☾《第22話 契約と代償・交わした最後の想い》
ここがいったいどこなのかまるでわからない。
そして入り口の場所に到着した。
扉らしきものが開いた音がして中に入ると、大きなガラス張りのエレベーターがあり、遥か下の地底まで続いているのが見えるが、深過ぎて下が何も見えない。
時任博士は無言でエレベーターの奥の鍵穴に金属カードを差し込むと、線のようなライトが動き出した。
生体認証システムだ。
そしてランプが緑に変わり、隠された扉が開き出す。
ウィーン、ガチャン!!
白い世界のさらに下、消毒液の匂いが薄れ、鉄と油と微かなオゾンの匂いに置き換わる階層、研究施設。
乗ったエレベーターはどんどん下がっていく。
B10、B20、B30……B60……B80……
「ルミナ、ほんとにいいのか?」
レイトは、決意を試すように、少し掠れた声で言った。
ルミナは振り返らずに答える。
「もう決めたの。私のせいであの子は……。すべて私の責任なの」
その返答は、空調の低い唸りに吸い込まれ、薄い煙のように消えた。
そしてB150でエレベーターは止まった。
レイトは周りを見渡した。
「なんなんだここは…B150階?地底の奥底なのか」
これを目の当たりにした事で、時任が言っていた世には出ていないという言葉が極秘だと言う事を一気に信憑性を高めた。
更にこの時任が一体何者なのか、更に異様な謎が生まれる。
ガラス越しに並ぶのは、冷たい装置の列。
そして何人もの白衣を着た科学者なのか、医者なのかわからない人間たちがいる。
心臓の動きを同期させる装置、脳波を読み取るモニター、微細な電気刺激を送るポート。
その中心に、広間の光を独り占めするように、銀の寝台があった。
寝台の上には、透明なカプセル。
中に満たされた液体は、月光を混ぜたような淡い銀色で、静かに波打っている。
「ここで、お姉さんの鼓動と妹さんの鼓動を繋ぐのだ」
時任は装置に手を沿わせ、淡々と告げた。
「PROJECT HEART。 あなたの深い愛着記憶と、心臓の同期パターンを、リアさんの眠った意識のネットワークへ橋渡しする。これによってAIが彼女自身の回路がもう一度繋がるのを呼び起こさせる。…ただし代償はある。」
レイトが口を挟む。ガラスのように鋭い目つきで遮るように言う。
「その代償をもったいぶらずに早く言え」
時任はわずかに顎を引いた。
「第一に、術式の最後に、媒介者であるルミナさんの身体的な負担が跳ね上がる。君の神経は限界を越え、一部、人工的な拡張移植が必要となるのだ。
つまり普通の人間の身体では負担が大き過ぎるがゆえ、チリとなり跡形もなく消滅してしまう。それを防ぐために身体に特殊プレートのブルーセンサーを埋め込み、皮膚や骨格、細胞、神経、全てを強化しなければならない。
もちろん、身体が機械やロボットになるわけではない、そこは安心したまえ。見た目は変わらずそのままだが、中身はもはや普通の人間とは言えないレベルに強化される。
今まで生きてきた中での様々な記憶が欠如される可能性も高い。
対策としては記憶を失うのを防ぐために記憶剤を打つが、どこまで効果が得られるかまだハッキリとしていないのだが…。
ただ、完全に記憶が抜け落ちるのを防ぐ事はできるのは確かだ。
そして、私の構成したプロットを誕生させるという、私の実験に協力していただきたい」
時任は続けた。
「ルミナさん、あなたに関してはそこまでだ。
続いてはリアさんについての説明をしよう。
リアさんは回復の過程で、最も強い情動記憶、深い愛の中心にある記憶が欠落する可能性が高い。……つまりルミナさん、あなたに関する記憶が選択的に抜け落ちる事になるだろう。
