第14話 「萌芽」その二
「氷の力・白霧!」
白剣「細雪」を媒介に、水の元素を用いて魔力を水滴に変え、空中に広げる。
そこへ氷の元素で冷気を与え、白い霧を立ち込めさせた。
殺傷力は少しもない。けれど、逃げるにはうってつけの魔法だった。
相手の視界が遮られた隙に、イノリは背を向けて走った。
次の瞬間、目の前に黒い影が現れた。
「イノリくん! その真っ黒な髪、霧の中だと目立ちすぎるんじゃない?」
フィルはわざわざ最後まで言い終えてから、悠々と拳を繰り出した。
避けるどころか、反応することさえできなかった。
少女の拳が左肩に当たり、軽い痛みが走った。
「これが本当の戦いだったら、もう最期の言葉を考えるところだよ、イノリくん!」
「くそっ! 言われなくてもわかってるよ! これでもくらえ!」
イノリは力いっぱい、細雪を横に薙いだ。
だが、力が弱すぎた。動きも遅すぎる。
フィルは避けさえしなかった。腕を伸ばし、その一撃を真正面から受け止めた。
「氷の霊・銀白天穹!」
「力」級魔法「白霧」の上位版。イノリの数少ない得意技の一つだ。
全身が冷たい白霧に包まれた隙に、再び距離を取ろうとした。
同じことの繰り返しだった。
瞬く間に、黒い姿が目の前に現れた。付きまとう亡霊のように。
「体は完全に隠れたね。進歩してる! でも、魔力の気配を抑えないと、居場所は丸わかりだよ!」
フィルがこれほど鋭く魔力を感じ取れるなら、視界を遮っても何の意味もない。
まずい、とイノリは思った。
さらに二発、フィルの拳が続けざまに飛んできた。
イノリはかろうじて武器で受けた。
腕が痛み、息も乱れ始めた。
逃げられないと悟り、ようやく勇気を振り絞って反撃に出た。
「水の力・波刃!」
水の魔力が集まり、三日月の形を取るはずだった。
ところが次の瞬間には、大小の水滴となって散ってしまった。
「イノリくん。氷と水なら、強い魔法もいろいろ使えると思うんだけど。もうふざけないで、真面目に戦ってよ!」
「くそっ! こっちは十分真面目にやってるんだよ!」
「ふん! もう手は尽きたってこと? じゃあ、遠慮しないよ!」
「まだだ――氷の力・氷雨!」
魔力が空中で雨粒に変わり、小さな氷の錐へと凍りついた。
その群れが一斉に向きを変え、フィルへと突き進む。
これも呆れるほど威力が低いことは、イノリ自身よく知っていた。
それでも、ようやく攻撃魔法を一つ成功させられた。ひそかに喜びが湧いた。
反応の鋭いフィルは、すぐに攻撃が迫っていることに気づいた。
まともに受けたところで、傷一つつかないのではないか。イノリはそう思った。
それでも、訓練には真剣に取り組んでいるのか、フィルは防御の動作に入った。
刀を体の前で横にし、柄と鞘の境目を握る。勢いよくひねり、前へ放った。
黒い刀が、空中で高速回転した。
風車のように、飛んでくる氷の棘をことごとく砕いていく。
フィルは手を伸ばし、再び武器をしっかりとつかんだ。
普通なら、低級魔法を続けて使っても、体に負担はかからない。
だがイノリには、これだけの戦いでも、すでに苦しかった。
もともと少ない魔力を消耗し、目が回り始めていた。
歯を食いしばり、最後のあがきに出る。
「氷の霊・太陽氷雨!!!」
氷の錐が再び空を埋め、フィルへ襲いかかった。
少女に届く直前、一斉に弾け、高温の水霧を放った。
突然の変化にも、フィルの判断は速かった。
今度は刀で受けなかった。身をひねり、後ろを振り向いて、マントを勢いよく跳ね上げる。
マントが巻き起こした風が、空中に残る熱い水霧をすべて吹き散らした。
急激に温度が下がり、水霧は再び大小の水滴となった。
フィルが軽くマントを払うと、気流が水滴を巻き込み、容赦なく地面へ叩き落とした。
グライダー、姿を消す力、そして盾の壁。
霧の紗という不思議なマントには、あとどれほど驚かされるのだろう。
イノリは苦笑した。
「氷の霊——」
氷の霊・氷棺。
成功すれば、巨大な氷の塊で自分の体をすっぽりと凍らせられる。
少し時間を稼げるだけで、ほかには何の役にも立たない。
それでも、追い詰められたイノリには、もうほかに手がなかった。
力を振り絞り、体内に残る最後の魔力を呼び起こして、この魔法を放とうとした。
胃の中が激しくかき回され、喉がひどく痛んだ。全身をどうにか支えているのは、張り詰めた意識だけだった。
吐く苦しみまでは味わいたくなかった。イノリは深く息を吐いた。
不安も緊張も、一瞬で消え去った。
視界が暗くなり、意識がかすんでいく。
「僕の負けだよ、フィル」
声にする力も残っておらず、心の中でつぶやいた。
イノリはまっすぐ地面へ倒れていった。




