☀️《第4話 夜を裂く救いの影》
胸の奥で叫ぶ声は、喉に張りついて震えていた。
恐怖で体が動かない。
笑顔を武器にしてきたリアから、その笑顔が完全に消えていた。
その瞬間――
「カツンッ」
乾いたアスファルトに、重いブーツの音が落ちた。
低い一定のリズム。
それは、リアの心を覆う絶望を細く裂いて差し込む一筋の線のようだった。
掴まれた両腕の先で、男たちが一斉に顔を上げる。
街灯の輪から半歩だけ踏み出した影。
青いグラデーションの髪を片側に流し、ショートパンツ姿で髪が夜風に揺れていて、煙草の火が星みたいに赤く瞬いた。
まるで、夜の闇から現れた幻のようで、その姿は夜の街の冷たさを背負いながらも、どこか炎のように鋭い輝きを放っていた。
「ねぇ、その子を離してもらえる?」
低く、冷えた声が夜を裂いた。
躊躇が一つもない。
クラブでいつも見る青い髪の女の子だった。
「なんだよ姉ちゃん、関係ねぇだろ」
「って、こいつもメッチャ綺麗な女だな、顔もイカすねぇ。気の強そうな顔も最高だ。こいつもメッチャいい女じゃねーかよ。へっへっへ!」
男たちの笑い声が響く。
だが彼女は煙をくゆらせながら、一歩も引かずに立っていた。
だけど、目だけは笑っていない。
男が掴んだ指の力は、リアの手首に喰いこんだままだ。
彼女は煙草を足元で踏み消すと、面倒そうに肩を回した。
その目は夜の月より冷たく、鋭かった。
「聞こえなかった?その子を離してって言ってるの」
「はっ!?おい、姉ちゃん、オレらに指図か?
お前もこの女と一緒にヤッちまうぞオイ」
掴んでいた手がさらに強く締め上げられ、リアが小さくうめく。
「5つ、数えるからそれまでにその子を離して!」
「はぁ? なに言ってんだこのアマ」
「5!」…(路地の空気が沈む…)
「4!」…(靴裏がわずかに鳴る…)
「3!」…(空気が変わる…)
「2!」…(肩を回す音だけ!)
「1!」…呆れて溜め息を吐いた…
「……その子を離しておとなしく回れ右して帰れば今回は許してあげたのにおバカさん達ね」
瞬き一つ分の静寂が、弾けた。
次の瞬間、彼女の身体が閃いた。
「ぐっ……がぁっ!」
リアの腕を掴んでいた男の関節をひねり、そのまま地面に叩きつける。
そして乾いた音が路地に響き、残りの男たちの顔から笑みが消えた。
彼女の体が霞んで見えたときには、もう一人が膝から崩れていた。
手首を掴んでいた男の親指に、正確に重心を落とす。
関節が悲鳴を上げ、反射で手が離れる。
リアの腕が自由になった瞬間、彼女はその手首を軽く引き寄せ、背中に隠すように前へ出た。
(掴まれた腕が解放される冷たさが走ると、皮膚の跡がジンと痛む)
「ッぐ……な、なにしやが――」
言葉の最後は壁に散った。
彼女は狭い路地を縦に使い、最短距離で踏み込む。
ジャブの軌道で伸びた拳を紙一重で外し、肘を返す。
男の顎が跳ね、もう一人の襟元を掴んで足首を払う。
倒れ込む体を踏み台にして、壁へと一歩。
壁面を蹴って身体を反転――空中で半回転した踵が、三人目のこめかみに吸い込まれた。
「このアマがぁー!オレを誰だと思ってんだー!
