↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/43

第19話 「回天」その一

3489年 木乙月 第一水丙日


 朝の日差しが部屋を照らし、イノリの鼻をくすぐっていた。


 大きなあくびをして、目を開けた。


 天井が少し違って見えた。自分の寝室の天井は、こんなふうではなかった気がする。


 何かの匂いが漂っていた。鼻を利かせてみる。


 ひどくかすかな匂いだった。初めから存在しない、幻のようにさえ思えた。


 けれど、イノリはすぐに思い出した。


 ――ユミンの医務室。


 ユミンが天時郡で働くようになってから、この医務室はほとんど使われなくなっていた。


 それでも、ときどき帰ってくるので、中のものはきちんと保管されている。


 ただ、普段は鍵がかかっているはずだった。


 どうして自分がここにいるのか、イノリは考え始めた。


 ふと、昨日のフィルとの戦いを思い出した。

 まばゆい星河が少女の全身を焼き、自分も気を失ったのだ。


 体はまだひどく疲れていた。右手は感覚を失っているようだった。


 どうにか顔を横に向け、枕元の棚を見た。


 一冊の魔法書が、静かに横たわっていた。


「ヒカリ……ヒカリ!」


 呼びかけた。


 魔法書は反応しなかった。初めから命など宿っていないかのように。


 世界で誰よりも自分を大切に思ってくれる彼女は、傷を治そうとして、光の魔法――癒術を使いすぎたのかもしれない。

 そのせいで魔力が尽き、一時的な眠りに落ちているのだろう。


 鼻の奥がつんとした。胸にさまざまなつらい思いが込み上げた。


「ヒカリ……」


 今にも泣き出しそうな、かすかな声が漏れた。


「ねえ、イノリくん――」


 聞き間違いではなかった。フィルの声だ。


「フィル?」


 慌てて振り向いた。


 少女の姿は見当たらなかった。けれど、隣のベッドには、確かにミイラが寝ていた。


 その不気味なものが恐ろしくて、イノリは唇を震わせた。ただの幻であってほしいと、心の中で祈った。


 そして顔を背け、ヒカリを視界に入れた。少なくとも、こうしていれば安心できる。


「イノリくん――」


 フィルの声が聞こえ、もう一度振り向いた。


 全身を包帯で巻かれたミイラが、すぐそばに直立していた。


「うわあ――亡霊だ!!!!」


 脳が真っ先に身を守ろうとしたのか、意識が遠のき始めた。

 同時に、体は無意識に反撃に出ていた。


 右手はずしりと重く、かすかに痛んでいた。

 それでも、生き延びようとする本能が、一気に力を湧き上がらせた。右手を振り上げ、ミイラの頭を思いきり殴った。


 痛みが、神経細胞をつなぐ道を稲妻のような速さで駆け抜け、頭へ届いた。

 恐怖で気絶しかけていたのに、右手から走った激痛で、一瞬にして目が覚めた。


「痛い痛い痛い……イノリくん、降参! 降参だよ! お願い、もう殴らないで!」

「もう、フィル! 僕が心臓を悪くするまで脅かさないと、気が済まないのかよ!」

「起きて、ちょっと手伝ってほしかっただけだよ」

「手伝うもんか……って、どうしたの?」

「包帯を取るの、手伝ってくれない? 何も見えなくて、つらいんだ」


 イノリは少しためらい、自分の右手を見下ろした。

 包帯が幾重にも巻かれ、大きなおにぎりのようになっていた。


 自分でさえ、こんな状態なのだ。昨日、全身を焼かれた少女なら、なおさらだろう。


 生きていてくれただけで幸運だった。これ以上、危険な目に遭わせるわけにはいかない。


「まだだめだよ! 今取ったら、全身の傷が化膿しちゃう!」

「もうっ! こうなったら――」


 フィルは忠告をまるで気にせず、ベッドの脇に立てかけられた黒い刀を手探りで見つけた。


 左手で鞘を押さえ、右手で柄をつかむ。軽く左右に引いた。


 かちゃり――


 鋭い刃があらわになり、暗紅色の炎が燃え上がった。


 フィルは右手を炎にかざした。巻かれた包帯が黒く焼け焦げていく。

 右手が自由になると、改めて柄をしっかりと握った。


「フィル、だめだ!」


 イノリは切羽詰まった声で叫んだ。


 今すぐ止めたかった。だが、体が重く、少しも動けなかった。


 ためらいなく自分の命を絶とうとするかのように、少女は首元へ刀を当てた。


 深く息を吐いた。


 刀を振るった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。