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第23話 「暗流」その二

「うわあああ――」


 心臓が激しく跳ねた。このまま恐怖で意識を失いそうだった。


「どうも」

「出ていってくれよ――って、アキラ?」


 見慣れた顔だと、ふいに気づいた。


 ひどいことを口走ってしまったと悟り、イノリは慌てて立ち上がった。申し訳なさそうに頭をかく。


「まずかったか」

「いや、違う違う。何でもないんだ。入ってよ」


 アキラは無表情のままうなずいた。入口の使用人に小声で挨拶をして、中へ入った。


「体は?」

「うん。みんなのおかげで、だいぶよくなったよ」

「ならよかった」


 アキラはポケットから何かを取り出し、イノリの手のひらに載せた。


 小さな、透明な源石だった。


「これを」


 物理科の資源系で優秀な学生であるアキラは、さまざまな鉱石を好んでいる。イノリもそれは知っていた。

 自分は鉱石のことなどまるでわからない。けれど、相手の心遣いを思うと、胸に温かなものが込み上げた。


 まあ、あとでヒカリにあげよう。

 そう思った。


 イノリは礼を言い、石をポケットにしまった。


「フィルは?」

「フィル? あんな逃亡兵に何の用?」

「魔法を教える」


 そこでようやく、フィルとユナに一杯食わされたことに気づいた。悔しくなって、思わず足を踏み鳴らした。


 腹立たしげに顔を上げ、二階の階段口を見た。


 フィルが手すりに身を預け、意地悪な笑顔でイノリに手を振っていた。


「こんにちは、アキラ。初めまして。よろしくね」


 手を持ち上げる。

 指先の赤い宝石が、きらきらと光った。


 アキラは口を大きく開き、目を輝かせた。


「血晶石?」


 血晶石は、亡霊連邦の亡霊たちが使う通貨の一つだったはずだ。こんなものをどこで手に入れたのかと、イノリは感心せずにはいられなかった。


「あげるよ。明日から、風の魔法をしっかり教えてね、アキラ先生」


 アキラはすっかり石に夢中で、何度もうなずいていた。


「下りてきて」


 フィルはうなずき、階段を下り始めた。


 その瞬間、イノリは異変に気づいた。


 フィルが足を止めた。顔に浮かんでいた笑みが、一瞬で凍りついた。


 紫色の目が、大きく見開かれた。

 その瞳の中に、灼熱の炎が燃え上がった。


 アキラが突然、苦痛に顔を歪めた。


 大仏が崩れ落ちるように、片膝をついた。心臓のあたりを強く押さえ、痛みのあまり顔も上げられずにいた。


「アキラ。君――」


 フィルの声は、異様に冷たかった。


 アキラをじっと見据え、ゆっくりと近づいていく。

 右手は、すでに刀の柄を固く握っていた。


「止まれ……」


 アキラは痛みをこらえて顔を上げ、フィルに警告しようとした。


 もう遅かった。


 刹那、ほの暗い青の光が、まばゆく広がった。


 呪力に満ちた水流が急速に集まり、徐々に人の輪郭を形づくっていく。


「ひぃ――」


 誰かの悲鳴が聞こえた。知らない声ではなかった。


 滄溟!


 滄溟は人の姿を取りきることさえできず、怯えて水流の中へ逃げ込んだ。


 一瞬で、水流は球体に変わった。

 流星のように長い尾を引き、応接間の扉を突き破って、外へ飛び出した。


 すべてを見ていたフィルが、刀を抜いた。


「邪霊!!!」


 怒声を上げ、すぐさま追いかけていった。


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