このタツロー様を怒らせた事、後悔するぞー」
殴りかかってきた拳を軽くかわし、彼女は足を軸に回転する。
「あなたの名前なんて知らないわよ!気持ち悪いからそれ以上近寄らないで!」
そしてバク宙気味に跳び上がり、空中から脚の軌道を変え、後頭部へ延髄斬りを叩き込んだ。
鈍い衝撃音とともに、男が壁に叩きつけられ、
一瞬にして沈められた。
「お、おい、囲め!」
「やれ!」
残った二人が左右からすり寄る。
片方はナイフを出した。
刃が街灯の光を撥ね、薄い弧を描く。
彼女は一歩下がるように見せて、左足を置く位置だけ半歩ズラす。
ナイフが空を切る瞬間、肘で手首を弾き、刃の向きを自分から外へ。
空いた懐に体を沈め、反対の掌底を腹に差し込む。鈍い息が漏れた。
「こ、この女……何者なんだよ!」
もう一人が後ろから肩を掴む。
「触らないで!」
言葉と同時、重心を落として肩を支点に投げる。
叫びながら残りの数人が一斉に襲いかかる。
だが、彼女の身体はしなやかで鋭かった。
蹴り、投げ、関節技。
まるでそこに残像が残るような連続蹴りが夜の静寂を裂き、男たちは次々と地面に転がった。
背中がアスファルトに叩きつけられ、肺の空気が全部抜けた音がした。
「まだやる?」
倒れた男たちのうめき声が、路地に転がる缶のようにかすれた。
無造作に髪をかき上げながら放たれた声は、氷のように冷たかった。
「な、なんなんだこの女…化け物か…!」
そのとき、路地の出口から低いエンジン音が幾つも近づいてきた。
ドゥルルル――と空気を震わせる振動。
角の向こうから、黒とシルバーのバイクが数台、男たちの背後で、エンジン音が轟いた。
数台のバイクが路地に現れ、ライトが男たちを照らす。
「……ルミナ?」
先頭の仲間の一台が呼んだ。
短パンにハチマキを巻いたこの男の名はアサヒ。
そして他に2人の影。
バイクを止め、ガラの悪い3人組がこっちに歩いてくる。
「おいおい…ルミナに喧嘩売るとか、命知らずだな。そうやって沈ませられた奴らを何人も見てきたからな」
アスリート系の男が呆れ顔で言った。
彼もバイカー仲間で名前はヨシマサ。
「まだモンクあるなら今度はオレ達が相手になるぞ」
続けてサーファー系の男、ユーキが更に挑発的に言う。
取り巻きのバイカーたちの男3人組ががニヤリと笑った。
青い髪の彼女は片手を腰に当て、面倒くさそうに顎をしゃくる。
「うっ…クソ…チッ……」
野犬が尻尾を巻くみたいに、気絶した仲間を担ぎ、彼らは散り散りに暗がりに消えた。
そして静けさが戻る。
彼女はわずかに息を整え、ふっと肩の力を抜いた。
リアが胸を押さえているのに気づいて、振り返る。
「……大丈夫?」
間近で見ると、その目は優しい目をしていた。
街灯の光が瞳に映って、澄んだ色をしている。
リアはコクンと頷いた。
腰が抜けて声がうまく出ない。
喉がきゅっと詰まって、代わりに涙の方が先にこぼれそうになる。
「ありがとう……」
やっと出た言葉は、情けないくらい小さかった。
ルミナは肩を落としてリラックスした感じに言う。
「ここ、夜はディープ・ゴーストエリアよ。夜は人通りが切れて危ないとこ。練習するなら、もう少し明るいところで」
彼女はそんなことを言って、視線をリアの手首へ落とした。
赤く指の跡が残っている。
彼女は無言で自分のポケットから薄い冷却スプレーを取り出し、リアの手をそっと取って吹きかけた。
ひやり、と冷たさが走り、リアは少しだけ肩をすくめる。
そして包帯代わりにリアの手首に自分の手首に
付けていたヘアゴムを巻いてあげた。
「まだ痛む?痛いの、やだよね」
「……うん」
短いやり取り。
けれど、その無駄のなさが今はありがたかった。
「送ってく。近く?」
「だ、大丈夫。歩いて帰れるから……」
断る言葉の最後は、心許なさで小さく震えた。
彼女はその震えごと受け取ったみたいに、肩をすくめる。
「じゃ、そこの角まで。そこを抜けたらこのエリアから抜けて危なくないから」
そう言って、彼女はリアの半歩前を歩いた。
バイカーたち3人組も距離を置きながら、後方をゆっくりついてくる。
「リアちゃん平気??無事でよかったよ」
アサヒがニコッとして言った。
「近くで見るとほんとかわいいなぁ」
ヨシマサが見惚れながら言った。
角を曲がると、広い通りに出た。
コンビニの明かり、遠くのタクシーのヘッドライト、そして街ゆく人の気配。
「ここまでくればもう大丈夫!」
立ち止まったリアが頭を下げる。
深く、丁寧に。
「ありがとう。本当に……助かりました」
「……うん」
相変わらず素っ気ない返事だった。
けれど、彼女の口元が、ほんの少しやわらいだ。
彼女は踵を返し、バイクに跨る。
(ドルルン!ドッ、ドッ、ドッ、ドッ)
エンジン音が唸る。
「ねえ?あの…」
リアは思わず呼び止めていた。
ルミナが顎だけで合図する。
「いつも、クラブで……いたよね。壁のとこで、あなた、すごく目立つから。気になってたんだ。
違ったら恥ずかしいんだけど、アタシが出る日だけ、いつも来てくれてたような気がして…
名前なんて言うの?」
一拍置いて、彼女は片目だけ細めて答えた。
「ルミナ!」
青い髪の彼女が、名前を一言だけ名乗った。
「ルミナって言うんだ?アタシ、リア!」
「知ってるよ。太陽の女神、リアでしょ?あんたのステージの時だけ来てるの、気づいてたんだ?