もちろんリアさんにも完全に記憶を失わないようにするために記憶剤を打つ。これで全ての記憶が抜け落ちるのは防げるはずだ…ただ、どこまで効果が期待できるか今の段階ではなんとも言えない」
ルミナの指先が、衣の裾を握った。
「私のことを忘れてしまう……?」
「心は生き残るために、ときに痛みの中心を外す。憎しみよりも深い愛のほうが、しばしば過負荷となるのだ」
空気が硬い氷のように冷え固まる。
レイトの目が鋭く光り、半歩、前に出る。
「やめろ。そんなの、地獄じゃねぇか。お前の顔も、声も、笑い方も……お前の存在そのものの記憶が全部消えるかもしれないんだぞ」
しばらく沈黙が続き、ルミナがゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、レイト。あなたの妹さんの話も聞いたよ」
レイトの喉が小さく鳴った。
「……二度と、同じ後悔をしたくないの。消えてもいい…それでも構わない…リアが助かるなら」
ルミナは静かに、絶対的な声で言った。
その声は、自分の存在全てを否定するほどの重さを持っていた。
「時間だ。手続きを始める。契約はここに」
薄い端末に映る文面、医学用語と法的用語が絡み合い、その最後の行だけが、やけに簡素だった。
《媒介者は、人体拡張プロトコル『Blueーsapphire』に協力すること》
ルミナはサインし終わった後に時任の方を向いた。
「ほんの少しだけ……時間いただけますか?5分…いえ、3分だけでもいいんです」
時任は頷く。
ルミナはレイトの方を向き一度だけ目を閉じ、そして開いた。
その淡い紫色の瞳には、初めて恐怖ではない、純粋な感情が宿っていた。
「......ねえ、レイト」
ルミナは、鋼鉄の意志で震えを止め、静かに続けた。
「こんな時に、何言ってんだって思うかも知れないけど.....私は、あなたのことが好きよ」
レイトの、怒りに満ちた顔が、一瞬で驚愕に固まった。
「人としても、男としても好きなの」
ルミナは、口の端を自嘲するように小さく上げると、その場にいる誰の目も見ずに、宙を見つめた。
「いつの日か私はあなたと同じ歩幅で他愛のない未来を歩んでいきたかった。私が、普通の女の子として。でも、きっと私は、この手術の後にリアだけじゃなく.......もしかしたらレイトも記憶からなくなるのかもしれない。なぜかわからないけど、そんな最悪な事が起きる気がするの…」
ルミナの声は、震え、絶望的なほどに静かだった。
「だから今、伝えておくわ。私の、最初で最後の心からの感情を」
その瞬間、レイトの理性の糸が、音を立てて千切れた。
「ふざけるな!」
彼は、咆哮にも似た叫びと共に、ルミナに飛びかかった。
だがそれは怒りではなく愛する者を思う気持ちだった。
レイトは、ルミナの細い体を、力任せに、思いっきり抱きしめた。
鉄骨の冷たさが一瞬で消えるほどの、灼けるような抱擁だった。
「馬鹿野郎......!こんな時に......言うんじゃねえよ......」
彼の声は、怒りではなく震えていた。
レイトもまた、出会った時からずっとルミナに想いを寄せていた。
そしてどんどん深く惹かれていたのだ。
「オレだって、お前が好きだ!ずっと前から…ルミナ......オレは…誰よりもお前を… お前だけを愛してるんだ」
レイトの激しい後悔が、今まで強がって抑え込んでいたルミナの心の奥に染み込んでいく。
ルミナの防衛線は、もはや完全に崩壊した。
彼女の瞳から、今まで我慢の限界まで押し殺してきて溜め込んできた全ての感情が、熱い雫となって溢れ出す。
「…知ってたわよ。あなたも私の事を想ってくれてる事、そんなのずっと前から…知ってたわよ……
気づかないわけないじゃない!
