第39話 「青嵐」その一
3489年 木乙月 第三風甲日
鍵が盗まれた日から、丸一週間が過ぎた。
爆弾魔が動くかもしれない。その思いから、この一週間、誰も警戒を緩められなかった。
執事は屋敷の警備を強化した。
ユナは折に触れて祖父の執務室を訪れ、異変がないか目を光らせていた。
フィルは武闘大会の試合に臨み、巧みな技で次々と相手を破っていた。
けれど、不安と緊張に満ちた一週間は、不自然なほど静かだった。
この一週間、爆弾魔は一度も姿を見せず、フィルの調査も行き詰まっていた。
月明かり、夜、美酒、物語。
炎、傷、涙、叫び……。
経験したすべてが、初めからなかったことのようだった。
そう思うと、イノリは悲しくなってうつむいた。
道場に審判の笛が響き、顔を上げた。
爆弾魔の件は、まだどうなるかわからない。けれど、武闘大会で最も楽しみにしていた対決は、すでに始まっていた。
――準決勝。
対戦するのは、アキラとフィルだった。
天雲明。盾兵。
武器は、巨大な三角形の鋼鉄の盾。中央は分厚く、縁は鋭い。その名は「青嵐」。
大仏のように慈悲深いが、背後には悪鬼修羅のような、別の存在が潜んでいるらしい。
フィル。職業不明。
魔剣士と見なされてはいるものの、「無銘・星滅」という黒い打刀は、明らかにありふれた武器ではない。
霧の紗というマントも、巧みに操る火の魔法も、その底が知れなかった。
「行くぞ」
少年は山のようにそびえ立ち、右足を上げて、強く地面を踏んだ。
「風の力・降魔嵐脚!」
激しい風が一瞬で集まり、少女へ唸りを上げて吹きつけた。
それは「敵」同士の力比べであると同時に、「師弟」だからこそ通じ合う、巧みなやり取りでもあった。
風が届くと、少女はかすかに笑い、ふわりと跳んだ。
その力を借りて、蝶のように、束の間宙に浮かぶ。
「風と火・力の式・緋焔残月!」
炎が風を包み込み、三日月となってアキラへ飛んだ。
風の魔法を巧みにいなすだけでなく、自分の力へと変えてみせる。それが、弟子から師への贈り物だった。
見事な技に、アキラは思わず感心してうなずいた。
もっとも、戦いの最中であることを忘れてはいなかった。
その場を動かず、軽く盾を持ち上げる。青嵐という大盾が、少女の攻撃を完全に防いだ。
「風の力・青嵐!」
アキラは息を止めて集中し、盾を勢いよく前へ押し出した。風の魔力が一気に凝り、吼える嵐となって少女へ襲いかかった。
フィルは鋭く気配を捉え、のみ込まれる直前、気流を軽やかに踏んで宙へ跳んだ。
その動きは、狙いどおりだったらしい。
アキラは間髪入れず、巨大な盾を空へ放った。
「風の力・光輪円舞!」
分厚い盾が、風の力を受けて高速回転した。
巨大な手裏剣となって、宙の少女へ容赦なく飛んでいく。
空中では避けにくいと、アキラは読んでいた。
その予想どおり、フィルはまずいと悟り、刀で受け止めようとするしかなかった。
アキラの怪力を、甘く見ていた。盾が刃にぶつかった瞬間、体勢が崩れ、腕に痛みが走った。
凄まじい衝撃に押され、少女は地面へ落ちた。霧の紗を広げ、どうにか着地する。
青嵐は空中で弧を描き、アキラの手へ確かに戻った。
この応酬は、アキラに軍配が上がった。
距離を取り続けるだけでは、簡単には勝てない。フィルもそれを悟った。
刹那、少女は幽かな影のように駆け、すでにアキラの目前にいた。
ためらわず、素早く刀を振り下ろした。
アキラは難なく盾を上げ、分厚い鋼鉄が刃を弾いた。
続いて、嵐のような斬撃が降り注いだ。
甲高い金属音が、次々に響いた。
角度を変えて激しく攻めるフィル。すべてを防ぎ続けるアキラ。
攻撃を重ねても無駄だと気づき、フィルは一歩退いて距離を取った。
アキラはその隙を捉え、ためらわずに攻撃へ転じた。
「風の霊・無量青嵐!」
さらに激しい嵐が迫った。避けきれないと判断したフィルは、再び気流を踏んで宙へ跳ぶしかなかった。
「風の霊・三界光輪円舞!」
盾が風の力を受け、再び高速で回り始めた。
だが、アキラはすぐには投げなかった。盾を振るって斬りつけた。
盾にまとわりついて高速回転する風の魔力が、見えない手裏剣となり、空気を切り裂いて少女へ飛んだ。
二度続けて振るい、三度目に、ようやく盾そのものを放った。
二つの旋風と、青嵐本体。三つの恐るべき刃が迫る。
アキラは、この一撃で決着をつけるつもりだった。