なんでか知りたい?
私ね、あんたの歌声とダンスが大好きなの」
それだけ言うと、ルミナはヘルメットを被った。
「行くよ!」
ルミナは片手を高く上げ、リアに向けてひらひらと振る。
轟音とともに、ルミナを先頭にしたバイカーたちが夜の街へ消えていった。
数台のバイクが連なり、夜の大通りを滑り出す。
光の尾が水平に流れ、エンジン音が遠ざかる。
風だけが取り残されて、リアの髪をやさしく揺らした。
リアの心臓が、早く、強く、脈打つ。
それは恐怖からではない。
胸の奥底で、まるで新しいリズムを刻んでいるかのようだ。
取り残されたリアは、その背中を呆然と見つめていた。
(え……いま、アタシのダンスが好き…って言ってくれたの?)
『私ね、あんたの歌声とダンスが大好きなの』
ルミナのその一言が、リアの心に何度もこだまする。
「…好き」
かつて、リアの心を深く傷つけた『センスないね、あなた』という過去の言葉が、その一言で一瞬にして掻き消されていくような気がした。
ルミナからしたら、ただ自分の気持ちを何気なく言っただけだったのかもしれない。
だけど、リアの心は、そのルミナの一言によって温かい光に包まれていく。
そして自分自身を信じて頑張ってきてよかったと背中を押してもらえた気がした。
それは、彼女のダンスが誰かを笑顔にしている、たった一人の心に届いているという確かな喜びだった。
ぽつりと漏れた心の声が、夜空に溶ける。
さっきまで冷たかった街が、少しだけ温度を取り戻していた。
リアは歩き出す。
角を曲がる前に、もう一度だけ振り返った。
遠く、交差点の向こう。赤信号の下で、ルミナが一瞬だけこちらを見た気がした…
そんな気がした。
ヘルメットの奥の視線は読めない。
それでも、不思議と確信できた。
いつも、自分のステージの時だけ壁際で煙草を吸って見ていた青い髪の彼女。
名前も知らなかったその存在が、今、現実に自分を救った。
(あの子、ステージで笑ってる私を、ずっと見てた)
胸に小さく火が灯る。
孤独の闇に、最初の光が差した。
恐怖で固まった筋肉がほどけていくのを感じながら、リアは自分の手首をさすった。
冷却スプレーの冷たさがまだ残っている。
そして彼女が外してリアの手首に付けてくれたヘアゴム。
「……名前、ルミナって言うんだ…」
あんな怖そうな人たちを簡単にやっつけちゃうなんて凄いなぁ…カッコいいなぁ…
すっごい強かったなぁ…」
名前を口にすると、心地よく心が落ち着いた。
夜風が答える代わりに、髪を撫でる。
リアはふっと笑って、歩幅を少しだけ大きくした。
マンションの前まで戻ると、ポケットの中の古い手紙に指先が触れた。角の擦り切れをなぞる。
『――大丈夫。見ているよ。がんばれ』
いつか読んだ言葉が、背中を押す。
部屋に入ってドアを閉める。
静寂が戻る。
だけど、もうさっきまでの静けさとは少し違っていた。
窓の外、遠い通りを走り去っていったバイクの光が、瞼の裏に残っている。
(ありがとう)
声には出さずに、心の中だけで言った。
リアは机にノートを開く。
震える手で、今日の最後の行を一行だけ、書き足した。
《怖い思いをした。でも、助けてくれた人がいた。
明日、また笑うためにがんばるんだ( ´∀`)》
ペン先が止まり、小さく息を吸う。
一度ノートを閉じて灯りを落とす。
けれど、胸の鼓動はまだ速いままだった。
さっきの出来事が、何度も脳裏によみがえる。
「……喉、乾いたな」
ぽつりとつぶやき、財布をポケットに入れる。
部屋にじっとしていると、鼓動の音ばかりが大きくなる。
少し歩けば落ち着けるかもしれない。
リアは玄関のドアをそっと開け、深夜の街へ出た。
ひんやりとした夜風が頬を撫でる。
遠くに、コンビニの看板が光っている。
その明かりを目指して、足を前に踏み出した。
まだ、リアの夜は終わっていなかった。
次回 ☀️《第5話 甘さと影》