いつも自分の事なんて後回しにして、私の事を第一に考えて私を大切にしてくれてて……
辛過ぎるわよ......。リアも......あなたも…二人とも、失うなんて....…」
覚悟を決めたはずのルミナの顔は、悲痛な少女の表情に戻っていた。
彼女の涙を流すその姿からは今までの強くしっかりした姿はもはやどこにもなく、今は、まるでちょっと小突いただけで、砕けちってしまいそうなヒビ割れたガラス細工のように弱々しい女の姿だった。
レイトは愛する女性を、記憶を失う道へと送り出さなければならないという地獄に打ちのめされていた。
守りたいという愛と失いたくない愛。
二つの感情がルミナの身体の中で激しく衝突していた。
レイトは息をすることすら忘れ、その場に立ち尽くした。
ルミナの静かな声で言ったあまりにも切ない告白は、彼の胸に爆弾のように突き刺さった。
「守るってのは自分を焼くことじゃねぇ! ……お前は、もう十分焼けてるだろ!」
レイトの怒鳴り声が鉄骨に反響する。
ルミナはふっと息を吐き、レイトを見る。
「普通に学校に行って、友達とオシャレしたり遊んだり、誰もが送るようなそんな人生送ってみたかったな…。せめてリアだけは夢だけじゃなく、そんな幸せな日々も送らせてあげたいって思ってたのに、それも叶えてあげられなかった……
リアとの思い出も、レイト、あなたとの今までの日々も、この想いも全部消えてなくなっちゃうのかな……。
レイト…今まで本当ありがとう…」
ルミナの切なさと悲しみに溢れている顔からは大量の涙が止めどなく流れていく。
ルミナは、その涙を拭うことすらせず、突然レイトの顔を両手で包み込んだ。
レイトが驚きに目を見開いた、その瞬間…。
ルミナは自らの唇を、レイトの唇に、強く、深く重ねた。
それは不器用なルミナが、最後に選び取った、最も純粋で、最も切実な『愛の言葉』だった。
そして、どのくらいの時間がたっただろうか。
10秒、20秒……1分……
まるでその一瞬だけ全てが止まったかのようだった。
そしてルミナは重ねた唇をそっと静かに離した。
ルミナの乱れた息遣いがレイトの顔にかかる…
レイトとルミナ、お互いにルミナ自身のものか、レイト自身のものか判別がつかないほど激しい心臓の鼓動が聞こえていた。
まるで時が止まったかのように無言で見つめ合う、ほんの数秒…
ルミナは、キスを終えた後もレイトの熱い瞳を見つめ続けた。
「もう後戻りはできない…これで......たとえ私がすべてを忘れてしまっても、この一瞬の記憶だけは、あなたの中に永遠に残してあげたい…」
そう言い放つと、彼女はレイトの腕から自ら力を振り絞って冷たく体を離した。
その静けさが、彼の肩から全ての力を奪った。
時任は無言のまま、2人のあまりにも切実な抱擁と口づけを静かに見つめていた。
天才マッドサイエンティストと恐れられる男の、鉄の仮面のような横顔が、その時だけは微かに歪む。
(この2人……互いにこれほどまで強く想い合っているのか……)
過酷な実験を数多く見てきた時任の胸に、科学者としてではなく、一人の人間としての熱く激しい感情が去来する。
(この残酷な世界で、これほど純粋な光を私は見たことがない。……守らねばならん。リアさんだけでなく、この2人のこれからの未来をも、私は何としても救ってやりたい)
時任は自らの感情を押し殺すように、キュッと重い音を立てて手袋を嵌めた。
「ルミナー!!」
レイトが叫んだ瞬間オペ室の重厚な扉が閉まった。
そして完全に2人の距離は遮断された。
────────────────────
数時間後……白く隔離された無菌病室。
リアの意識の底には、光の粒がシンシンと降っている。
まるで静かな雪が落ちるように。
それは記憶の断片…。
泥だらけの膝、丘の風、ブランコの鎖の軋み、冷たいパンを分けあった朝。
一粒、また一粒、光はふわりと浮かび、空へと消えていく。
『……お姉ちゃん?』
呼べば、遠くに影が立つ。
影はいつものように腕を組み、いつものように少し不器用な笑い方をした。
だけど、その輪郭には、どこか水の反射みたいな揺らぎがある。
『待って!どこへ行くの』
影は、ゆっくり首を振った。
声は聞こえない。
