☾《第21話 白い朝、灯る名》
その時、ルミナの膝の上で、リアの指が、ほんとうに、わずかに、微かな痙攣のように動いた。
ルミナは息を呑んだ。
その小さな動きに、世界のすべてが宿っている気がした。
「リア……? 今、手が動いた……リア?聞こえるの? 私だよ」
月影のペンダントが一瞬、ふっと強く光ったような気がした。
その時、看護師が駆け込み、医師が来た。
瞳孔の反応、呼吸、血圧。
指示が飛び交い、モニターの波形がほんの少しだけ、違う調べを描いた。
反射は……。いえ、それ以上の奇跡を期待させる言葉を、私は持っていません」
主治医はルミナの覚悟を見透かすように、逃げ道のない冷徹な現実を突きつけた。
「命の危機は脱しました。しかし、脳へのダメージがあまりにも致命的です。リアさんは……『植物状態』がこのまま続くでしょう。おそらく、もう二度と意識を戻すことは無いに等しいです」
「もう二度と……?」
ルミナの震える声に、医師は険しい顔のまま、言いづらそうに、けれど残酷なほどはっきりと頷いた。
「そ、そんな……」
その冷酷な事実が、ルミナの耳に届くまでに、永遠のような時間がかかった。
ルミナの視界から色が消え、世界の音が遠のいていく。
言葉が、溶岩のように熱く、ゆっくりと、ルミナの心に沈み込み、絶望という名の亀裂を広げていく。
ルミナは感情を完全に凍らせ、ただ無言でうなずいた。
泣くことさえ忘れ、ただただ目の前の現実に、魂が抜けたような放心状態のまま、ルミナは立ち尽くしていた。
ベッド柵に額を預け、鉄の冷たさを痛みとして受け止める。
(私の逃亡が、あの子の光を奪った。 この白いシーツの上で、永遠の眠りにつかせたのは、私だ)
ルミナは、喉の奥で血の味を感じながら、自らに誓った。
(例え、意識が戻らなくても、この手は離さない。 私の残りの人生のすべてで、この身体を抱きしめる。戻ってきたら、何度でも、私の罪を罵っていい。その声を聞けるなら、私は地獄へ落ちても構わない…)
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夕刻、病室に射すオレンジ色の光が、不吉な影を長く伸ばした。
レイトが戻ってきた直後、病室のドアが再び開いた。
そこに立っていたのは、背広姿の男が数人。
見た瞬間、ルミナは名乗らなくても警察だと勘づいた。
その冷たく引き締まった表情は、逮捕を予感させた。
ルミナの心臓が、モニターの電子音よりも速く鼓動を打った。
逃亡者としての本能が叫び、体が椅子から浮き上がる。
男は、警察手帳を差し出し、ルミナの予想に反して、深く頭を下げた。
「ルミナさんですね? 指名手配は、正式に解除されました」
その言葉は、ルミナが数ヶ月間背負ってきた闇を、一瞬にして打ち砕いた。
「…え?…指名手配を解除…急にどうして……」
ルミナは息を呑み、その場に立ち尽くした。
脳が、『指名手配』と『解除』という矛盾した言葉を処理できない。
全身の力が抜け、椅子に崩れ落ちる。
男は続けた。
「事故の前から、あなたの無実を示す証言や資料が、複数寄せられていました。施設の内部監査で、虚偽の通報や帳簿の不正、記録の改ざんも見つかりました」
ルミナの喉がきゅっと狭くなる。
刑事はリアの方を向いた。
「すべてこの子が、お姉さん、すなわちルミナさん、あなたの誤解を解くために何度も署に足を運びに来ていたのをご存知ですか?」
ルミナの視線が、白いシーツに眠るリアへ釘付けになる。
その小さな身体が、自分を救うために闇の中をさまよっていたという事実。
ルミナは息が詰まった。
「リアが……?」
ルミナの声が震える。
「ルミナさんがリアさんを守るために動いていたこと、その経緯、やりとりのメモ、封筒……詳細な記録と証拠がすべてこの子と彼から提出され、照合が進んでいました。事故後、最終的な裏どりが整い、昨日、正式に通達が下りました」
空気が止まった。
ルミナは言葉を見つけられず、ただ白いシーツに眠るリアの小さな手を、震える両手で握り直した。
(リア…… レイト、あなたも?…私なんかを 救うために、2人でこんなことまで……)
ルミナの頬を、止めどなく熱い涙が伝った。
この数ヶ月、自分はリアを守っていると思いこんでいた。
闇に堕ちて、汚いお金を稼ぎ、一人で全てを背負うのが愛だと思っていた。
レイトが静かに話し出した。
