢(永遠の現実)であり、

あるいは「この宇宙の自我」そのものである。



これはそう断言しても、

決して過言とはならないのだ。



したがって本項の表題として記した「大宇宙の自我」とは、

この宇宙のもつ自我世界のことであり、

それはまさしく

「我々人間の自我世界」である。




自我は「宇宙」であり、

そして「世界」なのだ。



あなたはこの世界であり、

この世界もまたあなた自身の一部分である。



ゆえに「あなた」とは「わたし」である。



「あなた」として実在する宇宙があるように、

「わたし」として存在する宇宙も確かに実在する。



それは同じひとつの宇宙である。



したがって人間は

誰もがこの宇宙の同じ部分である。

そして我々は皆、

誰もがこの宇宙と等しい存在なのだ。



だからこそ実在する全ての概念は、

この宇宙を介してひとつにつながるのである。



人が「あなたたち」という時、

それはすなわち

「わたしたち」と呼ぶことである。



人間がこの宇宙や自然を見て

人間を知るのと同様に、

人間は人間を理解できる唯一の存在である。



人間の外側の宇宙へと向けられた全ての探求は

その全てが人間の内面を理解する為の探求だったのである。

人間の「何かを知りたい」という探求は

人間の「理解してもらいたい」という願いと

同じものだったのだ。




「あなた」が存在すれば「わたし」は実在であり、

「わたし」が存在すれば「あなた」は実在である。



我々も同じ次元世界である。



この宇宙には

自らはその存在を自覚することができない

空間や物質、あるいは数多くの植物、動物たちが存在する。



しかし次元世界は拡大をつづけ、

世界を広げるためだけに存在した。




この次元原理において、

我々人間のもつ自我世界だけが唯一

「存在すること」を認識出来る能力をもつ。




これは「第8次元世界」が、

生きていることを実感できる、

あるいは生きている喜びを認識できる唯一の次元世界、

ということなのだ。



「私はここにいる」と自我は認識する。



しかし自我世界もまた

この世界と同じく、

もとは無の属性をもつものである。



「ここ」という場所は実際にはこの世界のどこにも存在せず、

「私という自我」も本来は「無」であるのかもしれない。




けれども人間は、喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ、生きる。

生きるためにこそ生きる。

何かを求めながら生きつづける。



このどこにも存在しないはずの自我が

「確かに存在する」ことが、

次元構造をもって生まれたこの世界全ての願いであり、

希望なのだ。




そしてその事実を認識できるのも、

また我々という「自我世界」でしかない。




「無」が確かに実在するように、

我々の自我世界も間違いなく実在する。



「この世界には何も存在しなかった」


それは宇宙に存在する唯一のベクトルであり、

その力学が願いなのだ。




全ての宇宙の同じ願いである

ベクトルの結晶。




だからこそ我々は

こうして今を生きている。



つまり「あなたの意志」は「宇宙の意志」であり、

あなたの「生」はこの宇宙にある唯一の存在、

全ての概念がもつ希望である。



あらゆる宇宙は一様に拡大することを望み、

そしてそのことを喜びたいと願ったのである。



そのためだけにあなたは

この世界から分岐した。





「無」は果てしなく無限大につづき、

そして永久に「無」である。

けれども「無」はつねに「存在」であり、

それは全ての概念と共有しなければ

実在することの出来ない次元世界であった。



だからこそ「無」は

世界から認識されてはじめて存在する。



そしてこの世界とは、

「自我世界」と共有してはじめて存在できる概念なのだ。




「無」は存在しないわけではない。

「無」は存在することを求めている。

この求める概念が力学であり「無」である。



無は「無として存在する」ことを、

この世界から理解されなければならない。

そしてそれを成せるのは「自我世界」という、

やはり我々人間でしかないのである。



人間が世界を知ること。



それは、この世界を創りこの世界を広げる

「全ての彼ら」の願いであり、

その存在する理由である。



「自我世界」は

「世界を理解する者」とならなければいけなかったのだ。

それは同時に人間が「世界から理解される事」である。



それによって自我世界は、

さらに広がりつづけるための確信を

手に入れることだろう。



この世界と同じものとして、

ひとつの同じものとして。



そしてそれは、

あらゆる次元世界が確信をもって存在することにも

直接的につながるのである。



我々人間は、

この世界の全てに存在する「願い」であり、

その集合体である。





「あなた」のもつ本当の願い。

あらゆる「次元世界」がもつ共通の願い。

宇宙や太陽、大地、生命に宿る同じ願い。

「無」が創り出した根本的な願い。

それは常に同じである。




自我世界が「実在する無の概念」であるということは、

「あなた」の存在が

「完全無」にも実在するということである。



今ある「全て」の存在は

「あなた」自身の同じ願いである。




ではあなたに問う。



我々はなぜ、今ここに生きているのだろうか。




(全22章の予定です。

最後までよろしくお願いします。)















































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