ただ、唇が大丈夫と形づくる。
『いや……だめ。置いていかないで。私、強くなるから。光の側にいるから。だから…』
光の粒が足もとで飛び散りながらリアは走る。
その影は後ずさり、笑って、泣いて、最後はそっと、リアの額に指を当てた。
指先から、温かいものが滲む。
『リア、約束よ。あなたは光の中で生きて』
その言葉だけが、夢の膜を震わせた。
ペンダントの月影が、現実の胸元で一度だけ、はっきり光る。
モニターの波形が、わずかに持ち上がった。
「同期開始」
別室で透明カプセルの中に、ルミナの身体が横たわる。
導線が皮膚をかすめ、胸骨上で碧い光点が点滅する。
隣のモニターにはリアの心拍。
二つの波形が、少しずつ、同じリズムへと近づいていく。
時任の声が、深い水槽の底から響くみたいに落ち着いていた。
(ピッ)、(ピッ)
音と呼吸が、同じ距離感で往復する。
ルミナの胸がゆっくり上下し、そのたびに碧い微光が皮膚の下を走った。
「媒介パターン、良好。……起動」
レイトはガラスに拳を押し当てたまま祈った。
「ルミナ……戻ってこい。どんな姿でもいい、必ず戻ってこい」
時任が最後のキーを押す。
「最大値、点火」
世界が、静かに反転した。
音が沈み、光が濃くなる。
ルミナの耳に、懐かしいものが流れ込む。
『……スープ、ちょっと濃いね』
『飲みすぎると喉が渇いちゃうわよ』
──あの朝の食堂の声。
『リア、泣きながらでも進めるのが強さよ』
──あの夕暮れの庭の風。
『ちゃんと見てる。約束』
──廃墟で二人での時間。
今までの思い出の記憶が走馬灯のように駆け巡り
そして静かに薄れて消えていく…
今までの思い出の日々がまるで、始めから、なにもなかったかのように…
柔らかな、しかし決して割れない糸になって、遠い白いベッドへ伸びていく。
糸の先で微かな指が、もう一度だけ、動いた。
「自発呼吸、改善。脳波の同期増加……!」
医師達と看護師の声が交錯する。
時任は、静かに片手を上げた。
「最終整合、始め!ここから先は選ぶのは彼女たちだ」
カプセルの内部、ルミナの青っぽい髪が、根もとから薄い青がかった色へと滲みはじめる。
黒に溶ける群青、月光を引いた瑠璃、最後に、風のような浅葱。
瞳は淡い紫のまま、ただ、光の反射が違って見える。
体の奥で、何かが目を覚まし、新しい何かへと変質している。
ルミナは水面へ伸ばすように、掌を開いた。
────────────────────
隣の病室。
胸元のペンダントが、かすかに冷たい。
数人の科学者たち、そして麻酔科医と看護師がモニターを見る。
「心拍数、呼吸数、血圧、サイナスリズム、すべて正常です」
医師と科学者と看護師たちが時任博士に報告した。
「再起不能の人間をAIを組み込み、AIと人間を同化させての復活、成功です!」
────────────────────
それから約5時間後…
白い病室。
モニターの音が、一拍だけ長く鳴る。
リアの睫毛が震え、ゆっくりと持ち上がり、瞳がうっすらと開いた。
真っ白な天井が滲み、病室の壁一面に埋め込まれた高精細モニターが、時間を感知して『擬似的な朝の光』を優しく広げていく。
その光は、本物の太陽よりも少しだけ不自然で、柔らかい。
「リアさん、聞こえますか? ここがどこか、わかりますか」
扉が開き、看護師の短い歓声。
ベッドサイドへ駆け寄る白衣。
リアは、小さく頷く。
「……わたし、誰かを追いかけていて……その時にトラックに跳ねられたはず……うっ、頭が痛い…」
リアは頭を押さえ込んだ。
指がペンダントを探し当て、布越しに握りしめた。
胸の奥が、不思議と温かい。
誰かが、すぐ傍にいたような…そんな感覚だけが、確かだった。
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時任博士がオペ室から医局へ戻りかける施設内の通路で時任博士がふいに足を止めた。
マスクと帽子で顔を隠した男が立っていた。
目が合い細い瞳が、笑っていない笑みを浮かべた。
「成功ですかな?ドクター時任」
低い声、名札はない。
時任は微笑も怒りも見せず、ただ一言だけ返す。
「ふん!マーダーか?見届けに来たのか?