「リアに黙っててくれって言われてたんだけどな、実は、施設に様子を見に行った時に証拠集めとかするのを手伝ってほしいって言われてよ。
危険だから辞めとけって言ったんだけどさ、お姉ちゃんを犯罪者になんかにさせないって、あんな覚悟決めた目で言われたら、断れねーよ。それに、ルミナ、お前を守るためだからな、だからオレも手を貸してたんだ。」
ルミナはレイトの話しを話を聞きながら目の前で眠るリアを見つめ、しばらく黙っていた。
真実は、まるで逆だった。
「私が守ってたつもりなのに、私の方が、リアに守られてるじゃん……」
ルミナは、嗚咽を堪え、リアの手の甲に額を押し付けた。
(私の光はあなただった。リア。あなたが、私をこの闇から救ってたのね)
刑事達は電話が鳴り病室から出て行った。
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そんな緩やかな時間が流れた後、病室のドアが、三度、静かに叩かれた。
現れたのは、白衣の男。
還暦はとっくに過ぎているであろう年齢の穏やかな眼差し。
名札には『時任』の文字。
「ご家族の方、でよろしいですかな?」
ルミナは一瞬ためらい、うなずく。
時任はベッドサイドに立ち、リアのモニターと瞳の動きを確かめる。
手つきは慌てず、しかし迷いがない。
「主治医から経過は伺いました。もう二度と意識が戻ることはない、とのことですが……。お嬢さん、それはあくまで『今現在の一般的な医療』での話です。私には、別の特別なアプローチがあります」
時任の穏やかな眼差しの奥で、天才科学者としての鋭い光が宿る。
「この子の意識を取り戻し、事故に遭う前の健康な姿に戻す方法です。今の医学では不可能とされている選択肢が、実は存在します。大いに可能性があるということです。そのお話を今からいたしましょう」
「どういうこと? 別の……? 事故に遭う前に戻すって……」
時任は白衣の胸ポケットから、薄い端末を取り出した。
脳波の簡易図と、心拍の同期パターンが投影される。
「PROJECT HEART。心拍・脳波・末梢信号の多層解析と、損傷部位の可塑性を促進する同期刺激──それから、意識回復補助のための学習型補助インターフェース。簡単に言えば、彼女の脳にAIを取り込み、もう一度繋がり直すのを手伝う技術です。もちろん、この技術は公には認められていません。知るものは我々の一部のみ。倫理委員会の段階を越えた『特例プロトコル』が必要です」
ルミナは眉を寄せる。
「それは……どういう事?」
時任は静かに話しをすすめる。
「戻すために、届かせるのです。心臓の鼓動、脳の波、体の微かなサインをすべて精密に分析し、その情報をもとに体の一番傷ついた部分に『回復しろ』という信号を、彼女自身の体と完全にタイミングを合わせて送り込むんです。彼女自身の回路を、彼女自身で繋ぎ直すのを手伝うようなものだと考えてください。微かな背中押しです。ただし、ゼロリスクではない。拒絶反応、誤同期、人格への影響……説明しなければならない項目は山ほどあります」
「おい!ちょっと待て!」
これまで静観していたレイトが、険しい顔つきで腕を組み、時任を値踏みするように見た。
「おい、アンタ。今、世に出てないとか公に認められてないとか言ったよな? 普通に考えて、そんな怪しい話を、なんでこの病院が勧めてくるんだ?」
ルミナも、リアの手を握りしめたまま、鋭い視線を時任に向けた。
「その通りよ。あなたは一体、何者? なぜ、そんな危険な話を、私みたいな 『保護者』 に話してくるの?」
時任は二人の不信感を予期していたように、わずかに微笑むと、すぐに真顔に戻った。
「私は表向きこの病院の医師として在籍してますが、本来はこの病院の人間ではありません。PROJECT HEARTは、失われた光を追う、極秘の再生法です」
時任は、ルミナの目を見据えた。
「ルミナさん。あなたの妹さん、あなた方二人には、常軌を逸した、強すぎる絆がある。それが、私たちの研究に必要な、最も重要な要素なんです。私はリアさんの光を、この白い世界から消したくない。そして2人の絆という光が私の心を動かした。ということです」
レイトはそんな博士の横顔を値踏みするように睨み、さらに問いを重ねた。
「なぜ、そんな話しをルミナに?」
「運命とタイミングですかね。それが私を連れてきたのです」
その言葉は、冷たい技術論ではなく、医師としての切実な訴えに聞こえたが、ルミナの疑念は消えない。
そしてその言葉の後に、時任は衝撃的な事実を付け加えた。
「そして、もう一つ。この技術『PROJECT HEART』の運用には、莫大な費用がかかるんです。本来であれば、とても払える金額ではない」
ルミナは息を詰めた。
絶望的な金額だろうことは想像できた。
「しかし、私は特例として、費用は一切いただきません」
その破格の申し出に、ルミナの警戒心が極限まで高まった。
この世に『ただ』ほど恐ろしいものはないという事を彼女は裏社会で骨身に染みて知っている。
「……条件があるのね」
ルミナの静かな問いに時任は頷いた。
「はい。条件は、ルミナさん、あなたにも協力していただくことです。PROJECT HEARTは、意識回復のために、リアさんの最も深い愛情に訴えかける補助プログラムを必要とするのです。それは、あなたでなければ務まらない」
「ふざけるな!」
レイトが、我慢の限界だとばかりに立ち上がった。
「PROJECT HEARTだ? 聞いたこともねぇ! そんな得体の知れない技術が、この世にあるなんて信じられるわけねぇだろ! アンタらはリアとルミナに何をしようとしてる!」
レイトの怒声が、静かな病室に響き渡る。
この男の言葉は、嘘なのか、それとも真実なのか。
ルミナは、ベッドサイドに座り込んだまま、頭を抱えた。
(リアを助けたい。でも、本当にこの人たちに委ねていいのか? もし、失敗したら、リアは……)
「リアが、未来でまた生きて、幸せになれるかどうか、そんなこと、今すぐ返事は出せないわ!」
ルミナの言葉は、絶望的な状況に直面した叫びだった。
時任は二人の混乱を静かに見つめ、催促する気配を一切見せないまま、冷静な声で言った。
「もちろんです。今すぐ返事はできなくて結構。リアさんと、そしてあなた自身の今後の未来は、この決断一つで大きく変わってしまうのだから。1週間待ちましょう。ただ一つ言っておきます」
時任は、ルミナの目を見つめ、静かにドアへ手をかけた。
「この世の奇跡ってやつは、代償なしじゃ確かに起きない。彼女の光を取り戻すには、あなたの心が鍵になる。それではまた1週間後に」
彼はそう言うと、病室の静けさを取り戻すように、穏やかに微笑んだ。
そして時任は部屋から出ていった。
病室に、重い沈黙が降りてくる。
その言葉は、ルミナの耳には、最後の審判のように重く響いた。
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病院の非常口の灯りは、いつ見ても海の底の光のように青く、ルミナの決意の冷たさを映していた。
ルミナは時任に言われた事をずっと考えていた。
(命までは繋げる事ができたけど、今の医学では植物状態……時任の話、これはリアがもう一度生き返る最後のチャンスかも知れない……)
ルミナは、ベッドサイドの椅子から一歩も動かなかった。
1週間、ルミナは食事もろくに取らず、ただリアの手を握り続けた。
昼は『怪しさ』と『希望』の狭間で心を灼き、夜は『罪悪感』と『愛』の板挟みで眠れなかった。
時任の言葉が、鉄の鎖のように頭の中を巡る。
『公には認められていません』
(ゼロリスクではない)
──(逃げろ!自分の勘が叫ぶ)
『費用は一切いただきません』
(あなたにも協力していただく)
──(私はおそらくもう普通ではいられない)
『取引の代償が、自分の人生全てになる予感』
(リアの光を消したくない)
──(その言葉だけが、なぜか真実に響く)
レイトは遠くから見守るしかなかった。
ルミナの背中からは、世界で最も重い選択を一人で背負う者の孤独な炎が立ち昇っているようだった。
ルミナは、リアに託した月影のペンダントを握りしめ、何度も誓い直した。
(リア……私ができることはなんでもするからね。どんな闇の契約でも、どんな代償でも、私がすべて飲み込む)
そして1週間後の夕刻。
病室のドアが静かに開く。約束の時だった。
時任が再びルミナの元へやってきた。
「約束の1週間がたちました。決意は決まりましたかな?」
ルミナは、ベッドサイドで眠るリアの頬に手を添える。
指先に、微かな体温。
窓の外、淡く滲むような寂しげな空に薄い水色が差し始める。
その微かな体温が、ルミナの決意を固める。
(もう私の都合で、逃げたり先延ばしにしない。 この子に必要な選択なら、私は罪を背負ったこの手で必ず選ぶ)
「本当にリアは目を覚まして元に戻るのよね?