お前のような残酷な男に用はない。
私は純粋に命を救い、その先を見たいのだ」
マーダーは不適な笑みを浮かべる。
「天才マッドサイエンティストと呼ばれるあなたほどの男が命を救うなどと、ふざけた真似を。
私の計画にいい加減協力する気になりたまえ。
私の背後にいる『主』の意向は絶対だ」
マーダーは冷たい眼で時任博士を見下ろして見る。
「…失礼する」
時任博士は一言だけ答えると振り向く事もなく再び歩き始めた。
(リアとルミナ…素晴らしい!ドクター時任、貴様の良心にはとことん反吐が出る。悪いがあの2人が大事にしてる記憶だけ抜かせてもらった。邪魔なんでな……クックックッ。)
その冷酷な宣告の通り、二人の記憶は抜かれ、世界は隔たれた。
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隔離病室では、リアは初めての水をひと口飲み、ゆっくり呼吸を整えた。
壁の疑似モニターから、人工の朝の光が差し込む。
本物の太陽とは違う、どこか冷たい光。
(知らない場所……なのに、どうしてだろう)
胸の上で、指先がペンダントを撫でる。
リアはすべてを忘れてしまったはずなのに、胸の奥だけが、誰かに抱きしめられていたような温かい記憶で満たされていた。
「どうして……涙が出るんだろう」
理由のない涙が、頬を伝う。
その時、扉がノックされ、時任博士が入ってきた。
彼は、ベッドサイドから少し離れた距離で立ち、穏やかに会釈した。
「リアさん。気分はいかがかな?」
リアは瞬きをし、首を傾げた。
(まさか…記憶がすべて欠落してしまったのか…最低限は欠落しないように記憶剤は打ったはず……)
時任は、視線をペンダントへ落とす。
「リアさん、ゆっくりでいい。思い出せないことは、仕方ない。ただ、一つだけ、覚えていてくれ。君は死の淵からまた再び輝きを取り戻した。だから、胸を張ってここからもう一度、歩けばいい」
リアはペンダントを握りしめ、目を閉じる。
胸の奥で、かすかな声がした気がした。
────────────────────
研究棟・別室。
薄暗がりの中で、もうひとつの寝台が静かに横たわっていた。
そこに眠るのは、ルミナだ。
レイトがガラス越しに、指の関節を白くなるまで握った拳を置く。
(ルミナ、お前は帰ってくるよな?)
背後の扉が静かに開き、時任博士が入ってくる。
「彼女は戻る。君が思うのと少し違うかもしれないがね」
筋肉、骨格、反射神経、運動神経、人間の限界を遥かに超え、それに耐えうる身体へと強化される。
更に軍の特殊部隊、格闘技の実力者達の経験データを正確に写し取ったテンプレート。
それが、ルミナへと融合される。
髪が少し変化した青のグラデーション。
目を閉じ、呼吸はない。
なのに、そこに確かな気配がある。
銀のカプセルが、ひとつ、静かに開いた。
ルミナはゆっくりと上体を起こし、呼吸を確かめた。
胸の鼓動、そして痛みもある。
そして、恐ろしいほどの静けさが、芯に。
濡れたボブの青っぽい髪が肩に落ちる。
ガラス越しに、影が動く。
ルミナは顔を上げると紫の瞳が、薄明の光を反射した。
ルミナは起き上がり自分の手のひらを見て、目の前のガラス張りの壁に自分自身を見た。
髪の毛が青みがかったグラデーションに変化しただけで、他は何も変わらない。
ルミナが完全に覚醒した後、レイトはガラスの向こうの彼女を見つめた。
レイトは、記憶を失いながら性格も何も変わらず、誰かを守るという本能もそのままルミナに残っていることを確信していた。
そして名前を呼ぼうとしたルミナは唇を噛む。
(私は今、誰の名前を呼ぼうとしたんだろう……)
胸の奥に、猛烈な『欠落感』がある。
(だけど私がとても大事にしている誰かが側にいたような気がする。絶対に守らなければならない存在が。だけど……思い出せない……)
ただわかっている事は、もう自分がただの人間ではないと言う事だった。
青い髪が肩で跳ね、空調の風がそれを撫でる。
スピーカーの向こう、別室のマーダーの低い声。
「これがPROJECT HEARTの人間の限界を超えた戦闘サイボーグか」
しかし、マーダーのその言葉の後に、ルミナの様子が何か違うという異変に気づき、時任博士の胸に苦い予感がよぎった。
(そんな……リアだけでなくルミナまでもが記憶が欠落している……。なぜだ……。私の計算に、一体何の狂いがあったというのだ……)
時任博士は拳を握り、システムを見つめ、疑問を掲げるように考え込んだ。
その時、マーダーの影がガラスの端で笑う。
ルミナは視線だけそちらへ向け、すぐに背を向けた。
立ち上がる足取りは、以前よりも静かだった。
(なんでこんなにも心が騒ぐのだろう…)
ルミナは区画を抜け、研究所の中央へと歩き出す。
巨大な吹き抜け、地底から遥か地上の世界へと垂直に伸びる、巨大なエレベーターシャフトの底で、ルミナはふと足を止め、頭上を見上げた。
遥か、遥か150階分の上空。
見上げる闇の最果てに、本当の地上から漏れる朝の光が針の穴ほどの小さな点となって微かに揺れていた。
その向こうに、もう一度、掴みにいくべき光がある。
新しい鼓動が、静かにはじまる。
次回
《PROJECT♾️HEART-X 第23話》
(ルミナ編 第11話:消える記憶…再生の鼓動)