だったらその話し、のるわ!すべて説明を聞いた上で。リアが帰ってくるのなら」
言い切った声は、驚くほど静かで、強かった。
時任は小さく頭を下げた。
「では、今夜早速リアさんを移送します。準備をしていてください。……ただし、ここから先は私を支援している組織の管轄だ。場所は完全な極秘扱いになっており、世界中どの国の衛星写真にも決して写らない、地図上の『空白地帯』に存在する。私の立場でも正確な座標は知らされていないのだ。規則として、向かうヘリの機内では徹底した二重の隠蔽措置が取られます。離陸と同時に外が一切見えない『遮光シールド』で完全に密閉され、GPS情報も遮断されることになります」
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そして夜になり、組織が手配したヘリが病院の屋上に到着した。
リアが担架で運びこまれ、レイトとルミナ、そして時任もヘリに乗り込んだ。
離陸の瞬間、重い金属音とともにヘリのすべての窓ガラスが一瞬にして漆黒に染まり、外の景色を完全にシャットアウトした。
だが、組織のセキュリティはそれだけに留まらない。
すぐさま黒い制服の隊員たちが無言で近づき、ルミナたち、そして時任にまで、仮想の真っ白な空間だけを表示する『視覚ジャミング・バイザー』の着用を強制した。
(窓を完全に塞ぐだけじゃなくて、バイザーまで……。ここまでするの……!?)
外部の景色はおろか、機内の計器や互いの顔すら見えない二重のロック。
重い電子音が響き、どこへ向かっているのか、どれほどのスピードで飛んでいるのかすら、五感のすべてを奪うような不気味な沈黙が機内を支配する。
どれだけの時間がたっただろう。
激しい揺れの後、ヘリが着陸してバイザーが自動で解除された。
同時に、シールドとなっていた窓ガラスが透明に戻り、2人はようやく外の景色を目にした。
時任もまた、眩しそうに周囲を見回している。
目の前には、凍てつく北の大地…。
「おいおい、なんだここは……。まともに息もできねぇくらい極寒じゃねぇか。いったいどこに連れてこられたんだ……」
レイトが吐き出す息は一瞬で白く凍り、ルミナもまた、肌を刺す圧倒的な寒さにここが自分たちの街から遥か遠く離れた、とんでもない場所であることを本能で察していた。
その荒野の中にポツンとそびえ立つ、歪な大きな建物がある。
その周りには小型のドローンらしきものがいくつも飛び、異様な警戒態勢を敷いていた。
だが、それらはあくまで地上の『蓋』に過ぎない。
この建物のさらに地下深く、遥か地下150階の底に、何百人もの科学者たちが寝食を共にし、体温すらもシステムに完全管理された、組織の巨大極秘研究所が存在するのだ。
ここが、PROJECT HEARTの入り口──。
次回
《PROJECT♾️HEART-X 第22話》
(ルミナ編 第10話:契約と代償・交わした最後の想い)
地図にない極寒の地下深く、ルミナを待っていたのは『悪魔の取引』だった。
──「オレはお前を、地獄に送るためにここまでついてきたんじゃねぇ」
──「ごめんね、レイト。もう…こうするしかないの…。今までありがとう…」
妹を救うため、ルミナは自らの人生のすべてを闇に捧げる決意を固める。
リアを事故の前に戻すための、重すぎる代償。
そして、ルミナが自ら選んだ、リアとレイトとの『あまりにも切ない最後の別れ』──。
冷たい鉄に囲まれた世界で、ルミナは初めて本当の気持ちを口にした。
強くあり続けた少女が見せた涙。
少女の純粋な愛が、光を取り戻すための、闇の契約が今、交わされる。




